表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
明治蒸気幻想パンク・ノスタルヂア  作者: 留龍隆
終幕 絢乱劫花
85/97

85:奪い合いという名の攻略。

 ひどく、乗り心地が悪い。


 鼠の背に担ぎあげられて流されてゆくのは、ちょうど凹凸の激しい斜面を身一つで滑り下りる感覚に似ていた。ごとごとしきりに上に跳ねあげられ、居心地よろしくない。目を閉じているのでどれほど進んでどこを進んでいるのかも判然としないが、おそらくいまは坂を下りおりている。


 火焔で焼き払えば(、、、、、、、、)、逃げられるだろうか――昨晩井澄と煙草を喫む際に気づいたことだったが、いまの八千草も日輪の焔は使えるようだった。八千が井澄を認めてくれたがため残した置き土産か、はたまた他の意図が在ってのことか。理由はわからないが、とにかく使える。


 いやしかしまだ、機ではないか。全身を鼠に覆われた現状で発動させるのは、自らも火だるまにしかねない危険行為だ。一匹でも背後に逃せば、次こそ湊波の毒牙で昏倒させられる……脂汗を流しながら、八千草はそう判断した。


 判断できるだけの正気を、保っていた。首筋に違和感が生じ攻撃の気配を察した瞬間に、自ら左手の小指をへし折ることで意識を保つのに成功していたのだ。


 相手は、視界内を爆破する日輪の力をこそ恐れている。御するべく河豚のような神経毒を用いても、まぶたが落ちるまでの猶予で攻撃されると恐れるはずだ。ならば、用いるのは瞬時に眠らせるような毒。そして眠りに落ちるような作用であれば――激痛を以てすれば、回避できる。自分の能力を正確に把握することで、八千草は相手の策を読み切っていた。


 とっさのことでアンブレイラをひきつけ腰のベルトに通した八千草は、まだ得物を失ってもいない。助かる可能性に見捨てられてはいないはずだ。


 機をうかがい、この湊波をどうにか突破する。突破せねば、ならない。……意志でまぶたを押さえてはいても、涙腺に感情がこぼれそうになる。この鼠の群れ、湊波こそが八千草をずっと騙りつづけ、そして師たる大路を殺したのだ。


 こんな島では、よくあることだ。身内の裏切り、仲間殺し。だがよくあることだからとて、感情が動かないはずもない。怒りと憎しみ、哀惜と憂鬱。心を惑わす各種の情動。


 それらを押さえつけて、八千草はひたすら待つ。裏切りの中に落とされてさえ、確実に信じられるひとつが、いまの彼女にはある。


 井澄が、必ず来てくれる。きっと、いつものように。


「…………、」


 待つことは、辛くない。絶対の信頼があるから。来てくれたならばあとは彼に守られ、彼を守る。互いに互いを生かす。


 そうやって生きていくことは、想像するだけでなんと心に響くのだろう。


 わずかに一年少々しか記憶をもたない八千草は、これまで己についてどことなく浮ついた、自信のなさを抱えていた。自己という存在の希薄さに悩み、自分を確たるものとして認められずいた。


 けれどいまはちがう。井澄がいる。傍にいてくれる。


 だから離れていても彼のことを思い、八千草は痛みと時間に耐えながら、好機を狙い続けた。


 次第に、八千草は遠く、人とひとがぶつかり合う――争いの音を聞いた気がした。



        #



 隠神とはよく言ったものだ。


 レインと村上が見る間に往涯の姿は空に掻き消え、森の木立に身を潜めた。わずかな残り香さえ消し去り、彼の痕跡は霧のように失せる。次の一手がどこから来るか、まるでわからない。村上と互いに背を守りながら、レインは肺腑に深く息を落としこみ、全身に意識を配った。


 銃弾を撃ち尽くしたピイスメイカーのロウディングゲェトを開き、手早く再装填を済ませる。込める弾丸は――加減を一切しないとの意にたがわず、己の術式の粋を集めた特殊弾頭の品だ。


 塑性と延性を操った金属加工術で作成した散弾〝魔弾〟。


 特殊合金により軽量化し貫通力と速度を増した〝凶弾〟。


 弾頭に水銀を仕込み、また弾丸自体も白金プラチナで作ることにより速度と引き換えに『重さによる大破壊』をもたらす大重量弾頭――〝汞の王(クヴェクズィルバー)〟。


 三つの弾丸を一発ずつ込め、魔弾・凶弾・汞の王の順に二廻り。


 計六発がおさめられ、ゲェトは閉じられた。……散弾で広範囲を攻撃し逃げ場を絞り、高速徹甲弾で追撃し機動力を奪い、大破壊弾頭で目標を粉砕する。弾丸の性質による連携を考慮に入れた、彼女最大の銃術だ。


 とはいえ、多用は禁物だ。全身の身体強化魔術に魔力のほとんどを食いつぶされているレインは、他の術式に割ける魔力がさほど多くないのだ。これら特殊弾頭の作成も一度にせいぜい三揃い、九発が限度となっている。


 だがそれだけあれば、十分だ。


「さて、正念場ですよレイン。日輪もいなくなりました、これで往涯と日輪、一人ずつ仕留められる」


 背後から声をかけてきて、村上の気配が膨れ上がる。姿を消した往涯を、なんとかして仕留めんと辺りを探っているのだろう。レインも、嗅覚を強化しあたりに往涯の匂いが残っていないかと探る。


「ああわかっている。しかし、まさかお前自身で出張ってくるとはな。てっきり往涯を追い出してから、本土で他の列席会議の懐柔策でも練っているかと思ったが」


「それは済ませたので来たのですよ。……安心なさい、大勢は決しつつあります。日輪の使用・殺言権の利用で往涯がこれ以上権力の趨勢で上に往くのを快く思わない屑どもが、うまく立ち回ってくれそうです。ところでレイモンドがいませんが、彼は四権候の方に?」


「お前の無茶な注文にこたえてくれているよ。まったく、呉郡の騎士精神は大したものだな。いまごろ、黄土の四権候に糸を向けているはず」


「結構なことだ。ではこちらもとっとと済ませましょう」


「しかし他の四権候にはとても手だし出来んぞ。赤火は遠く戦艦の上、青水は行方知れず、そして緑風は――さっき見た通りだ。鼠の大群、化け物だよ」


「そこは手を打ってあります。私も単身でここへ来たわけじゃない、伏兵も用意してきたのでね」


 伏兵? と疑問に思うと同時、村上が茂みに向けて短刀を投擲した。叢を貫く銀の閃光は、しかし獲物を射止めることはなく無為に終わる。溜め息をつきながらもう一振りを取り出した彼は、レインの背中を肘でこづいて短刀の追加を催促した。仕方なしに、レインは携帯していた鋳塊に触れて変成、刃渡り五寸ほどの鋼の刃を作り出すと上に投げて渡す。


「伏兵とはなんだ」


「往涯も本土で手駒――緑風四権候・湊波を動かし過ぎていたのです。ほうぼうで黒死病(奇病)でつぶれる村などがあればいやでも勘付きますよ、鼠の術式だろうということは」


「頼豪阿闍梨……待てお前、気づいていたのか? ならなぜ教えてくれなかった、おかげで死にかけたぞ」


「あなたが対処できたらこちらが向こうの手札を読んでいると知れてしまうでしょう? なにも知らず存ぜぬあなたが黒死病を食らってくれたおかげで(、、、、)、私が対抗策の伏兵を集めているのも露見せず済んだわけです。おっと、責めないでほしい。井澄を逃がすための芝居であなたの腹を刺したときからわかっていたことでしょう、私が鬼畜生の類なのは」


「……ああもういい、いい。責めはしないさ。もともと、蜥蜴の尻尾として斬られることを覚悟でこの島、この任に臨んでいる」


「それもそうでしたね」


 ハ、と乾いた笑いが聞こえる。きっといつもの、皮肉った笑みを強めているにちがいない。溜め息をつきながらレインは銃把を握り直し、真正面に向けるよりわずかに低い位置に構えながら腰を落として往涯の接近に備えた。


「さてどうする」


「無論、殺す。彼は井澄の人生にとっての障害であると同時に、この国、世界にとっても危険な人物です。生かしてはおけない」


「それはわかっている。だがこうも気配を消すこと、存在を薄めることに長けているのでは、やりようがないぞ」


「いいえ、問題はない。もうタネは多少理解していますよ。向こうが私の思考錯誤を読んだのと同じように」


 こちらも打って出ます。言って、村上は新たにとった短刀二本を同時に投げ放った。せっかく作ってやったのにどういうつもりか、と思いながらレインが振り向くと、鉄扇を開いて刃を打ち払う往涯が、霧を抜けたかのようにそこへ現れていた。


「ほう。どう察したのだね、俺の位置を」


 楽しげに扇を振るう往涯は風を巻きながら歩む。


「奴の空蝉の正体は、レイン、あなたが『常人は全身への認識を常に配りつづけることはできない』と言ったのと同じです。どれだけ我々が索敵しようと努めても、必ず意識できず空白になっている地帯はある……奴は経験則からその空白位置を理解し身を置くことに長けているのです」


 だから短刀を特に意図なく、当てずっぽうで投げていたのか。呆れながらもレインは銃口を向け、姿を現した彼に引き金をしぼる。


「聡いなぁ村上君――小賢しいともいうがね」


 にぃっと笑んで舌先の刺飾金をのぞかせ、鉄扇を空中へ投げた往涯は、新たに両手に扇を取り出す。そして符札をばらまくと同時、また消えようとする。レインはピイスメイカーで〝魔弾〟を撃ちこんだ。


 捉えきる前に、往涯のからだが解け消える。空隙を穿った散弾はあらぬ方向に散らばり、レインが舌打ちしたとき、真上から往涯が落ちてきた。叩きつける鉄扇を銃床で払うと、距離を置いた彼は〝凶弾〟の反撃を食らう前にふたたび消失する。


 それから音に振り向いた。村上のほうから、得物を叩きあう音がした。だが向き直るころにはまたも消えている。


 前後左右に天地上下、どこから現れるか予測もつかない。これが本当に、ただ意識しない位置に移動しているために起こる現象なのか。いや……そんなはずはない。


 起点はおそらく、ばらまく符札。そこから先については、まだ推測の域を出ない。証明の作業を挟まねばならないだろう。そのためにレインは、己の身に刻まれた刺青に意識を集中させた。全身を這いまわる術式の紋様。部分を強化し、それを連続させることで全身を力で覆う能力、彼女の研鑽の賜物。


「日輪との戦いにとっておきたかったのだが、仕方が無いな」


 一度目を閉じ、そして開く。傍で見ていても、変化は悟られない。だが彼女の内部では、積み上げてきた修練の結実がいま輝きを放ちはじめていた。


「――〝停滞世界ヴェルト〟!!」


 練り上げてきた術が、いよいよ宿敵の喉元に刃を届かせようとしている。レインはまた銀の鋳塊より曲刀を作り出しこれを左手に構え、遠近両方に対応可能な姿勢をとると視界を広く浅くとった。


「補助を頼む、村上」


「言われるまでもありません。私が主では、体力がもちそうにないのでね」


 言語魔術の代償として支払うことになった体力の持続、持久力。さほど動いていない現状でも、すでに村上は汗に濡れて息に乱れが生じ始めていた。鬼を相手にしてさえ渡り合えた彼が、いまやこの短い戦いにも耐えられない。


「……わかった。手早く終わらせよう」


「お願いします」


 右半身に構えた村上は、小刻みに歩を刻みながら、時折左へ短刀を持ち替え相手の攻める拍子を崩させている。レインはそんな彼を視界の端に置きながら、ゆるりと目線で周囲を切っていく。


 認識と反応と動作とを切り分け、個別に運用することで高速化を果たす。〝停滞世界〟という彼女の至った極致は、いまそこに結果を顕現させようとしていた。


「――さあ、ぶつけてゆくぞ。互いに押し通す意志の圧しあい」


 銃口が、跳ねあがる。


「お前の世界を、止めてやる」



        #



 居留地。


 朝の開戦からこっち、静かなところがひとつもなかったこの地にも、昼をまわったいま現在はさすがに静寂が訪れつつあった。


 治療で慌ただしく動き回っていた山井もわずかに休憩を挟み、奥の間で陣頭指揮――と言っても大体の戦闘は赤火任せのため黄土陣営周辺の警護程度だが――を執っていた月見里のもとへ報告に向かう。


 怪我人の収容施設となったライト商会跡地、そこから坂を下ったところにある平屋の屋敷。ここまでのわずかな移動の間にも状況の凄惨さはうかがえ、路上のあちこちに動かず物言わぬ者たちがうずたかく積み上がっているのが見えた。硝煙、黒煙、混ざり合って鼻を突く刺激臭。発破による建物の破壊痕と、焦げた何某かが放つ異臭。


 視界に入るだけで想起させられるそれら臭気に嗅覚を塞がれ、山井は嫌な心地になりながら屋敷へ急いだ。表を守る黄土兵の門番に頭を下げ、身分を名乗ると奥へ。建物をひとつ抜け渡り廊下を進んだ先に在る、この屋敷の本丸へ足を運ぶ。


 外の焼け焦げた景色に比べいくぶんかまともな領域に来たことに、若干の安堵が訪れる。そして扉を開き、座敷の奥で机を前に背筋を正し座っていた月見里へ、状況報告をおこなった。


「失礼いたします、月見里さん」


「……状況は」


 重々しく口を開く彼女も、さすがにくたびれ果てているのかわずか、身だしなみが崩れている。いつも整った束髪も緩みが見られ、まとう黒装束にもほころびなどが見受けられた。


 それだけの苦境、なのだろう。赤火と青水の間でうまく立ち回り、今後の立場を保証してもらうべく彼女は盗神の盗みの技を用いて幻灯機の奪取、赤火との立ち会いに臨んでいた。


 言うなれば彼女の戦いは交渉。こうして戦争がはじまる前に、ほぼ決していなくてはならなかったのだ。しかし保証は万全とは言えぬかたちとされ、黄土は非戦闘員ではなく、自分の身は自分で守らねばならない位置へと置かれてしまった。上に立つ人間が不在となった、緑風の人間たちと同じく。


 立場の苦境は、互いによくわかっている。だから緑風へと抜けた過去を持つ山井をも、月見里は受け入れてくれたのだ。


「赤火の傷病兵を受け入れていますが、部屋数はなんとか足りるとみえます。ただ薬品・看護の人員がやはり足りていません。今後警護の黄土兵も来ることを考えると、午後には業務に差しさわりが出るかと」


「薬品など物資に関しては赤火と交渉の上で引き出せたのがあの量です。やりくりはなんとかなさい。どうしても難しいのなら港外倉庫より頂戴した品を回します。警護班は、状況のおさまりに合わせていま減じている最中ですので、傷病兵として増えることは少なくなるでしょう」


「お言葉ですが、減じるといっても、あまり露骨だと薄くなったところを抜かれるのでは」


「〝盗神〟をまわしてあります。戦は、起きづらくなるというものですわね」


 なるほど。かつて黄土にいた身であるがゆえ、山井も彼の技量についてはよく存じている。たしかに……戦闘が起きづらくなる(、、、、、、、、、、)能力を、彼は有している。


「それを含めた人員配置は先ほど改善案を発表いたしました、後ほどあなたのほうにも人手が割かれます。報告は以上ですか?」


「はい。承知いたしました、お心遣い感謝いたします」


 頭を下げ、一礼して辞する。月見里はまたひとつ片付いたという顔で、机にのせた腕にわずか、重心を傾けていた。少しは、彼女も一人になって休む時間が必要だろうと思われた。


 そうして山井が下がろうとしたとき。背後に、人の気配があることに気づいた。


「黄土四権候、〝繰輪くるわ〟の月見里さとでございますな――」


 かつん、と音がして、男の立つ廊下に丸いものが転がる。それが鉄球だということを悟って、山井は己の手に人頭杖がないことを思いだす。上役に会う際に得物を持ちこめるはずはない。いまの彼女は、丸腰だった。


 長い赤毛を後ろにひとまとめと縛った男は、日本人離れした高い鼻持つ顔に嫌な笑みを浮かべた。ひび割れた皮膚がつっぱって歪み、彼の面相を醜く映す。毛皮の外套をまとった腕が、棒状の得物をひゅ、と鋭く振るった。


「では死ね」


 山井の存在は一切無視して。男の得物が振りかざされ、鉄球が弾かれるように飛び出す。奥の間を一直線に横切って月見里のもとへ迫る鉄球。山井が彼の得物の正体が長大な柄を持つ剣玉だと見切ったときには、その間合いに月見里が捉えられていた。


 他の四権候とちがい、月見里当人には大した戦闘技能はない。おまけに疲労困憊で意識に隙のあったこの瞬間をこそ、狙い澄まして突いてきた。


 完全なる暗殺の手管。熟練した、殺しの技法!


 あわや月見里の端正な面持ちがひしゃげ、脳漿と共に砕け散る寸前――



 ざくりと、胸を背後から貫かれたような殺気に、身悶えして、止まった。



 男も、動きを止めていた。月見里の表情も。そのままあらぬ方に逸れた鉄球は、月見里の背後にあったパアテエションの一部を破壊して止まった。だが山井たちはまだ止まったままだった。とてもではないが、動けない。


 殺気。だれが放ったかはわからないが、どこか遠くからのものであると思われた。鋭く、重く、臓腑すら驚愕に固まる一瞬を生む気配である。この意味不明な事態への惑乱も相まって、三人の間に凍結した空気はなかなか解けることがない。


 それでも、職務へ捧げた年月のなせる業か。真っ先に動きを取り戻した男は、ひきつった顔のまま再度得物を振るおうとした。沈殿した殺気を吹き消し、己の色に場を染めんと攻め気を表す。


「死――」「ただいま帰還に御座る」


 ところが気を込めたはずの得物が消え失せ、彼の動作は止まっていた。


 抜刀しようとして刀が腰から消えていたような、間の抜けた停止だった。その脇をすたすた、平然と歩き去る者がいる。


 お世辞にも目立たないとは言えない風貌の男だ。紐を用いて耳にかける型の眼鏡をかけており、ぼさぼさと脂ぎって不潔な髪を長く伸ばしている。輪郭は丸く顎をどこかに置き去りにしており、どこから肩でどこから首かも判然としない。


 やたらに肥えた、男だった。腹も臀部もこれでもかと肉を盛られており、開腹手術などできるのかしら、などとうろんな頭に思わされる。服装は白い鯉口シャツを着て、藍色に染まった綿布で出来た巨大なズボンをサスペンダアで吊るし、その上から焦げ茶のどてらに袖を通した珍妙な恰好だ。


 どこからどう見ても、目立つ。目立つはず、なのだ。


 しかし印象は奇妙なほど虚ろである。目を見ても鼻が気になり鼻を見ると唇に目がいき、そのころには目鼻立ちのことを忘れてしまう。なんというか、顔のどの部分の大きさも形も距離感も、平均値をそのままに描いた落書きじみていた。


 その印象薄さで、彼は己が天職を見つけている。


「月見里殿、業務は遂行いたした。この部屋に達成にあたって得た品をおいておきまする、が、どうか手出しはいたしませんよう。これらすべて拙者のものです故」


 ぼそぼそと抑揚のない声で喋りながら、もぞもぞ動いた彼は部屋の隅にいろいろに物を置いていく。どこに隠し持っていたのか思わず問い質したくなるほど、様々な品が畳の上に置かれていった……刀、斧、槍、弓、鎌。すべてが、おそらくは遣いこまれただれかの得物だった。


 そして得物の山の一番上に、ごとんと落とされる。


 それは先ほどまで赤毛の男が手にしていた、長柄の剣玉だった。おまけのように、ぱさりと手袋まで落とされている。見て取って、やっと己の手が空を掻いていると知ったか。わなわなと拳をふるわせて、男は歯を軋ませた。


「……なっ、き、さま……いつだ、いつ奪ったッ!」


 赤毛の男は激昂し、襲いかかる。肥えた男はひっと息をのむと、やってくる男から逃れようと身をすくめ屈んだ。


 たったそれだけの動作に見えたのに、なぜか、いつの間にか、赤毛の男の懐に入り込んでいた。


「なっ――、」


 目測を誤って突っ込んでしまった赤毛の男は、屈みこんだ彼につまずく形で頭から畳へ落ちそうになる。その隙に起き上がり、ひぃぃとつぶやきながら肥えた男は逃げた。歩くたび床が軋みそうな巨漢だが、不思議に足音ひとつない。


 見てくれ以外のなにもかもの存在感が、そこに不在だった。


 だから彼は、ごく自然にそれを生業とした。生きるために、当然のこととした。


「奪ったなど、とんでもない。拙者強奪など一度も経験御座いませぬ」


「いま俺から奪っただろうが!」


「はあ、そう見るので御座るか。しかし拙者の目の前にあるものが拙者のものでない理由のこじつけなど知りませぬ」


 赤毛の男は硬直した。肥えた男は腋を掻いていた。その手から、じゃらりと金貨が落ちる。途端に、赤毛の男の目が変わった。どうやらそれも彼のものだったらしい。


 かくして、なんともお粗末で間抜けな追いかけ合いがはじまり、そうだったので、山井はさっさと入口に戻って人頭杖をとってくると赤毛の男を制圧した。


 本当なら得物無しでも善戦できただろう力量を感じたが、たびたび肥えた男に物を盗まれるため集中を欠いたか、あっという間に赤毛の男は山井の足下に昏倒することとなった。肥えた男はいやぁこわいこわいと滝のような汗を拭いて、山井にしきりに頭を下げた。


「いや助かり申した。このご恩はいずれ……って、良く見たら山井殿。黄土に帰還なさったので?」


「……一旦ね。にしてもあんたは相変わらず健康に悪そうな体型ね、遠藤小吉えんどうしょうきち


「健康が拙者に悪いので御座る」


「知らんわ。肥えすぎよ」


「肥えてなど御座らぬ。ただ目の前にあるものに手を伸ばし食し続けた結果にて候」


「はあ、ったく。〝盗神〟の名が泣くわよ」


 言うと彼はとんでもない、とかぶりを振って頭からふけを落とした。


「暇を盗み目を盗み、名をもぬすみて幾世霜。生くるは何より貴きと、生を偸みて幾歳月――しかし盗神などとは恐れ多い、拙者ただの素浪人に御座る」


 謙遜でもなく、本気で彼は言っている。


 自分の目の前にあるものが自分のものでない、そんな理由のこじつけは知らないと、この世の道理をすべて無視する。


 万物は流転する――その思想に従い、己の前にあるものが己のものになる可能性だけを考えて生きている。そこには盗む、奪うという思考は存在せず、『落とした己の所持品を拾うがごとく』ごく自然になんの他意も含まず他人の持ち物を持っていく。故にだれも気づけない、気づいたころには取られている。


 一切の戦闘技能を持たず、他意のない盗み(とさえ当人は思っていない行い)によって周囲を制していく精神性。


 ついた二つ名は――〝無盗取り(むとうどり)〟。四つ葉四天神の一角をこの技のみで手中に入れた、黄土の切り札である。


「あっそ。まあいいわ……で、なに。つまりこの武器類、ぜんぶあんたが前線で相手から奪ってきた品ってわけ」


 品を拾い上げためつすがめつする。よく見るとこの鎌、どこかで見覚えがあるような……と、眺めているうちにいつの間にか手のうちから消えて、辺りを見回すと遠藤がひしと鎌を抱きしめていた。


「だから奪ってなど御座いませぬ。拙者の物です故」


「わかった、わかった。成程こういう『警護』があるから大丈夫って言ったのね、月見里さん」


「わたくしの領土は争いなき場、娯楽の提供が第一でしたからね。戦は起こる前に原因をなくす。一番難事と見えることが、結局は一番易しというところです」


 少しくだけた物言いになった山井にしれっと言ってのけて、月見里は机に肘をついた。


 だいぶ疲弊していると見えたが、まだまだ黄土は健在だ。そのしたたかさがあれば、この戦のあとも十分に生き残っていけるだろう。なんとなく笑みがこぼれて、山井は人頭杖を担ぎながら紙巻煙草を口にくわえた。途端に月見里は片眉をあげて、掌で部屋の出口を示した。


「外で喫んでいただけませんこと」


「あら、まだ禁煙つづけてるんですね」


 気安い、かつてのようなやりとりをしたあとで、山井は半笑いのまま廊下へ出た。戦争も、少しずつ落ち着きを見せ始めている。あとわずかばかり働けば、ひとまずこの忙しい盛りは抜けてくれるような気がしていた。燐寸で火をつけた紙巻煙草を一服しながら、山井は杖をついて歩く。


 と、表の出入り口へ迫っていけば、なにやら騒がしい。問題でも起きたのかと、彼女は門から外に声をかけた。


「なにか起こってるの」


「こ、こっちに……きては……」


 うめき声だけが低く聞こえた。不審に思って、山井は開こうとする。だが門扉はかたく閉ざされて、びくともしなかった。


「ねえ、どうしたの?」


「ね……ずみ、が……」


 それだけ言って、言葉は途切れた。


 鼠……と頭をよぎるのはもちろん、井澄から伝え聞いた彼の姿だった。まさかと思いながら山井は再度詠唱して己を厄の黒煙で包むと、杖を使って高さを稼ぎ、跳躍して表に出る。


 すぐ近くの道を埋め尽くさんばかりに、鼠が走り続けていた。絶句して立ち止まっていると、鼠の一部が寄り集まって、人の顔をかたどる。これは見知った顔ではない。だが声には、聞き覚えがあった。


「――やぁ、山井。悪いが少しお前の仕事を増やすぞ」


「湊、波……!」


「少々追っ手が面倒なのでね。この辺りを通れないように仕上げる」


 はっとして、周囲を見回す。するとそこには、門扉越しに言葉をかわしていた門番が、顔中に黒いあざを浮きだたせて苦しみ悶え、なおも門を押さえていた。この様が見えているだろうに、湊波は感情なく告げた。


「病人の壁、だ。感染したくなければうかつに触れないことだね。数少ないまともな医者の一人たるお前が腕を振るえなくなれば、さらに死人は増えるぞ」





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ