議案7:「白馬の王子様に、憧れたこともあったね」
今月最後の更新です。
では、どうぞ。
夏休みのある日。
オボロは、警戒していた。
何を言っているんだコイツはと思う者もいるかもしれない、しかしである、考えて見てほしい。
レンと言う少女に振り回された一学期を思えば、いつ呼び出しを喰らうかわかったものでは無い。
それ故に、オボロは連日連夜の警戒を行っていたのだった。
具体的には、、毎夜携帯電話の前でスタンバっていた。
これでいつ電話が来ても3コール以内に出ることが出来る、準備は万端だった。
……冷静に考えると、何かがおかしいことに気付きそうなものだが。
「相手に口実を与えない、これが鉄則……!」
この少年、毎夜毎夜布団の上で何を言っているのだろうか。
しかし彼にとっては最重要であって、オボロは真剣なのである。
ただまぁ、夏休みに入ってすでに7月は終わっている。
その間この体勢を取り続けていることを思えば、なかなか頑張っていると言えるのではないだろうか。
意味があるかは、正直に言って微妙ではある。
「オボロー、お客様よー!」
「あ?」
しかし8月初旬のある夜、階下から響いてきた母親の声に――彼の家は、中流階級の普通の一軒屋である――不思議そうな声を上げた。
時刻はすでに夜の9時、高校生ならば風呂にも入りダラダラする時間である。
そのような時刻に、いったい誰であろうか。
その疑問は、トントンと階段を下りていくことで解消することになる。
「いや、すみません奥様。このようなお時間に、奥様のような素敵なマダムのお時間を頂戴するなんて」
「まぁまぁ、そんなこと気にしなくて良いのよぉ!」
そこには、何故か上機嫌で客の相手をする母親の姿が。
普通、こんな時間の来客には眉を顰めるものだろうに、何故に上機嫌なのか。
しかしオボロは、客の姿を見てどこか納得してしまった。
何故ならそこにいたのは、風紀委員会の先輩カレルだったからだ。
にこやかな笑顔に白い歯をキラリと輝かせるその姿は、なるほどマダム受けするのかもしれない。
相手が自分の母親だと思うと、なかなか哀しいものがあるが。
そしてそこでカレルが自分に気付いたのか、にこりと笑みの質を変えた。
電話ではなく直接来るとは、流石のオボロにも読みきれなかった。
「やぁ」
まぁ、カレルは良いにしても。
にこやかに片手を上げるカレルの背中、柔らかな身体をカレルに巻きつけるようにして眠る少女が1人。
当然、ユウである。
この少女は、本当に常に寝ているのだが……はたして、いる意味があるのだろうか。
◆ ◆ ◆
空は繋がっている、だから僕達はいつも一緒だ。
などとどこぞの映画で言っていたような気がするが、空が繋がっていても物理的に離れていれば、それはやはり一緒とは言えないのだ。
レンは、そう思う。
「……皆は、元気にしているだろうか」
夏休みに入れば真っ先に連絡を入れて合宿をしようと思っていただけに、それが出来なかったレンはどこか元気が無かった。
がっかりしている、と言える。
どこかの空の下、ゆったりとした洋服を着て夏の夜空を見つめる彼女。
風紀委員の部屋で楽しげにオボロ「で」遊んでいる彼女と比較すれば、その元気の無さは理解してもらえるだろう。
溜息を吐き、アンニュイな表情で夏の夜風をその身に受ける。
その瞳は、どこか退屈を持て余しているように見えた。
「お嬢様」
しかしその顔も、声をかけられたことで消える。
テラスに出ていた彼女の背に声がかかると同時に、全ての表情が消えてしまった。
そして、代わりに。
「お部屋にお戻りください、私共が奥様に叱られてしまいます」
「……わかったよ」
抑揚のない声でそう言って、レンはもう一度だけ夜空を見上げた。
そこに何かを見たのか、彼女は瞳を細めて。
ほぅ、と、物憂げに溜息を吐いたのだった。
◆ ◆ ◆
翌日、オボロは外に出ていた。
それも普通の外では無い、電車の中だ。
しかも窓の外は、明らかに都会的では無い山と森が広がっていた。
朝の始発電車、4人がけの一スペースである。
「……と、言うわけなのですよ」
「はぁ……」
隣に座り、何やら事情を説明しているらしいカレル。
そしてそれに対して、何だかピンと来ていないような顔をしているオボロ。
ちなみに、前の2人がけの座席にはユウが寝ている。
窓から入ってくる朝日に照らされて、睫毛がキラキラ輝いているように見える。
しかし一方で、オボロはかなり訝しげな表情を浮かべていた。
有体に言えば、展開についていけていない顔をしていた。
それもそうだろう、昨夜いきなり家から連れ出されたかと思えば、今こうして鈍行列車の中である。
いったい全体、どういうことか。
「仕方ありませんね、ではもう一度最初から説明しましょう」
「はぁ」
やはり要領を得ない様子で頷くオボロに、カレルは指を一本立てて説明を始めた。
「現在、レンさんと連絡が取れない状況に陥っています」
その説明は、ざっと以下の通りである。
レンが夏休みの間、人里離れた別荘に閉じ込められてしまった。
以上である。
「いや、短すぎるでしょ!?」
オボロは今度は突っ込んだ、簡潔すぎて意味がわからないと言う典型例である。
「もう少し詳しく説明してくださいよ、レン先輩に何があったんですか」
「わかりました、詳しく説明しましょう。そもそもレンさんは赤城家にの前妻の子でしてね、今の後妻からはあまり良く思われていないのです。息子、あ、レンさんからすれば異母弟ですね、とにかく息子の存在が原因のようですね。いわゆる家督争いと言う奴でしょうか、レンさん自身は弟に譲っても良いと考えているようなのですが、後妻には通じていないようですね。あ、そもそも赤城家とは戦前から続く華族の家系でして、戦後は財産を没収されつつも戦前からの人脈を駆使して財閥系企業グループを立ち上げのし上がった家でして」
「あ、何かすみません。カレル先輩の本気を疑ってすみません」
一息に説明しきったカレルに、オボロはその場で頭を下げた。
しかし事情はわかった、要するに後妻によってレンが別荘に閉じ込められていると言うことが。
まぁ、それでも俄かには信じ難い話ではあるが。
「んー……でもやっぱピンと来ないですよ、俺とは関係ない世界の話って言うか……」
「おや、それではレンさんのことを放って戻りますか? 下手を打つと、後妻に留学にでも出されて二度と会えなくなるかもしれませんけど」
「それは……」
仮にそうだとしても、オボロに出来ることが何かあるのだろうか?
オボロとしてもレンと会えなくなるのは、まぁ、困る。
理由はいろいろだが、今さら困る。
オボロにとっての学生生活は、すでにレン率いる風紀委員会が不可欠なのだ。
あの仕事をしない、快楽主義の塊のような風紀委員長がいない。
想像するだけで、それはそれは寂しいことのような気がするのだ。
それが何故か、と言う明確な理由は、今の彼にも答えようが無いのだが……。
「……」
ただ隣でカレルが笑う気配がして、それだけが気に入らなかったのだが。
そして正面でも、ユウの寝顔が穏やかになったような気がする。
窓の外を見れば、朝日はすっかり昇っていた。
◆ ◆ ◆
「でか……」
ポツリと呟いて、オボロがその建物を見上げた時にはすでに日は中天に差し掛かっていた。
まぁ、建物と言うよりは門なのだが。
学校の正門よりも大きな、レンガ作りの赤い正門。
正門が刑務所の鉄格子のように見えるのは、聊か穿ち過ぎだろうか。
この正門でさえこの大きさである、しかし赤城家の別荘とやらはさらにこの奥なのである。
電車で6時間以上揺られて、郊外の山々の中に建てられたそこにタクシーでやってきた。
カレルが運転手に渡したタクシー券がどこから流れてきたのかは不安だが、今はそれよりも重視すべきことがあった。
「カレル先輩、ちょっと質問があるんですけど」
「はい、何でしょうか?」
「ええとですね」
一呼吸置いて目の前の現実を受け入れてから、オボロはカレルに聞いた。
「……カレル先輩、今何をしてます?」
「正門の扉を蹴り破っていますが、何か?」
「まさか正直に言われるとは思いませんでした!」
しかしその正門の鉄条門は、カレルの回し蹴りによって大きく押し広げられた所だった。
門の向こうには、芝生と小規模な森を合わせたような道が続いている。
明らかに私有地、そして明らかな不法侵入だった。
加えて言うが、ユウはカレルの背中ですやすやと眠っている。
「ちょ、何してるんですか!? もう一度言いますけど、先輩何してるんですか!?」
「正門を開けて、お邪魔する所です。行きましょうか」
「あ、ちょ……えぇ~」
やはり展開についていけないような顔をして、オボロはカレルの背中を追った。
正門から別荘の建物のある場所までは、そこからさらに徒歩で2時間かかった。
まさに森を抜けるような心地だったのだが、不思議と道には迷わなかった。
まぁ、オボロはカレルについてきただけだったが。
「カレル先輩、ここに来たことあるんですか?」
「いや、単純に監視カメラの多い方に進んだだけですよ。普通、正規の道では無い方の監視は緩くなるでしょう?」
「いや、でしょう? って言われても……」
オボロとしては呆れる他無い、何故ならそれは相手側に見つかっていると言うことと同義だったからだ。
前々から良くわからない先輩だと思っていたが、今日は特に意味がわからない。
ある意味でレン以上に、謎に包まれた少年である。
……まぁ、そう言いつつカレルを追いかけるオボロの心境も、なかなかとは思うが。
彼としても、レンを救いたい気持ちはあった。
救う、とは大げさにようにも思えるが。
しかし、確かに彼は行動しているのである。
「ようこそ、おいでくださいました」
正門よりもさらに巨大な、白の基調とした洋館。
その玄関扉の前に、1人のメイドが立っていた。
本来は車が停まるのだろうロータリー、そこにぽつんと立つシックなメイド服を着た若い女性。
なかなか絵になる光景に、オボロ達は足を止めた。
そんなオボロ達に、メイドの女性は深々と腰を折って礼をした。
「レンお嬢様のご学友の皆様ですね、お待ち申し上げておりました」
「あ、あのー……俺達、レン先輩に会いに来たん、ですけど……」
「存じ上げております」
正門を勝手に抜けてきた後ろ暗さからか、オボロの口調はどこか遠慮がちだ。
だが、20代前半と思われるメイドの女性は淡々としたものだった。
淡々と礼をし、淡々と答え、淡々と顔を上げて、そして淡々と。
「お引取りくださいませ」
言葉と共に、オボロ達を取り囲むように無数のメイドが取り囲んだ。
別荘から、屋根の上から、茂みの中から、侵入者を排除せんと同年代の若い女性のメイドが現れる。
オボロは突然の事態に素直に引いていたが、しかしカレルだけは冷静だった。
そして、ユウは寝ていた。
「か、カレル先ぱ……うおっ」
どさっ、と両腕にユウの身体を乗せられて、オボロは呻いた。
重いとは言わないが、それでも鍛え方の足らない細腕にはなかなか厳しかった。
それでも落とさないあたり、男の子である。
「オボロ君、先に行ってください」
「へ?」
「ここは僕に任せて、先に委員長の……レンさんの所へ」
「え?」
目をパチクリと開くオボロの前で、カレルは両手の拳をゴキゴキと鳴らしていた。
明らかに戦闘態勢である、正面のメイドの女性も目を細めていた。
そしてオボロが呼び止める間も無く、カレルの姿が消えた。
いや、正確には消えたように見えた、であるが。
「え……」
オボロが瞬きをした次の瞬間、カレルは正面のメイドの女性と交錯していた。
カレルの右拳を、メイドの女性が片腕を上げて受け止めているのが見える。
カレルの顔が、微妙に歪む。
「これは」
「失礼致します」
離れたカレル、そして袖に仕込んでいたらしいトンファーを両手に落として身構えるメイド。
周囲のメイドも、背中から取り出した三節棍であったりスカートの下にバンドした針であったりと、それぞれ武装しているのが見えた。
武装メイド、非常にそそる単語では無いだろうか。
「えええええええええええええええええええええええぇぇぇ!?」
「……むにゃ……」
しかしそうした趣向が無かったらしいオボロは悲鳴のような声を上げ、その声にユウが唸る。
そして、追いかけっこが始まった。
◆ ◆ ◆
「――――うん?」
不意に顔を上げて、少女……レンは小さく首を傾げた。
上質な調度品に囲まれた広い部屋の中、小さなテーブルを前にして紅茶を飲んでいた彼女は、首を傾げたまま扉の方を見て、それからテラスに繋がる窓の方を見た。
気のせいでなければ、いつもの静寂と何かが違う気がする。
口を噤んで目を閉じて、耳を澄ますようにする。
そうしてしばらくして、何かに気付いたように小さく呟く。
ポツリと、零すように。
「……騒がしいな」
そう呟いた後、レンは席を立った。
準備を、するために。
◆ ◆ ◆
人生において、「どうしてこうなった」と言う場面は割と良くある。
オボロにとってはまさに今であって、彼は豪奢な別荘の内装を楽しむ余裕も無く、年上の少女を背中におぶって通路を猛然と走っていた。
そしてその後ろを、メイドの集団が追いかけている。
「「「お待ちになってくださいませ!」」」
「何だこの状況!」
生半可にメイド1人1人が整った容姿をしているため、その手に持っているトンファーやらハンマーやらコンパスやらがやけに浮いて見えた。
ただ、事実として彼女らに捕まったら大変なことになるのは確かだった。
何と言うか、身の安全が保障されない。
しかもオボロは、ユウを背負っているのである。
いくら女性が相手とは言え、普通の高校生であるオボロには厳しい。
だからオボロは曲がり角の傍にあった部屋――一室一室の間隔も大きい――に飛び込むと、メイド達を一時的にやり過ごした。
「ユウ先輩、ちょっとここに隠れててくださいね……と」
薄着の少女の肌から意識的に目を逸らしつつ、オボロは部屋のソファにユウを横たえた。
調度品がやけに光り輝いていて、中流階級のオボロからすれば目移りしてしまう。
物の価値がわからないオボロではあるが、ソファが大きくて柔らかいということはわかった。
ベッドだと言われても、納得してしまいそうなくらいだ。
「……っと」
ユウの意外と肉感的な太腿の下やしなやかな背中から手を抜いた際、オボロはふと動きを止めた。
離れようとしたのだが、それが出来なかったのだ。
その服の裾が、眠っているユウの指先で掴まれていたからだ。
すやすやと眠るあどけない顔に視線を向けると、オボロはふ、と微笑した。
何となく、引き止められたような気がしたからだ。
「さて、と」
ユウの指を離して、それから扉の陰からそっと外を窺う。
オボロとしても、やはりレンが心配なのは確かだった。
というか、武装メイド等と言うものが存在している別荘に本当にいるのだろうか。
そう思い、顔を出したその時。
「「「お出になってくださいませ!」」」
「み、見つかったぁ――――っ!?」
即効で発見されたオボロは、通路に飛び出して駆け出した。
今度はユウがいないので存分に走れる、すぐさまメイド達の視界から消えた。
当然、メイド達はオボロの姿を追おうとする。
すると突然、オボロ1人分しか開いてなかった扉が、大きく吹き飛ばされかねないような勢いで開いた。
「「「お静かにお願い申し上げま……っ!?」」」
そして、一陣の風が吹き抜けた。
メイド達の言葉は途中で消えて、代わりに鈍い打撃音が連続して響いた。
そして数分の後、その通路には十人前後、つまりオボロを追いかけていたメイドの大半が倒れているような状態になっていた。
全員、気絶している。
「……すやぁ~……」
開け放たれた扉の中、ユウがすやすやと眠りこけていた。
◆ ◆ ◆
急に追っ手が消えたことに驚きつつも、オボロはそのまま走っていた。
しかしここで大きな問題に直面する、レンがどこにいるのかわからないのだ。
何百坪あるのか知らないが、別荘の洋館はかなり広い。
ここに来て、完全に行き詰った。
「オボロ君!」
その時である、彼の耳に聞き覚えのある声が聞こえた。
顔を上げる、気がつけばホールのような場所に出ていた。
ちょっとした舞踏会が出来そうなくらいに広い空間だが、照明が無くカーテンが締め切られていて暗い。
それでもカーテンの隙間から漏れる陽光で、確かに1人の少女の姿が見えたのだ。
周囲の壁には白い布でかぶせられたテーブルの群れのような物が見えるが、オボロはそちらには見向きもしなかった。
駆け出して、そして叫んだ。
「レン先輩!」
駆け出す意味はわからない、しかしとにかく走った。
必死で走る彼に、レンは迎え入れるように両手を掲げた。
その顔は笑顔だ、風紀委員の時に見るものとは少し違う気もする笑顔だ。
オボロは、走った。
「うわっ!?」
そしてレンの傍に駆け寄る直前、オボロは視界を奪われた。
原因は、頭から被せられた白い大きな布である。
おそらくはシーツだろう、オボロは頭から被せられたそれを必死に振り払った。
メイド軍団の誰かにやられたのだろうか、もしそうだとすれば危ない。
だから彼は、可能な限り素早くそれを取り払って、そして顔を上げて。
「オボロ君、ようこそ――――!」
パァンッ、パァンッ……と、響くのは、クラッカーの音だ。
天井から下げられたくす玉も開き、紙吹雪を降らせてオボロの身体にかかる。
オボロがシーツと格闘している間に入ってきたのか、十数人のメイド達が部屋の隅に置いていたらしい料理を乗せたテーブルを用意しているのが見えた。
オボロは、意味がわからなかった。
意味がわからなかったが、顔を上げればクラッカーを手に笑顔を浮かべるレンがいた。
彼女はへたり込むオボロの前にしゃがむと、にっこりと笑顔を浮かべた。
その笑顔は、少なくとも閉じ込められている少女のそれでは無い。
「うふふ、うちの別荘にようこそ、オボロ君」
そこで、オボロも気付いた。
何故なら、見渡せばそこには玄関で別れたカレルの姿もあったからである。
というか、にこやかにメイド達とお喋りしている、モテている様子だった。
そこまで来れば、流石のオボロもわかろうと言うものだった。
――――どっきりである。
「おや、どうしたんだいオボロ君。もしかして怒ってしまったかな、だとしたら本当にすまなかったね……オボロ君?」
やけにあっさりと謝るレン、しかしオボロは沈黙していた。
騙されたとか、良い迷惑だとかいろいろあるが、だがそれよりも。
「はぁ……レン先輩、閉じ込められたとかじゃないんですね」
「ん? 何だい、心配してくれてたのかい?」
「はい」
疲れがどっと来ていたためか、オボロは妙に素直に頷いた。
それがレンの時を一瞬止めたことに気付かなかったのは、彼が顔を下に下げていたからだ。
「正直、怒るタイミングを逸しちゃうくらいには、どうしようかなと、心配してましたよ」
「……そ、そうか」
下ばかり見ているものだから、今レンがどんな顔をしているのかも見ることが出来ない。
出来ないものだから、彼は気付かないのだ。
今、少しだけ何かが動いたことを。
そして彼は知らない、カレルの話が誇張ではあっても虚偽では無いことを。
彼女は閉じ込められていて、しかしこの別荘にいる人間は基本的に味方だという点だけが違う。
だから、彼女はここまで一生懸命に走ってきてくれただろう彼のほっした様子に、自分の時間を止めたのだ。
「……すまないね、普通に呼んだらキミは来てくれないような気がして」
「何でですか、学校でだって呼ばれたらすぐに行ってるじゃないですか」
「それは、いや、そうだね、そうだった。驚かせてすまなかったね、本当に」
「いいですよ、もう。ただの呼び出しなら、それで良いです」
こんなだからダメなのだろうな、とオボロは思った。
自分がこんなだから、きっとレンは調子に乗るのだ。
だけど、仕方ない。
彼女は委員長で、自分は平の委員なのだから。
「……オボロ君」
「はい? もう何かあるとか勘弁ですよ」
「いや、もう何も無いよ。ただ……」
声をかけてオボロが顔を上げると、彼は胸の鼓動を早めた。
何故なら、レンの顔が事の外近くにあったからだ。
そして、僅かな湿り気が彼の頬に落ちてきた。
何をされたのかを理解したのは、レンが身を離してからだ。
オボロは、瞬時に顔を紅潮させた。
「ちょっ、な、ななななな……!?」
「ふふ、可愛いな、キミは」
過剰に反応するオボロにクスリと微笑して、レンは言った。
「嬉しかったよ、私のために一生懸命に走ってくれて。だからこれは、そのお礼さ」
「どっきりじゃないっスか、結局……」
「……そうだね」
嬉しかった、自分のために一生懸命に走ってくれて。
それは身勝手な妄想、タチの悪い空想だ。
でもだからこそ、価値があるとも言える。
最初から最後まではどっきりだと思っているオボロに、レンは目を細めた。
そしてそんなレンから、オボロは目を逸らす。
何となく気恥ずかしいことをしていたように思えて、照れてしまったのだ。
そんなオボロを、レンは微笑して見つめていた。
(さて、お詫びにどんなおもてなしをしてあげようかな?)
可愛い可愛い後輩の頑張りに、どうやって報いてあげようか。
いろいろなことを考えながら、レンは微笑を絶やさずにオボロのことを見つめていた。
――――この後、オボロは美人なメイド達にお世話されたりして別荘内を逃げ回ることになるのだが、それはまた別の話である。
最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
オリジナル長編は初めてですが、7話も続けることが出来れば何とか形にはなっているかなと思います。
どんなに続いても年内にはこの物語も終えられると思いますので、次は二次創作との並走ではなく、一次作品に集中する形になるとは思いますが。
では、また次回に。