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明治蒸気幻想パンク・ノスタルヂア  作者: 留龍隆
終幕 絢乱劫花
81/97

81:片づけという名の惜別。

 もしもこの手帖に、八千に話したあの日のすべてを記さなければ。


 あるいは記しても、二度と開かないと誓っていれば。いずれ井澄は己の騙りすら忘れて、何事もなかったかのように生きていけるのかもしれない。


 だがそれではいけない。自分の過ちから、放った言葉から逃げてはならない。そうすれば井澄は己が己であることを失ってしまう。亘理井澄が犯した唯一の過ちと、同じ道を辿ることになる。


 すべてを自分の責任として受け入れることこそが、自己の確立においてなによりも必要だった。目の前を遮る者を殺し続け、八千を失わせたこの世界に復讐しつづけたこと。守るべきだった八千をこうして傷つけていること――そのすべてを己のものとしていく。


 手帖にはあの夜、八千とかわした言葉が綴られている。互いに傷つき、傷つけあう言葉が並べられている。……真実を語った日から八千は部屋に閉じこもり、井澄の前に姿を表そうとはしなくなった。


 言葉もないまま、重苦しい空気が漂う家の中でふたりは過ごし。その間も、井澄は幾度か島抜けの策を話し合うべく靖周と会っていた。なにか察したのか、彼に「大丈夫か」と尋ねられることもあったが、受け流すようにやり過ごした。


 きっと彼との間にも、失われた言葉が、記憶が、あるのだろう。取りこぼすことを知った上で、いままで井澄は生きてきた。八千以外のすべてを、どうでもいいと判じてこの島に生きた。


 だがそう思いこもうとしただけで、実際には靖周たちも、井澄にとって大事なものとなっていた。だからいまになって真実を語ることに躊躇いがあるのだ。己の考えを咎められるのではないかと、恐れていた。


 こうして、踏み出せないままに時はくだり……、


「間もなく、赤火と青水が開戦とのことであります」


 定時監視に訪れた式守一総は、井澄の自宅傍で塀の向こうに身を隠しながら告げた。


「そうですか」


「現状も、時折遠くから貴様らを狙う視線(、、、、、、、、)がありますが。それに巻き込まれてはあの御方も大層困るようですな。次にまみえるのが、連行のときと相成りました」


「連行とは穏やかじゃない響きですね」


「然り。ことが国の大事に関わる実情、穏やかに進める余裕はありませんのでな……努々(ゆめゆめ)忘れめさるな。貴様らが自分たちの監視によって生を繋いでいるのは、ただひとえに利用価値があるが故だと」


「心得ておりますよ」


 ふん、と鼻を鳴らして式守は去っていった。残された井澄は塀に背をもたせかけ、軋む木板の感触に体重を預けると、懐から出した敷嶋の紙巻煙草に火をつける。わずかに寒さが緩んできた今日この頃だが、まだ煙と共に白い息が出る。


 式守の発言は、おそらく井澄たちへの駄目押しだろう。すでにいくつもの島抜けの策を立て、うまくいかずに潰してきている。この無駄なあがきを指しての発言にちがいない。


 だとすれば――


「ここが、最後のつけ込む隙か」


 相手が己の優位を確信している瞬間。失敗続きの人間へ、哀れみと共に油断を抱く瞬間。それをこそ、井澄は狙っていた。


 策をあげては潰してきたのもすべてはこのため。あとは相手に悟られないぎりぎりの機を見計らうのみだったが、まさか相手が自ら攫いに来る機を伝えてくれるとは思ってもみなかった。


 少しずつ、積み上げてきた策がいま形をなそうとしている。あとはほんのわずかに運が傾いてくれればそれでよい。先ほど山井から策の成就がために受け取った()を懐に感じながら、井澄は家の中へ戻った。


 ただいま、と声をかけても、返事はない。扉はかたく閉ざされて、八千も、あるいは八千草も、出てきてくれることはなかった。当然のことだ。だがそれでも――井澄は彼女を生かし、この島から逃がすと決めていた。たとえ二度と、八千から八千草に戻ることがなくとも。


 扉を軽く叩いて、呼びかける。


「……起きていますか」


 返事はない。


「明日、この家を引き払います。あなたにも……共に、逃げていただきます」


 物音ひとつ、ない。聞こえているのかと不安になりながらも、井澄は声をかけるのをやめはしなかった。


「……私を、恨んでいるとは思います。でも、どうしても……私は…………」


 言葉に詰まり、口許を押さえる。どう言えばいいかわからないし、どう言い繕ったところであとの祭りだ。かけ違えた釦を外して本音で向きあったとき、井澄と八千の間には深い溝だけがあった。靖周と小雪路のように、わかりあえる部分は消え失せていた。


 どうしようもなく。愚かだった自分を悔やんでも悔やみきれない。そうこうしているうちに、出入り口の戸がとんとんと鳴らされる。びくりとして、まさかもう式守が来たのかと疑ったが、曇りをいれたギヤマンの向こうに見えるのは二人分の影だった。


「――よぅ。アンテイクに寄った帰りなんだが、入ってもいいか?」


「食材買ってきたんよ。一緒にごはんしやん」


 靖周と小雪路が、二人だけなのにどやどやとした空気を引き連れてきた。井澄はまだうまく動いてくれない喉をおさえ、ああ、はい、とかろうじて返すと、何事もなかった風を装って二人に応対した。からりと戸を開けると、にっと笑った靖周が食材を詰めた風呂敷片手にあがってくる。ぴょこぴょこ跳ねるようにあとへつづく小雪路も、笑みをたたえていた。


 戸を閉めてから、井澄は二人へ向き直り。先ほどまで抱えていた不安と動揺をこらえながら、問うた。


「……靖周。アンテイクへ行った、ということは」


「ああ」


 井澄へ向き直った靖周は笑みを引っ込めると、横の小雪路の頭をくしゃりと撫でやりながら問いに応じた。


「こまごました俺らの私物も引き払って、もう準備は整った。小雪路にも、知らせてある」


「二人とも隠れてこそこそなにしとるのかなー、と疑っとったけど、まさか島抜けとは思わんかったのん」


「……段階は大詰め、というわけですね」


「だな。お前の方も、山井んとこ行ったんだろ」


「ええ。手筈は出来得る範囲で万全に。……こちらも、一応計画についてはもう話してあります」


 聞く耳を持ってくれているのかは定かでないものの。概要については、八千へも話してある。靖周はそうかい、と軽くうなずいて風呂敷をテエブルへ置き、持ってきた食材をごろごろと広げた。


「んじゃぁ今日は四人で飯にしようぜ。こっからは、どこでのんびりできるかわかんねーしよ」


「そう、ですね。ああ、ただちょっと八千草は、具合がよろしくないようでして」


「なに、この切羽詰まった状況で体調かんばしくないだと。大丈夫なのか?」


「計画には、おそらく支障ないかと。山井が協力してくれるのもありますし」


「ふーむ……そんならいいけどよ。基本的に狙われてんのはお前らなんだし、気ぃつけな」


「忠言は耳にいれておきます」


 とはいっても、八千にとって靖周たちはほとんど見も知らぬ人間だ。これまでは接触が少なかったのもあってなにも露見することなく進んでこれたが、ここからは長時間にわたって行動を共にすることになる。いずれ、日輪やその他の事柄について、話す必要に駆られる気がした。


 八千は変わらず部屋に引きこもったままだったが、つつがなく夕食の時間は過ぎて。途中で雑炊にした鍋を小雪路が八千の部屋に渡しにいったが、その際にしばらく二人で何事か話しこんでいるようだった。井澄は不審がって何度も部屋のほうを見つめたが、その都度靖周が「女同士の話ってやつじゃねぇの」と牽制するように言うので、結局内容はつかめないままだった。


 そうして夜は更けていき、着々と、刻々と、島抜けの時が迫っていた。



       #



「島抜け、ね」


 七星の煙をぷかりと浮かべた山井は、珍しく下ろしていた髪をぐしぐしと掻きあげながらつぶやいた。


 式守の監視の隙をついて訪れた、山井医院。怪我の経過を診てもらう名目で訪れた井澄は、この島の先達である彼女に自分たちの今後について固めた決意を話していた。


 あくまでも抜けるというさわりのみで、日輪など細かな事情については語らないものの。井澄よりいくらか長く生きている山井は、敏感に隠しごとを嗅ぎ取ったような、そんな顔をした。


 けれど咎めることも、指摘することもなかった。ただ、井澄たちの状況を察したと暗に告げるがごとく、こう言った。


「こんなときでなくたって、いいんじゃないの」


「時間があればそうするのですけどね」


「……なに。追われてるわけ、あんたら」


「どうでしょう」


 明言はしない井澄にため息と煙を吐いて、山井は白衣の裾をはためかせながら足を組んだ。


「緑風の立場がこうも悪くなってるときに、湊波のぞいた主力のあんたらまで抜けるっての」


「仕立屋、ですか」


 その二つ名の裏に幾多の所業を隠してきた彼は、最初から国のため、この島を滅ぼすために動いていた。四つ葉ができるはるか以前から、十数年もの歳月をかけてこの舞台を整えた。


 いまさらこの事実を公表したところで、さまざまな利害関係を孕んだ戦争は湊波が言った通りもう止められないところまで来ているのだろう。井澄は言葉を殺す術は持っていても、人に伝える術はそう多く持っていない。


 だがそれでも……それなりに付き合いを長く持ち、ときには背をあずけ、信頼してきた相手になら。伝えようという意志を込めれば届くはずだと、信じた。


「その湊波こそ――すべての、元凶です」


 一瞬、言葉の意味が理解できなかったようで。


 山井は目を丸くして、口許から煙草を落としそうになった。この反応を見て、ひょっとしたら湊波と付き合いの長い山井も統合協会あちら側の人間ではないか、という懸念が杞憂に終わったと井澄はほっとする。……あえて危険な橋を渡った理由は、やはり山井も井澄にとって近しく、大事な人物のひとりとなっていたからだ。


「なに、それ。冗談は」


「ことここに至って偽りや冗句は言いませんよ。……広く伝えても無意味でしょうが、せめてあなたには、伝えます。いまこの島でなにが起きて、なにが起ころうとしているか」


 そこから井澄は緑風の置かれている現状、湊波が九十九と最初から手を組んだ統合協会の人間であったこと、すべては統合協会による四つ葉を用いた実験であることなどを説明した。聞くうちに山井は目を回したように額を手でおさえ、吸殻をいくつも押し潰して平静を保とうとしているようだった。


 やがてすべてを話し終えたとき、山井はだん、と診療室の机に拳を叩きつけた。


「それじゃ……罪人ばかりとはいえ、この島の人間を。お上の連中が戦争前の情報戦実験として、駒みたいに扱ってるっての?」


「ええ。最初から、この状況に至るように〝流れ〟を操作していたのでしょうから」


「……ふざっけんじゃないわよ! 人命、なんだと思ってんの」


 医者としての怒りに駆られながら、机に頬杖ついて灰皿に吸殻を突っ込む。患者用の椅子に腰かけていた井澄はその様に、ひどく安心している自分がいることに気づいた。


 出会ったときから一貫して、山井翔という女性は変わらぬ信念を持ち続けている。こんな流刑の果てにあるような島で、己を曲げずに生きている。


 そんな人物がいること自体が、ひとつ尊い出来事であると、いまなら思えた。


「あなたは、揺るぎませんね」


「なによ。文句でもあるの」


「いえ。ありがたいなと、そう思っただけです。……ともかくも、我々は島を抜けます。この大事の折に申し訳ないとは思っているのですが、一刻を争う状況でして。いつ身柄を押さえられるか、いまも戦々恐々なのです」


「はぁ……緑風は積極的に戦争に加担してないから、あんたらが抜けたところでそんなに差支えはないと思うけど。湊波がそういう思惑じゃ、緑風に残るアタシだけ割食いそうね」


「すみません」


「べつにいいわよ。どうせどこに行ったって、アタシのやることは変わりない。だれかを傷つけるか治すか、そのどっちか」


 揺るがぬ姿勢を当たり前のように示して、机に頬杖ついたまま、体を横にした山井は井澄のほうを向いた。潰れた左目を撫でながら、右目だけで井澄を見る。


「アタシは残って、前線の怪我人を診る仕事に潜り込ませてもらうとするわ。ほかに出来ることも、やりたいこともないし」


「そう、ですか。この足の怪我もそうですが、いろいろと……お世話に、なりました」


「靖周のばかはまだツケにした料金払ってないけどね。しゃーない、島抜けの餞別にチャラにしといたげる」


「助かります。あと、ついでに餞別にいただきたいものがあるんですが」


「欲張るわね。なに?」


 言われて、井澄は薬品棚に並んでいたあるものを指差す。そんなのどうするの、と言いかけたところで山井は意図するところに辿り着いたらしく、興味深そうにふうんと、いたずらっぽく笑った。


「あんたらがこれを使ったあと、アタシが立ち会えばいいのね?」


「そういうことですね」


「嘉田屋のときもそうだったし、当然アタシの管轄だからどうにでもなるけど……あんた、この案の発想は湊波の黒死病がもとかしら」


「欧州では流行の折、吸血鬼騒ぎやら動く死体騒動があったと聞き及びますから」


「なぁるほどね。ま、実際の吸血鬼ってそう怖い連中じゃないけど」


「会ったことあるんですか」


「はるか向こうの国の貴族だとか言ってたかしらね。なんか忘れたけど、病気だか呪いの治療法と、同族を探してたわ。……それはともかく、決行の日取りはいつなの?」


「早ければ明日にでも。なので、できればすぐ動けるよう外回りの往診は控えてもらえるとありがたいです」


「了解」


 立ち上がった山井は戸棚を開くと、中から井澄の指差した薬品――散瞳薬さんどうやくを取り出した。眼科医が治療の際に患者の瞳孔を開いて観察を容易にするためのものであり、開腹手術から漢方の処方から医術百般なんでもござれの山井もまた、眼の治療の際に用いているのだ。


「はい、どうぞ」


「ありがとうございます」


 薬の小瓶を手渡して、山井はじっと井澄の顔を見る。背が高いので井澄ともさして変わらない目線なのだが、こうまじまじと見つめられたことはなかったので、なんだかこそばゆかった。


「な、なんです」


「いや。少しはマシな、見れる顔になったなと思って。いまだから言うけどアタシ、あんたのこと結構嫌いだったからね」


「……知ってましたけど」


「あらそう? まあ、でも、少しは――死に急ぐような目じゃない、すっきりした顔になったわ。へんな重荷とれたみたい」


 自分ではそんな気がまったくしないのだが、そう見えるひともあるのだろう。はあ、と煮え切らない返事をしながら、井澄は治療室を出た。見送りに山井はついてきて、入口のところまで来ると、すっと七星の煙草を差し出した。突然の行動に井澄が応じることできずにいると、いいから、と手に一本とらせて、無理に口許へもっていかせた。


「ゲン担ぎなんて、あほらしいと思うでしょうけど。アタシわりとそういうの気になるのよ」


 言いながら、山井は出入り口の棚よりとった火打石を擦って、灸に用いるもぐさへ移した火を煙草にともしてくれた。


「うまくいくこと、願ってるわ」


「……どうも」


「ねえ井澄」


「はい」


「ちゃんと、生きてみなさい。医者としても個人としてもね、やっぱりちゃんと生きてるって思えるようなやつ見るのが、一番イイことなのよ」


 最後にふっと笑って、山井は踵を返すと医院の中へ戻っていった。


 彼女は自分の立ち位置をしかと定めている。やるべきこと、その時々で己に課せられていることを知り、その上で選択し自己というものを尊重し続けている。覚悟と責任とを、常に己に問うているということだ。


 強いな、と井澄は思い、七星の煙をふかしながら帰路へついた。




 ――そして式守とのやりとりを経て、靖周たちと夕食を済ませ。


 いよいよ策の実行を明日に控えた井澄は、三船兄妹が去った後の居間で散瞳薬を手に、物思いに耽る。間もなく、片をつけるときだ。


 小瓶をテエブルへ置いて、井澄は八千のもとへおもむく。扉の前に立ち尽くし、深呼吸して、なんとか気持ちを落ち着けた。だが意を決して扉を開こうとしたとき、向こうからかたりと、扉が開かれた。


「……八千、」


「……井澄いすみ


 井澄せいとではなく、この島で過ごした自分の名で呼んで。


 けれど彼女は、まちがいなく八千だった。


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