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壱/8月3日 床屋にて

 家の近所の馴染みの床屋へ行くと、「本日休業」の札がかかっていた。

 床屋の休みといえば日本全国大体において月曜日と決まっている。なんだって、稼ぎ時の日曜日に休むのだ。

 幾分むっとして僕は、休業の札を睨みつけた。

 襟足が少々長くなってきている。

 僕はひどいくせっ毛だ。

 放っておくと、頭のあちこちから、くるんくるんと、毛先が飛び出してくる。学生であったならば、まだ気にしなくてもいい長さなのかもしれないが、社会人一年生。先輩に注意される前に切っておきたかった。

 確か裏道にはいってすぐにも床屋はあったはずだ。初めての店は、若干の抵抗が無きにしも(あら)ずだが、この際目を(つむ)ろう。

 ところが行ってみるとそこも休業である。

 ついていない。

 肩をすくめ電車にのった。

 十字街から駅まえへでる。駅ならば何軒かあったはずだ。

 ついでに本屋と靴屋をのぞいてみよう。本日の予定を頭のなかで組み立てる。

 しかし。

 行けども。行けども。

 本日休業。お休みいただきます。またのおこしを。の札ばかり。

 どうしたというのだろう。

 理容組合で示し合わせて慰安旅行にでも行っているのであろうか。

 床屋を探して駅まえを歩いた。

 終いには駅アーケードを過ぎる。

 半ば意地になっていたのだが、七軒目で諦めの気持ちがにじんでくる。

 僕の住むのが北国だからといっても、八月なのだ。流石に汗もかき、疲れてきた。どこかに腰を落ち着けて、冷たいものでも飲みたいところだ。

 今日は諦めようか。

 僕は札を前にため息をついた。

 市中の床屋はこぞって本日休みなのであろう。

 僕が歩き回っている間、彼等はこっそりと集まってプールサイドでバカンスを楽しんでいるのかもしれない。或は白衣を着て、プラカードを持ち、理容師の社会的意義を訴えるべく街を練り歩いているのかもしれない。

 火曜にでも出直すかと踵をかえすと、道の向かいに立っていたお婆さんが手招きするのが視界にはいった。

 ずっとこちらを伺っていた様子だ。

 正直僕は初対面のひとと話すのが得意ではない。できるのならば図書館の隅や、映画館の暗がりのなかでひっそりと息をころして暮らしていきたいタイプの人間だ。

 それでも高齢の女性が手招きしているのを、無視するほど薄情にもなりきれない。

 なにか重要な困りごとが、おきているのかもしれないではないか。見渡す限り今ここの歩道には僕たち以外はいないのだ。

 車道を斜め横断すると、「床屋かい」と、お婆さんは声をはりあげた。

 腰の曲がったお婆さんだ。

 ショッピングカートに寄りかかるようにして立っている。カートは見事に膨らんでいる。しかも膨らみが微かではあるが、動いてみえる。僕の気のせいであろうか。

「はあ、まあ」

 僕はカートから目が離せない。上の空で返事をすると、お婆さんが、「ならあっちに一軒やっているよ」

 ぞんざいな物言いではあるが、教えてくれる。

「そこ。そこの路地を入って行くと、営林局の住宅があるから。その後ろをぬけるとあるからさ」

「それはどうもありがとうございます」

 随分親切である。おまけに話し好きのお節介らしい。お節介はともかく、話し好きなのは僕にとっては好ましい。

 ついでとばかりに聞いてみる。

「しかし何だって今日はどこもかしこも床屋が休みなんでしょうね」

 ちょっとした世間話しのつもりだったのだが、お婆さんはひどく責め立てるような口調で、「あんた今日は、はさみの日ですよ」と、言う。

 はさみの日?

 そんなもの僕は聞いたこともない。

「はさみの日は大抵床屋は休みでしょうが」

「そうなんですか?」

「社会常識だよ、あんた」

 呆れるようにお婆さんが言う。先輩というよりも、母親に叱られたような情けない気分になってくる。

 僕がしょげたからだろうか、幾分口調をやわらげると、「まあ、いいよ」

 そう言うと、僕の二の腕のあたりを(はた)いてから去って行く。後ろ手にひかれるカートが激しく動く。僕の気のせいなどではなかった。何なのか気にはなったが、カートから猫などだされ、社会常識だと説教されるのは御免であった。


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