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明治蒸気幻想パンク・ノスタルヂア  作者: 留龍隆
終幕 絢乱劫花

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90/97

90:変革という名の希望。

 駆けだした八千草の足はしかし、すぐに止まることとなった。


「う……?」


 操り、その行き先を湊波へと定めたはずの焔が、揺らいだ。こちらへと、流れてきそうになったのだ。


 突風かなにかにあおられでもしたか。原因について思いを馳せるが、一向にわからない。ただの偶然だったのかと判じて、また退路を探して歩みを進めようとする……ところが、また。迸る焔の煌めきが、視界の端から自分を狙っている感覚に襲われた。


 急ぎ振りかえると、八千草は蒼き焔の制御に努める。己を狙って突きこまれる焔の穂先を、湊波へと誘導する。すでに焼け落ちて跡形もなくなっているのだろうが、なおも徹底して焼かんとした。


 が、手ごたえが重くなった。手で操作しているわけではないので手ごたえというのも合っていないのかもしれないが、とにかく操作に際してかかる負担が、増したと思われた。抱えていた空の器へ水が注がれてゆくように、次第次第に重さを増して、己の手の内を離れようとする。


 一度手中に納めた操作権が、どこからか掠め取られていた。


「なん、で……」


 のたうつ大蛇のごとく、焔の奔流が、八千草の方へずれはじめていた。精いっぱい制御に集中を費やすも、増してゆく重みはもう止められない。仕掛けた繰り糸がほどけるように、焔の迸りは少しずつ、八千草の体を狙って鎌首をもたげていく。


 やがて――解き放たれ。しならせた枝が戻るように、力を蓄えた焔が振り下ろされていく。


「く――!」


 間一髪で八千草は日輪の異能を、焔の操作から視界内爆破に切り替えた。眼前に発生させた火焔の息吹が、障壁となって蒼き焔を防ぐ。


 その攻防に、息つく暇もなく。八千草は己が繰り出した紅蓮の焔を避けて、左右と上の三方向から蒼の色彩が攻め来るのを見た。


 即座に後退、いやそれだけでは攻撃範囲に巻き込まれる――瞬時に下した判断は、アンブレイラを後方に向けて開くことで成した。眼前に再度爆破を発生させ、その爆風を傘に受けて後退する。


 三つの鎌首が叩いた石畳は、焼け砕けて破片を周囲に散らした。当たっていたらと思うとぞっとして、骨が折れて遣いものにならなくなった傘を捨てる。抜いた直刀を、右片手正眼に構えた。


 そこへ続けざま、焔の群れが襲来する。八千草はもう一度意識を澄まし、蒼き焔を制御せんとした。けれどもうわずかに挙動を逸らすことしかできず、焔の模る獣の突撃を小規模な爆破で相殺するしかない。


 絶え間ない連続攻撃。隙間ない焔の檻を構築され、八千草の反撃は封じられていた。


 視界内の任意の箇所を爆破する日輪の異能……故に、視界内を障害物や彼らの焔で塞がれていては、巨大な爆破を発生させることができないのだ。


「なんで――、なんで、操作できない」


 叫びながら、眼前に生み出した爆破が収まった向こうを見る。十数人からなる黒い集団は、無言のうちに掌から焔を放つ。集束した焔の猛りが、また大蛇と化して八千草めがけて迫り来た。巨大な熱が視界を埋めて、まばたきのたびに目の渇きを感じる。


 八千草は距離をとりながら、視界を横一閃に薙ぎ払う爆破を作り出した。ぢりりと空気を引き裂いて、走る紅蓮の線が大蛇を飲み砕く。きいんと耳に響く音のあと、視界が晴れる間を待たず、八千草は頭上に差した影に気づいた。


 またも上からの火柱が爆ぜ落ちてきた。これを斜めから当てる爆破で退け、八千草はそのまま爆破の線を地上へ届かせた。予想通り、上に注目させておいて、先ほどの大蛇で追撃を仕掛けようとしていた。


 拍子が合致して紅と蒼が正面から圧しあい、焔の応酬が周囲に爆鳴を振り撒いた。……逃れようとしても追い込まれる。向こうが多人数で挑んできた理由が、だんだん推測出来てきた。


 おそらく、数によって互いの操作権を上書きし合っているのだ。たとえば対象甲の焔の操作権を八千草が奪ったところで、対象乙が自分の異能を用いて上書き。奪われそうになるたびにこれを繰り返すことで、一時的な制御を連続発生させている。相当な連携がなければできない業だろう。


 ならば、虚を突いて前へ出ねば。攻めなければ、攻め滅ぼされる。


 思いのままに踏み出した。追撃の大蛇が相殺されたと彼らが察し、対応するまでのいとま。


 刻んだ数歩は、彼らの間合いをわずかにずらす。連携は崩れなかったが、拍子に生まれた間隙へ、八千草は己の意識を撃ちこんだ。操作権を得て眼前を埋めた焔を逸らし、さらに横っ跳びに動くことで薄皮一枚のところでやり過ごす。膨張する空気の圧力に吹き飛ばされながら、からだを倒して滑り込んだ死地の中で八千草の焔が揺らめく。


 通常の視界の高さでは、相手の焔に邪魔される。でもこれだけ低い位置ならば。


「――灼けろッ!」


 相手集団まで目測でおよそ十五間。その直線距離の向こうへ――爆破を敷き詰める(、、、、、)。致命傷を与えることなき場へ、火線を敷いた。地面に這った八千草が視線に力を込めると同時、相手の焔に邪魔をされない低空を、八千草の焔が砕き通った。


 石畳を崩して迫る爆破で、彼らの陣形が乱れる。焔の扱いに、乱れが生まれた。いまだ、と八千草は身を起こして走り出す。


 ところが、


 眼前を、蒼の熱波に塞がれた。


「……あ!」


 次いで現れる煌々とした蒼焔の乱舞に、目が追いつかない。そうか――正面からの焔に気を取られている隙に、数名が左右から回り込もうとしていたのだ!


 途端、主導権を奪り返される。相殺するために放つ爆破の拍子が、狂い始める。狂わされている。ほんの一寸、あるいは二寸か。少しずつ、自分の安全領域が削られつつあるのを、八千草は自覚した。


 手を変え品を変え。形状と速度と範囲をたがえながらの波状攻撃に、八千草はまたも成す術もなく防戦一方であった。異能としての潜在性能では、けっして劣らないはずなのに。日輪を用いた戦闘経験が皆無であるため、攻めきることも守り切ることもできない。自らの放った焔の威力を完璧に制御するのみならず、周囲の味方のそれさえ把握している彼らからすれば、八千草の焔術は児戯にも等しいのだろう。


 認識が、甘かった。相手の扱うものが焔であるため突破に易しと思ったが、まったく逆だ。彼らは焔を得物とするが故、こうまで八千草に対抗できるのだ。


「うっ、ぐ……、いき、が」


 熱が肌を焦がす。うめいて、呼吸しようにも暑さに耐えきれず、袖で口許を覆いながらでなければ喉が焼けそうだ。目に鮮やかな蒼の閃光は視界を乱し、視覚を介してしか発動できない日輪にとっては鬱陶しいことこの上ない。


 戦いは一撃必殺の火力勝負から、着実に攻め落とす消耗戦に移行しつつある。


 日輪の異能自体は、どれほど大規模に行使しようと連続して撃ち続けようと魔力の打ち止めはないという驚異的なものである。しかしその担い手である八千草が延々と戦闘をつづけられるかどうかは、また別の話なのだ。


 渇き、かつえ、視界が淀んでいく。対応の連続に、疲弊していく。


 そしてとうとう、限界の一端が八千草の意識に食らいついた。


 視界のぼやけが意識にまで及び始めたかのように。頭に霞がかかって、応じるまでの思考に遅れが出始める。


 それは指を弾く間ほどのごく短い遅れではあったが、熟練の戦闘者であろう彼らからすれば途方もなく大きな隙だ。押し寄せる焔の群れが八千草の周囲を焦がす。払いのける爆破にも、力が失われつつある。近間で焼ける空気が、目にも喉にも肌にも痛い。


 そうか、と勘付く。


「……しまっ、た――」


 無理をしてでも、もっと早くに離脱せねばならなかった。


 多方向から焔を浴びせられ、またこれを相殺するべく近間に自らの焔も顕現させたがために。八千草の周囲から、酸素が大きく消費されようとしていた。喘いでも、吐息が漏れるばかりで肺腑満たされる感触が無い。


 酸素を失い思考速度が落ちていく。気力でこらえて息を止めたはいいが、とうとう視界で色が明滅しはじめた。もう、もたない。思考が。間合いが。


 苛烈さを増す焔に囲まれ、抱え込んでいた意識が滑り落ちていく。頭の中から光が、途絶える。


 そして暗転は唐突に。降りたまぶたが、貼り付いたように動きを、止めた。


「いす…………み……」


 呼び声は、むなしく。


 頭上に差した影へ、八千草は己の最期をもたらす、濁った蒼の焔を見た。巨大に練り上げられたそれは広範囲を焼き払うため押し広げられ、もはや火柱というよりも――



        #



 六層一区から、遠ざかり続ける盗神・遠藤に背負われた山井。時折月見里と彼が鼠を蹴散らしながら、住民たちの退避場所へ向かう足音を耳にしつつ。


 階層都市構造によって生じる天蓋の下へ辿り着いた頃、ふと振り返った先で、空から蒼が降ってこようとするのを、彼女は見た。


 ――それは滝が崩れ落ちるようで、嵐の夜に似た轟音が耳に届いた――



        #



 まぶたを下ろさせた往涯の亡骸を横に、村上はうつむきそうになる顔を前に向け、見るでもなく正面を見る。レインの向かった先を見据えようにも、森の木々が邪魔をして、視線は向こうへ至らない。


 けれど木々より遥か高い位置へ、割くように現れた焔は、よく見えた。


 ――まるで、いまにも落ちる寸前の花弁だ――



        #



 あとわずかで辿り着くだろう、先ほど定めた目標地点。ホテルの屋上階を駆け抜けながら、レインはそこに先ほどまでより数段大きさと密度を増した焔の出現を見た。


 押し広げられ形態を変えたそれは、もはや火柱ではない。


「一帯を灰燼と化すつもりか……」


 ――書き割りの空が落ちるようだ、とレインは思った――



        #



 港の前を占める広場より放射状に居留地を貫く道のひとつを、駆け下り。井澄たちはとうとう、そこへ着く。空を覆う濁った蒼が、いまにも地面に穴を穿たんとしていた。その真下、広場の中ほど、焔の球に囲われて見えない位置がある。巨大な焔は天蓋のある寝所のごとく一帯を包んで、じりじりとその幅を狭めていた。


 だが時折蒼の焔から、紅蓮の火がのぞく。溺れもがき助けを求める人の、最後に伸ばす手のように見えた。


 心が一瞬で絶望に染まった。


「そんな……まさか!」


 井澄が叫んでも依然返答はない。代わりに、周囲に潜んで焔を操っていたと見える黒ずくめの集団が、井澄たちの登場に勘付いて意識を向ける。覆面越しで視線はおろか、殺気すらうつろな彼らは、しかし無言のうちに現在の仕事へ意識を戻した。


 焔で取り囲み、蒸し焼きにせんとしている。だれを。決まっている。


「八千草っっ!!」


「よせ井澄、巻き込まれる!」「あかんよ!」


 狼狽し踏み出そうとする井澄を、靖周と小雪路が押しとどめた。強化された両手の力で無理やりに振りほどこうとするが、力の掛け合いに慣れた小雪路にうまくいなされ、摩擦の緩急によってつかまれた袖が裂けそうになるだけだ。


 またなのか。


 また、己の手の届かないところで、大切なひとを失うのか。


「あああああぁぁ!!」


 喉がひしゃげるほどに、叫ぶ。


 ……すると、これに気圧されたかのように、蒼き焔群が緩んだ。絶叫の威圧にひるんだのか、そんなことを井澄は考える。


 だがすぐに否定した。職務に従事するだけの者が、たかだか一個人の叫びになど耳を貸そうはずもない。つまり心理的な要因によって起きた現象ではなく――単純な、物理的な要因によって、彼らの攻撃の手がすくんだのだ。


 見れば、石畳の一部がうごめくように、焔操る者どもの身に迫っている。この脅威に、彼らの火勢はたじろいだ。靖周たちもびくつき、思わず井澄を引いて下がり、臨戦態勢を取るべく腕を離した。


「――危ういところだ」


 聞き覚えのある声が、井澄たちの近くで再び人の形をとった。人を模る鼠の群れは、立ちつくしてその場を睥睨するような姿勢となる。井澄たちを、黒ずくめの集団を、そしてどこかわからないが、遠く井澄たちの辿った進路のあたりを、見ている。


 湊波戸浪が、率いる鼠で焔の使い手を襲い倒していた。


「だが勢ぞろいには、間に合ったな」


 つぶやいた途端、勢いの弱まった焔球より、ぞばりと鼠の大群が這いだす。走る間にもその大群の外側を形成していた鼠たちは身を焦がし息絶え、剥がれ落ちて群れの高さと幅を縮めていく。


 その隙間から、光るものがある。突き出していたのは切っ先、井澄も見慣れた、八千草の愛刀たる朱鳥。


「待っ――、」


 伸ばした井澄の手の向こう、マンホウルの蓋が開き、なだれ込む汚水のごとく鼠の群れと八千草は消える。あとには鼠にたかられて戦意の方向変えざるを得なかった集団と、井澄たちだけが地をめる火を挟んで残された。


 そのとき人を模る湊波が、今度は港の方を見て、またマンホウルへ向き直る。


 視線を追った井澄は、なぜか先ほどまでよりだいぶ近づいたように見える、巨大な船影を水平線に見つけた。……戦艦を操っているのは赤火だ。赤火四権候・九十九と結託している湊波が、まさか迎えとしてあの船を寄こしつつあるというのか。


「山井たちとは別れたようだね」


 三人だけとなった井澄たちへ確認のようにつぶやき、湊波は己に迫る焔をかわして人の形を崩した。また、離れた位置の群れより人を模って、ぞるぞると残りの群れはマンホウルへと送りこんでいく。


「さあ見えてきたろう、未来が」


 言って、両腕を広げ空を仰ぐ。いかにも芝居がかった仕草で、彼は廃墟も同然となった街を舞台とする役者のようだった。


「お前たちも必要なはずだ。未来が」


「貴様らとつくる未来など、ごめんです」


「だがもう選択肢はない。橘八千草と共に国のため尽くす他、お前たちが生き延びる術はない」


「お断りです」


「……そうか」


 いま一度迫る猛火をかわして、湊波の模した人型はマンホウルへ近づく。


「地下水道は入り組んでいる。()か四つ葉水道局の人間でもなければ、全容は把握していまい。これでおわりだよ」


「おわりかどうかは、私が自身で決めますよ」


「個人の力の限界は知るべきだよ、亘理井澄」


「ちがう」


 かぶりを振って、井澄は言う。


「私は――沢渡井澄です」


 言葉を返したとき、落ちゆく天の蒼が湊波のかたどる人影を覆い尽くした。更地と化す広場に、沈黙が落ちる。


 すべて焼き払われた空虚な場で、井澄の名乗りがちいさく響いていた。


 いまにも掻き消されそうなか細い声だった。けれどいまの井澄にとってはなによりも大切にしたい、自らの名だ。だれより大切なひとが呼んでくれて、だからこそここに己がいるとたしかに信じられる、そんなしるべだ。


 ここから、始まるのだ。限界もおわりも、まだなにも知らない。まっさらな心持ちで、井澄は進んでいくと決めた。亘理井澄と八千の思いを胸に。


 そしてもう二度と、世界を憎みはしない。


「行きましょう」


 後ろの二人に呼びかけて、マンホウルへ駆けだす。二人の返事は聞かない、聞くまでもない。聞かずともわかっているなどと傲慢なことを思うのではなく、ただひたすらに信じているからだ。


 八千草もきっと、同じように井澄を信じてくれている。そう思えばこそ、前に進める。


 ……いつか、八千草にかけられた言葉を、またも思い返す。


『しかしおまえにとっての価値だって、おまえの中で変わると思うよ、井澄。周りに影響されて、歳を経て、考え方が変わって、〝価値は変わる〟』


 変わった。井澄のなかで、いくつもの価値が変わった。


 大事にしたいものが、八千草のほかにもできた。そのおかげでより一層、彼女を強く思うようになった。矛盾など、していない。彼女が、己の保持する記憶が短いため余計に大事にしていた生活ものを通して、井澄もそれを大事に思う気持ちを得た。


 きっとこれからもそうして生きていく。教えたり、教えられたりしながら、自分で選んでいく。ときに自らの選択に迷い悩み苦しんでも、自分を肯定する術は、亘理井澄や八千も教えてくれた。


 だから、だれかに先を決められたくはない。


 最後の戦いを予感しながら、井澄は暗闇へ、身を躍らせた。



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