議案3:「奴らは忘れた頃にやってくるのだよ」
作者の経験を基に、3話目です。
では、どうぞ。
5月に入り桜も散って、徐々に気温も上がり始めたそんなある日。
しかし4月と何も変わることなく、私立東央学園風紀委員会は放課後の業務に入っていた。
それは新学期が始まって1ヶ月、ずっと繰り返されてきたいつもと同じ日常。
委員長であるレンは外向けの仕事以外はサボり、副委員長であるカレルは書類の山に1人で敢然と立ち向かい、2年生で委員のユウは奥のソファでスヤスヤと眠り、そして風紀委員会唯一の常識人の自称する(同委員会メンバーは不同意)オボロが懸命に仕事に慣れようとしていた。
それは何も変わることのない、放課後の風紀委員会の時間だった。
「……ふむ」
しかし珍しいことに、レンはゲームにも漫画にも手をつけていなかった。
いつもなら時間を潰すために――「仕事してくださいよ」「ははは」「はははじゃなくて」――何かしらの遊びに興じているのだが、今日に限っては違うらしい。
艶やかな黒髪に片手を通して流しつつ、彼女が見ているのはオボロだった。
だがオボロはレンの方を向いていない、どちらかと言うと部屋の扉の方を向いている。
つまりレンには彼の後頭部が見えているわけだが、何となくオボロの姿勢には違和感があった。
具体的には、身体の向きである。
書類のプリントを扉側に向けて掲げて読んでいるのだが、これは不自然なことだった。
普通、掲げて持つ必要は無い。
「オボロ君、オボロ君」
「……何ですか、レン先輩」
「おいおい、キミは先輩と話すのにそっぽを向いて話すというのかい? それは温厚篤実な私としても如何ともし難いものがあると思うよ?」
しかしそんなレンの言葉にオボロが応じることは無い、むしろ慎重な動作で掲げていた書類を机の上に置き、代わりに別の書類を持って掲げた。
顔の位置、いや正確には背中の上部から上の位置が動いていないのが特徴的だった。
何と言うか、意図的にその位置をキープしているような印象を受けた。
「オボロ君オボロ君、ちょっと、ほんのちょっとで良いから私の方を向いてくれないかな。本当にそれだけで良いんだ、是非とも頼むよ」
「レン先輩、それってどうしても必要なことですか?」
「どうしても必要だとも」
重々しく頷いて、しかし顔はキラキラ光の迸る笑顔でレンは頷いた。
ただ、その笑みはそっぽを向いているオボロには見えない。
だから仕方なく、オボロは掲げていた書類を下ろして、椅子の上で身体を回そうと……。
――――ビキッ。
気のせいでなければ、そんな音が響いた。
ただそれはどちらかと言うと体内的な音で、オボロにしか聞こえない音だ。
そしてそこから連鎖して発生するのは、筋肉から筋肉へと電流のように伝わって――――。
「……ッ、~~~~ッ!?」
「どうしたオボロ君!? いきなり身悶えて……ここか!? ここが痛いのかね!?」
「あ、ちょ……さ、触、さわぁ――――!?」
さも心配そうな顔で駆け寄ってきたレンの「背中をさする」という暴挙によって、風紀委員会の室内に盛大な悲鳴が響き渡った。
オボロ、もとい、秋雲朧。
彼は今日。
「れ、レン先輩、レン先ぱ……ちょ、いたぁ――――ッ!?」
「ああっ、オボロ君! 大丈夫かねオボロ君、ここが痛いのだね!?」
「ちょおわぁ――――!?」
彼は今日、いわゆる「寝違えた」状態で学校に来ていたのだった。
◆ ◆ ◆
寝違え、それは誰しもがなる可能性を持つものだ。
朝起きたらなっているので、防ぎようも無い。
その割に痛い、しかも行動が制限される、即効性のある対処法もあまり知られてはいない。
まぁ、最近はネットの中にそれらしい物がいくつも出てはいるが……。
基本的には、耐えるしかない。
そのため、現在オボロは非常に脆弱な状態なのである。
何しろ指先で突かれただけで首や肩の筋肉に電流が走ったかのような感触があるのである、堪った物では無い。
「いや、すまないねオボロ君。私は寝違えるという状況に陥ったことがないのでね、そんなに痛いものだとは知らなかったのだよ。許してほしい」
「それは良いでんですけど……」
何故かいつもの委員長の椅子ではなく、どこからか引っ張り出してきたパイプ椅子に座ってそんなことを言うレン。
自分の隣に座ってきたレンに対して戦々恐々としつつ、オボロはやはり入り口側の方を見つめていた。
これが一番楽な姿勢なのである、というか首が回らないのだ。
「しかし、これは本当に初めて見るな……」
「レン先輩はなったこと……あ、無いんでしたっけ。周りでなった人はいないんですか?」
「うむ、初めてだ。何しろ私はぼっちだからな」
「自分で言っちゃった!? あだだだ……っ」
反射的に突っ込んでしまい、そしてビキビキィッ、と肩から首にかけての筋肉が悲鳴を上げる。
そのまま数秒間、彼は無防備で悶えるのだった。
「…………」
そんな彼に対して、レンはどこか悪いことをする前の子供のような顔をしていた。
悪いことだとはわかっていても、しかし誘惑に負けそうになっている顔だ。
こう、頬に熱がさして、右手の人差し指を震えながら上げていく所など特に。
眉を困ったように寄せて、それでいて口元には笑みが、そして目の焦点が怪しい。
……これはいけないことだ、苦しんでいる相手をからかいの対象にするだなんて。
ああ、でもでも、こんな誘惑、耐えられない……!
というのが、この時のレンの心の中の声だったりする。
――――そして。
「……えいっ」
ツン、と、レンの右手の人差し指がオボロの背中に揺れた。
思ったより硬い筋肉の感触が男の子を感じさせて、何だかドキドキする……などと言うようなハートフルな展開は、当然だが無い。
その代わりにあるのは、獲物と狩人の関係だった。
「ほわぁっ!? ちょ、レン先輩? 触らないでもらえます?」
「あ、ああ、すまない」
直後、今度は指が二本に増えた。
そして単発ではなく、ツンツンと連続で突つく。
狂気の沙汰では無い、少なくともやられる側にとっては。
「はぁうっ!?」
「……えいっ」
「とぅすっ!?」
「……ほっ」
「ほわっちゃあ!?」
椅子の上で背中を反り返らせてビクビクするオボロに、レンは何とも倒錯的な感情を抱いている様子だった。
何故か呼吸が荒く目がとろんとしているあたり、恍惚を感じてすらいる様子だった。
有体に言えば、心の底から楽しんでいるような。
「はぁ、はぁ……何か、イケない世界の扉を開いてしまいそうだ……!」
「どんな世界の扉ですか!? あたたたたた…・・・っ」
痛みが走ると数秒間継続する、しかも独特の痛みがである。
レンはゴクリと生唾を飲み込むと、真剣な眼差しで。
「私は今、キミを風紀委員に選んで良かったと心から思っているよ……!」
「いや、弟さんに似てるからじゃなかったでしたっけ……」
「それはきっかけに過ぎない」
きっかけって何だよ。
心持ちレンから距離を取りつつ、オボロは気まぐれな委員長を見つめるのだった。
……その委員長は、満足そうな笑顔で親指を立てていたが。
◆ ◆ ◆
「しかし、寝違えというのはなかなか治らないものなんだね」
「触らないでくださいよ」
「…………」
「ちょ、何でそんな傷ついた顔するんですか……」
そんなやり取りをしつつ、しかし何とかならないものかと思うのが人情というものだった。
特に寝違えているオボロからすれば、何とも緊急性の高い課題である。
クラスでも女子達から笑いものにされていただけに、思春期の男子としては切実だ。
まぁ、放課後になってしまえば、明日の朝には治っているかなとも思えてくる。
「ふ、大丈夫だオボロ君。我に秘策ありだよ」
「触らないでくださいよ」
「…………」
「ちょ、だから何でそんな傷ついた顔するんですか……」
しかし実際、治せるならそれに越したことも無い。
何故かショックを受けるレンだが、それも少しのこと、彼女は気を取り直して。
「我が風紀委員会には、睡眠に関するプロがいるじゃないか!」
「プロ?」
「さぁ、今こそ真の力を見せるときだ――――ユウッ!!」
豪快な擬音をバックに立ち上がると、レンは部屋の置くに手を差し伸べた。
そこにいるのは2年生の風紀委員だ、ソファの上で常に眠っている「睡眠のプロ」。
確かに常に寝ている彼女ならば、睡眠前後に起こることにも詳しいのかもしれない。
しかし……である、痛みが走らないよう椅子ごとユウの方を向いたオボロは、ふとした疑念を抱いた。
そう、確かにユウは風紀委員で……いや、オボロの知る限り全人類的に最も寝ている少女だ。
だが、誰よりも寝ている彼女には致命的な弱点があった。
「……レン先輩、ユウ先輩って起きないじゃないですか」
「うむ、そうだね」
「寝違えって、起きないとならないんですよ」
「…………おぅ」
どこかの外人のように、レンは自分で自分の額を打った。
その動作は酷く癇に障ったが、悪気が無いことはこの1ヶ月でわかっていた。
まぁ、それ以上に起きないユウに問題があるような気がしないでもなかったが。
とりあえず気持ちだけ貰っておくことにして、オボロは身体の筋肉を解すように伸ば――――そうとして、やはり筋肉が軋んで悶えた。
「……おや、どうしたんですかオボロ君?」
その時、それまで沈黙を――ユウも喋っていないが、存在感があるので――保っていた最後の1人、カレルが声をかけてきた。
理由は、目の前に積んであった書類の柱が一つ空いたからだ、目線の位置まで。
彼は向かい側の座席で悶えているオボロの姿に顔を上げると、観察するような眼差しを向けてきた。
「ふむ、寝違えたんですか?」
「あ、はい、まぁ……」
「ふむ」
カレルは細い指を形の良い顎に当てるように考え込むと、不意に席を立った。
するとそのまま、2人が何となくカレルの動きを追っていると、彼はオボロの後ろに立った。
そして。
「では、ちょっと失礼して」
「は? カレル先輩、ちょ……おぅふぁっ!?」
ドスッ……と、肩甲骨の下あたりに指を刺さされた。
それはレンがやっていたようなツンツン触りではなく、リアルに「ドスッ」という音が響いてきそうな突き込みだった。
こう、伝説の暗殺拳もかくやと言うような。
当然、オボロの身体は痛みで仰け反る。
しかしその仰け反って筋肉が伸びきった所を見計らって、カレルのもう片方の手が動いた。
具体的にはオボロの顎に手を当てて、そしてそれまで曲がらなかった方へ無理やり首を曲げる。
形容しがたい音が、身体の中から響くのをオボロは聞いた。
「イッ……つぁ~~~~……ッッ!?」
「カ、カレル君カレル君、キミ、ちょっと過激じゃないかね!? 見たまえ、オボロ君が陸に揚げられたエビのように!」
「はい、これで大分痛みは引いたと思いますが」
「ちょ、こんなやられて痛く無いわけが……って、あれ?」
「入れられた」直後は激痛が走っていたのだが、数秒経過した今、オボロの身体に痛みは無かった。
身体を曲げても痛みは無く、自分の手を背中に回すことも出来る。
そんなオボロの様子に興味を抱いたのか、レンも指先で肩をつついたりしている。
今度は、オボロも文句は言わなかった。
「寝違えというのは、結局は血行が悪くなっていたり肩がこっていたりと言うのが原因なので。まぁ、あまり長く痛むようなら病院に行ったりした方が良いとは思いますけど」
何でも無いことのようにそう言いながら、カレルが元の席へと戻っていく。
彼はそのまま座席につくと、何事も無かったかのように再び書類を片付け始めた。
その内、また書類の柱が変わって彼の顔は見えなくなるのだが……。
オボロとレンは、互いの目を見合わせていた。
そして書類の柱の向こうにいるだろうカレルへと視線を向けて、それぞれオボロの背中へと視線を移す、そして再びカレルの方へ……と、視線を彷徨わせていた。
彼らの目は、何か得体の知れないものを見るような目であったと言う……。
◆ ◆ ◆
――――後日。
5月半ばのその日、寝違えることなくオボロは風紀委員会の扉を潜ることが出来た。
あのレベルの寝違えは、やはりそうそうなるものでは無い。
「こんちは~……あ、レン先輩、今日も早いですね」
「…………うむ」
するとどうだろう、常に正面を向いて座っているはずのレンがそっぽを向いていた。
何というか不自然に、極端に左を向いていたのである。
こう、椅子を回して不自然さを巧妙に隠しているが……経験者のオボロには筒抜けだった。
「……レン先輩、もしかして」
「触ったらセクハラで訴える」
「触りませんよ……」
赤城漣、人生初の寝違えを経験する。
寝違え、それは絶望的な状況。
朝になった日には、もうどうすることも出来ません。
……あれは、本当に恐ろしい……。
というわけで、今月はおそらくこれで終了。
次回は何をするか、ネタ次第だとは思いますが……。
それでは、失礼いたします。