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明治蒸気幻想パンク・ノスタルヂア  作者: 留龍隆
六幕 鏖殺奸計
68/97

68:呉郡という名の過去。


 転がりながら、三度目の、という言葉とリヴォルヴァの残像を脳裏に浮かべ続けていた。


 彼女の構えていたリヴォルヴァが火を噴く。それが、三度目だというのか。では残りの二度は――


「なんで」


 動きをようよう止めて、弱弱しい声音で井澄はぽつりと漏らす。次に思い出として結ばれる像は、共に過ごしてきた記憶。


 三人で、三人だけで、狭い部屋に暮らしてきて。わずかではあるが、あたたかみのある生活を送ってきて……あくる日にそれは奪われたと思った。村上とレインがいがみあい、村上が刃を突き立てた。逃れ逃れて、八千と出会い。いまとなってはあやふや(、、、、)な部分もあるが、たしかに楽しい日々があって。


 また、奪われて。


「……なん、で」


 また。――また?


 完成を見るのが恐ろしい嵌め絵が、最後の空白を満たしたような予感があった。


 三度目の正直というのなら、その前に二度の襲撃があったということで。


 八千が記憶を失った大本の怪我は、銃撃(、、)によるものである。井澄の知るレインは術式の都合からか徒手格闘とナイフを用いた接近戦を得手としていたため思いもよらなかったが……あのときの襲撃者がレインだったとしたら。


 また、先日の赤火船舶で八千草を、また意識を取り戻された八千を襲った銃撃の者がいる。その直前に靖周から狼煙で得た情報には、「金髪の女が船に乗り込んだ」となかったか。これも、レインだったのだとしたら。


「なぜ……レイン、」


 統合協会だからなのか。それが使命となってしまったからなのか。いずれにせよわかっていることはひとつだ。彼女が銃口を八千に向けていて、それは明確な殺意を伴った行動だということのみ。


 どうしようもない状況に歯噛みして、井澄は立ち上がる。袋小路から抜け出て、早く八千の元に向かわねばと気が急く。


「おっとぉ、お前さんの相手はこちらでございますよ」


 上から飛び降りてきた赤毛の男が、右手に携えた棒を振るう。振った動きに従ってひゅぱっと地面を這う音がして、薄い土埃と共になにかがうごめく。風切り音に反応して井澄が顔を背けると、眼前を黒い威圧感がよぎった。


 黒光りする鉄球が、行き過ぎたところだった。


「くっ――」


 じゃらりと手の内に硬貨幣を握り、両手からの指弾で鉄球を弾き飛ばす。あさっての方向に飛んだ鉄球は煉瓦の壁にひびを入れて止まり、一瞬あとに意志を持ったかのように跳ね戻った。そのとき空気が断ち切られるのを井澄は見る。


 鉄球に結ばれた黒い糸が、二人の間で震えて閃く。


「――糸か」


「その通りでございます」


 男が手にした棒きれ――いや、皿をふたつに剣先ひとつ。明らかに剣玉を模した、奇妙な得物――を振るう。先端にかかる遠心力から鞭のように糸がしなり、鋭く大気を裂いて襲いくる。尻から地面に落ちてかわすと、頭上に鉄球が轟とうなりとあげて飛来し、男の手の内の動きで真下へ落ちる。脳髄を飛び出させるわけにもいかず、井澄は後転してさらにかわす。


 起き上がりざま、左右の指弾で狙った。左は直進、右は煉瓦の壁に反射させての一打。男は身を屈めて直進の硬貨幣をかわし、反射してきた方は手にした剣玉の柄できんと弾いた。見た目からして真っ黒だが、どうやら鉄製であるらしい。


 屈む勢いで前傾姿勢となり、得物を深く腰だめに掻い込んだ男が突進してくる。防御時に振りかぶった動作で、鉄球は再び跳ね戻っていた。


 ……厄介な得物である。鉄球は鎖鎌の分銅のような動きだが、手の内の握りこみで先端の軌道は微妙に変化する。そして鎖ではなく糸のため、拘束すなわち斬撃。誘うにしても捕まるわけにはいかない。また構えからして、棒術、杖術の心得もありそうだ。中距離から近距離までを自在に行き来する戦術だろう。


 糸も指弾も中距離向きである井澄に対しては、間合いを潰すことでも空けることでも対応できるという、極めて厄介な相手と言わざるを得ない。


「おとなしくしていただきましょう。レイン氏がことを終えるまでは」


「冗談じゃない!」


 だれだか知らないが、邪魔をするのなら容赦はしない。左右三枚ずつの羅漢銭を、両腕を外に振り抜いて四方八方に乱れ飛ばす。壁への反射で、男には対応しづらくなるはずだ。下手に応じようとすれば――硬貨幣にまぜて飛ばした、左のカフス釦から伸びる糸が相手を絡め取る。


 糸には糸を。なぜ男が鋼糸を操れるのかは、この際気にとめない。仮にも黒糸矛爪たる呉郡黒羽に手ほどきを受けた井澄だ、まさか糸の扱いで敗れるはずはない。


 そう、高を括っていた。


「笑止、ですな」


 五枚の羅漢銭はかわされた。そこまではいい。だがカフス釦から伸び、剣玉の柄に絡んだはずの糸を、男は白手套で覆われた左手で握りつかんでいた。


 いくら引いても、切れない。


「〝珍機織うずはたおり〟……大路晴代製作の、防刃手套。呉郡黒羽は、使っていなかったのですかね」


「師匠のっ、」


 男は右手で剣玉の柄を短く握り、柄頭で井澄の腹を突いた。こみあげる熱さと痛みにのけ反りながら吹き飛ぶが、糸をつかまれているためにそれ以上後退はできない。膝が屈しそうになりながら、伸びた糸に上体を引かれるかたちで踏みとどまる。


 あの手套。そういえば、似た意匠の手套を、呉郡黒羽も用いていた。彼女はその指先で糸をもてあそび、綾成して複雑に交叉させることで近間の敵をも斬殺する技を誇っていたのだ。


「なぜ……あなたが、それを。まさか、あの火事場から」


「あーあー、ちがいますよ。これは大路が俺にくれたものでございます。もっとも俺と黒羽クレアだけでなく、残りの呉郡グレゴリーすべてに渡していましたがね」


「グレ、ゴリー?」


「お、話を聞く気になってくれましたか。俺としても殺さず食い止めるだけというのは難事なものでございます故、どうかそのままお静かに、後ろの二人の戦いが終わるまで話を聞いていていただければ」


「……だれが聞きますか、そんなものっ」


 内心気になるのは確かであるが、八千を守るという最優先事項の前には塵にも等しい些事だ。


 井澄は右腕を鋭く一振りすると、袖口から白く細かい粉末を撒いた。右カフス釦の糸にこれをふりかけると、そのまま一閃する。左手から伸びているほうの糸が、剣玉に巻きついた先端二寸を残し断ち切れた。


「これならば、防刃など!」


 次いで右腕の糸をもう一閃する。横薙ぎの一撃を、男は一歩退いて回避した。真横の壁に一筋の裂け目が残る。男は鋭く口笛を吹き、剣玉を手繰り寄せながらにやりと笑った。


「ほう……研削剤」


 一目で言い当てられ、井澄は閉口する。そう、研削剤だ。井澄の奥の手である。


 通常の糸は切れ味のよい部分と悪い部分両方を持たせることで、障害物に巻きつけて空中移動に用いるなどの小技も使えるように研いでいる。しかしその切れ味の悪さで相手をできないような――たとえば防御の硬い、帷子かたびらなどを身につけている者を相手にする際の切り札が、これだ。


 斬撃特化。ひたすらに切れ味を上げる。


 砕いて粉末状にした石英や鋼玉を振りかけることで、一時的にだが糸の摩擦・切断力が格段に増す。もっともこれまでは必要とする状況がなく、また一回使い捨てにするだけでばかにならない費用がかかるため用いなかったのだが、ひとたび振るえばご覧の通り。強靭な粘りを持つ同質の糸でさえ、両断しうる。


「なるほど。所詮は弟子と甘く見ておりましたよ。自分なりの改造を加えているとは」


「さっさとどけ。でなければ、斬り捨てます」


 言葉尻は聞かせるつもりすらなく、三歩間合いを詰めながら右腕を振るう。さすがにこれは受けてはならないと判じたか、男は再び後退してかわす。同時に、体重移動に沿わせた剣玉を背後へ引き、溜めを作った。次の一打がくる。


 躊躇わず踏みだし、左腕も振るう。こちらは研削剤をかけていない。男は一瞬疑問に思った様子だが、その一瞬で十分だった。


 左腕の糸を頭上の窓の桟に巻きつけ、井澄は跳躍し壁面を駆けた。


「あ」


 斬り捨てるなどといって、真っ向から対峙すると見せかけての逃走。当然だ、井澄には別に戦う理由などない。


「三十六計逃げるにしかず。お達者で」


 二階の屋根上を走る。見れば、煉瓦街に面する通りで焔が立ち上がっている。その周囲を銀の盾をかざし跳び回る黒い影、こちらはレイン。時折銃声と銃火があがっており、遠雷のごとき音が尾を引くように井澄の臓腑へ響き渡る。


 手元の見えない速射。連射。焔操る八千と対峙するために彼女が選んだリヴォルヴァは、熟達した早撃ち(クイックドロゥ)の技術によって八千の異能に迫る武器と化している。どころか――ある種の火力では上かもしれない。


 放たれた弾丸によるものだろう。街路に植わっていた太いけやきの幹が、瞬時に粉と散ってうろを穿たれた。たった一発の銃弾によるものと思えない、徹底した破壊だった。遠目に見てさえ近寄るのもはばかられる、死闘。


「八千っ――っぐぁ!」


 このわずかなおののきが、下腿をぐらつかせたか。次の建物へ着地しようとした途端、足場が崩れ去った。二階の高さから投げだされ、とっさに井澄は隣の壁面に指をかける。煉瓦の隙間を爪先で見出し、石壁をも砕く指弾を放つよう強化された指の力でなんとか姿勢を戻す。


 見れば先ほどの位置から、男が剣玉を振りまわしていた。遠心力により威力を与えられた鉄球が、堅牢な煉瓦を砕いていた。


「とりあえず降りていただきたい」


 指先で糸の中ほどをつまみ、手首の返しを利かせることで回転させていた鉄球が放たれる。井澄が壁を蹴って離れると、男は糸を引いて軌道をねじまげた。空中でよりどころない井澄の腹部を正確に狙う。


 即座の指弾でまた弾く。ぶれた鉄球は重力にとらえられ、地面へ落ちる。同じように落ちる井澄は、右手に残した指弾で地面を這う糸を狙った。ずっ、と大地に楔を打ち込むように、わずかだが糸の動きを封じる。めりこんだ硬貨幣が糸を押さえつけた。


「おお?」


「余るほどの長さが仇となりましたね」


 着地してすぐ、右腕を手刀のように振り下ろす。相手の得物を無力化するべく、糸を断つつもりだった。硬貨幣によって一部を地面に縫いとめられた糸は、逃れる場なく切られるはず。


 ところが男が剣玉の柄を投擲してきたことで、動作が中断させられる。腕の停止はわずかな淀み、たるみを糸にもたらし、走り込んできた男はこれを手套越しにつかんだ。研削剤の効果はまだ持続されているはずが、男の手には血の一滴も滲まない。


 完全に糸を制御下においており、一切前後させないように握り絞っているのだ。次いで空いた左手で、井澄の顔面を殴りつける。


「糸の扱いで俺に勝るはずございませんよ」


 首が横を向いたあと、倒れて、井澄の見る景色が反転する。遅れてきた痛みがにぶらせる視覚の中で上下逆さになった男は、にやりと笑い足刀で腹部を蹴ってきた。じわりと広がる痛みが、喉元までせり上がった。


「今更ながら、はじめまして〝殺言権〟。俺の名は呉郡礼衛門――いやさ、レイモンド・グレゴリーと本名を名乗りましょうか」


「くれごお、り……グレゴ、リー?」


『ええ。言葉もこちらのほうが楽です。呉郡というのは最初に俺たち一族(、、)の名を聞いた者どもがそのように聞き間違えたのでね、以降字をあてて名乗りに使わせていただいた次第でございます』


 流暢な英吉利語クイインズで続けて、レイモンドと名乗った男は落ちた剣玉の柄を拾いくるりと手首を返し、井澄の手足に糸を巻いた。袖口も裾も切れ目が入る。下手に動けば筋を断たれるだろう。


『レイン氏からお前さんは殺さないよう仰せつかっているのでね。どうかそのままお待ちいただきたいものでございますよ』


『ふざけた、ことを……!』


 毒づくものの、身動きはとれない。両足はひとまとめに動きを止められ、右手も糸が絡む。唯一無事なのは左手だが、こちらにはレイモンドの突きつける剣玉の切っ先が向いており、下手に動けば手首を潰されるだろう。


 なんとか糸からの脱出を試みるが、レイモンドは繊細な指使いで糸を撫で、たったそれだけで緩急自在に縛りを操る。這いつくばって見上げるその運指は、まるで、かつての師を見るかのようで井澄には辛かった。そして視線に気づいたらしいレイモンドは、いやらしくもそれについて語りを進める。騙りなのかは、判然としない。


『無駄というものでございましょう。お前さんがクレアの弟子というのなら、奴の兄たる俺の糸に敵うはずはない』 


『兄、ですと』


『ですから先ほど申し上げましたよ。俺たち一族――と。このジグソウの扱いは、別段クレアが独自に磨きあげた技ではございません。我らグレゴリー一族に、代々受け継がれてきた技です。……得物の隠密性を極限まで高めた上で、だれが殺したかもわからぬように、切り口を自在に変化させる』


 指を滑らせ、つまんだ糸を震わせた。


『生まれるのは難解な(Jigsaw)事件現場(puzzle)。ゆえに人々はこう呼んだのです。〝正体不明(Jack)(the)切り裂き魔(Ripper)〟と』


 流暢に喋り、レイモンドは口角を吊り上げる。この国まできてもなお、過去の行いに対しては誇るところがあるらしい。切り裂きジャック、なるほど井澄も聞き覚えくらいはある。もっともこれが彼の冗句でなければの話だが。


 しかし井澄はもうひとりの呉郡を知っている以上、冗句だと笑い飛ばせない。彼もまた、いま目の前にいるレイモンドと同じように、師のそれと似た糸を操り人を斬殺せしめる技術を誇っていた。そう、詩神・呉郡黒衛のことだ。


『……クレアが黒羽と聞き間違えられた、わけですか。では黒衛はクロウ、といったところでしょうかね』


『クロウ?』


『いえ、こちらの話ですよ』


 知り得ることを秘匿することで、なんらかの優位に繋げられるかもしれない。わずかでも隙を見出すために、井澄は己の頭に思考を走らせ続ける。


 現状を頭に叩き込み、次の一手を模索する。これまでにも幾度か使用した『発言を殺す』ことによる意識の隙を生む技は、ここまでの彼との会話の流れからしてさほど大きな効果をもたらすかはわからない。となれば会話を続けて、相手の重要な言葉を引きだすことが肝要か。遠いふたりの闘争の音を鼓膜の奥にとらえ、井澄は一言一句聞き漏らさぬように耳をそばだてながら話しかける。


『お前たちはなぜ、八千を狙うのです』


『決まっているでしょう? 危険だからでございますよ。危うい芽は早めに摘むに限ります。あれほどの異能は滅多にありません、人が関われる範囲に存在するべきではない』


『周囲にそれを決めつけられて、八千は討たれようとしているのですか』


『危険な価値を認められたと、そういうことでございましょう。あれは人外、理を越えた異能の保持者でございます。在るだけで脅威、明暦の大火をまたぞろ引き起こすわけには参らぬ故、だそうですよ』


『明暦の大火?』


『ご存知ないようでございますな。無理もない、中途で統合協会を脱したお前さんには深度伍級を越える情報は開示されていないのです。国政に関わることゆえに』


『国……』


 滑らかな発音の英吉利語クイインズで言われて、思考をめぐらすうちに思い当たる。いや、届いていなかったのが不思議なほど当たり前の考えだった。四つ葉という閉鎖された島にいたから、外のことを考えつかなかったのだ。


 脅威。レイモンドのいうように八千の力は強大だ。だから井澄は島の輪郭を作る湊波ら権四権候に八千の異能が露見すれば、戦乱のために利用されると考えたのだが……この利用しようという目論見は、国という機構の輪郭を作る権力者たちの集い・政府や統合協会にとっても同様に思いつくものではないのか。


 そしてそれとは真逆に、危険な力だからと、利用するより自分たちに火の粉がかかることを恐れて、この世から消し去ろうとする一派もあるのではないか。


『俺も詳しくは存じ上げませんがね。あくまで呉郡は暗殺の手の者としてつき従うのみですので、この国の中枢には関われません』


『お前は……いや、師匠も含めるなら、お前たちですか。だれに雇われて動いているんです』


『そこまでお話する義理はございませんな。あまり話しすぎて、お前さんの殺言で動揺させられても困りものですし』


 意図は正確に読まれている。こうなっては成す術もない。


 だが情報はいくらか得られた。否定しなかったところを見るに、師たる呉郡黒羽とこのレイモンドという男は同じ派閥、あるいは個人によって雇われている。


 そして政府か統合協会に八千は狙われている――おそらくは後者だろう。レインを引き連れていること、以前船舶で襲いきた名執という言語魔術師の存在も、その可能性を高いと判断させる材料だ。


 となると、このレイモンドも黒羽もレインも、統合協会のだれかから指示を受けていることになる。黒羽が統合協会の要人を暗殺していたことを思い出すと少々ややこしいが、そこは派閥として対立する邪魔な人間を消していたのだろう。統合協会も多くの組織がそうであるように、一枚岩ではないのだ。


 この思考から先ほどの考えを補強する。この世から消し去ろうとする一派がありそれが八千を狙うのだと井澄は推測したが、では対する派閥は積極的な利用をはかろうとしているのではないか。戦闘以外で用立てできるのかは甚だ疑問であるが……。


『統合協会も四つ葉同様、内部分裂が激しいというわけですか』


『いつの世もどの国も、政争というのは絶えることなくまた見るに堪えないものでございます』


『なるほど』


 注意を引きつけるだけ惹きつけておいて、これ以上の情報開示はしないらしい。殺言のたねがこれ以上見つかりそうもないので、井澄は溜め息をついた。


 ……本当はもう少し脇を固めて使いたかった言葉だが、やむをえまい。


『それにしても』


『はい?』


 頓狂な顔をして井澄を見る彼に、とっておいた推論を、投げつける。


『――女王陛下ハー・マジェスティの飛び道具が、極東で暗殺者とは堕ちたものです』


 完全な優位を誇ると思っていたのだろうレイモンドの表情に亀裂が入る。


 この動揺を見逃さず、井澄は舌を出して己の発言を殺した。途端にレイモンドは己の動揺の出所がわからなくなり、心に隙が生まれる。躊躇わず、井澄は素早い動きで右手と両足を糸の拘束から引き抜いた。勢いづいて横に転がり、ながら、左手の指弾でレイモンドの喉を狙う。


『ぐっ!』


 振り上げた剣玉の柄で真上に撃ち払う。二人の間には二間ほどの、絶妙にやりづらい距離が生まれていた。


『……馬鹿な、お前は、俺に何を言った』


『口調が乱れるほどの驚きでしたか。女王陛下の飛び道具(、、、、、、、、、)


 憶測を元に鍛造した言葉で相手を刺し貫く。井澄の十八番だ。自分の出自が露見したと思ったか、レイモンドはいままでにない表情を見せて狼狽していた。


『それは……その事実は、俺たち呉郡と村上英治あいつしか知らないはず……たとえ弟子とはいえ、クレアが話すはずもない。俺たちが唯一本国から携えてきた矜持だ』


『そうだったのですか。すみませんね、憶測でものを述べてしまって』


 はったり、虚言の類だったと知り、レイモンドはつかのま、口の中に息を溜めこむだけの存在と化した。次いで、井澄がどうしてその結論に至ったか、謎に思っている様がうかがえた。だがもちろん井澄に説明するつもりはない。


 ごく単純な、情報の積み重ねの先に見えた推論を口にしただけなのだ。


 まず流暢なクイインズ。英吉利語は地域の方言による発音差が激しい。だというのにレイモンドは聞きとり易く濁った音の少ない、上流階級の言葉(クイインズ)を使用した。ということは彼自身もそうした階級に属していた人間と判じられた。


 次に彼は己らが切り裂きジャックという連続殺人鬼であることを誇らしげに語った。殺人を崇高な行為に見立てている気のふれた人間かとも思ったが、そのように自己顕示欲の強い人間ならば得物をわざわざ『だれが殺したか不明に仕立てあげる』糸になどしないだろう。


 つまり、彼は本国でもなにかしらの要請を受けて動く暗殺者だったと推察される。しかしここでまたも疑問が浮上する。彼の国は礼節を重んじ命より名誉をとる人種、正面から堂々と事に挑む貴族という人種の住まう国だ。そこにおいて薄汚く後ろ暗い〝暗殺〟をさも崇高な使命であったかのように語る理由。


 たぶん、殺した人間たちがなんらかの形で社会に悪影響を与える存在だったか、やはり彼の気がふれているか、もしくはだれか社会を形作る権力者に命じられた(、、、、、)か、それらの混合か。そんなところだろう。


 あとは彼の発言の端々に感じられた『国』『政』に対する真摯な態度をあてはめれば、おぼろげながら像は浮かび上がる。なにか己より大きなものへ忠義を尽くすべく、進んで泥をかぶる暗殺者。あとはこれを指し示すよう、彼の国で普遍的に浸透している権威者の概念を文頭につけて、彼の現状をそしればいい。


 ――かくして、憶測と論理飛躍の積み重ねは、偶然の一致をみてレイモンドに動揺を生んだ。


 といっても脱出の代償は大きい。いくら気が緩んだ隙をついても、糸の緩みは微々たるものだ。無理やりに抜け出たことにより、井澄の両足は外皮を大きく削ぎ取られ、道を過ぎゆく寒風に撫でられるだけで激痛を催す。


 右手は研削剤による強化糸により糸を切断して逃れたため無傷だが(そうしなければ手首の刺青を守れず戦力が大幅に低下すると案じての行動である)、機動力の低下は目を覆うばかりだ。


 だくだくと、皮膚からこぼれでた血液が地面に染みていく。


「さあ仕切り直しましょうか、我が師の兄」


 場の拍子ペエスを握るのが己だと告げるべく、英吉利語を捨てて井澄は言う。レイモンドは歯噛みして、切れた糸を拾い上げた。右手に糸つき鉄球、左手に糸を垂らす柄を携え、二刀のように構える。


「ジグソウと思って接したのが仇となったようでございますな。この島という環境が、お前さんの意図()を研ぎ澄ましていたようだ」


「褒め言葉として受け取っておきましょう」


「実際、褒めたのでございますよ。クレアもずいぶんな置き土産をしてくれたものです。妹の弟子に本気で糸を向けるのは、俺としても心苦しいですが」


 レイモンドは回転させていた鉄球を振り上げると、柄を投げ捨てた。次いでコウトの裾から手を差し入れ、背負っていたと見える長柄の剣玉を取りだした。替えは用意してあったか、と冷や汗が背を伝う感覚に吐き気を覚えた。


「血は水よりも濃し。忠義は命より尊し。いまの主がため、ここで止まってもらいましょう」


「……それでも止まるのは、そちらだ」


 糸を風になびかせながら、左手に羅漢銭右手に指弾を構える。勝算は低い。足をやられている以上、先ほどのような逃走も難しいだろう。レイモンドは身を沈みこませ、いままさに井澄に跳びかかろうとしていた。


 だが唐突に降ってきた軍刀を見て、動きを止める。


「――〝剱境負戒ケンキョウフカイ〟――」


 つぶやきも天から降り、次いでレイモンドが後方へ吹き飛んだ。眼前の地面に突き刺さった軍刀に威圧を覚えたようにも見えたし、なにか一陣の風に身をさらわれたようにも見えた。


 そしてつぶやきの主が現れる。


 レイモンドに背を向け、井澄に正面を向ける形で。


 カーキ色の被外套マントの前を開き、詰め襟をまとう男。両の腰にはそれぞれ、ベルトによって吊るされた軍刀があり、うち左の一振りが先ほど投擲されたものなのか鞘のみとなっていた。


 制帽を手套をはめた手で押さえつつ、頬に蚯蚓腫れのような傷痕を残す面をあげ、男は蜥蜴を思わせる鋭い目で井澄を見下ろした。


「久方ぶりでありますな、殺人者」


 冥探偵・式守一総の生き残りが、なぜかそこにいた。



窮地に増援という名の敵。

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