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明治蒸気幻想パンク・ノスタルヂア  作者: 留龍隆
終幕 絢乱劫花
78/97

78:戦乱という名の訪れ。


 八千に店番を――といっても客などめったに来ないのだが――任せて、井澄は靖周と表へ出た。彼女を残していくことには多少思うところあったが、どうせどこかから式守が監視している。へたな手出しはいかにレインらでもできまいと判じた。


 それに島抜けについて、彼女が知るようなことがあってはならない。井澄より長くこの島に暮らしてきた八千草ならばまだしも、八千は山奥に孤独に暮らしてきた、いわば世間知らずの少女だ。腹芸は得意でない。


「しかし閑散としてんな」


 厚手の外套コウトと赤い襟巻を身に付けた井澄が表に出ると、乾いた冷たい通りで待っていた靖周は、立ち並ぶ街灯に背をもたせかけながら道の果てを見据えていた。石畳の遥か向こうまで、人影はまばらである。昼日中だというのに、異様な光景であった。


 けれどいまのこの島の状況を鑑みれば、こうなるのも致し方ない。


「もはや赤火と青水の件で、いつどうなるかわかりませんからね」


 ――赤火が青水へ宣戦布告して、八日が過ぎていた。


 井澄が湊波から〝流れ〟の推移について聞き及んで二日後のことだ。おそらくは後に政府が用いることとなる秘蔵の戦艦を沖に並べて海上を封鎖し、赤火四権候・九十九美加登は青水四権候・瀬川進之亟に向けて降伏勧告を出した。


 矜持のもとにすべてをなげうつ覚悟持つ侠客にこれが通じるはずもなく、瀬川は即座にこれを宣戦布告と受け取り戦支度をはじめる。とはいえ常にその日その日を命削ることで生きていると理解する彼らは、さほどの準備はいらなかった。すぐに支度は整い、いざ開戦と思われた。


 だがそこで、黄土がアンテイクより盗み出した幻灯機を元に赤火へすり寄った。ここにきて力関係は完全に均衡を失い、四つ葉は大きく傾いたのである。青水は矜持に懸けて緑風に助力を乞うなどできない。しかも緑風は、実質的に湊波と九十九が背後で手を結んでいる。


 八方ふさがり四面楚歌。けれど赤火は、まだ攻撃を仕掛けようとはしなかった。戦時デマゴギイの情報伝達実験――戦時における情報伝達の過程を調べるために、まだ泳がせておくつもりなのだろう。来るべき大国との戦時に、この情報デェタを有効に用いるため。


 こうして小康状態を取り戻した四つ葉は、動きのないままで八日が過ぎ、戦闘要員でない人々は息を潜めて暮らしていた。緑風アンテイクは、どっちつかずで宙ぶらりんとなっているので、この隙を遣って井澄は島抜け策を考えようと奔走しているのである。


「でも小康状態だからこそ、なのでしょうか。嘉田屋はずいぶんと繁盛しているそうですよ」


「ほぅ。そうなのか」


「なんですかその反応。あそこについては、あなたのほうが専門じゃないですか」


「あー、もう嘉田屋通うのやめたんでな」


 信じられないことを口にしたので、思わず足を滑らせた。靖周のほうを二度見すると、彼はばつが悪そうに頭を掻いていた。どうやら冗談の類ではないらしい。


「いったいなぜ。あれほど色狂いだったというのに」


「……そんな印象だったのか俺。そもそも俺、女とコトに及べない体だってのに」


「え」


 唐突な告白に言葉を失っていると、指をたててくるくる宙を掻きまぜながら、靖周はつづけた。


「ほれ、俺の前職、こないだ話したろ。あれが原因なのか、っつっても男にも目は向かないが、とにかく俺はデキねぇんだ」


「じゃあ、なにをしに通っていたんですか」


「愚痴話したり、どうにもならんことへの鬱憤をぶちまけたりだよ。まあ主に、小雪路のことでの悩みとかだな。俺は兄だ、守る立場だ、だから妹当人に話して泣きつくなんざ到底できねー、って思ってたからよ……」


 でももう逃げんの、やめたからな。そうつぶやいて、両手を袂に納めると歩きだす。横顔に見える瞳は濁りが落ちて、背中からも重たげな雰囲気は消え失せていた。足取りが、いつかよりも軽く見える。


「これからは向き合って支え合ってなんでも話して、互いがどう思ってるかちゃんと考えることにした。だからもう、あそこは俺にゃ必要ないんだ」


 支え合う。互いが互いを一方的に守ろうとしていた先日の状態から、いまはそこに位置を落ち着けたらしい。たった二人きりのきょうだいとして、辿りつけた場所だ。


 井澄は、家族を知らない。だからレインや村上と暮らしていたとき、知識と感覚に当てはめて、これが家族ではないかと夢想することがあった。


 ところがいまとなってはレインは敵に回ってしまい、八千の命を狙う者となり果てた。統合協会を離れた井澄と彼女の立ち位置との間には、大きすぎる溝があるのだろうとは思う。もうけして、あの日のように、支え合う関係には戻れないのだろう……


「よかったですね」


 万感の意を込めて、そう言った。嫉妬や羨望が混じっていなかったかといえば、嘘になる。気づいているのかいないのか、靖周は振り向いてこちらに笑いかけた。


「ちっとばかし惜しいがな。人間、ひとところで少ない人間とだけ関わって生きてるわけじゃねぇ」


「ですね」


「そうだ井澄、嘉田屋の優待券あるぞ。要るなら借金帳消しと引き換えでくれてやるぜ?」


「いりませんよ、どうせ私もできませんし」


「……お前もよくよく業を抱えて生きてるよな。というか前も思ったが、マジな話なのかそれ」


 実際に体に問題を抱えている靖周に心配そうに問われると、なんとなくいい加減なことを言うのには罪悪感があった。ただ、実情を述べようとすると、橘八千草という個人についていろいろと語らねばならなくなる。それは統合協会とのいざこざに本格的に巻きこむことにも繋がってしまうだろう。


 考えて言いあぐねる数瞬で、靖周は敏感に察したのか。まあ嫌なら話さんでもいいさ、と遮って井澄との間に手をかざした。


「どうあれ、俺と小雪路はお前らに恩義を感じてる。なんか迷ったり愚痴言いたかったりしたら、いつでも頼れよ」


「すみません、感謝します」


「まだなんもしてねーって。まあなんだ、ふとしたことでそういうのも回復することあるしな、あんま思いつめずにやってけよ」


 ひらひらと片手を振る靖周の横に並び、井澄は再び歩きだす。


 からだの問題。こころの問題。亘理井澄と沢渡井澄――自分の位置が、わからない。


 八千を見ると、まだ残っている過去の記憶や手帖に残る日記から、狂おしいほどの気持ちがあふれだす。だが残る記憶はごくわずかだ。それ以前の記憶も少ない。亘理井澄という個人を構成していたものはほとんどが欠如しており、存在の連続性はどこかで断絶している。


 だから思ってしまうのだ。八千という存在をじかに目の当たりにし、再会できたときから、思い続けているのだ――彼女への強い感情と、それにより彼女から受ける感情のすべては、沢渡井澄が断片の記憶を用い、亘理井澄から盗んだ(、、、、、、、、、)と言えるのではないか。


 彼女が記憶の喪失に気づいていないのをいいことに、亘理井澄であるかのように振る舞い、彼女の寵愛を受ける。それは途轍もない不実であると思われて、ゆえにいま井澄は迷い続けていた。


 なぜなら井澄は……沢渡井澄は、八千ではなく八千草に心惹かれている。


 どこからだったのかはもうわからない。これまで自分は亘理井澄として、八千草の向こうに八千を見てきたはずなのだが、それがどこで途切れたかまったくわからない。どこから、いつから、努力してその虚像への視線を保ってきたのか。島で過ごし記憶を失ううちにそうなっていったのか、それとも最初からこうだったのか。


 なにより、自分はどこから、自分を〝沢渡井澄〟だと認識しはじめていたのか。


「それともこれも、自分から切り離した人格が抱いた好意だからと、正当化しようとしているだけなのか……」


 なにが正しいか、わからない。


 だが井澄は、八千やレインとの再会で過去の己について思いを馳せ、結果として『いまの自分と同一だと思えない』という感覚に至っている。ごまかしようもない、それはひとつの真実だと思われた。


 それへ同様に従うのなら、井澄は『八千草が好きだ』という感覚をごまかせない。


「……私は」


 どうすればいいかわからない。


 だからいまはひとまず〝橘八千草〟を守るために島抜けの準備を進める。それだけだった。


 ――そのまま歩くことしばし。人気のさっぱりない道は、どこまでいっても活気がなく。久方ぶりに訪れた三船家こと長屋も、何も変わらず雑然としていたが、やはり静かにすぎた。


「相変わらずですね」


「あ、そこじゃねぇぞ一つ隣だ」


 隣の住人が壁を蹴破ったとかで、ひとつ隣の部屋に移動していた。


「またですか。壁が、薄すぎるんじゃないかと思うんですがね」


「だからこそ物音はすぐ響いて不審者はすぐわかる。近隣との生活が密だから情報も集まる。ここも住めば都だぜー」


 言いながら彼が引き戸を開けると、ちょうど出かけるところだったのか小雪路と向かい合った。


 靖周に似て色の薄い髪を後頭部の高い位置で赤い紐にて結っており、くりくりと大きなまなこで靖周を見下ろす。大きめのシャツで股下までを、黒い長足袋で肉づきのいい太腿までを隠し、その上から緋色の着物と腰のくびれたウエストコウトをまとっている、こちらも相変わらずの奇妙奇抜な恰好だ。


「ただいま」


「おかえり、兄ちゃん!」


 丸い瞳をぱっと輝かせ、犬歯をのぞかせながら目尻を緩めると、小雪路はひしと靖周に抱きついた。一瞬の出来事である。靖周は凍ったように止まった。


 身長に差があるため、小雪路の大きな胸に顔を半ばほどうずめるかたちで、靖周はじっとしていた。頭が揺れているのは、横から小雪路が頬ずりしているためだ。快いという気持ちを全面に押し出した喜色満面の表情で、小雪路は朱の差した頬を兄の体に擦りつけ続ける。撫でさすってしがみついているのは彼女のほうなのに、なぜか可愛がられている犬のように見えた。


「今日夜まで帰ってこんと思っとったぁ。顔見れてよかったん」


「そ、うか」


「あ、うちいまから山井さんとこで薬もらってくんね。すぐ戻るから夕ごはん一緒に食べるのん」


「お、おう」


「まだ下手だけど、今日もがんばってお料理しやん」


「なる、ほど」


「そんで今日も一緒に寝るん、」「小雪路、井澄がいる」


 ぴた、と小雪路の動きが止まった。いまの今まで靖周しか見えていなかったのだろう目が、井澄を捉えた。数秒の沈黙が、場を支配した。


 ややあって、小雪路は唇の端を震わせながら、眉根を下げて虚ろな目を伏せ非常に困った顔をした。この島にきて彼女に会ってからだいぶ経ったが今日はじめて目にしたそれは、恥じらいの表情だった。軽く朱が差す程度だった顔が首筋まで赤くなり、襟元を正した彼女はそのまま何事もなく、井澄を見たこともなかったかのように、下駄を鳴らして歩き去る。


「よ、夜には、戻るんよ」


「……おう」


「いっってきますす」


 声が震え過ぎていた。もとから健脚だが、さらにいままで見たこともないほどの速度を叩きだして小雪路は井澄の視界から逃げていった。


 井澄はすーっと視線だけずらして靖周を見る。引き戸を開けたときのままの姿勢でいた彼は、やっと呪縛から解き放たれたようにぎくしゃくと歩きだして室内にあがった。その後凄い勢いで室内に井澄の座る場所を確保したが、その際に布団がひとつしか出ていなかったのを井澄はしっかり確認した。


「……ほらなんだ、あいつも幼少期から色々察して、俺に甘えないようにしてたらしくてだな。反動なのかいまになってすごい甘えようでな……」


「靖周、今回お隣さんに壁を壊された原因はほぼ自分にあると思ったほうがいいですよ」


「な、なんでだよ」


「というか小雪路、そのテの知識も理解に及んだのですね」


「あー、まぁ、な」


「……そういやあなたさっき、自分の体の問題が回復したようなこと言ってましたけど……まさか……」


「なんだよ! なんだその目! なんもしてねぇよ!」


 回復うんぬんについて否定しなかったことはもう追及しない。井澄はお邪魔します、とだけ言って部屋に上がり、靖周の敷いた座布団に腰を下ろした。靖周は頭を抱えながら井澄の横を過ぎ、迂闊だった迂闊だったとぶつぶつ猛省している。


 靖周のこんな様子も、ついぞ見たことがなかった。先日の山井診療所で焦燥感から弱気になっているところは見たが、それ以外では基本的に靖周はいつも気風飄々として、歳上としての経験と知識で井澄たちを引っ張ってくれていた。


 だというのにこんな慌てようを見るとなんだかおかしくなって、井澄は笑んだ口許を手で隠しながら喋る。


「べつに隠すこともないと思いますよ」


「いや間違いなんて犯してねーっての!」


「そこじゃなく。全体の話です。……互いに想い合うことができているのは、良いことでしょう。それが兄妹としてなのかその先かは知りませんが、まあいずれにせよ、どこでなにを失くすかなんて誰にもわかりません。たとえこの島でなくても、そうです」


 脳裏に浮かんだ八千の撃たれる構図を振りはらいながら、井澄は言う。連想して先日のレインの表情、向けられる銃口も思い浮かんだが、意識しないようにする。


 あのときの、彼女にすべて見透かされたような一言を、意識しない。井澄が八千への記憶のほとんどを失っているということに気づいた彼女を、思い出さない。なぜ気づいたのか、そもそもなぜ八千との関係を知っているのか、などとは考えない。


 あのとき三度目の正直(、、、、、、)今度こそ(、、、、)と言った彼女が――銃を得物としていた、彼女が。


 あの日矢田野山で、永遠の向こうに八千を失わせようとした下手人だなどとは。赤火船舶内で銃撃してきた相手などとは……考えたく、ない。


 しかし推測は論を結んでいた。彼女が戦闘直前につぶやいていた職責との言葉、あれはいまから統合協会の人間として井澄たちに挑みかかることを、暗に示していたのではないかと。


「だからなにも隠さず、互いの本心、好意は包み隠さず伝えておくほうがいいですよ。どれだけ言葉と行為を尽くしても足りないのでしょうが、だからといってやらなくていいだなんて思えないはず。後悔は、少ないほうがいい。私は、そう思います……」


 苦い思いのもとに言い終えると、靖周はぽかんとこちらを見ていた。語りすぎたな、と自省する気持ちを抱きながら、井澄はゆっくり目を逸らした。


「……お前も言うようになったな」


 率直な感想を背後で述べて、かたかたと湯呑を用意する音をつなげ、こちらに戻ってくる。


「いや、もともと、なのかね。そもそもお前はそういう奴だったのかもな」


「なんですか、それ」


「お前はむかしを語らんからよくわからねぇけど、そういう熱さっていうか、思いの熱量みたいなのがある気はすんだよ。暗い熱だけどな」


 井澄の前に腰を下ろし、湯気を立てる湯呑を差し出しながら言う。靖周は、井澄の目をまっすぐに見据えている。目を伏せて、井澄は湯呑の水面を見た。伊達眼鏡で隠した奥に、淀んだ光がまたたいている。


「なあ井澄……お前もしかして、昔の八千草を知ってるんじゃないのか?」


 水面が揺れて、己の目を見失う。その様を見ていたのだろう靖周は、自分が踏み込み過ぎたと悟ったか、「悪い、いまのなしだ」と茶をすすった。井澄は水面が落ち着くまで待ってから、ことりと盆に戻して目線を少し上げる。


 そして靖周の胸元あたりを見ながら、言った。


「ご想像にお任せします」


 姑息な物言いで、逃れた。話し出せば、かならず話題はいまの井澄と過去の井澄、いまの八千草と過去の八千のところに行き着いてしまう。ついでに日輪の事情、統合協会に狙われる現状まで語らねばならない。


 もしかしたら靖周はある程度こちらの状況に勘付いていて、少しでも井澄の重荷を減らせるように、口を滑らせたふりをして話す機会を与えてくれたのかもしれない。だがそこに甘えてしまうことは井澄にはできなかった。


 信用できないからではなく、むしろ、この島の生活の中で仲間だと思えてしまったからこそ。


「そうか」


「ええ」


 二人はただ静かに、向き合う。


 それから島抜けについて、小雪路が帰ってくるまで周囲に気を配りながら話し続けた。



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