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議案2:「不法侵入は禁止されている」


 私立東央学園風紀委員会、この学校において頂点を意味する組織。

 そのメンバーが集まる一室において、委員長たる赤城漣……レンは珍しく委員長の椅子に座っていなかった。

 いつもは座り心地の高級な革の椅子に座しているのだが、今日に限っては床にしゃがみ込んでいる。



 両膝を揃えてしゃがみ込んでいながら、スカートの裾をきちんと内側に折り込んでガードしつつ座るあたりは流石と言えた。

 鉄壁の風紀委員長の面目躍如というわけであって、とは言ってもだからといってガードされる側の男子生徒2名は特に何かを思ったりはしない。



「…………」



 それよりも彼らが視線を向けているのは、レンの手元である。

 より正確に言えば、彼女が向けている指の先、そこにいる生き物に対して視線が注がれている。

 直立してもレンの座高の半分にも満たない、それでいてしなやかな小さな身体。

 四肢をしっかと床に押し付け、つぶらな瞳でレンを見上げる淡い色の毛並み。



 動物学上、その生き物は「猫」と呼ばれる動物に間違いなかった。

 いや、まぁつまるところはノラ猫がどこからか入り込んできたというだけである。

 そして今、レンが意を決してその猫に触れようとしているのだった。



「「…………」」



 2人の男子生徒……オボロとカレルは、その様子を固唾を呑んで見守っていた。

 外見として見るのであれば、非常に絵になる光景ではあった。

 黒髪和風の綺麗な少女が、淡い色の毛並みの猫を撫でようとしている姿。

 美術部の人間がいれば、思わず筆の一本や二本はとろうとしただろう。



 しかし、オボロとカレルはもはやそんな和やかな光景を見ているつもりは無かった。

 むしろ、戦争に向かう兵士を見送る銃後の女のような心地である(彼らは男だが)。

 事実、猫に指先を伸ばすレンの顔は緊張しきっていた。

 ごくりと生唾を飲み込み、彼女は意を決したように指を下ろす。



「い、いくぞ……!」



 猫の側は、そんなレンの指先をじっと見つめていた。

 つぶらな瞳でじ~っと見つめて、そしてコテンと首を傾げる。

 それを見て、「あ、カワイイ」などと思った次の瞬間。



 ――――バリッ。



 引っかかれた。

 通算にして本日三度目の引っかき傷がレンの手に刻まれて、レンは涙目になりながら飛び上がった。

 そして、風紀委員の部屋に三度目の怒号と悲鳴が響き渡る――――。



  ◆  ◆  ◆



 秋雲朧――――オボロは、目の前の事態を受け止めるのにいっぱいいっぱいだった。

 言葉だけで言えば、ノラ猫が紛れ込んできたと言うただそれだけのことのはずなのに。



「オボロ君、オボロ君! この猛獣を何とかしてくれたまえ!!」



 どうして、こんな騒ぎになっているのだろうか。

 ちなみにオボロは現在、レンの方を見ていない。

 何故なら床から飛び上がって机の上に避難したレンはもはやスカートを気にしていなくて、とんでもなく捲れ上がって太腿のかなり上の方まで露になっていたからである。



 やや顔を赤くしてそちらを見ないようにしながら、オボロは件の猫を見ていた。

 その猫はもはや我が物顔で部屋の中央を占拠していた、今は何やら片足を上げて毛づくろいの最中である。

 全身から漂うまったり感は、見ている人間を自然と和ませるようだった。



「まったく、まったく! これだから猫など嫌いなのだ! 気まぐれだし、引っかくし、無意味に倍くらいにびよーんと伸びる時があるし、急に凄くジャンプするし、にゃーんと鳴くし!」

「レン先輩、半分以上意味がわかりません」

「『校則』に猫排除項目を作る!」

「落ち着いてください」



 引っかかれた手の甲を涙目で擦りながらの狂乱ぶりに、オボロは逆に冷静に突っ込みを入れた。

 まぁ、3度も連続で引っかかれていれば猫が嫌いになっても仕方ないだろう。

 ファーストインプレッション失敗にも、程があると言うものだった。



「カレル君、今すぐ来年度『校則』の追加案を作成してくれまえ!」

「だから落ち着きましょうよ先輩、ほら、遠くから見る分には凄く可愛いじゃないですか」

「キミは引っかかれていないからそんなことが言えるんだ、見ろこの爪痕を。乙女の柔肌に傷が残ってしまったらどうしてくれるんだ、嫁入り前の身体だと言うのに……ばい菌が入っていたら!?」

「ははは、委員長は今日もユーモアたっぷりですね」



 にこやかにそう言うカレルに、オボロはほっと胸を撫で下ろした。

 常に書類仕事に忙殺されているカレルは基本イエスマンだが、書類仕事に忙殺されているので書類以外の仕事はあまりしないのである。

 なので、猫の相手もしない。



 彼が1秒遅れるごとに仕事が1つ滞るので、相手が出来ないと言った方が正しい。

 今も、いつものように書類の山を崩しつつ積み直して処理している。

 口も動かすが手はその3倍動く、それがカレルと言う副委員長なのだ。

 今も、ニコニコにこやかな笑みを浮かべて新しい書類の山に手を伸ばして……。



「にゃあ」



 ……猫パンチによって、書類の山が崩れ落ちた。

 ジャンプしてテーブルの上に乗った猫は猫パンチによって書類の山を大崩壊させた後、床に着地、床にバラまかれた書類を踏みつけて歩き回った。

 カレルは指で瞼を揉んだ後、ふぅと息を吐いて。



「三味線って何の皮で出来ていましたっけ?」

「落ち着いてくださいカレル先輩!?」



 カレルまでもが敵に回り、猫の運命はまさに風前の灯だった。

 しかしそのオボロにも緊張が走る、猫が今度はオボロの方へと歩いてきたからである。

 こう、尻尾を立ててゆっくりとした足取りで近付いてくるのである。

 その独特のつぶらな瞳が、じっとオボロを見つめている。



 この傍若無人な小皇帝が、次に何をするのか。

 一応味方を標榜するオボロではあるが、先の2人に対する猫の行動を見ていて緊張はする。

 レンのように不用意に手を伸ばすわけでも、カレルのように無意味に書類を積んでいるわけでもない、はたしてオボロは自分が何をされてしまうのかと緊張した。



「……にゃっ」



 顔を微かに横に逸らしながら、短く鳴いた。

 そしてオボロの椅子の下を悠然と歩いて通り過ぎて、そのまま何事も無かったかのように通り過ぎて行った。

 ……それが人間で言う「舌打ち」的な行為であると気付いたのは、数秒経ってからのことだった。

 要するに、アウトオブ眼中と言われたわけである。



「あっはははははっ、面白いよオボロ君!」

「うるさいですよ!? 机の上でビビってるレン先輩には言われたくありませんよ!」

「ビ、ビビビビ、ビビってなどいない! ただ避難しているだけだ!」



 人はそれをビビっていると言う。



「動物の皮をなめすにはどうすれば良いんでしたっけね」

「カレル先輩ホント落ち着いてくださいよ!」



 どこから持ってきたのか、やたらに銀色に輝く鉈を持っていたカレルにビビるオボロ、鉈では動物の皮はなめせないことを強く訴えて、どうにか引っ込めて貰った。

 しかし、それで事態がどうにかなるものでもない。

 レンにはまったく懐かれずに怯え、カレルは仕事を邪魔されて笑顔で、オボロは特に何も出来ず。

 このままでは仕事どころでは無い、何とか打開策を探らねばならなかった。



「……む? 何の音だ?」



 その時、机の上に避難したままのレンが顔を上げて何かの音を聞いた。

 それはゴロゴロという音であって、妙にくぐもって聞こえる妙な音だった。

 こう、耳の奥に響いてくると言うか……。



「あ」

「む、どうしたオボロく……ん?」

「おや?」



 3人が視線を部屋の奥へと向ける、そこには普段は3人が関与しない空間が広がっている。

 本棚と窓に挟まれるような、やや手狭な印象を抱くその空間にはソファが一つある。

 それほど大きくは無いが、来客用のそれはしかし人が1人横になれるくらいには大きい。

 ただ、その空間はある意味で風紀委員長であるレンですら触れないと言うか、そう言う空間でもある。



 その空間に、件の猫が入っていた。

 四肢を床につけた「おすわり」の体勢で身体を伸ばして、ソファの上にいる人間を見つめている。

 まぁ、その対象は寝ているので、見つめると言うのも少し違う気もするが。



「にゃぁん♪」

「……ん……」



 甘えの込められた鳴き声を上げる猫に対して、菊月夕――――ユウは、やはりスヤスヤと眠ったままだった。



  ◆  ◆  ◆



 オボロは実の所、ユウと言う上級生のことを碌に知らなかった。

 知っていることと言えば、美術科であることと、そして常に寝ていると言うことだけだ。

 教室や授業での姿を見たことが無いのでなんとも言えないが、少なくとも風紀委員会では起きている姿を見たことがなかった。



「にゃぁん、にゃにゃにゃにゃぁん♪」



 そのユウが眠るソファの前に陣取って、猫がひたすらに甘えた声を上げている。

 レンにもカレルにも懐かず、オボロを無視した猫が、何故かユウに対しては態度が違った。

 ユウは何もしていない、ただ健やかな寝息を微かに漏らしているだけだ。

 愛用の毛布の間から、半袖短パンの体操着に覆われた身体が見えている。



 ふと、寝相なのかどうなのか、片手がポロリとソファの外へと落ちた。

 仰向けに寝ているためそんなに角度はないが、それでもぷらぷらと揺れる指先に猫が興味を示したようだ。

 精一杯に背を伸ばして、ふんふんふんと鼻先を指先に押し当てている。



「にゃにゃっ、にゃー」

「……ん……」

「にゃーにゃー、にゃにゃぁん♪」

「……むぅ……」



 チロチロと指先の爪の間を舐められたためか、ユウが軽くむずかってソファの上で寝返りのような仕草をした。

 その際、外に伸びていた腕も巻かれて胸元に引き寄せられ、ユウは胎児のようにソファの上で身を丸める。

 その一部始終を、オボロ達は固唾を呑んで見守っていた。



「な、何だねあの懐きようは……寝ながらにしてあんな猛獣を手懐けるとは、ユウめ、何かのフェロモンでも出しているのではないかね……!?」

「ユウさんなら、あの猫を三枚に下ろせますかね」

「2人とも落ち着いてください、特に委員長は俺の肩に爪を食い込ますのやめてください」

「むむっ、オボロ君オボロ君、あの猛獣が何やら新たな動きをするようだぞ」



 レンの中ではすっかり猛獣扱いの猫ではあるが、その猫は器用にジャンプしてソファの上に……つまり、寝ているユウの上に立った。

 一瞬、ユウは身を震わせたようだが、それ以上の反応は返さなかった。

 ゆっくりと肩と胸を上下させて、オボロ達に背中を見せるように眠っている。



 猫はと言えば、ユウの身体と毛布、そしてソファの背もたれに器用に手足をかけて彼女の身体の上で鼻先をヒクヒクさせながら立っていた。

 そして何かに気付いたように一方を向くと、尻尾を立てながらユウの身体の上を2歩動いた。

 それから、毛布からはみ出ていたユウの足の方へと鼻先を動かして……。



「……ん……」



 ユウの、細いが意外と肉付きのしっかりした足を舐めた。

 短パン下のふくらはぎの部分が気に入ったのか、チロチロと舌を見せて舐めている。



「にゃふにゃふっ、にゃぁん♪」

「……ふ……」



 舌だけでなく、髭や毛などが擦れるのも気になるのか、ユウは息を詰めて眉根を寄せていた。

 当然、無意識の内にそれを避けるべく再び寝返りを打つことになる。

 パサリ、と乾いた音と共に半分ほど床に落ちるのは巻かれていた毛布だ。

 しかし猫は落ちない、器用に4本の足を動かして仰向けに戻ったユウの身体の上にいる。

 その拍子に頭の位置が変わったのか、今度はユウの上半身がある方に顔を向けていた。



「にゃにゃにゃ」



 やや不満そうな鳴き声を上げたのは、猫の前足が置かれている場所が柔らかくて姿勢が安定しなかったためだろう。

 半袖の体操着に覆われたそれは予想外に豊かで、猫は後ろ足でユウのお腹を踏むようにして前足を伸ばした。

 その際、半袖の体操着がズレて……白い肌とおへそが僅かに覗いた。



 前足の位置をユウの胸から肩へと動かした猫は、髭先をピクピク震わせながらユウの寝顔を覗き込んでいた。

 何度か甘えたような鳴き声を上げるが、当のユウは特段の反応を返さなかった。

 ただ身体の上に何かが乗っている事には気づいているようで、眉根を寄せたままではある。

 しかし起きない、何故か起きない、とにかく目を開くことが無い。



「……う……」



 軽く唸って眉間に皺が寄った、何故なら猫がユウの顔を舐め始めたからである。

 頬と鼻先を舐めた猫は、そのまま唇をチロリと舐めた。

 それは流石に鬱陶しかったのか、ユウは顔を背けて首を伸ばした、猫から逃れるための動きである。



「……んっ……」



 ぴくん、とユウの身体が震える、伸ばした首筋に猫の鼻先が下りてきたからである。

 敏感な肌の上を猫の毛先が擽り、ユウが眉根を寄せて息を詰める。

 猫は甘えた声を上げながらふんふんと匂いを嗅ぐのと同時に、身を低くして自身の身体をユウに摺り寄せている様子だった。



 それは先程避けたユウの胸元にまで及び、体操着の襟元から胸元にかけて鼻先を押し込んでいく。

 まるで隅々にまで自身を刻みつけようとするかのような動きであって、見ているだけの側からすれば妙にハラハラする行為だった。

 ユウも胸を押されるような感覚が気になるんか、眉根を寄せたまま唇から「はぁ……ふっ」と吐息を……。



「……あ、アレはいったい、何をしているのだろうか。私にはユウが寝込みを襲われているようにしか見えないのだが」

「アレは……まさか、マーキング!?」

「知っているのか、カレル君!?」

「はい、猫は自分の所有権を主張する際、自身の匂いを相手に移すために身体を押し付けると聞いたことがあります」

「するとアレは所有宣言なのか!? 頭から足の先までワタシのモノだってわからせてあげる状態なのか!?」



 大興奮してオボロの肩にさらに爪を食い込ませるレンだが、引っかかれるのが嫌なのか助けには行かない様子だった。

 カレルが行くと猫の人生(猫生?)が終了させられそうなので行かせられず、かと言ってオボロはレンが肩を離してくれない限り動くことも出来ない。



「……………………」



 まぁ、彼は顔を赤くして縮こまっていたので、どの道動けそうには無かったが。

 結果として、その後しばらく風紀委員会は機能不全に陥っていたという。



  ◆  ◆  ◆



 そんなことがあって後、数日はいつもの平穏を取り戻していた。

 オボロは慣れない委員会の仕事に四苦八苦し、レンは委員長の椅子に座って漫画を積み上げていたし、カレルはひたすらに積まれた書類を捌き、例によってユウはソファの上で寝ていた。

 実は風紀委員会は土日も休みが無い――学業上は休日であって、わかりやすく言えば部活の練習のようなもの――ので、それこそ変わり映えの無い毎日の時間であると言えた。



「む? 何だねこの音は……」



 その時、少女漫画のラストシーンで涙ぐんでいたレンが――「レン先輩、仕事してくださいよ」「待ちたまえ、今タイムスリップした主人公が王子の制止を振り切って現在に帰る所なんだ」――ふと、ゴロゴロという音がどこからか響いてきた。

 キョロキョロとあたりを見回していた彼女は、次の瞬間息を呑んで飛び上がった。

 そして漫画を放り捨てて椅子から飛び出し、何故かオボロの背中に隠れる。



「うわっ、な、何ですかレン先輩!?」

「オボロ君オボロ君、委員長命令だ、猛獣から私を守ってくれたまえ!」

「は? 猛獣ってどういう――――」



 首を傾げてオボロがレンの指差す先を見てみれば、そこには窓があった。

 もう桜も散ってしまったが、空気の入れ替えということで開けていたものだ。

 そしてその窓枠の上に、小さな四肢ですっくと立っている小さな姿があった。

 オボロが「あ」と声を上げた先で、つぶらな瞳が笑むように細まった。



 ――――にゃぁん♪



というわけで2話目になります、今後もこのような日常系の話を続けていく予定です。

議案とサブタイトルがついているのにも関わらず、まったく何も議論していないという事実。

次回がいつになるかはわかりませんが、今月中にはまた出せればなと思います。

それでは、またお会いしましょう。


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