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  池のおんな


 下り坂はたいそう気持ちが良いものだった。

 風をうならせ、自転車はびゅんびゅん走る。

 こぐ必要などまったくない。おまけに道はがら空きで、例え真ん中を走っても、通行の邪魔にはならない。

「しかし……」

 無精のせいで伸ばしっぱなしになっている、ひとつ結びの髪の毛は、子犬の尻尾のように上下に跳ねる。長い前髪が否応なく無防備な眼球を刺す。

「寒い。寒すぎだ」

 自転車走行は痛快このうえなくとも、いかんせん寒い。スピードをだせば、それだけ強風にさらされ、体感温度は下がっていく一方だ。

 太一は再度路肩によせて自転車を止めた。

 かじかんでまっ赤な指先に、はあと息を吹きかける。頭上を見上げると、風にのって雲は勢いよく流れていく。

 椿の群生は葉をさらさらと風にたなびかせている。

 寒さで震えながら、太一は椿の灌木(かんぼく)に近寄った。

 そこの一枝が思わせぶりな動きをしている。まるで手招いているように見える。

(まさか、気のせいだろう)

 そう思って顔を寄せる。途端ばさばさと、重たい音が響いた。

「おわっ」

 思わず躯をひいた太一の横から、真っ黒い(かたまり)がずいと飛び出してくる。

 なんだと躯をひいた太一の前を過ぎ、空へと飛び立ったのは一羽の灰色の躯をしたヒヨドリであった。

「ぴいいいい」

 ヒヨドリは甲高い声で鳴く。

 太一の頭上を旋回し、更に一声鳴くと椿のてっぺんに戻ってくる。

 鳥の重みで、枝がたわんだ。

「これは失礼」

 太一は冗談めかした言い草で、ヒヨドリ相手に目を細めた。

「君がいたから揺れていたわけか」

 ヒヨドリのまるい目が、ひたと太一に(そそ)がれる。なんとも人慣れしたものだ。

「邪魔して悪かったね。じゃあ」

 挨拶を残し、自転車にまたがる。

 するとどうしたものか。ヒヨドリは空に浮かんだと思いきや、右のハンドルにとまったのだ。なんとも変わった鳥である。

 太一が呆気にとられていると、今度はハンドルのうえを、左右にちとちとと、歩き出す。まるでよく慣れたカナリヤのようではないか。

「なんだ。お前。ひとに飼われているのか。それともなにかね。わたしに用事でもあるのかね」

 まるで人に向かっているかのように話しかけてやると、それはもう嬉しげに鳴きだす。

 そうしてしばらく(さえずる)と、ひょいと飛び立ち、椿の灌木の向こう側へと姿を消した。それはつい先ほど揺れていた椿の枝だ。

 これもまた一興いっきょう

 遠回りついでとばかりに太一は椿の近くまで行ってみた。するとフェンスの一部が壊れているのが目にはいった。



 壊れた裂け目は狭いことはせまい。

 大柄な大人ならまず無理であろう。しかし女子供。あるいは太一のような、ひょろひょろの青年ならば、なんとか無理をすれば通れそうなくらいは幅がある。しかも破れ目から続く地面には、くっきりと細い、道のようなものまであるではないか。

 無論、おおやけのものなどではない。

 子供のいたずらか。或は獣道か。

 細い小道は雑草が踏み固められ、定期的になにものかの出入りがあることを示している。向こう側はゆるい坂道になっている。背の高い雑木が枝を伸ばし、道の先を見通すことはできない。

 しかしものは試しだ。

 迷い道での小鳥の誘いというのも、面白い。

 太一は自転車を押しつつ、椿の横を無理に押しはいって行く。小枝がいく本かぽきりと折れる。それへ、「ああ、なんともすみません」

 誰に謝るともなく声にだしながら、通り過ぎる。

 小道の両脇には春先の雑草がびっしりと生えているものの、まだ丈はそれほど育ってはいない。

 恐るおそるフェンスの裂け目を、首をすくめながら通ってみる。思っていたよりも幅があったのか、己が貧弱なのか。するりと通り抜けた。

「うーん。これが街まで通っていたら、しめたもの」

 自転車をおしながら、前をうかがうが見通しは悪い。

 前方からは、「ヒーョ。ヒーョ」とヒヨドリの鳴き声が聞こえてくる。

 駄目ならば戻ればいいだけだ。

 太一はもう腹をきめて、自転車を押し進めた。



 道を囲む木々が太一の頭に、頬に、肩にあたっては跳ね返る。

 両手はハンドルを握っているので、かばうわけにはいかない。

 時折。

 ぎょっとするほど大きな蜘蛛の巣がはっている。辺りはますます薄暗く、湿った土の匂いがつんと鼻奥を刺激する。

 ヒヨドリの声は近く。遠くと、まるで先導するかのごとく聞こえてくる。

 道はゆるやかに傾斜していき、やがてほぼ平になっていった。

 終いには、道と地面との境目は分からなくなり、太一は不安げに背後を振り返った。

 小道の先に街への入り口などなさそうだ。これは、またもやしくじったかと、後悔の念がわきあがってくる。

 水気が多い土地なのか、堅かった地面の感触は徐じょに柔らかく湿ったものになっている。今朝出てくる時には、干して奇麗にしていたはずのスニーカーの側面は泥だらけだ。

(まったく何やってるんだよ)

 引き返すにも、もうすこし広い場所がなければ自転車の向きを変えるのも、かなわない。さてどうしたものかと、考えあぐねながら歩を進めていくと、急に視界がひらけた。



 それと同時にぽちゃぽちゃと。

 妙な音が聞こえてきたのだ。


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