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明治蒸気幻想パンク・ノスタルヂア  作者: 留龍隆
五幕 虐殺遊戯

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60/97

60:銀という名の悩みの種。

「二人とも一旦落ち着いたわ」


 治療室から出てきた山井はひとつ大きく息を吐いて、首を鳴らした。西洋風の白衣を脱ぎ棄てると待合室にいた井澄たちの横へ腰かけ、髪をほどいてかきむしったあと、乱雑な動きで懐から紙巻煙草を取り出す。


「治る見込みはあるのかい」


「死にゃしないわよ。強心作用のあるジギタリから抽出した薬を投与して、体の各所を督脈に沿ってツボ押して、いまは鍼刺して内臓機能の回復待ち」


 さりげなく西洋薬学と東洋医学を併用した治療内容を述べて、山井は煙草に火をともした。


 生まれは本土の医者の家、育ちは四つ葉という経歴の山井は、黄土の遊廓で働きつつこの島特有の『異人が多い』という性質を利して、様々な医学を片っぱしから学んだのだという。


「世が世なら蘭学医が白い目で見られてた頃もあるってのに、いい環境だわ」と笑いとばして。ひたすらに学び続け、いつしか遊廓で女として働くよりも医術で人を助けるほうに回りたいと考えるようになり、黄土の月見里に緑風への移籍を願い出たらしい。


 普通ならば葉閥の移動など裏切りに近く、言語道断な行いなのだが、山井は覚悟を見せたことで月見里を説得できたのだという。どのような方法だったかは知らないが……まあ、話ぶりと表情から察するに彼女の左目がつぶれていることと無関係ではないのだろう。


 とにもかくにも、医者としての山井はすこぶる信頼のおける存在なのだ。


 黄土で働いていた理由を「房中術を学ぶためだった」などと言う不埒者ではあるけれど。


「小雪路は腹に、まともに蹴りを受けたようでしたが」


「いんや、衝撃の瞬間に脱力して、勁を受け流したみたいね。見た目派手に内出血しちゃってるけど、あの子内功がしっかりしてるからすぐ動けるようになるわ。今晩中は花を摘みにいくのも無理だろうけど」


 紫煙をくゆらせてたはぁと息を吐き、狭い待合室に煙がこもる。


「問題は靖周だわ」


「……やはり、頭部への被撃はまずいのですね」


「外傷からして靴底かすらせるくらいだったんだろうけど、脳みそがひどく揺らされてたみたいね。あと首に負荷がかかってて、もうちょっとで折れてるとこだったわ」


「戦線復帰は絶望的、というわけであるね」


「あいつは小雪路とちがって内功に秀でてるわけじゃないからね。とりあえずへそに人頭杖ぶッ刺して厄はとっといたけど、まともに動けるようになるまで七日、しっかり戦えるようになるまでひと月ってとこかしら」


「それは……なんとも」


「アンテイクがここまで痛手を受けるのは久々ね」


 井澄の心配を先回りして口にすると、山井は仕方なさそうに煙草を喫んだ。あいた間がふさがらなかった。煙が空気を掻き乱し、次の言葉を待つ。


「これまでのアタシたちの立ち回りがよかったから――って言えればいいんだけど、そういうわけでもないか。結局のところ、アタシたちって隙間産業だからでしょうね」


「狙われるほどでもなく、かといって敵対する者がいないわけでもない……」


 謳うようにぼやいて、八千草は治療室の方を見た。扉一枚隔てた先では、三船兄妹が眠っている。


「しかしここ最近の小雪路は、どこかおかしかったのだよ」


「そうなの? アタシ最近こっちの仕事が忙しかったから、出くわしてないんだけど」


「ええ、八千草の言う通りどこかぎくしゃくしていました。落ち込んでいるというか、覇気の無い印象で」


「それでいつもの力を発揮できず、怪神に敗れたっての」


「そういうわけでもありませんね。怪神・桜桃との戦闘で集中力を欠いていたとは、思えません。ただ、肩に力が入りすぎているというか、気負い過ぎているというか。無茶な突撃を繰り返していて」


「なにより、あまり戦いを愉しんでいなかったよ」


 井澄の感じていた疑問に、八千草が言葉を与えてくれた。


 そう、あのときの小雪路はたしかに戦いに臨む気勢はいつも通りであったが、動機付けが足りないというか。戦闘を愉しむ、いつものあの余裕が感じられなかったのだ。これを聞いた山井は視線をあげて治療室の方を見やると、頭の中に小雪路の容体を想起している様子だった。


「ふうん……でも、体に特別な異常は見当たらなかったわ。となると、精神的な問題、か」


 ロウテエブルに載っていた灰皿を引き寄せると、火を揉み消して山井は立ち上がる。残り香として漂う白いもやを、部屋の片隅に置いてあった人頭杖がすすった。


「精神的、ですか。普段の気迫とは程遠いと見えましたが、それでも鬼気迫るものがありましたけどね」


「そうなの?」


「ああ、まあね」


 山井が八千草に確認をとると、彼女はこくりとうなずいた。井澄がこれに継ぐ。


「いつもよりなお、なんというか、己をかえりみない様子で」


「ふうん」


「先が見えていないというか――」


「ねえ井澄。死ぬ気で戦う奴とそうでない奴、どっちが強いと思う?」


 何の気なしにつぶやいた井澄をいさめるように、山井が問いを返してきた。しかしこれは井澄の中で答えの決まりきった問いであったため、即座に言葉を繋いだ。


「強いほうが勝つでしょうね。気持ちの問題など関係なく」


「じゃあ実力が拮抗していたら」


「……それは死ぬ気のほうが勝つでしょう」


「そうね。でも死ぬ気でやる奴は、死ぬのよ」


 こつこつと、人頭杖をとって床を叩いた。


「アタシのこれまでの経験上ね。死ぬ気で戦いに臨む奴は、たとえそれを切り抜けてもそのあとすぐ死ぬ。消極的積極性は可能性を狭める行為に過ぎない。逃げることも守ることもできるはずなのに、生死の二者択一にすべてを絞り込むだけ。そしてそういう生き方を一度やってしまうと、大抵の奴は戻ってこれない。五分の賭けを死ぬまで続けることになるの」


「生死の境に陶酔するのは危ない、とでも言いたいんですか」


「ちがうわ。追い詰められて狭まった視野はそう簡単に戻らないってこと。戦いを賭博と考えればわかりやすいでしょ? 賭場であと一枚残った財産を抱えてる奴。まだ逃げることも守ることも選択肢にあるのに、丁半どっちに賭けるかしか考えてないようだったら『ああこいつ馬鹿だな』って思うわよね」


 それと同じよ、と彼女は締める。


「岡目八目。本人がドン詰まりで投了だと思ってても、傍から見てれば二手三手先に活路がある。それを斬り捨てて『いかに今を切り抜けるか』しか考えないのが死ぬ気っていう名の阿呆。今しか見えてなきゃ当然、二手先では詰むわ……普段のあの子が強いのはね、自分を客観視する能力が高いからよ」


 痛みを切り離して。


 快楽だけを取り出して。相手を通して見た己に没入して、小雪路は戦う。


「それができてないから、自分が見えてないから、負けたんじゃないかしら」


「なにが、原因なんですか」


「知らないわよ。あんたらの方が接してる時間長いんだから、なんとかして頂戴」


 長々と話して結局最後はばさりと斬り捨てる。役に立つのか立たないのか……と半ばあきれ顔になりながらも、井澄は山井の言うことがわからないではない。


 小雪路はなにかに囚われているのだろう。


「いつからでしょうね、あのように落ち込みだしたのは」


 答えは得られまいと判じながら言うと、思いがけず八千草が神妙な顔をした。


「ううん……ぼくの覚えている限りでは、たしか六区の湯屋で、」


 けれど言いかけたところで、診療所の出入り口に重く強く扉をたたく音がした。びくりとしながらも即座に臨戦態勢に入り、井澄と八千草は顔を見合わせた。山井も面倒くさそうに、肩甲骨まで流れるクセのある髪を掻いて、人頭杖を深くかいこんで構える。


「……またどこぞのごろつきじゃないでしょうね」


また(、、)? ……ああそうだった! 山井さん、ぼくらがいない間に青水の連中は、」


「あーそういや治療に集中してて訊き忘れてたわ。さっきアンテイクに青水っぽいごろつきが押し寄せてきたからボコっといたんだけど、あれなに? あんたらなんか怒らせるようなことでもしたの?」


 きょとんとした顔で問われて、井澄と八千草は頭を抱えた。


「ああ、やっぱり来てたのかい……いやぼくらは特に怒らせるようなことはしていないのだけれど、色々と行き違いがあってだね――」


「そんでそいつら相手してる間に、なんか店のものが色々盗まれちゃったのよねー。ごめん」


「な、なに盗まれたんですか!」


 横の八千草が一瞬身を強張らせるような剣幕で迫ると、山井も顔をひきつらせてあせあせと眼球を上向けた。


「え、ちょ、なによ。そんなに高価なものないでしょ、なに焦ってんのよ。えっと、たしか盗まれたのはね、帳簿にして書きだしたんだけど……懐中時計にー、歯車式計算機にー、ナイフにー、幻灯機にー」「それだ!」


 八千草と二人して叫ぶと、「どれ?」とつぶやきながら山井は頭を掻いた。


 そこでごろつきどもが、大挙して押し寄せてきた。迫る足音を聞いて、井澄はまずいと感じた。山井の顔色が変じている。


 狭い入口を抜けて、黒山のごとき人だかりが待合室の前にまでなだれこむ。これを見た山井は、くるりと身を翻すとだれより早く廊下を駆けた。男の一人が、山井を目にして叫んだ。


「おいてめえっ、黒闇天!! うちのもんに手ぇあげるたぁ、」


「――悪厄集えば災を成す・禍福糾える縄の如し・裏面りめん済世さいせい厄廻払い(やっかいばらい)〟!」


 詠唱しながら、最前列を成した男どもの前に躍り出ると人頭杖で鋭く低く薙いだ。ちょうど上げた足を払われる形で、男たちが空転する。もんどりうって倒れ込んだ彼らが邪魔になり、男たちの前進は止まった。


「て、めぇッ!」


「黙れ、ここは病院よ。廊下は走るなうるさくするな」


 仁王立ちになる山井は、詠唱によって顕現させた黒闇天の異能により全身から黒い煙を滲ませていた。ぱらぱらと、左顔面から漆喰が剥がれるように肉の質感を露わにして、球の無い眼窩を開く。思わず誰もが黙る容貌は鬼女と呼ぶに相応しく、彼らの進行を一時止めた。


 それでも一度動けば彼らは鉄砲玉。逸れることはあっても、戻ることは絶対にない。覚悟を固めたか飛びかかってゆく。


 やはり、まずい(、、、)と井澄は思った。


「かかれ! お、おおおおお!!」


「はあ、聞き分けのない……」


 言葉の間に、すでに連撃が差し込まれていた。人体の這いつくばるどすりとした音のあとに、山井にこかされた男たちが積み重なる。だから言わんこっちゃない、となにも言っていない井澄は心中につぶやいた。


 押し寄せる肉の壁を、右に左に山井は捌いていた。杖の両端を遣い、華麗にというよりはむしろ器用に。いつかどこかで修めたのだという杖術で、並み居る屈強の不斗出者ふとでものをなぎ倒していった。


 黒闇天の術式の産物である黒煙の影響下に入った人間は、皆倦怠感を覚えさせられ動きが鈍る。この隙を文字通りに突いて、力の道筋をずらすことで山井は彼らを無力化していく。倒れ込んだ者には片っぱしから後頭部への蹴り、振り下ろしを叩き込んで身動きを取れないようにする。


 六人も倒れれば、彼らにできることはなくなっていた。彼女は沈黙するまだ意識ある者どもに杖先を差し向け、ただ命令の言の葉を告ぐ。


「これで忠告は最後よ、静かになさい。……できないなら、させる(、、、)わよ」


 男どもの一人を踏みつけながら、山井は箱を弾いて紙巻煙草を飛ばした。空中のそれを唇で捕え、器用に片手で燐寸をすると眼光で威嚇しながら火を灯した。どよめきと共に彼らは動きを止め、誰先にと互いに様子見の姿勢に入った。


 こういう場合は先手必勝である。場の流れを掌握してしまえばあとは自ずとことは進む。待合室から首をのぞかせるに留めていた井澄と八千草は、山井の背中越しにことの推移を見守ることとした。


 山井翔。腕は光一ぴかいちの闇医者。


 けれどこの島では有用さを誇る人物は皆一様に、自衛のために人並み以上の戦闘力をも有していることが大半だ。とくに医者の仕事がからんでいるときの彼女は、とてもじゃないが敵に回せない。少なくとも緑風では、これが常識であった。


「責任者、いるんでしょ。威嚇し合うだけじゃお話にならないんじゃなくて?」


 煙を人頭杖に食ませながら、山井は人垣の奥に向けて言う。


 男どもはそれでも判断に迷っているのか顔を見合わせていたが、ややあって、彼らは後ろからの命に従ってか二つに割れた。隙間の向こうには、仕方なさそうに立ちつくす中年男があった。


「……これ以上やられてしまうと、恥の上塗りになりますなぁ」


 苦笑が滲んでしみついたような、くたびれた声音だった。どうにも青水らしくない。


 その印象も当然か、男は青水のごろつきとはまったく違う人物だった。こぼれそうなほど黒眼の大きい丸い目玉でこちらを見、辮髪べんぱつを結っている。どうやら清の国の人間であるらしい。上向いた鼻は低く潰れており、顎が奥に引っ込んで喉との境目が解らない様は亀のつらを思い出させる。甲羅じみて艶の無い肌と皺からは、四十がらみだと推測された。


 歩く音はあまり戦場を経験したそれではなく、黒地に金糸の刺繍が入った詰め襟の衣に、いっぱいの肉を詰めこんだような体つきをしていた。近づくにつれて、鼻腔を刺すかすかな臭いが男の方から漂う。山井は進み出た彼をけげんな目で見据えながら、男の発言に返した。


「安心なさい、アタシは青水の連中を打ちのめしたなんて吹聴する気ないから」


「ほほ、それはありがたい。して、その見返りになにを求めるのですかな」


「なにも」


「ほお、欲の無い」


「あったりまえでしょ、医者が患者増やしたなんてそれこそ恥さらしってもんよ」


 馬鹿かあんた、と罵声まで浴びせて牽制しつつ、山井は油断なく男の挙動をうかがっていた。しかし男はというとこれを受けて、筒のような広い袖口を背後に向けると、押し寄せた兵を撤退させようとしていた。袖の返しにそって、またもすえた臭気が振りまかれた。


「兵はひとまず退かせます……申し遅れました、私はフー。黒闇天の山井殿、ここはひとまず話し合いといきましょか。こちらとしても、これ以上怪我人を増やしたくはありませんのでな」


「怪我させるほど強くうっちゃいないわよ。そこは医者として信用して頂戴」


「おやおやそれは。これはこれは失敬をば」


 言葉の他は慇懃無礼に、虎はさっさと兵を退かせた。


 あとに彼だけが残り、特徴的な丸い目玉で井澄たちを睥睨していた。山井も術を解除し、ぱきぱきと左顔面に肌を戻しながら鼻を鳴らす。


「……で、なによ。そもそもあんたらなにが目的だったのよ」


「ほほ。それについてはそちらのお二人がよくご存じのはずで」


 にこりともせずに言い、彼は井澄と八千草へ両手を差し向けた。山井は黒煙を噴き上げ警戒を保ちながらも「こいつらが?」と返し、虎の返答を待たずに「さっき幻灯機がどうとかって話になったけど」とこちらの札をあっさり晒した。虎がようやく微笑む。


「左様で。私どもの探していた幻灯機を、あなたがたアンテイクが所有していると判明しましたのでな。これを受け取りに参上した次第ですが、まあ色々と受け取り手順に手違いが生じたようですな」


「ええまったく、手痛い手違いね」


「汗顔の至りというものです。つきましては非礼を詫びる意味でも、いくらか金銭を受け取っていただきたく……」


「金で手打ちにしろっての? やぶさかじゃないけど金額によるわね」


「もちろん言い値をお支払いいたしましょう。当方にもそれなりの用意がありますのでな」


 いやに下手に出てくるので、逆に心配になってくるものだった。まずは金で懐柔をたくらみ、次に暴力に訴えてでも取り戻しそうとしてきた青水。三度目の正直というか、多少大きな金銭取引をもいとわず一刻も早く取り戻したい、という意志が透けて見える。


 交渉事では足下を見られる状態だ。青水ともあろうものがそのような醜態を晒そうとは思いもよらなかったが、この事実が余計に幻灯機の重要性をあらわにしているとも言える。こうなれば情報を引き出せるだけ引き出すべきだと判じ、井澄は悩む山井の肩を引き寄せた。


「なによ?」


「幻灯機が盗まれたことは伏せた上で、交渉に臨むべきかと」


「やぁねぇ。それくらいわかってるわよ。直接にここまで押しかけてくるんだから、それだけ重要な品だったってことだろうしね。襲撃の落とし前に情報くらいはもらってやるわ」


「頼みますよ。そういえば、盗人の目ぼしなどはついているので?」


「ああ、それはね……」「ごほ、ところで」


 目の前でこそこそと話す井澄たちに思うところあったか、会話を遮るように虎が咳払いをした。すいと山井から離れた井澄は、八千草と共にまた観の姿勢に戻った。


「金銭を受け取っていただいた暁には、あなたがたはあの幻灯機の中身についても、一切口外しないことを誓約してくださいますな」


「……なかみ」


「見ていても、見ていなくても。その事情へ踏み込んでいただいては困りものでしてな。ですからどうぞ、静かにしていてもらいたい。またこれも瀬川様からそちらの二名がお耳に入れておりますでしょうがな、赤火とは早急に縁を切ることをおすすめいたします」


 ぴり、と肌を焼く熱があった。それが青水を背負ってここへ来た虎の、最後通告であることがうかがえた。


 緑風と赤火の結託を阻もうとする理由、加えて先日の船舶への襲撃。青水には、赤火への攻撃の意が着々と組み上げられているように思われる。


 またここにきて、井澄は銀についての諸々の噂をも思い出した。赤火と銀を廻って行われている水面下の争い、そして今日呼ばれた際に話題に出された〝銀世界〟という謎の言葉……なにが、なにが起ころうとしているのか。察するに情報が足らず、井澄は黙する。


 さて、よほどあの幻灯機には青水の欲する情報があるらしい。ここまで執拗に食い下がらせておいて、いざ取引の段になって品がないなどと知れれば、それこそが青水と敵対する流れの契機となるだろう。


 ……『流れ』。自分で考えた言葉ながら、いやなものだった。もしやこの盗難も、緑風と青水と敵対させ大きな流れを生まんがための布石なのだろうか……


「あの」


 水を打ったような沈黙の中に、八千草が声を上げた。無言のうちにまとまろうとしていた密談に、彼女はなにか差し込もうとしていた。


「なんですかな、緑風の……代理店主」


 とげのある物言いで虎はにこやかに応じる。明らかに年少者で、かつ立場もさほど強くはない彼女を軽く見た態度だった。けれど臆することなく八千草は続けた。


「申し訳ないのですが……、すでに我々の元には、幻灯機がありません」


 ぶつりとここまでの流れを断ち切るような、一言を続けた。


 虎の表情が一変し、唖然とした様を見せぬよう尽力していることが頬のひくつきに現れた。やはりこの男、あまり交渉事に向いてはいない。確信を強めながら、井澄も八千草の発言に驚きを隠すのが精いっぱいだった。しかし会話は始まってしまった。どうすることもかなわず、目を白黒させているしかなかった。


「……なんですと」


「ですから、もう我々の手元にはありません。我々はあの幻灯機の中身を精査した結果、あれを共同で保管することが良いと判じましたゆえ」


 すらすらと流れ出てくる言葉に、虎だけでなく井澄も困惑した。山井だけは、顔色をつかませないような角度で三人より顔を背けている。目に見えて焦りだした虎は、八千草の虚言にかぶりを振った。


「馬鹿な。それで隠しているおつもりですか。こちらは調べをつけておいて、今朝がたまで確かに店内にあると存じて、」


「ええ。その監視にこちらは気づいておりました(、、、、、、、、、)。ですから、出立前に。我々にもしものことがあったときのため、ある者へ連絡をとり、あの幻灯機を持ちだしてもらったのです。その協力者こそ、共同で保管することを私どもが提案した相手」


 騙る言葉を切って、八千草は山井を見た。唐突過ぎる受け渡しに、山井は対処しきれるのか。井澄の心音が高まった。


 けれど思いは杞憂に終わった。


「……黄土の〝盗神〟よ」


 絶妙な空言そらごとだった。虎が憂いに頬を染めていた。


 盗神。盗めぬものなどないと豪語し、四天神の一角を盗みの技のみで掠め取った男。彼の手管で持ちだされたのなら、当然だれも見咎めることなどできない。見張りなど意味を成さない。証拠も痕跡もなくて当然なのだ。


 虎は井澄と同時にここまで思い至ったのか、ひび割れた肌に玉の汗を流し出した。八千草は薄く笑んでこれに答える。じつに蠱惑的な瞳をしていた。


「知らぬふりをして瀬川様の前でうそぶくのは、大層骨が折れました」


「馬鹿な……馬鹿なことをおっしゃいますな。黄土と緑風、積極的に争いに加担せずと決め込んでいた二葉閥が、ここにきて手を組むなど」


「自衛のためです。お疑いになるのなら、どうぞアンテイク店内からこの医院から、緑風全土を隅々までお探しになるとよいでしょう。とうに黄土の蔵に納められておりますゆえ、見つかるはずもないでしょうけれど」


「お、黄土もあれを見ることになるとおっしゃるので、」


「銀世界」


 虎のわめきを遮り、八千草は冷やかに言った。途端にひくりと、虎は動きを止める。


「なかなか興味深いものでした。ところで……先ほどから気になっておりますことが一点。あなたがもしや、青水に招聘されたという煉丹術師の御方ではないでしょうか?」


 次いで呼吸までも止まる。凄絶な美貌をこれ以上ないほどに生かし、八千草はハッタリを毒の言葉に変えていた。勝手に被害妄想を膨らませ続け次第に身動きがとれなくなるような、曖昧模糊とした極上の毒だ。


 この問いにしろ先の言葉にせよ、確証も裏付けもないが、当たれば大きい。そして結果は、大当たりだった。虎の狼狽は哀れなほどとなった。


「差し支えなければお聞かせ願えませんか? 銀世界、銀の鋳塊インゴットについてのお話を」


「……なにをおっしゃいますやら」


「ご存じではないのですか? この島の、銀について――」


「なにを、おっしゃいますやら。申し訳ないですが先ほどのやりとりの件は無効とさせていただきます。残念ながら現物がありませんのでな。取引のしようがない、ひとまず持ち帰らせていただきます」


 そそくさと会話を打ち切ろうとしていた虎は、不快感を口から吐きだしそうになりながらも出入り口へ向かった。ついさっきまで大勢の男に占拠されていた入口は、いまや寂寥感さえ漂わせてただ一人の男を送り出そうとする。


 その背に、八千草は最後の言葉を投げかけた。


「――ご存知ない、はずはないですよね。鋳塊を(、、、)、御調べになったのでしょう?」


「失礼します」


 虎はすぐに通りへ姿を消した。八千草は彼の背が見えなくなっても、まばたきすらせずに通りを眺めていたが、やがて猫が眠りから覚めるような様子で目を逸らした。


 かつかつと待合室の中へ戻ると、さも疲れた様子で行儀悪く、どかりと音を立てソファに腰を下ろした。胸元からシガアケイスを取りだし、パイプをくわえる。


「あー、緊張した」


 タンパアを遣って煙草葉を詰め込み、もごもごとつぶやいた。以前聞いたことだが、頭の回転が速くなっているときの彼女は傍から見ると物怖じひとつしないように見えるものの、内心は自分の論理が正しいのかどうか心配で仕方がないらしい。


 愛らしい。


「おつかれさまでした。驚きましたよ、まさかあのような虚言で追い払うとは」


「現物がないと知れたら怒り狂うだろうし、下手に出たら今後のやり取りでの優位を向こうに明け渡してしまうと思ったのでね。なるだけこの場を取り繕いつつ、情報を引きだすに努めてみたのだよ。でも黄土には……濡れ衣をかぶせてしまったかな。今後付き合いが面倒になりそうであるね」


「いや、アタシが盗難に気付けなかったんだから十中八九盗んだのは盗神だと思うわ。ていうかそう思ってたからこそ、すぐ盗神って名前出せたのよ」


「あ、そう? そう。ならいいのだけれど」


 少し気が晴れたようで、肩を落ち着かせながら八千草は燐寸に火をつけた。ちりちりと葉の燃える音がして、待合室にパイプの煙が満ちる。


「でも八千草、あの問いかけとか銀世界とかいうのはなんなの? 瀬川邸でのことはまだ断片的にしか聴いてないから、アタシちんぷんかんぷんよ」


「そういえば、私も瀬川邸での終盤のやりとりは少々解せない点がありました。煉丹術師の仕事の成果について問うたり……なにかわかったのですか?」


「わずかな情報からわかったなどと断言できるほど、ぼくは阿呆でも聡明でもないよ…………ただ、推測は立ってた」


 ふうと煙を吐いて、ようやく人心地ついたという顔で八千草は膝に頬杖つく。ちょっと迷ったような顔で床を観てから、彼女は平手で床を指し、くるりと円を描いた。


「……この島の銀、錬金術でつくられたものじゃないか、ってね」



島の秘密。

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