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明治蒸気幻想パンク・ノスタルヂア  作者: 留龍隆
六幕 鏖殺奸計
72/97

72:交錯という名のすれ違い。

兄と妹。

 青水・瀬川邸。自室で片膝を立てて座りこんでいた瀬川進之亟は、ふすまを開ける音に目を開いた。彼の左脇の畳には、菊花を思わせる鍔をはめた刀が突き立っていた。小湾れ刃の、美しい長刀だった。


「――死に至る病をご存じか。そこいらに蔓延り、いまも人は病んでいる」


 ロングソウドを携えた〝詩神〟呉郡黒衛……クロウ・グレゴリーは問う。


「流行り病が流行るのは、脆弱な奴が多いというだけだ」


 瀬川は動じず答える。土足であがりこんできたクロウは、すでにわずかばかり血を浴びている。邸内に侵入者を報せる伝令役を斬ったためだ。だがそれには目もくれない。彼はただ目の前に現れたから、己の進みを阻むから、斬るのだろう。


 その在りようが、たまらなく素敵だとクロウは思った。


「死の誘い手。人はそれを、絶望と呼ぶのだそうです。言い得て妙なり。この僕も、つい先日までは死んでいたのでしょう」


「そのまま土に環ればよかったろうに。死人が何ゆえ身を起こした」


「無論、生きるため」


「話にならんな」


 腰を上げた瀬川は、横に突き立てていた刀を無造作に引き抜く。実に雑な、刀を消耗品としか思っていない扱いだった。


 だがその一連の流れには、ひとつの美がある。ただひとつ、一念に、彼は相手を攻撃するためのみにすべての動作を行っている。予備動作ではない。準備は要らない。もしここで奇襲を仕掛けていても彼は同じようにのっそりと刀を畳より引き抜いたのだろうし、実際それで動作は間に合っている。完璧な、彼自身がひとつの刃としての完成を見ていた。


 すべての動作を攻撃に費やすがため、あらゆる無駄が省かれており、ゆえに皆が遅れをとる。凡夫の行うような〝待ち〟からの〝懸かり〟は必要ない。彼の動作はすべてが反射の域であり、すべてが攻撃なのだ。


 相手を見ていて、意識しない。己を動かし、御することはない。どのように攻めるかは当人にしかわからない無念無想の究極致。極めた彼は殺意の権化だ。常人のように攻撃の瞬間だけに殺意が増すのでなく、常住坐臥だれに対してでも殺意を放っている。だからいつ攻撃がくるかなど読めない。


 そしてその殺意の保持がために、意識と攻撃が接続を要さず癒着している。彼より気が短く手が早い人間は存在しない、彼より速い人間などこの世にいない。


剣征けんせい〟瀬川進之亟。


 クロウが危神の代わりとして求めるに、相応しいだけの剣客だった。にいと笑んで、クロウはロングソウドを正眼に近い位置へ構えた。


「この僕が、昂りを抑えられません」


「生憎と乃公に男色の趣味は無い。他を当たれや」


 面倒臭そうに、片手で右肩に担ぐ。体勢はわずかに左足を踏み出した半身。撞木足でどしりと構えているが、機動性が低いわけでもなさそうだ。


 先日立ち会った際にも感じた怖気が、背筋よりたちのぼり頭の天辺から抜けていく。


 どの流派とも思えぬ我流の剣。実戦の中で己の体を最も効率よく動かせるよう、研ぎ澄ましてきたのだろう。本能に限りなく近い殺意が形作るそれはしかし、長い月日を重ねてきた確かな意志の結実だ。一期一会の〝いま〟の一刀、その動作のどこがよくどこが駄目かを考え続けねば至れないはずの剣。


 剣に対して真摯なのではなく、ただ生きることに真摯な結果生まれた剣。


「示しをつけ、けじめをつけるぞ」


「結構。お願い致します」


 この島の人間は、仕事だからと人を殺す。与えられる仕事に甘んじて、手本をなぞるように生きるだけ。そんな、ただ生きるために生きているだけの人間ばかりだった。かつてのクロウも、グレゴリーとして同じように生きていた。上に命じられるままに糸を振るい、王室の障りとなる者を刻む。


 人間ならば意志があるだろう、自分には美学がないのか? クロウは常々そう考えていた。美学とは要は好き嫌いだが、意志を明確に示せないのなら人間としての意識はないに等しいはずである。それは、人間と呼べるのだろうか。


 だから彼は、たとえ周囲に狂っていると言われても、剣士フェンサーとして高みにいくため他者を斬り捨て続けることに頓着しなくなった。彼が殺すに躊躇するほど生きていると思える人間など、少なかった。やがて己にやれることは限られているから、それを極めたいと思った。


 そしていま、目の前に道を極めた者がいる。己の生きざまがこの相手にどこまで届くかを、試したくて仕方がなかった。先ほど表で出逢った彼女――四天神の座を危神より奪った彼女も、同じなのだろうか。己が領域を領分を、確かめたくて生きているのだろうか……


 轟音が背後で響き渡り、外での開戦を告げる。これに乗じて、瀬川が動きだす。戦場で機先を制するのは卑怯でもなんでもないことだ。当然のこととしてクロウも受け止める。


 かくして、ごく短い激突が、はじまる。



        #



 詩神が瀬川に送りつけた果たし状の示す日時より一日前。機を見計らって、靖周は診療所から逃げ出そうとした。


 しかし勘の鋭い山井によってすぐさま捕えられそうになったため、仕方なしに抵抗した。具体的には怪我をかばうそぶりを見せて油断を誘った瞬間を突いたのだ。それから風による補助をなしつつ五層の中を逃れ、さまよい歩いて妹の姿を探した。


 なにもせず待つことなど、できはしなかった。自分と妹が、互いに互いを守ろうとしたがためにすれ違ったというのなら。一刻も早く、その誤りを正したかった。


 待ってなどいられない。この島は、本当に簡単に人と人とが死別してしまう。やりたいと思ったこと、したいと思ったことは明日がないと思ってこなさなければならないのだ。


 だがどれほど探しても、彼女の姿が見つかることはなかった。焦る気持ちが募るばかりで、それでも靖周は傷ついた体に鞭打って動き続けた。妄念に突き動かされるような歩みだった。


 やがて足が止まったころには、靖周は六層四区のかつて自分たちが住んでいた家に辿り着いていた。恰幅のいい、わずかに身なりの整った男とすれちがいながら、戸を開けて入る。どこかで見たような男に思えたが、疲れのためもあって確認はとれない。恵比寿えびすに似た顔つきだったが、まさか、赤火の主(あの男)が六層の貧民街に来るとも思えなかった。


「……そしてこっちも、いるわけないか」


 もともとあばら家に過ぎなかったのが、月日の経過によってさらにひどくなっている。風が吹き抜けるだけで崩れ落ちそうな、廃屋とよばざるを得ない建物となっていた。いくらあてがないとはいえ、ここはさすがにいるはずもない。


 あのころのまま、あのころより古くなっている。二人きりでこの家に暮らして、夜が来るたび小雪路を寝かしつけ近隣の人に面倒を頼み、靖周は居留地に己を買う人間を探しにいった。


 物珍しさからか、客は異国の人間が多かった。そのためもあり靖周は居留地および、異邦人が好きではない。そうする他になにもできなかったとはいえ、苦汁を嘗めた記憶は靖周の中にどす黒いものを残し、勝手な言い分だとは思うが異邦人を恨んでさえいる。


 一切それを表に出さず、家にいるときは小雪路の前で明るく振る舞ってきた。自分が明け方までどのような仕打ちを受けてきたか、話そうとはしなかった。話せなかった。これは思いやりだと、彼女に汚い世界を知らせないためだと最初のうちは言い聞かせてきたが、途中で気づく。


 ただ自分が綺麗だと、そう見せかけたいだけなのだと。


「……」


 疲れが頂点に達していたところへいやな記憶がよみがえり、保たれていた緊張の糸がふっつりと断ち切れるのを感じた。靖周の膝が落ち、埃の溜まる床へと転がる。軋みをあげて体を受け止めた床板は、あのころの木目がまだ残っている。こんな風に寝転んだ日を思い出す。


 はじめて嘉田屋を訪れた日も、この木目に見つめ返されながら眠りに落ちた。女を買おうと思い立ったのは、自分を取り戻したかったからだ。立場が変われば心も変わると信じたかった。


 けれど最初の一度で靖周はなにも取り戻せないと知った。愕然として、自棄になることさえできなかった。それからは、娼枝に話を聞いてもらい、酒の相手をしてもらうためだけに通った。妹には言えないことを、さめざめと吐き出すばかりの時を過ごすため。娼枝たちは黙って聞いて、そして最後にはよく「女々しいですね」と言っていた。


 思えば靖周は、小雪路から逃げるように生きてきたのかもしれない。面と向かいあうことが怖くて、結果、なにも言えずにここまで来た。


 なんということはない。結局のところ、突きつめて考えれば靖周は、姿を消した両親と大差ないのだ。


「俺は……、」


 そしてそのうち、眠れぬうちに夜は明ける。この四区には明かりこそ差し込んでこないが、明け方すぎに出されるごみを漁るものどものうごめきが、時の訪れを報せてくれる。


 時間は過ぎ去った。詩神が瀬川に挑む日へ到った。


 ふらりと起き上がった靖周は、空傘の術式を操るための符札を手に、あばら家をあとにした。


 時がここに至ればきっともう小雪路の居場所は定まっている。本当はそこに行ってしまう前に見つけるつもりだったが、こうなっては仕方ない。


 靖周は瀬川の邸宅がある四層に、遅々とした歩みを向けた。



        #



 明け方ごろ、井澄が寝静まったのと入れ替わりに目覚めた小雪路は身を横たえていたベッドを抜け出すと、すぐ隣のベッドで眠る兄の顔をたしかめた。いつも見つめてきた彼の顔は、穏やかというのではなくただ疲れ果てた末の虚ろさに落ち、なにも表せないだけと見えた。


 傷口には布を当てて止血してあるが、それを見るだけで絶望の瞬間が頭をよぎる。怪神の足が振り下ろされたとき、靖周はたしかに小雪路をかばった。


 かばわれてしまった。


「……ぅう」


 う、とうめき、それ以上嗚咽が漏れないように喉を抑えてしぼりこんだ。屈しようとする膝を震わせながら押しとどめ、涙すら堪えて歯を軋ませる。静かに眠る兄がちゃんと息をしているのを見て安心すると同時に、ここまでの怪我を負わせてしまったことに申し訳なさがあふれていた。


 血を流させてしまった。ただでさえ――小雪路は、靖周に大事なものを失わせているのに。


 恥辱(、、)屈辱(、、)辛酸苦汁(、、、、)。彼のいくつもの犠牲(、、、、、、、)の上に、自分は生きているというのに。


「――……ッ、っ、……」


 知っていた。知るに決まっている。


 幼い己を生かすために彼がなにを耐え忍んできたか。そしてそのことを知られたくないと願い、己にひた隠してきたこと。


 ぜんぶわかっていた。こんな島に生きていて、その手の知識を一切得ないなど有り得ない。人づての噂、流言飛語、その中から小雪路は男女のちがい、その意味を知り。ある日、兄が自分をなげうってまで育ててくれたこと、それを知られないように努めていることを悟った。


 だからこそ、知らないふりをしてきた。さらに、決意した。彼がこれ以上、せめて血を流し傷つくことだけはないように、守ろうと。そのために強くなろうと。


 その日から小雪路は体を鍛え、心に鍵をかけ、裏通りの獰猛な人間たちを相手に実戦の中へ身を投じた。辛い中の一つの幸いとして、小雪路は兄よりも体格に恵まれていた。彼が己の食を削ってまで与えつづけてくれたおかげで、背も高く体は豊かになることができた。ゆえに基礎はある、あとは磨くだけだった。


 しかし研磨には予想以上の困難があった。


 それは……彼女が、痛みに弱かったことだ。


 最初に当たった壁は高く、乗り越えることは難事と思われた。日に日に増える傷と痛みが顔をゆがませようと働きかけ、その都度小雪路は靖周の前で演じる必要があった。己を己で騙す必要があった。


「大丈夫」「痛くない」「これくらい」「平気」「ねえ兄ちゃん」「うちね――」


 ――痛いのが、気持ちいいくらいだから。


 兄の為なら嘘をつけた。己の体にすら嘘を突きとおせた。どれほどの痛みも兄のためと思えば心地よくなった、自己犠牲によって小雪路は兄に恩返しができていると感じていたからだ。そのことがたまらない快楽を小雪路にもたらしていた。


 やがて湊波によって術式を与えられ、学の無い小雪路は苦心しながらもこれを習得した。ますます強くなり、そのぶん依頼は増え兄と共に戦うことが多くなった。本当は彼の負担を減らしたいがためにはじめた戦闘者の職務だったが、身を尽くし戦いに挑むうち、いつしか小雪路は目的と手段を履き違えた。


 とうとう危神の座につき、小雪路はもう止まれなくなっていた。雷名を打ちたてたために襲い来る者どもを、兄のために払い続けねばならない。兄に危害を加えるだろう存在が兄に触れる前に、自分がすべて倒してしまわなければならない。


 強迫観念が小雪路の拳足を逸らせる。もっと叩けもっと潰せもっと削れ。守りたいのなら強くあれ。


 ……だというのに、兄の拒絶の言葉を、あの日の湯屋で耳にしてしまった。


「並んで戦いたくない」との告白。――弱いから。自分が弱かったころを知っているから。兄は自分を頼ってはくれない。


「……ぁっ……」


 小雪路の中ではちきれた気持ちが、さらに戦に駆り立てた。危神だけで足りないのなら、いっそのこと四天神すべてを打ち倒せばいいのだろう……そのように暴走した気持ちのまま怪神に挑んだ結果が、これだ。


 だから小雪路は、ひとりここを出ていくことにした。


「…………にーちゃん」


 兄がいると、巻き込んでしまう。


 だから、兄がいないところで、すべての敵を打ち払ってしまおう。包帯をほどき、小雪路は下駄を履き、着物の上からウエストコウトをまとった。髪を、術式媒介である鵺の髭で縛る。


 最後に、出て行く前に兄の横で屈みこみ、その顔を一撫でした。指先に水気が伝った。


「すき」



        #



 戦いなんて、きらいだ。痛いばかりで、辛いばかりで。


 けれど強くなれば強くあれば、兄を守れる自信に繋がるから。兄に必要としてもらえるはずだから。その意味で小雪路は傷つくことも戦うことも好きになれる。相手の血にまみれること己の血を流すこと、戦に関するすべてを心から愛することができる。


 兄への気持ちあればこそ。


「だから――」


 四層二区、瀬川邸。詩神の襲撃に際して、用兵を無駄死にさせないため少なくするか、それとも多くするか。いずれにせよ詩神の対応に時間をとられているのなら、怪神・桜桃を襲うことは十分に可能だと考えた。おそろしいのは瀬川までもが乱入し、一度に二人を相手にせねばならない場合のみだ。


「――うちのために、負けて」


 詩神が侵入したのを見計らって忍び込み、結果先日の庭先にて遭遇した桜桃に小雪路はそう告げた。見る間に、彼女は表情を変えていく。


「馬鹿が。今度は容赦なく殺すゼ」


 ポケットに手を入れ、地面へ凄まじい震脚を放つ。苔むした大地が陥没し、彼女の周囲で空気が捻じ曲げられるような錯覚があった。ごくりとつばを飲み下した。


 轟音と共に桜桃は地面を蹴りつけ突進し、二人の四天神は二度目の闘争を開始した。


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