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明治蒸気幻想パンク・ノスタルヂア  作者: 留龍隆
六幕 鏖殺奸計

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71/97

71:窮状という名の伝言。

 馬車を呼び、一度アンテイクによって止血と着替えを済ませると、井澄はまた車内に戻り。


 一旦腰を落ち着けるために山井医院へ向かった井澄と八千草は、店の前をうろうろしていた山井に気づいて足を止めた。どこか遠くを見ている彼女の足下には、紙巻煙草の吸殻が散乱している。


「山井さん」


 八千草が声をかけると、首から妙な音がしそうなほどの勢いでくるりとこちらを向いた。だがそれは反射的な行動だったに過ぎないらしく、表情には勢いがない。


「……早かったわね二人とも。ずいぶんぼろぼろだけど、交渉決裂だったわけ?」


「ええ、まあ。そんなところですかね」


「足、怪我してるみたいね。中入って治療よ。だれにやられたの」


「交渉相手の仲間ですかね」


 細かい事情を語るわけにもいかず、井澄はお茶を濁す。普段ならばこのような物言いにはすぐさまくちばしを差し込むようにずけずけと返してくる山井だが、今日はなぜかそう、とつぶやいたきりまたどこともつかないどこかを見始める。


「どうか、したのですか」


 足下の吸殻からして苛立っているのだろう山井におそるおそる話しかけると、彼女は大きく息を吐いて、額を片手で支えながら白衣のポケットを探った。案の定煙草の箱が出てくるが、もう中身がないようでくしゃりと潰すとまたしまう。


「靖周までいなくなったわ」


「やす……え? まだ動けるような状態では、」


「ないわよ。背筋首筋腰の筋がイカれてるし、噴上ホウル飛び降りて小雪路ひっつかまえたときに左肩だっていためてる。普通なら、歩けるだけ幸運ってとこ」


「だったら、あなた、どうして」


「普通なら、って言ったでしょ。あいつ異常なのよ」


 言って、山井はおもむろに自分の着る留袖の襟元を引っ張った。見たくもない鎖骨がさらされる、と思いきや、井澄の視線は浮き出た骨の前、肌の上を注視せざるを得ない。


 青くあざになっていた。襟元を正すと、山井は一層募る苛々に耐えかねたように、医院の看板を拳槌で殴った。


「厄廻払いを遣ってなかったからって、多少油断があったからって、手負いにアタシが負けるなんてね」


 あの満身創痍の状態で、術無しとはいえ万全の山井に競り勝ち、逃亡したということだ。無茶苦茶である。


「捜索は」


「とっくに頼んだわ。ついでに言うと、あんたの頼んだ小雪路捜索も難航してるわね。いまのところなんの手掛かりも届いてないわ。届いたのは、青水からの書状一通のみ」


「な、内容は」


「訊いてばっかいないで少しは頭回しなさいよ。状況からわかるでしょ」


 つまり八方ふさがりである。鋳塊の現物はあるとはいえ、これが錬金術でなされたものかどうかの鑑定はできていない。幻灯機の回収はままならない。青水からの「覚悟しろ」との脅しであろう書状が届き。三船兄妹は不在。湊波も。


 おまけに、八千は――八千草は。


「あ、あの」


 考え至って顔を見ようとしたときに、偶然八千草もこちらを見つめてきた。あわてた様子でわたわたと手を上下させて、それから咳払いしてなんとか自分の拍子を保つと井澄に問うてくる。


「鋳塊とか……錬金術とか。よく、つかめていないのだけれど」


「へ? は? 八千草、あんたなに言って」


「山井」


 困惑する彼女の名を呼んで静止させ、井澄は説明をなす。先ほど八千草自身にもなした、半ば嘘の入り混じった説明だった。


「八千、草は、先ほど錬金術師との交渉が決裂したのち戦闘になりまして。その際崩れた外壁の瓦礫で頭部を打ったのか、ここ二日ばかりの記憶が混濁しているようなんです」


 我ながらうまい嘘であると思いわずかな悦に入っていたのだが、こう言うと山井は心配する目つきから一気に攻撃的な目に変わり、井澄の鼻先二寸まで詰めてくるとつり上がった目に火を宿した。


「頭部? ちょっとあんた、頭の怪我は一大事ってわかってるでしょ。へたに動かしたらどうなると思ってんのお馬鹿」


「いえその、吐き気や痛み、視界の揺れなどもなかったようなので直接こちらに来るのが早いと思いまして……」


「呼べば行くわよ、アタシが行く方が早いわよ。なに考えてんのこの役立たず!」


 責め立てられ、同時に己の嘘が暴かれるのではないかとひやひやしたが、山井はそれ以上の追求はせずに八千草を治療室に手招いた。なにより怪我人最優先である。井澄がおろおろと後ろについていこうとすると、入口の扉から首だけ出した状態でじろんとこちらを睨んだ。


「しこたま殴ってから治療してやる。あんたの足は、あと回しよ」


「打撲傷のほうが治療に時間くいそうですね……」


 ばたんと閉じた扉を前に成す術もなく、井澄はうなだれてその場で待ちぼうけを食った。




 夜になり、傷口を縫い終わり(麻酔はもらえなかった)、歯を食いしばったせいで痛むあごを押さえながら井澄は治療室を出る。次に手は頭を撫でる。山井の拳骨により陥没しそうな一撃をもらった頭頂部は、わずかにふくらんで疼痛を発していた。


 先に診察を終えて「おそらく異常なし」と見なされた八千草は、待合室のソファに腰掛けてパイプをくわえていた。八千であった間のこともすでに山井、井澄から順番に語られているので、おおよその状況はつかめているらしい。先ほどの戦闘によって出た周囲への被害も、レインが爆薬を用いたためだと嘘をついてやりすごしたため、八千草が日輪及び八千の存在を知ることはない。


 ない、のだが。


 井澄が自分の紙巻煙草をくわえて横に腰を下ろしたとき、八千草のパイプから火が爆ぜた。


「うわ、っと」


 火の粉が舞い散るのを見て戸惑いを浮かべ、彼女はパイプの中をのぞきこんでいる。なにが起きたのかわからない様子で、結局最後には葉っぱに変なものが含まれていたのだろうと結論づけていた。


 赤火船舶から戻ったときもこんなことがあった。八千草も、日輪の異能を扱えるようになりつつあるのかも、しれない。もともと同じ体なのだ、使えて不思議はない。


 井澄は己の煙草の先に火をつけ、濃く香るどっしりとした煙をふかすと、考え込んだ。八千と八千草。亘理と沢渡。その境界について、答えは、いまだ出せそうにないけれど。


「……足の怪我は、大丈夫かい」


「問題はないです。幸いにして深くなく、また綺麗に切れていたようなので、くっつくにも時間は要らないかと」


「そう」


 ふわりと煙を舞わせ、八千草はじっと視線を落とした。煙を辿り、パイプに行き着き、そして手首の赤い飾りに定まる。


「あまり、無茶をしないでおくれよ」


「……ええ」


「でも、よかった」


「なにがです」


「消えた記憶が、ほんの少しの間だけで」


 あたたかな横顔を見せて、八千草はパイプをくわえると背伸びをした。すらりとなだらかで美しい背筋に、髪の束が流れた。


「ぼくは、元から持っている記憶が少ないのでね。わずかでも失くすのは、とてもこわい」


「そう、ですか」


「過ごした時間を、周りだけが知っていて。自分だけ知らないというのは……取り残された気分になってしまうね。さっきあの煉瓦街でのときも、うつらうつらしていた記憶がはっきり定まって、お前の背中が見えたとき、こわくなった」


「……、」


「また守られたんじゃないか。また傷つけたんじゃないか。そしてそうなった過程をぼくは知らない。自分だけ逃げて、お前にすべて押し付けているようで……こわくなったのだよ」


「そんなことは、ないですよ。頼ってくださって一向に構わないのです。私は八千草のためなら」


 いつもの軽口を続けようとして、どうにもならなかった。それは八千草がいつになくしおれた、殊勝な態度だったから。そしてそれ以上に、井澄が動揺していたからだ。


 これまでずっとごまかすように、わざと軽口など叩き、また相手にすかされるように会話をしてきたのに。井澄はいま、自覚してしまった。自分が八千草の顔の向こうに八千を見ようとしていたこと、意識的にしなければそんなことはできないのだということ。


 ずっと無意識には感じていたのだ。八千と八千草、などと呼び方から切り分けて接しなければ平静を保てず、不実な自分に耐えられないほど。


 沢渡井澄は、八千草に心惹かれているのだ。


 亘理井澄がどうなのかは、わからない。


「本当かい?」


 こわごわとした声音での問いかけは、もちろん井澄の思い浮かべる煩悶に対してではなく先の言葉へのものだ。井澄は努めて常の自分を取り繕い、演じて、彼女に笑みを返す。黒々として輝きを内包する彼女の瞳に向く。


「いつでも、どこであっても。呼ばれれば馳せ参じましょう、当然のつとめですから」


「……へーぇ」


 笑い飛ばすように、八千草は言って、


「知ってるよ。ありがとう」


 そう、笑顔で続けた。井澄が呆気に取られていると、居心地わるそうに笑みが奥に引っ込んでいった。


「……なんだい。このまえ普段が辛辣だというから、少し優しくしてあげたらそんな顔かい」


「いえ、いえ。優しく、と言われましても」


「あれ、十分に優しいつもりなのだけど……もしや、足りないのかな」


「めっそうもない」


「そう。なら言葉通り額面通りに受け取っておきなさい。言っておくけれど世辞ではないよ」


「ちがうんですか」


「そうだよ。お前はいつも、ぼくが危ういときには来てくれるじゃないか。つとめだからとお前は言うけれど……感謝くらいは、してもいいだろう」


 語尾に向かうにつれぶっきらぼうになって、言い終えた彼女はパイプから灰をかきだした。それからふわふわとあくびを漏らし、蕩けたように目を伏せて眠気を顔で訴える。


「さて。今日は、疲れてしまったね。今後はなかなかの苦境となってしまいそうだけれど、明日は二人と湊波さんを探す方向かな……まあきっとどうにか、なるさ」


「どうにかしましょう」


「うん。では、ぼくは治療室のベッドで眠るとするよ……おやすみ、井澄」


「はい、おやすみなさい」


 治療室に消える間際の笑顔と、名を呼ばれたことが、井澄の中にしばらく響いていた。


 どうしようもなく、心に痛みがある。自分への裏切り。八千への裏切り。見て見ぬふりはもうできない。


 とうに燃え尽きていた煙草を灰皿に押し込み、顔をあげたとき、待合室の入口には人影があった。


「今晩は、夜分に失礼します」


 低い声で言うのは、どこかで見た顔だった。夜更けに診療所へ来たということは患者か、と考えつつも、井澄は両手に硬貨幣を取りだす。


 男は、足音も扉の開閉音も立てずにここまで入ってきていたのだ。


「どちらさまで」


「日本国術ほ――っとあぶない!」


 両手からの牽制する指弾を、男は薄皮一枚でかわしていた。隠密・気配の遮断は得意なようだが、肉体派ではないのかもしれない。


「両手を上に掲げて床に膝をついてください」


「わ、わかった。わかりましたのでどうかそちらも得物をしまって、」


「すみませんがこちらもだいぶ切迫した状況におりますのであまり口答えなどは許してあげられません。膝を砕かれて座りたいのなら別ですが」


「容赦を。ひらにご容赦を」


 立派に生やしたひげを震わせながら、男は必死で己が敵でないことを示そうとしていた。しかし男はたしかに、統合協会を思わせる所属を名乗ろうとしていた。つい先ほどレインら統合協会の人間と会ったばかりの井澄にとっては、警戒せざるを得ない相手だ。


 男が両手を掲げ膝をついたところで、やっと井澄は指弾の片方を下げる。両方下げてはくれないのか、と言いたげな顔だったが、男はこれ以上は問われない限り口を開かないことにしたらしい。じつに懸命な、場数を踏んだ判断と言えた。あの場(、、、)での身ぶりは偽装か、と判じながら、井澄は男を呼んだ。


「して、何者です。幻影列車の店長殿(、、、、、、、、)


 記憶の端を手繰り寄せて行き着いた、男の正体を呼ぶ。目を白黒させている男は一瞬、返答次第で指弾が己を襲うのではと危惧した様子だったが、だんまりでもそれは同じ結果になるだろうと思ったのか、眉根を垂らし情けない顔で言った。


「……所属は、日本国術法統合協会対師館〝鶯梭機関〟。名は幸徳井朋樹と申します」


「ほう、統合協会。やはりですか」


「あの、やはりとは」


「問われるまでは口を閉じていてください」


 威嚇しながら井澄が言えば、歯の根をひとつ鳴らしたきり、幸徳井というこの男は黙った。それにしても統合協会の手の者だというなら、この男はどちらなのか。つまり、レインらのように日輪の異能を恐れて殺そうとする側か、往涯のように引き込もうとする側か……まあ殺すつもりならば奇襲なり暗殺なりをしているはずなので、十中八九後者か。


「往涯氏に言われて接触してきたわけですか。気の早いことで」


「は……往涯氏?」


 読みは外れた。井澄は再び指弾を両手に構える。


「ま、お待ちください! いや私はたしかに統合協会所属ですが、往涯というのは玉木往涯様のことでしょうか」


「そうですが。あなたの上役ではないのですか」


「辿っていけばどこかではそうなるのかもしれませんが、直接のものでは……しかし、まだ、その得物を向けるのは御待ちいただきたく」


「ではレイン・エンフィールドやレイモンドという男が上役ですか」


「れ、レイン様とは梟首機関で有名なあの御方でしょうか? いえ私は鶯梭機関ですので、そちらとも繋がりありません。それに私階級としては三十位に手が届くかどうかですので」


 狼狽する男の様子には、妙な表情変化はなかった。どうやら名くらいは知っているものの、それ以上の関わりはないらしい。判じて、警戒の度合いは下げないものの、わずかばかり幸徳井の立場について他の可能性を模索してやることにした。


「鶯梭機関といえば術師との対外折衝などが主の部署ですね。そんな部署の方がなぜここに」


「踊場宗嗣氏からの伝言を渡しに来たのみです」


 焦ったように喚き、幸徳井は手短に用件を言った。踊場。まさかここで奴の名が出るとは思ってもみなかった井澄も少し考えに気をとられ、どうしたものかと迷う。


「あの人が……あの人は、いまどちらにいるのですか」


「どちらに、と言われますと……土の下と言う他ないのですが、いやちがっ、私では!」


「そこはわかってます」


 井澄の沸点がわからない、という顔で幸徳井はしおしおと崩れ落ちた。


 踊場の危機察知能力を、井澄は毛の先ほども疑っていない。そんな彼が手をかけられるとしたら、このように隙の多い男ではなくもっと危険で狡猾な連中だろう。それは逆説的にこの島にそれほど危険な人間がいることを示していたが、四つ葉なら有り得ないでもない。


「奴は、落命したのですか」


「……ええ。ペストに罹り、私の列車の中で昨日さくじつ息を引き取りました」


「黒死病? この国にも、あったのですか」


 井澄の記憶に落ち度、もとい抜け落ちがなければ、だが。統合協会で学んだ限りでは、黒死病は欧州で猛威をふるったことはあれどこの国にはない病のはずだ。


「正確には持ちこまれた(、、、、、、)というべきですな。病という名の、得物として」


 心底残念そうに、幸徳井は言う。と、居ずまいを正して、井澄に向きあった。


「彼からのことづてです。心してください――『この島の敵にして生みの親は(、、、、、、、、、)統合協会だ。加えて、統合協会より潜り込んでいる〝流れの担い手〟は、黒死病の呪い師・湊波戸浪(、、、、)。そして九十九美加登(、、、、、、)』――以上です」


「……は?」


 湊波の名が、なぜここで。そして、九十九?


 当惑する井澄を前に、もう義理は果たしたと言わんばかりの幸徳井は、両腕を下げるとぺこりと頭を下げた。


「老婆心ながら申し上げると、この島はもう流れに乗り引き返せぬところまできております。早めに逃げ出すのが賢明かと……では御免」


「な、あなた待、」


 そのとき井澄は出入り口がぎいと開閉する音を聞いた。伏兵か、と気づいたときには、煙玉によって彼の姿は掻き消えていた。見えない向こうで「暗狩くらがり、遅いですよ」とだれかに話しかける幸徳井の声が聞こえたが、それきりだ。煙を払って追いつこうと井澄が糸を投じ、手ごたえはあったものの、次の瞬間するりと抜けられる感触が糸を伝わってきた。


 こんなことが可能なのは同系統の糸の使い手――またも呉郡か、と先ほど耳にした言葉がクレゴオリと発音が似ていたのを思い出す。聞き間違えたのか。


 なんとか出入り口に辿り着くが、そのときにはすでに通りのどこにも影は無い。気配も消えており、これは追いかけることもかなわないと諦める。なにしろ井澄は幸徳井が入ってきて、その姿をとらえるまで気配ひとつ感じることができなかったのだ。相当に年季の入った隠形術である。


「くそ……」


 踊場の遺言だと幸徳井は言う。状況は確実に転がりつつある。しかも、踊場を手にかけたのが湊波だなんて。


「いったいなにが、どうなって」


「ちょっと井澄、ばたばたうるさくした上にこの煙なんなの? 七輪でも出してるんじゃないでしょうね」


 二階の寝室から降りてきた山井が、煙の向こうから文句を言っている。だがほとんど苦情は耳に入らずこぼれて落ちた。


 気がかりなことが起こりすぎている。それに踊場の遺言には、これまでずっとつきまとってきた言葉までもが残っていた。それが、井澄の頭の中にこびりついて離れない。


〝流れ〟。それを担うのが、湊波と九十九。そして島の敵であり親であるのが、統合協会――この言葉が指し示すところの意味を考え、井澄は煙を払って山井に近づいた。


「山井、湊波の所在はわかりますか」


「? 急になによ。こんな夜更けに」


「必要なのです。いま、確かめねばならないことがある」



        #



 六層六区。炭坑に続く道の中途をねぐらとしていたソレは、帰ってきた鼠を受け入れると身を起こした。


 長身で異様に手足の長い男だった。丈を間違えて作った案山子かかしのような不均衡。手には白い長手套、足は黒の革靴を履いており、ゆっくりとした動きに体の節々がついていく。立ち上がると、身の丈六尺に届こうという大男だった。


 全身は布が巻かれており(、、、、、、、、)、その上にぼろのような着流しをまとい、ひどく痩せている。それでいて腹部だけが異様に膨らんでおり、餓鬼のような見た目に――いや、腹に見えたのは巨大な袋だった。肩から提げたそれに隠され、影が大きく見えているだけだ。


 頭部を見れば耳たぶが大きく、垂れたまなじりと半端に開いた口元、口周りに生える黒い髭とが目に入る。顔つきは丸味を帯びてふくらみ、妙にてかりがある――仮面だ。その縁取りからは広く大きな布が流れ、頭をすっぽりと覆い隠している。


「……用意ができたのか」


 立ち上がる男に見下ろされながら、九十九美加登が言う。もっとも、一見して彼とわからぬように服装をみすぼらしく態度も小さくしていたが、それでも目に宿る野心の火は消えていない。間違いようもない赤火の主としてそこにいた。


「あァ、少しこの島に鼠が入りこんだようだが」


「お前が鼠というかね」


「他にどう言う。なんにせよ、用意は万端というものだね」


「ここの人払いは」


赤痢を広めたのは(、、、、、、、、)だれだと思っている。問題などないよ」


 答える声は無機質で色が無い。奇妙なまでに作った声……いや、鳴き声か。これに九十九は溜め息をつきながら、醜悪な見た目の相棒へ言う。


「仕事に際してはその姿をとるのだな。いつ以来だね、そうなる(、、、、)のは」


「村上英治の手の者である、糸使いの暗殺者(、、、、、、、)を殺したとき以来だよ」


「ふん。あの呉郡とかいう連中か……往涯氏もよく野放しにしておいたものだ」


「あの御方の真意は私たちでは辿りつけないさ。先を見通せるからこその視点から発するものだ」


「ちがいないな。ともかくも、四つ葉計画も終わりに差しかかる。始めたまえよ」


 くつくつと笑みをかみ殺す九十九の横で、ぶらり、ぶらりと腕が揺れる。


 湊波戸浪は勢いに任せて腕を振るい、弧を描いたそれにしたがって、鼠の群れが湧いた。


「〝潮引鼠しおひきねずみ〟」


 幕引きがはじまる。


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