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明治蒸気幻想パンク・ノスタルヂア  作者: 留龍隆
終幕 絢乱劫花
79/97

79:牽制という名の先制。

 妹の帰宅を察して、靖周は相談の声を止めた。八千同様に、小雪路にも島抜けについては語っていないのだ。


 帰ってきた小雪路はまだ井澄がいるのを見ると気まずそうに、戸口のところからじいっとこちらを睨んだ。別段彼女らの関係は周りに気を遣うこともないだろうと思うのだが、そのあたりの感覚は人それぞれだ。


「小雪路」


「な、なんなん」


「たった二人のきょうだいです。お互いを、大事に」


「……言われんでも、わかっとるけど」


 口をとがらせてそっぽを向き、のろのろと室内に入ってくる。靖周がおかえり、と声をかけ、小雪路はこれにうなずいて脱いだウエストコウトを衣紋掛えもんかけに引っかけた。それからぼふっと座布団に腰を下ろす動作などは以前と変わらず子供っぽいのだが、喜怒哀楽ならば楽ばかりだった表情に幅が出たことが、どうにも記憶の中の人物像と不一致を覚えさせる。


「にしてもあれですね、性格がいままでとちがいすぎて、接し方に困りますね」


 井澄はぼやくが、小雪路は自分のことを言われたのだと気づかなかった。


 一瞬妙な間があってから人差し指で己を指し、靖周と目を合わせる。


「うち? え、そんなに変わったん? 性格わるくなった?」


「悪くなってねぇよ。べつに根本は変わってねぇし。出さないようにしてた知識とか感情が、表に出やすくなっただけだろ」


「あー、たぶんそれそれ。うん。井澄ん、そゆこと」


「このいい加減で適当な感じは以前と変わりないですね……というか対応を見るに、靖周以外にはさほど以前と変わらないのでしょうか」


「まぁそうだな。でもなんかその印象で語ると、まるでお前に似ちまったみたいだよなー」


「私に?」


 問いを投げると湯呑を手すさびながら、靖周は井澄の腹あたりを見ていた。


「さいきんはそうでもないけどよ。お前、島に来た当初は八千草以外にゃ心開かないっつーか無関心っつーか、他のもんがなにひとつ目に入ってない感じだったぜ」


「え、そうだったのん? 八千草んばっか見とったん?」


「……否定はしませんよ」


 流れから小雪路にも悟られてしまったが、仕方のないことだと諦める。いまさら知られたところでどうということはない。とくに、現在のような状況になってしまったあとでは。


 靖周はけらりと笑いながら、井澄の顔つきをうかがい、さらにつづけた。


「いまは、すこしは変わったか」


「どうでしょうね。変わったと見えていても、私も根本は変じずだと思います」


「そうかぁ? まあお前が言うんだからそうなのかね……だが八千草のほうも、少しずつ変わってるとは思うだろ」


「さあ……」


 あまり突っ込まれたくない話題に入った気がしたので、井澄は湯呑をおいて席を立つ。そろそろ帰宅して夕食の支度としようと、三船家をあとにすることとした。


「お邪魔しました。お茶ごちそうさまです」


「おう。じゃあまた、な」


「兄ちゃん、うちらもごはん作るん」


 革靴に足をはめて爪先を地面に打ち付けるかたわら、二人が水場にきて調理をはじめようとしている。ふとその様に、かつてあの狭い小屋で八千と暮らしていたときの自分が重なった気がして、井澄はそそくさと家路についた。




 店番といってもこの戦時体制の中で客が来るはずもない。途中で切り上げたのか八千は先に家に戻ってきていた。家の前についた途端、室内から流れてきたいい匂いにそれを察する。


 わずかに、戻りづらく思う。そんな気持ちがここ数日帰宅の都度浮かび上がるが、迷っていてもしょうがないと戸を開ける。


「おかえり、井澄せいと


「ただいま戻りました」


 腰まで届く黒髪を丸め結いあげた頭を揺らし、八千は振り返る。空紫うつぶしに近い風合いの着物にいわず色の帯を巻いて、その上から割烹着をまとっていた。髪をかきあげながら鍋の上に上体を傾けた様は、腰つきから脚線までが際立って見えて、思わず目を逸らす。


「夕ご飯、もう作り始めてたけどよかった?」


「かまいません」


 靴を脱いであがり、袖をまくって手を洗い、狭い台所に二人で並ぶ。八千は真剣な顔つきで出汁をとっており、細めた目の上で長いまつげがしぱしぱと震えている。井澄はひとつ息をついて、米を炊いている羽釜の様子を見た。


 その後もくもくと、調理をすすめる。分担しての作業は慣れたものだった。少なくとも、手帖の中にある亘理井澄の記録では、慣れたものとされていた。……一方で八千草とは交代制で食事をつくっていたので、並んで調理したことはほとんどない。記憶に穴がなければだが。


 次第にほんわり暖かな空気が広がっていく。出汁の香りが鼻腔をくだり、包丁が具を刻む音が腹へ響き、食欲を掻きたてる。しずかな時間にひたりながら、井澄は椀と箸を机に並べて出来上がりを待ちうける。


 やがて設えた食卓をながめて、割烹着を脱いだ八千はうんとうなずく。


「食べよっか」


「いただきます」


 椅子に腰かけて、互いに手を合わせてからいただく。素朴な食事は、あのころとなにも変わっていない。出汁のきいた味噌汁を冷ましてからすすり、井澄は己の舌を口腔にうごめかし、かろんと刺飾金が転がる。そこに味噌汁の味がしみた。


 ――五感に訴えかける事象は、記憶が断片しか残っていなくとも明確に思い出されてしまうため余計に惑わせる。おいしい、の前になつかしい、と感じている自分が本当に自分なのか、わからなくなる。


「? どうかした、井澄」


「いえ。変わらず、おいしいですよ」


「僕を見くびってもらっちゃやだよ、その気になればもうちょっといいもの作れるもの。まあ今日はちょっと食材が足りなかったからね……」


「仕方ありませんよ。状況が状況なのですから」


 むしろあり合わせの材料でこれだけの味が作れれば、相当なものだ。


 かつて山暮らしで食べるくらいしか趣味のなかった八千は、そこらにあるものからひたすら組み合わせて、味の研鑽に努めていたそうだ。だから野趣にあふれすぎているほどなのに、どこかきらりと光る味を作り出せる。そのぶん健啖家で食べ物にうるさい。


 八千草と、よく似た部分だ。


 考え込んでいると、八千の視線を感じた気がした。だが顔をあげると彼女は茶碗に目を落としてもぐもぐと口を動かしており、ややあって井澄が見ていると気づいたか、顔をあげるとつぶやいた。


「そういえばさ、部屋の隅に作り置きっぽいどぶろくもあったけど、あれは開けていいものなの」


「え、あ、ええ。しばらく前に作ったものですが、そろそろ飲めるはずです」


「ふうん……じゃあ、飲もうよ」


 無邪気に笑顔で言い、八千はとてとてと八千草の使っていた部屋へ歩きだす。彼女自身は、ここをあまり使っていない。八千に人格が定まってからは着替えに使うくらいで、寝所は井澄と共にするようになっている。


 その部屋を開け、どぶろくの入れてある瓶を取りに行く。井澄は立ち上がり、あとを追った。そして戸に手をおき話しかけようとしたところで、自分がなにを言おうとしていたかに気づく。つまり、『八千草が作っておいたものだから』と――だから、なんだというのか。


「ね、運ぶの手伝って」


「ああ……はい」


 もちろん言うのは、はばかられた。小さいのにやけに重たい瓶をずしりと腰で支えながら、井澄は己の唇を噛む。八千は横で、楽しそうにしていた。


「お酒なんて飲むの、本当にひさしぶりだよ」


「そういえば、そうですね。さすがに山暮らしのころはお酒などなかったですし」


「でも年に一度だけ、僕の清めの日みたいなときは村人が運んできてたよ」


「そうでしたっけ?」


 ぎくりとしながらも、あくまでど忘れしたように問い返す。そうだよ、と八千は謳うように言い、机に徳利を用意した。とっとっと、と白く濁った酒を注ぎ込み、井澄は無言で瓶を床に置く。


 お猪口が二つ並べられ、徳利の中身が分けられる。八千は行儀悪く机に身を乗り出して、井澄の猪口にも注いだ。それから、二人して口に含む。しわりと酸味が舌先にはじけて、ほどける甘みが喉を焼いた。しばらくまぜていなかったからか味は不均一だったが、けれど十分にうまみがあった。


「悪くないね」


「ええ」


 後ろめたさごと飲み下して、井澄は八千と目を合わせる。表情が不敵な笑みへ揺れて、次の瞬間にはまた彼女は猪口をあおっていた。艶めかしく、舌で唇を割って出入りさせる。


 井澄の記憶の限りでは、彼女と酒を酌み交わしたことはない。となると果たしてどの程度酒に強いかわからないな、と考え、すぐに、自分の馬鹿さ加減に呆れた。あの酒豪の八千草と同じ体なのだ。酒に弱くあろうはずがない。


 本当に、個別に考えてしまっている。そんな自分に乾いた笑いがこみあげて、これを見てとった八千は、じっと井澄の顔をうかがいはじめた。そしてふっと、頬を強張らせたままに、口を開いた。


「だめだよ」


 どこに向けて言われたかわからず、井澄は首をかしげそうになる。ところが八千の目つきが咎める厳しさと妖しい光を湛えていたため、一切の身動きがとれなくなった。


「……なにがです」


「さいきん、たまに、僕じゃないだれかを見てる」


「そんなことは」


「ある。いや、それも……()、なんだろうけど……」


 悲しげに、曖昧に語尾を下げた。


 悟られていた事実に罪悪感がふつふつとわき起こる。けれどどうしようもない。自分の中でもまとまらない、いや自分というものがまとまっていないのだから。結論を出すことはおろか、考えることさえままならない。


 これはそうして逃げてきた、つけなのだろうか。


 席を立った八千は空になった徳利を指先で倒すと、わずか残った酒がこぼれ出る様をじっと見ていた。井澄に向き直ったとき、彼女は湯上りのように紅潮した頬を片手で押さえ、熱っぽい目で井澄を捉えた。それから、調理中結っていた髪をほどき、たなびくようにふうわりと腰まで下ろす。


「立って」


 言われるがまま、おそるおそる立ち上がる。視線の上下は入れ換わり、井澄は見下すかたちとなる。見上げてくる彼女は夜更けの空に似た色の瞳を潤ませ、整った鼻梁の下で震える唇に意志を託そうとしている。


 沈黙がつづき、井澄の手にいやな汗が滲んだころ。しびれを切らしたか、八千は井澄を突き飛ばすように押して、壁際に追いやった。されるがまま逃げられない井澄は、うつむいたまま胸元に飛び込んでくる彼女を避けられずいた。途端に呼吸が浅くなり、心の臓が拍動を早める。それへ耳を澄ますように体を押し付ける八千は、やわらかな熱のかたまりとして溶けかかってくるように思われた。


「八千」


「……こんな、いつまた危ない状況になって、お互いがどうなるかもわからない場所だから。余計、不安になるの……いつかは払拭されるはずの些細な印象だろうけど、いまそうして井澄のなかに他の僕が見えてるのが、こわい」


「…………、」


「好意じゃなくて、前の僕との差異があることへの違和感とか、そういうものなんだろうけど。そんなものがあるのすらいや。特別なのは、僕だけであってほしい。互いが互いを想い合うって、そういうことじゃないの……」


 ちがうの、と言って、彼女はかしいだ姿勢で壁に背をもたせかけた井澄の体の上を、蹂躙していく。着物越しに体温を伝えながらにじりよって、最後には爪先立ちになった。唇が言葉以上に、感情を伝えた。


 井澄の中には、どう応じればいいかわからないことへの不安と、恐怖が生まれていた。


「……ね」


 肉迫した八千は、逃げられない井澄の腰に両手を回した。


「こんな方法しかとれない僕を、ゆるして」


 だが彼女も彼女で、不安なのだろう。一年近くもこの世に顕在していなかった自分。か細く、いつまた眠りのうちに掻き消えてしまうかわからない自我。それをしかと認識し留めておけるのは、井澄だけなのだから。


「井澄の特別でありたい。それしか、ないから」


 背筋をちいさな掌が這い上る。覆いかぶさった息遣いと共に、閉じたまぶたが井澄に行動を求める。


 だが、どうしようもない。血がのぼった己の頭もまた行動を求めてはいたが、実のところ、意志のあるなしにかかわらず井澄はどうすればいいかわからないのだった。知識があれど経験がない。ただ目前に迫る状況に身悶えするばかりで、指先ひとつ動かせない。


 その情けない様に気づいたか、薄目を開けた八千は、わずかに出した舌先で唇を湿らせながら井澄の首筋に上らせた片手をかける。深い息がシャツを通して井澄の胸部を撫でる。


「……じっとしてるだけでも、いいよ」


 やり場に惑った目を落とすと、着物の裾を割って己の膝先が消えている。もはや目をつぶるほかにない。だが目を閉じれば時が過ぎるのが遅く、肌に触れる感覚が鋭く、狂わせる香りが強く、感じられてしまう。


 乱れ続けた頭の中、一念として浮かんだのは、こんなかたちではいけないという想い。これを行動に表すべく、井澄は両腕に力を込める。壁際に追い詰められたのを、押し返さんと踏ん張る。


 しかしその力は、八千のひとことがすべて抜き去ってしまった。


「僕、生娘ってわけじゃないんだから」



        #



 軋むからだを、後ろに手をついて支える。起き上がったレインは、はだけた着衣を正しながらベッドより降りた。


 シャツだけをまとった格好で室内を歩き、レイモンドが机に置いていってくれた水差しを取る。カップにめいっぱい注いで、ごくごくと飲み下した。


 ようやく頭がはっきりしてきて、狭く暗く埃っぽい室内が鮮明に目に映る。一時の隠れ家として急いで見つけてきたのだから仕方のない場だが、それにしたところで病人を長く住まわせておく場では、ない。


「治ったからいいものの、な……」


 汗で額に張り付いた金色の髪を掻きあげながら、レインはぼやく。


 長い、長い呪いとの戦いの果て、ついにレインの体力は術の魔力に競り勝った。危ういところではあったが、局所的に(、、、、)強化し続けた自己免疫力が病魔を討ち滅ぼしてくれたのだ。


 しかし体は長期間に及ぶ競り合いで疲弊してぼろぼろ、結局は治ったあともこうして、ひたすら眠りを貪るほかなかった。だが今日起き上がってみた感触は、昨日までとはまったくちがう。伸ばした腕、背筋、足腰。滞ることなく力が流れるのを感じて、己が完全に復調したことを悟った。


「……また、戦える。私はまだ……戦える」


 となれば、やること、やらねばならないことへ再度向かう。レインは身に着けていたシャツの釦を外していき、肩から床へ落とす。下着も帯びていなかった裸身が露わになり、面立ちから連なるきめ細かな白い肌が伸び――その上に、不気味な呪文が刺青として這いまわる。


 首元からはじまるそれはうなじから頭部にも伸びており、覆われていないのはわずかに手首から先、足首から先、そして顔と局部だけだ。あまりに細かに刻まれたそれは黒く衣服をまとうようにすら見える、色濃いものである。


 身体強化魔術。その術式を、全身に彫り込んでいる。それこそがレインの戦型を支える基本にして切り札だ。


 通常、身体強化は使い勝手のあまりよくないものとして知られている。というのも詠唱・あるいは刺青による呪文の術式によって全身を強化したところで、得られる恩恵は常人の二倍程度の力と速度がせいぜいなのだ。強力ではあるものの、それで個人が群衆に匹敵するとは言い難い。おまけに魔力を遣いきれば常人以下に落ちる。


 そこで編みだされたのが「手首から先のみ」など、部位を限定して魔力をしぼりこむことで局所的に(、、、、)超強化する手法だ。この方法論では部分的とはいえ力を十数倍にまで高めることができる上に恒常的な魔力消費も少ないため、奥の手として用いる者が多くなった。といってもやはり一発芸という感は否めず、悟られていれば対策は容易でしかも均衡を欠いた力は武術の扱いにおいて妨げとなる。結果、これもすぐに廃れ一部の暗殺者くらいしか使わなくなった。


 しかしこれらの欠点を独自の手法で解決することで、レインは身体強化を切り札の領域にまで押し上げた。


 ……ある日彼女は錬金術研究のかたわら薬理の実験で人体に触れるうち、あることに気づいたのだ。それは、人間は全身へ気を配るなどできないという点。


 当然の話であるが、人間は眼球が前に向いている以上背後が見えない。だからといって音で背後状況を察しようとすれば、視覚がわずかおろそかになる――これと同じことだ。人間は、己の体についてくまなく把握しつづけることができない。できるとすればそれは真の武の達人などだ。だからこそ凡人の我々は、無闇にあちこちへ意識を割かせる全身強化を用いると燃費が悪いのではないか。


 そこでレインは、全身に刺青を刻んだのだ。辿り着いたのは『局所強化の連続発生』。


 移動時はまず踏み出すための太腿、膝、脹脛ふくらはぎ、足首、爪先の順番に局所強化を連続させることで凄まじい高速移動を得る。攻撃時は右手首から先のみに魔力を集中、局所強化で握力などを強化。次に相手に攻撃される瞬間は左前腕部へ魔力を集中、局所強化で筋繊維を強靭に仕立てて傷を防ぐ。


 一度に気を配る部位は一か所のみ。そうすることで、レインは燃費の効率化と強化の増幅を両立させた。今回も、以前に肝臓の強化で高速解毒を行うなどした経験をいかし、体内で黒死病に抗うための免疫系や代謝に関わる部分のみを強化することで、病魔を退けていた。


 もっとも、この切り札は言ってすぐ実現できる類のものではない。……たとえば常人が拳を突きだす際に、打ち始めから打ち終わりまですべての間接駆動を目で見て意識しろと命じるようなものだ。


 執念による鍛錬で、自己の意識を完全に肉体に染み込ませているレインだからこそ可能な、精密精緻を極めし荒技なのである。


「さて……弾丸も錬成しなおさねばな。長い間放置したために、魔力が抜けきっている」


 シャツに袖を通しネクタイをしめながら、レインは椅子にかかるガンベルトに差し込まれた弾丸の連なりを見る。日輪に抗するために持参した錬金術による特殊弾頭の一品は、強力な代わりに込めた魔力が切れれば使いものにならないという代償が存在するのだ。


 次こそは――これで四度目となる決意を胸に、レインは自分に言い聞かせた。


「さてどうかな、果たしてお前は日輪を殺せるだろうか」


 部屋の隅からの声に、レインは手にしたピイスメイカーを向ける。撃鉄の下りた銃口が向いても身じろぎひとつしない人物が、そこに立っていた。


 蜘蛛の巣のような、やたら複雑に絡んだ白髪と、鶴のように長い首の目立つ男だ。老年に差し掛かってなお血気盛んといった目をしており、年輪のごとく深い皺の内へ埋まっているのに目だけは褪せない光でレインを見返している。


 地味な色の着物にインバネスをまとった長身痩躯を、ゆっくりと壁際から離して、彼は笑みと共に会釈をした。


「はじめまして、になるか。〝錬金術師アルキエミステ〟レイン・エンフィールド」


「わたしを、なぜ知って――まさかその肩章、容姿、玉木往涯……?!」


「部署はちがえど高官なのだが、呼び捨ての応対か。まあいい、こちらも勝手に部屋に入っている無礼がある。そも、俺は若人には寛容だ。沢渡井澄にも、寛容に応じたさ」


 井澄の名を出して気をひき、椅子をひいて腰掛ける。銃口はいまも絶えず彼の心の臓を狙っているのだが、意にもせず机の上に両手を重ね置いている。


 しばらくして、膠着状態の中、彼は半目でレインに言った。


「……席につけば茶くらい出るかと思ったのだが。気のつかんやつだ、出世の芽はないぞ」


「生憎とわたしは出世に興味はない」


「奇遇だな、俺もだよ」


 実質的なこの国の最高権力者なのだからそれはそうだろう。冗句で塗り固めたような男の調子ペエスにどうにも具合を狂わされながら、けれどレインは下手に出ることなく、唇をひき結んで彼に先制することにした。


「〝事代ことしろ〟あずかる〝くだん〟の人外。すべては……わたしたちのすべては、お前の存在から始まった」


「村上君から聞いたのか。ふん……国の危急に関わる話だというのに、列席会議の外に持ち出すとは。別段構わんのだが、果たして彼はそれで君になにを望んでいたのやら」


「たったひとつだ、往涯」


「そのためにわざわざこの辺鄙な島まで来たと? だとしたら酔狂極まるが……本音を出したまえよ」


 骨と筋が浮き出た指先をからめて、往涯はくつくつと忍び笑いを漏らす。


「日輪の殺害と俺の殺害。統合協会の危険な指針を揺るがすための一手として、どちらか、あわよくば両方。その予定だったんじゃないのか」


「……後者については、べつにこの島へ来たからというわけではない。常に考えていた」


「正直だな」


 見透かしたように、往涯は間髪いれずつづけた。気分を害しながらも、レインは彼の隙を見計らいつづける。


 井澄と出会う契機になってくれたことについては、往涯にも感謝するところがある。だがそれによって彼の生が、生涯が歪められてしまうくらいなら、レインは出会わなくてもよかったとさえ思っていた。


 たったひとつの、レインにとって大切な存在だからこそ。周囲を歪める存在としてそこにある往涯に巻き込まれていったことが歯がゆく、やるせなかった。引き金にかかる指が重く、脈のたびに震えて撃ちそうになる。


「貴様さえいなければ――貴様さえもう少しまともであったなら。我々はこうも苦しまずに済んだ」


「まともでないことは否定せんよ。だがそれは責任転嫁というものだろう。いいか、人々は社会という巨大で引力持つものを構築した際すでに、上に立つ者が腐ることを――少なくとも己らからはそう見える存在であることを――望んでいるのだ。流れぬ水は腐るというだろう。人も、同じさ。だからといって絶えず激流のごとく上の動きが滞らないのでは、だれもついてはいけん」


 社会は巨大な生き物だ、と往涯は己の体を掌で指し示す。頭からなぞるように、腹までをさする。緩慢な所作は老人の衰えを感じさせるが、油断はならない。


 紬織の着物の裾をはたくようにして、往涯は例え話をした。


「歩け、という頭で出した指示が神経をくだり、実際に動かすまでにその指示が停止や変更をなされるというのでは、足がもつれる、社会()は倒れる。愚鈍なまでに伝達が遅く変化が緩やかであるからこそ、社会というのは成立する! ゆえに人々は無意識か意識的か、上に愚鈍で淀んだ、腐り水をいただくことを求めるのさ。腐り水とて、わずかな上澄みを用いれば機構は回るのだからな」


「……なんだその話は。だから自分を殺しても首が挿げ替えられるだけ、殺すことに意味はないとでも言うつもりか?」


「残念ながら不正答。意味は大きく分けて二つある、短期的な意味から説こう。勘解由小路の下で実質的に国を動かす身の俺がくたばれば、後釜争いで上は混乱する。そうなればきたる大国との戦乱の折にこの国はまともに戦えず、勝機は減ずる。そういう〝意味〟だ。また長期的には、俺と意見をかわし議論を戦わせることで鍛えられたはずの者が、存在しなくなる。それは多大なる損失だ。意見と力を戦わせ競わせることで社会は発展する、俺の生き死に勝ち負けはすべて、ひとが歩みを進める礎となるべきなのだから……」


 ほほえましいものを見る目で、往涯はレインを見る。銃口が向いていることなど気にも留めていない。彼の気配には、おおよそ敵意や殺意というものが一切存在しない。周りをあるがまま受け入れ、なにか与えることのみを考えている、つくりものじみているが好意的な目。


「貴様は、自分が、ないのか」


「あるさ。俺にしかそれができないと考える自我。それだけで生きるには十二分だ……さてレイン・エンフィールド。先日俺は日輪と沢渡井澄こと亘理井澄に接触してきた」


 ようよう、本題に入り。


 往涯はかますから出した銀延べの煙管を口にくわえる。にんまりとした笑みには挑発の意図なく、穏やかにレインに接しようという気構えのみ。そうあることが、なによりも気持ちが悪い。


「彼らの生殺与奪は俺が握っている。ひとまず銃口を、下ろしていただこうか」


 レインは従うしかなかった。


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