表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/24

肆/あわいの恋


 A:akio


 夜半おとこが、やって来る。

 背の高い。立派な躯つきの、着物姿の男だ。髪は短く、目つきが鋭い。

 男は部屋の窓を握った掌で鳴らす。

 硝子(がらす)はしんと冷えた空気のなかで、いつでもばらばらになる準備に震えている。震えが音になり、僕の内耳へと伝わってくる。

 カン。 カン。 カン。

 単調な合図で、僕はどんなに深く眠っていても、目を覚ます。

 紺色のカーテンは開けたままにしている。

 ベットのうえで上半身を起こすと、硝子越しに、男が僕のほうをじっと見つめている。

 ただ。ただじっと見つめている。

 ここは二階だ。

 けれど男は不自然さなど、どこにも感じさせずに、窓硝子の向こう側にたたずんでいる。

 おとこの背後には、星がまたたいている。

 しろい。

 よわいひかりの星だ。

 けれど僕は知っている。

 もっと昔。

 確かにあの星は、今より強いひかりを地上へと放っていた。

 その光りを道標に、僕と男は冬の海へと、我と我が身を投げ出したのだ。繋いだ手のぬくもりが、水の冷たさが、一瞬僕の脳裏によみがえる。

「アキヲ」

 硝子窓の向こう側で、男が名を呼ぶ。

 僕の名前だけれども、僕のなまえではない字を、男は指で硝子窓にしるす。

「晶緒はとうに死んだよ」

 自分でも驚くほど、平坦な声がでる。

 僕はベットのうえから動かない。

 おとこに捕まるわけにはいかないのだ。

 今は、まだ。

 男の眉が悲しげによる。

「アキヲ」

 男が名を呼ぶ。

 悲しげに、目元がたわむ。

 名をかたちつくる舌先が、愛おしいと僕に告げる。

 僕は羽布団を頭からかぶり、男へ背を向ける。

 男に捕まる気はないのだと、背中に無言の抵抗を乗せる。

 それでも男は明日の夜もまたやって来るのだ。

 紺色のカーテンは冬の間中、役目を失ったまま、だらりと垂れ下がったままだ。

 僕の内の晶緒が微笑む。

 僕の閉じた(まぶた)の裏側で。

 彼女の着物の裾がはらりと揺れる。

 僕はきつく目を閉じる。



 僕には、むかしの恋人がいる。

 そう言うと母は「あら、そう」とぞんがい軽く笑うのだ。おおざっぱ。良く言えばおおらかな母である。

 なんでも僕はこのひとのお腹にいた時に、「アキヲです。これからよろしくおねがいします」と、母に深々とお辞儀をしたそうだ。

 その時の着物姿の、見目麗しい少女の姿に母はすっかり僕をおんなのこと決めていた。産着うぶぎはすべてしろと桃色で、写真のなかの赤子の僕は、それこそおんなのことして写っている。

 しかし母にも知らぬことがある。

 むかしの恋人は、今でも僕を待っているのだ。



 途切れとぎれの記憶は、ぽっかりと脈絡もなく頭のなかに浮かんでくる。欠けたジグソーパズルのようだ。

 組み立てていくと、晶緒と呼ばれたおんなの僕と、彼は道ならぬ恋人同士であった。結ばれぬ仲で、どうしてそうなったのか、最後には冬の海で共に死んだ。

 心中だ。

 僕はひととして母の腹のなかに生まれ変わり、彼はひとならざる者として、生前のまま僕を求めて彷徨さまよっている。



 報われぬ。

 不毛な恋だ。

 もはや恋とも呼べぬであろう。

 僕には人ならざる男と寄り添うつもりはない。

 紺色のカーテンは十二の年に閉めた。

 おとこを閉め出したまま、僕は成長する。



N:nanao



 恋人を見つけた。

 随分久しぶりだった。

 最初恋人は笑いかけてくれた。

 幼い、無垢な笑みであった。

 母親がすぐ側にいた。今度の親は良いひとらしい。俺は一旦いったんかえることにした。幼い恋人を母親から引き離すのは忍びない。

 それに恋人は忘れているようだった。



 二回目。

「七尾さん」

 俺の名を呼び、アキヲはすぐにも俺の胸へと飛び込んで来た。

 三回目。

 時間はかかったが、アキヲは俺を選んでくれた。

 どちらのアキヲもおんなであった。

 だからこそ、今生(こんじょう)のアキヲに戸惑わなかったわけではない。

 四回目。

 今のアキヲはおとこのこだ。

 見つけた時は驚いた。

 まさかおとこになろうとは、思いもしなかった。

 しかしひとで無くなった俺に比べたら、ましであろう。アキヲはアキヲなのだ。

 そう考えると、あとはもうアキヲしか目にはいらなくなった。

 夜半。

 アキヲの眠る窓を叩く。

 幼かったアキヲは俺を見つけると、「サンタさん?」と聞いた。違うと答えると、がっかりしていた。申し訳なく思った。俺もがっかりすると、優しいアキヲは、「いいんだよ」と、俺を励ました。

 幼いアキヲと窓越しに話しをした。

 なかには入れてもらえなかった。母親との約束を守るアキヲは、とても良い子だ。



 八才になったアキヲに俺は叱られた。

「晶緒へ」と書いて、窓へ手紙を差し込んだのだ。

「これは僕じゃない」と、アキヲは怒った。

「秋生」と、教科書に描かれた名前を示した。

 アキヲはアキヲだ。

 そう言うと、「そうかも」と、簡単に納得した。

 


 もっと大きくなると、窓越しの会話は無くなった。

 俺はアキヲを見るだけになった。

 更に大きくなると、カーテンは閉められた。

 俺はアキヲを見られなくなった。

 真昼の世界は俺の目を焼く。

 俺は夜しか会えないというのに。それさえアキヲに拒否されたなら、俺の恋情はどこにいくのだろう。

 あの()てついた冬の海で、俺の恋情は凍り付いた。そのまま躯の、もっとも深い部分に根をはっている。そこから長い根を伸ばし、今や俺の躯の、どんなちいさな隅っこにさえはいりこんでいる。

 この思いをどうするのだと、アキヲに問いたい。七世を誓った約束は、ほどけて散ってしまったというのだろうか。



 アキヲ。

 アキヲ。

 俺がおれでいられるうちに、思いだしてくれ。

 酷いことをさせないでくれ。

 俺のこころを、もらってくれるだけでよいのだから。


                  「 あわいの恋 」 完

 

 原稿用紙換算枚数 9枚

「あわい」は、あいだの意味の方です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ