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明治蒸気幻想パンク・ノスタルヂア  作者: 留龍隆
六幕 鏖殺奸計
67/97

67:正当化という名の言い訳。

 五層三区の一角にある、煉瓦造りの建築並ぶ倉庫街。礼衛門がアンテイク周辺を調べる際に見つけてきてくれたこの場の、奥まった位置にある路地。レインは腕組みして背を壁にあずけていた。


 懐から出した懐中時計は、待ち合わせに指定した十六時に差しかかろうとしている。


「やむを得まい」


 昨日の第六坑道爆発落盤事故の一報を聞いたあとのレインは、ずっと頭を抱えていた。記事によれば、轟音と共に潰れた坑道の中からは、緑風アンテイクの店主・湊波戸浪に背負われて代理店主・橘八千草も運びだされたとなっている。休掘だったはずの坑道に入りこみ、あまつえ落盤まで起こしてしまったということでアンテイクにはかなりの賠償請求がなされるだろうが、湊波は涼しい声音だったという。


 ……それはともかくとして、落盤事故が起きた第六坑道といえば橘八千草を狙うべく睦巳が調べをすすめに訪れていた場だ。そして一日が経過しても、彼が連絡のひとつすら寄こさないという現状。


「睦巳氏は死んだ、とみて動いた方がよさそうですな」


 ひび割れを刻んだような白い肌に覆われる顔をしかめ、総髪に結った赤毛を一撫でして礼衛門は言う。とくに感慨はない様子だったが、溜め息をついているあたり睦巳の実力を認めてはいたのだろう。


「して、最終確認ですが……いかがいたします。俺とレイン氏だけで、迎え討てますかね」


「やれるかどうかは知らん。だがわたしはやむを得まい、と言ったのだ。もうやるしかないだろう。そろそろ刻限だ」


「委細承知」


 一言を受けると覚悟を固めた様子で、礼衛門は装飾の多い白の手套を両手にはめた。毛皮のコウトは目立つためかどこかに置いてきており、片手には、棒状の奇怪な得物を携えている。


「睦巳氏を殺ったのが湊波戸浪であるとしても、橘八千草であるとしても。この任務の遂行はずいぶんな難事と成り果てたものでございますな」


「〝危神〟三船小雪路と〝殺陣鬼〟三船靖周が離脱しているだけ儲けものだろう。〝黒闇天〟山井翔がくるかは知らんが、」


「〝爪弾き〟そして〝殺言権〟でもある、亘理井澄は確実にくる、と」


「……おそらくな」


 歯切れの悪くなったレインを見て、礼衛門は片手に持っていた得物を振るう。がつん、と音がして、鉄球が転がった。


「いずれにせよ、日輪の相手はレイン氏にお任せいたします。俺は、おまけでついてきた連中を、あなたの邪魔立てしないようこいつで片づけてまいりますので」


「頼む」


「なに、ご心配なさらずとも……井澄はしょせん〝黒糸矛爪ジグソウ〟といっても黒羽クレアの弟子でございましょう。本家の〝切り裂きジャック(ジグソウ)〟であるこの俺が、」


 言って、得物を振るう。途端に転がり落ちた鉄球がうごめき、跳ねた。


 鋼の糸によって棒と繋がった鉄球は、二間(約三.六メートル)ほどの間合いを疾空、煉瓦の壁に亀裂を刻むと跳ね戻る。返す刀のごとく振り返した動きで、礼衛門は迫る球を棒の先端にある()で殴った。鉄球は弾丸のごとく壁にめがけて一直線の軌道を描き、また亀裂を抉る。


 そう、皿が二つ、ついている。


 礼衛門の得物は柄を三尺ほどに伸ばした、黒塗りの長大な剣玉だった。全体を鉄でこしらえており、糸は呉郡らしく鋼糸。扱いにおいては棒術と鎖鎌術とを組み合わせるような動きを見せる、奇怪な戦闘術だった。


「遅れをとるなど、万に一つもございませんて」


「……だといいが。にしてもお前、そのような得物の使い手だったか?」


「北の地に行った際に、寒村に住む暗狩クラガリとかいう透波すっぱの一族と交流しましてね。糸や暗器の扱いをご教授願って、得物も少々変えてみたのでございますよ」


 打撃と斬撃の合わせ技。なるほど挑むには難儀しそうなものだ。かつ、彼にはあの手套(、、、、)がある。


「任せるぞ」


「御意」


 礼衛門は黒のウエストコウトを翻し、次の瞬間には路地から消える。


 レインは壁から背を離し、両腋の下にホルスタアで吊るした短銃を感じた。黒い三つ揃えの前を開き、腰のナイフ、ポケットの平フラスコなどの位置を調整する。最後に、金色になびく髪を払って、じいと通りを見やる。人気のない道は、寒々とした風だけが通っている。


 顔に、緑風の工芸品店で買ってきた簡素な仮面をつけると、まぶたを閉じて感覚を研ぎ澄ました。あとは騙し討ちの時間までを過ごすのみ。じぃと待つ間、これからの行いの是非について懊悩しそうになる自分を抑えつけて、己の中で砂時計が落ちてゆくのを眺めた。


 ……しばらくして、井澄が現れた。人気の少ない裏路地であるためか、やや動きに慎重さが宿っていた。レインを見ると、少しぎょっとして、体をすくませた。


「――やあ、来ましたよ。って、なんですその格好は」


「少しばかり仕事の上で事情があってな」


「ああ、顔をさらしてはならないのですか」


 井澄に続いて現れた橘八千草を見ながら、レインはうなずいた。その他には、どうやら見える範囲に他の人間はいないようだ。


 ここまでは、予定通り。あとはしばらく時間を稼ぐ。


「して、鑑定が必要だったという品はどれだ」


「早速ですね。互いに紹介くらいさせてくださいよ。レイン、こちらが私の上司である橘八千草です。八千、彼女が統合協会の、レイン・エンフィールド」


 紹介されて、橘八千草は少し頭を下げた。だがその目にわずかな揺らぎが見えたのをレインは見逃さない。敵意に似た感情ではあったが、見下した優越感の色もある。それはおそらく井澄と長く共に過ごした自分への、女としての嫉妬だと思われた。


 怪しまれぬよう頭を下げ返しながら、かわいいものだとレインは心中で口にした。到底、この国をも薙ぎ払うかもしれぬ異能を有す、人外だとは思えない。


 思えなくとも、やるしかない。


「そうか、上司か。井澄が世話になっている」


「いえ、こちらこそ……」


 会話を続けて、時間を稼ぐ。


 レインが仮面をかぶったのは、自分の正体を橘八千草に悟られないためと、彼女に悟られないことで生まれる時間で伏兵がいないか礼衛門に調べさせるためだ。気配を絶って動き回る彼は、いまごろ周囲に山井翔やその他戦闘者の姿がないかを調べ回っている。この結果如何によって、今後の動きは変わる。


 あまりに伏兵が多ければ場所を変える。伏兵がわずかなら、礼衛門が倒しにかかる。そして、伏兵が他にいないようならば――。


 他愛のない雑談を続けるうちに、井澄らの背後四、五間のあたりを、葉巻をくわえながら礼衛門が通りかかる。べつだん気配を絶ってはおらず、一般人が通りかかったかのように。目の端でこれをとらえたレインは、正面の井澄に警戒されないよう彼の葉巻の様子を見る。火は、ついていない。点けようとしているだけ。伏兵がいないという符牒だった。


「とまあ、この島でもいろいろありましたが、いまは上手くやっています」


「そうか」


 状況把握が済むと、語っていた井澄に生返事をしながら、呼吸を整えた。井澄はわずかな挙動の変化には気づかない様子で、昔馴染みのレインをすっかり信用している様子だった。


「統合協会所属のあなたからすると、私もこの島の人間もあまり褒められたものではないのでしょうが。ここもここで、人の営みというものはあるようです。目こぼし願うわけじゃないですが、ちょっとだけ理解をいただけるとありがたいです」


「……理解か」


「はい。っと、なんだか険しい顔をしていますね。仕事で、なにかあったのですか?」


 仕事のために、動いている。仕事のために、縛られている。


 そしてなにより井澄への思いが、レインを前に進ませてきた。妄執と呼ぶべきかもしれない、一方的な庇護欲求。自覚はあっても、とうとうここまで治すことはできなかった。


「ああ。刃を人に向ける仕事は、疲れるよ」


 ぼそりと、包み隠さぬ言葉としてレインは言う。井澄はわずかに、顔をひきつらせてから、背後の橘八千草に視線をやろうとした。構わず続ける。


「梟首機関で戦闘を生業と選んだ以上はどうしようもないがな。わたしも、村上も――あの鬼への襲撃のときから今日まで、他者へ刃を向け続けている。職責と己の妥協のもとに」


「……それは、また」


「お前はどうだ」


 意地の悪い質問だとわかっていながら、レインは口を止められなかった。視界の向こうに通り過ぎた礼衛門は、なにをやっているのかと己を叱咤するだろう。


 状況は放っておけばいつ変化するかもわからない。今という一瞬を切り取る戦闘において、機を逃そうとしているレインは愚かだと言えた。それでも止められなかった。


「あのころ、お前はどのような道に進むか定めることかなわず、我らが謀ったことで定めるべき場からも逃れることとなったが――いまはどうなのだ。自ら選んだ場であろうが、職責と自身の折り合いはついているか?」


「折り合い」


「そうだ。他者に刃を向けることを、法の外で正当化するための手段だ。精神を擦り減らしてなお続ける理由。お前にはあるのか」


「……この話は、いまでなくてはだめですか」


「だめだ。もう他に機はない」


 言えば井澄は、息を呑んだ。そこには躊躇いや恐れよりも、遠慮のようなものが見える気がした。


 だが彼は答えを口にする。


「私はそもそも、職責だと思って殺していませんから」


「なに」


「私が、殺しているんです。仕事が殺しているのではなく」


「……そう、か」


 闇を宿してはいるものの。その目の奥に、微かに光るあの頃の面影を見た気がして、レインの手は止まりかけた。自分ほど行き着いてはいないのではないかと、思えたのだ。少しずつ人間性というものを擦り減らし、いつしか感慨なく手を血で染めるところまで。


 けれど本質的には、井澄も暗いところまで降りている。自ら進んで、下ってしまっている。


 発端となったのはやはり、自分たちなのだろう。彼を追い払い孤独に落とし、ようやく得た居場所をさらに潰し。彼の目に闇を、心に淀みをもたらしたのは、間違いなくレインたちだ。ぎゅっと拳を握りしめ、これからの一合について思いを馳せる。


 いまからの自分の行いは、かつて崩したはずの、しかし保たれていた二人の関係を、今度こそ徹底的に破壊するものである。そのことへの恐怖がわずかに躊躇わせる。


井澄せいと


「はい」


「然り。お前の言うとおりだ。正当化し、職責で動くのは、動かされるのは、容易い。だからこそ人はそこに依拠しないものを求めるのかもしれない」


「……、」


 しかし井澄の背に隠れる橘八千草を見た瞬間に、今度こそ迷いは振り切った。かつての日々を想起する。最初は職務として、あとからは身内として。家族なく、拠り所のなかった三人が寄りそいあえた日々。


「お前は、わたしの生において唯一の、職責ではなくなったなにかだよ」


 そして矢田野山へ出向いた日の決意を、もう一度胸に呼び起こす。


 たとえどう思われようと、井澄を、守るのだ。


 仮面を脱ぎ棄て、碧い双眸で睨みつける。途端に日輪・橘八千草の顔が、レインの顔を認めるはじから恐怖に彩られるのを見取って――レインは、ポケットから抜いたフラスコを空中に投げた。橘八千草の視線はそちらへ向く。


三度目の正直(、、、、、、)――」


 見計らって、左腋から抜いたウエブリ・リヴォルヴァでフラスコを撃ち抜く。フラスコに気を取られてくれたのはいいが、正面に井澄が重なっていたためそのまま撃ち抜くわけにはいかなかったのだ。


 途端にフラスコが爆発四散し、真昼の太陽のごとくまばゆい光をあたりに投げかける。これを直視してしまった橘八千草はあっ、と悲鳴をあげてうずくまった。中に仕込んであったマグネシウムとアルミニウムの粉末による閃光は一時的に視力を奪う。


「――今度こそ(、、、、)、だ!!」


 視界内を自在に焼き尽くす能力を持つ橘八千草への対抗策である。これでしばらくは、彼女の発火能力を封じられる。


「……レインッ、なにを!」


 呆気にとられていたため上を直視していなかったのか、顔をゆがめながら井澄は叫んでいた。視力を奪われていない彼に、レインは掲げていた銃口を向けることで応じた。


「動くな」


 そのまま銃口で、橘八千草のほうを指す。これを見てさえ、井澄の顔に浮かぶのは憎悪や敵意より、困惑の色が強かった。あの光景を覚えているのなら、忘れられないのなら、そのような反応ではおかしいはずなのに。


 己の推測が現実として実を結んでしまったことに、レインは深い悲しみを覚えた。屈みこんだ橘八千草をかばい、井澄はレインの前に立ちはだかる。


「……井澄せいと。お前、なぜその女をかばう」


「このひとが、大切だからだ! やめてくださいレイン、こんな冗談、」


「冗談はこちらの科白だ。お前、精神が擦り切れそうな自分と折り合いをつけるために、その女を遣っているだけだろう」


 己の所業が知られていないのをいいことに、レインは言った。その折り合いが言い訳であったとしても、原因であるレインには何を口にする資格もないのに、開き直って言い切った。


 術式を起動させ、一歩で三間の間合いを詰める。レインの術に気づいた井澄ははっとしたが、そのときにはもう懐に踏み込んでおり、片手で井澄の胸元をつかんで引き寄せる。


「お前――その女が虐げられたことを、世界に復讐する理由にしているんだろう」


「な、」


 だれをも殺す目。闇を湛えた目。


 職責でなく殺す。復讐のために殺す。彼は、下手人もわからぬまま思い人を失ったことで、橘八千草を虐げてきた世界すべてを憎んだのだ。レインにはわかる。自分を機構に組み込んで手を汚させる社会というものを、彼女も同じように憎んでいる。


「もう、その女との記憶も(、、、、、、、、)擦り切れているくせに(、、、、、、、、、、)


 きっと自分はなにもかもが憎々しいのだ。同じように、井澄も。


 ならばせめて、愛した証として、彼の憎悪を引きうけよう。


 引き受けてでも、彼を守ろう。たとえ彼が納得していても、自ら望んでいても、レインは橘八千草と共に井澄が奈落に落ちるのを見たくない。自分本位の勝手エゴイスムと知りつつ、開き直ってレインは動く。


 ――井澄は、固まっている。言い当てられた事実に気をとられ、反応が停止していた。


 この力みと硬直の間を狙って、腋を締め背を向け腰にのせる。重心を落とし、上半身のばねを利して、レインは片腕で井澄を投げた。路地の奥深くへ、低く飛ぶ井澄は数間もの距離を浮き続け、やがて転がり落ちた。


「がはぁッ、」


井澄せいとっ!」


 目を覆いながら、橘八千草が叫ぶ。と、指の隙間から黒々とした瞳がのぞき、レインに怖気を抱かせる。


 瞬間、頭上から焔の鞭が降ってきた。


 先ほどのフラスコによる閃光弾の残り火を、とっさに自分の制御下に置いていたのだろう。まだおぼつかない足取りながら立ち上がると、橘八千草は焔を膨張させる。狭い路地はそれだけで色を紅蓮に染め上げられ、次のまばたきの間に焔の壁は迫り来た。


「〝Ein silberner Schild〟――!」


 詠唱と共に腰のナイフを前方へ投擲する。ゲオルク・ファウスト式錬金術による一時変成で、銀のナイフは薄く面積を広げ盾と化した。これに掌をついて焔の壁を押し貫き、レインは向こう側まで抜けた。そして強力な爆風をものともしない脚力で、一気に橘八千草の眼前に躍り出る。


「きたな人外……日輪の担い手め」


 人に呪われ人を呪う存在め。


 最大限の怨嗟と共に、レインはうめく。


「わたしの、わたしたちの支柱は、あいつなんだ。だから……利己的に、お前を殺す!」


 職責は行いの方向性と一致を見せたにすぎない。


 決意を叫んで、レインは駆ける。


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