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明治蒸気幻想パンク・ノスタルヂア  作者: 留龍隆
五幕 虐殺遊戯
52/97

52:煙草という名の小粋。

喫煙夜話。

 夕刻の五層を歩み、踊場と別れて帰宅すると、アンブレイラから抜いた朱鳥あすかを研いでいる八千草と目があった。


「おかえり」


「ただいま戻りました」


 水瓶みずがめの横に靴を脱いであがるが、狭い居間の中、机を脇にどけているとはいえ居間に井澄の通るだけの隙間は無い。これへ気づいた八千草はそそくさと、中砥石と水を張った桶とをどかした。


「すまないね。思ったよりずいぶん帰宅が早かったものだから。もうだいたい終わったから、通ってよいよ」


「いえ、べつに私は急かしませんからきちんと終えたほうがいいでしょう。しかし、手入れはともかく研ぎを行っているのはめずらしいですね」


 壁に背をそわせるようにしてよじよじと、室内に埃立たせぬよう井澄は室内に入る。


 八千草は黒い着物の裾をまくりあげ、たすきで袖口を縛った格好のままうん、とうなずく。首の動きにともなって、ひとつに束ねられた長い髪が、鎖骨から胸にかけて下り落ちる。汗滲んだぬばたまの髪は、星の川を思わせる輝きがあった。


「大婆さんがいなくなってしまったからね。刀の研ぎは、あの人に頼んでいたものだから」


「ああ、それで」


「うん」


 悲しげに目を伏せる彼女の横には、すでに研ぎを終えたと思しき大路の遺品の仕込み杖、その刃が抜き身で置いてあるのが見える。


 もちろん八千草は素人であるため研ぎは荒く、美しさと切れ味を同居させるには至っていない。しかし丹念に丹念に手入れを試みた努力の痕跡は、彼女の手と顔へ容易にみてとれる。


「大変ですね、刀の研ぎは」


「お前だって糸は研いでいるだろう?」


「あれは多少ひっかかる程度の荒い研ぎでも、細さと速さが伴えば切れますから。もちろんうまく研ぎ澄ましてあればそのぶんできることの幅も広がるでしょうが、どうせ私は師ほどの力量がありませんので」


「お前の、黒糸矛爪ジグソウという技の師匠かい」


「世間では異刀鋸いとのこと揶揄される悪人にされていますけどね。そうだ、せっかくですから夕食を用意しながらお話しましょうか? 以前、いつかお話すると約束しましたし」


「なんだか食事時にする話でもなさそうだけれど。血腥ちなまぐさい話になりそうだよ」


「そういう場面は飛ばしてお話しますよ。まずいところを語りそうになったなら雀の鳴き声と共に『そして翌朝』と端折はしょりましょう」


「なんだかおかしな端折り方であるね。ところで、以前から訊こうかと思っていたのだけれど」


「なんです、私のなにかに興味がおありですか」


「なぜ身を乗り出すんだい……いや、まあ、興味ある……ことに、なるのかな?」


 自分の考えだというのにずいぶんと自信なさげに、八千草は胸に手を当てて首をかしげる。それからまあいいや、とふっ切ったようなことを言い、砥石と手桶を片づけながら彼女は言う。


「お前はどうして、強くなろうとしたんだい?」


「どうしてと言いますと」


「それほどの戦闘技能を手に入れた理由さ。ぼくはこの島に生きるべく、必要に駆られて身に付けたものだけれど。お前はもともと本土にいて、流刑というわけでもなくここへ来たくちだろう? そもそも本土にて、どうして力を得たのかな、と思ってね」


 純粋に疑問に思っている様子で、彼女はこちらを見上げた。


 あなたを守るためだ、などとはもちろん言えない。なので、部分的に真実を交えつつ、嘘をつくことにした。


「……私は孤児でしてね。拾われた先が言霊ことだまの術、また異国の魔性との契約術式などを研究している家だったので、そこで」


 ちろりと舌を出し、銀の短剣を模した刺飾金ピアスをのぞかせる。


「この殺言権を手に入れました。ついでに、己の身を守るべくいくらかの武の心得を手ほどき願いました。その後……世話になった家を夜盗の襲撃によって失い、逃げ出した私は復讐のためにこの糸の業と、身体強化魔術の刺青を身に刻みました」


 手首に刻まれた呪紋。そして袖にぶらさがる重たいカフス釦。井澄の視線が下向いたことを、八千草は敏感に察したと見えた。


 かつてこれの扱いを手取り足とり教えてくれた師は、もういない。師を亡くしたばかりの彼女へこれを語るのははばかられて、井澄はそっと手首を押さえながら話の筋を模索する。


「あとは死に物狂いで師のもとで修練を積み……、師のもとを出ると、なんとか情報屋のツテを辿って夜盗の連中を見つけ出しました。あとは奴らの逃避行を追い立て、殺害し、下手人として捕まるのを恐れてここへ流れ着きました。そんな感じですね」


 語り終える。虚実交えた内容は、即興にしてはよくできていると井澄は思った。理由は実に明確にはっきりしていて、この島に来るに足る動機付けにも繋がっている。


 この島には、このような事情でやってくる者がたくさんいる。その例の中のひとつとして八千草が片づけ、「そうかい、大変だったのだね」とわずかな同情と共にうなずきでも返してくれれば、それでよかった。


 ところが彼女は、心底からなにかについて納得を覚えたという表情を浮かべていた。


「そうかい」


 望んだものと少しちがう反応に、井澄は戸惑う。深刻ぶってとらえられるほどの言葉があっただろうか、と己を顧みても、さっぱりわからない。


 やがて八千草は重々しく口を開き、その言葉は、井澄の胸に深く沈む。


「お前の目がどこか広い世界に向いていて、なおかついつも変わらず虚しそうに見える理由が、わかった気がするよ」


 眼鏡を貫いて注ぐ彼女の視線に、たじろいだ。




 夕食の準備はつつがなく進んで、野菜と鱈を煮た鍋ができあがる。ほくほくとした湯気を感じながら、二人は対面に座って手を合わせた。


 先日の幻影列車で手に入れた猩猩しょうじょうの酒も並べ、もぐもぐと食べすすめる。その間も井澄はいろいろに己のことを語ったが、頭の中にはひとつの言葉だけがめぐっていた。だれもが言う、八千草までもが言う、己の目についての言葉が。


 やがて食事を終えて、二人は食器を片づけると表に出る。肌寒い風が流れているが、煙草は外で喫むほうがうまい。井澄はジャケツの懐から敷嶋の箱を取り出し、軽く振って一本を取り出す。八千草は煙管を手に、刻み煙草を丸めていた。着物姿なので、よく似合っている。


「にしても、お前もいろいろあったのだね」


「八千草も、私が来る以前にいろいろあったでしょう」


「なに、いまとさして代わり映えのしない日々さ。生きるために学んで……刀を振るって。それだけであるよ」


 大路のことを思い出したか、わずかばかり瞳にかげりが生じる。井澄は、紙巻煙草の吸い口を軽くたたいて葉を詰めた。


「そういえば八千草、詩神についてなにか御存じないですか」


「詩神? こないだ赤火から離反したのは、当然知っているけれど」


「いえ、たとえば出自ですとか。私が来る以前の振る舞いなど、ささやかなことでも構わないのですが」


 呉郡、という黒衛の署名があったことについて語り、井澄は自分の師と同じ苗字であることを話した。偶然ではないのかい、と八千草はいぶかしげであったが、どうしても井澄には奇妙な一致に思えてならなかった。


「ふうむ……といっても、情報屋に知り合いの多いお前と比べれば、ぼくの知ることなど本当にささやかだと思うよ。お前が知る以上のことはわからない。大体からして、奴は赤火の中でもはぐれ者・奇人変人の類だった。動向すらよくわかっていないのだよ」


「やはりそうですか」


「たまに危神と斬り合ってることはあったそうだけれどね。基本的に湊波さんが危神に対して『許可なく四天神と戦闘するな』と言い含めてあったし、あの二人は力量が拮抗していたのもあって殺し殺されにはなっていなかった」


「じゃれ合いですね、仲の良いことで」


「皮肉っぽく言うものだね……うんまあ、だからアレなのではないかな。いまの奴は、喧嘩友達を亡くしたような気分、なのかもしれないね」


 だからこそ、危神と敵対するために必要だった赤火の立場も捨てた、というのだろうか。だが大戦力である彼の離反の申し出は当然穏便に受理されるはずもなく、いま現在この四つ葉全域で彼の所在が捜索されている。見つけ次第極刑ともなりかねないだろう。いたずらに己の身を危機にさらしただけとしか見えない。


「自暴自棄になって、来る者すべてを切り捨てる所存……というわけでもないでしょうに」


 剣客としての矜持に生き様すべてを委ねる詩神は、剣客を除いた人間を斬りたがらない。もちろん船舶〝藤〟のときのように己に向けられる凶気はすべからく払いのけるが、自ら斬りかかる相手は剣客に限っていたという。


 敷嶋をつまんだままぼんやりと中空を眺める井澄は、いまこの五層に彼がいる可能性を考えた。もし出逢えたなら、剣客ではない井澄は斬られることもない。話す機会があれば、呉郡の名を名乗る理由について、また師についてなにか知っていないか、尋ねてみたいものだった。


 師として敬っていた呉郡を、恩を返せぬままみすみす死なせてしまったことについて、井澄は罪悪感を覚えていた。未熟だった己になにができたわけでもないとはわかっている。それでも、だれか彼女について知る者がいるなら、語らってみたいと思った。そうすることでやっと、井澄は彼女の死を呑みこめる気がしていた。


「なんにせよ危神亡きいま、この島で詩神について詳しいのは、危神に付き添っていた彼女、楠木くらいのものであろうよ」


「けれど彼女、もう本土へ旅立ってしまったのではありませんか?」


「あー。そういえばもう楠師処に代理の散薬師を置いたと山井さんから聞いたね……もう、あの手の目の人外が住まう山奥の隠し里へ辿り着いているかな」


「無事辿りつける前に、統合協会あたりにでも捕まっているやもしれませんがね」


「さすがにそれは哀れに過ぎるよ」


 苦笑しながら言葉を切って、八千草は燐寸を擦って煙管の火皿へ静かに近づけた。大き目の火皿の中で詰められた煙草葉がいぶされ、ほの青い煙が一筋のぼる。


 横目で見ながら井澄は敷嶋をくわえ懐を探るが、どうも燐寸を部屋に置いてきてしまったらしい。なにげなく彼女へ顔を近づけ、「火をもらえませんか」と声をかけた。ふいと井澄を見て、五寸ほどの距離に寄っていたことに気づくと、彼女は「ちかいちかい」と両手で井澄を押しのけようとした。


 だが両手を井澄の胸に置いたところではたと止まり、八千草はくわえた煙管をふんふんと上下に震わせた。この間になんの逡巡があったか知らないが、それから燐寸を取り出して放り、井澄に渡す。


「火くらい自分でつけなさい」


「最初からそのつもりですよ」


「うそ。煙管から火をもらおうとしていたろう」


 邪推だ、とは言い切れないのが井澄の弱いところだ。言葉に詰まった一瞬の間でこの思考を悟られたと知り、いっそ開き直って井澄はふんぞり返る。


「燐寸だってロハではないのですから、煙管から火種を分けてもらうほうが経済的だと思います」


「別の銘柄の煙草同士で火を移すと、香りも移ってしまうだろう。喫煙を愛する者として、それはいただけない」


 ぶんぶんと首を横に振りながら言ったものである。理路整然と拒否されて、若干傷つきながらも井澄は自分の煙草へ燐寸を擦った。懐かしい――そう、かつてよく嗅いでいた、と記憶している香りが、肺腑に溜まってあたりへ散る。


「……経済的と言えば、煙管に紙巻煙草を詰めれば、最後の最後まで喫めるのですこぶる経済的ですね」


「それはいささか不格好だ。第一、煙管というのは短い一服である点に一種の美学があるとぼくは考える。長々と見せびらかすような喫煙はヤニ下がるというものさ。来客に煙草盆をすすめるという文化も、客の所作から粋かどうかを見定める部分もあったと思うのだよ」


「そうですかね……、でも紙巻煙草も最近安くないので、少しは倹約したいのですよ。八千草の使っているような素敵な品を私も所持しておきたいのです。どこかいい店はありますかね」


「二層で一緒に買えばよかっただろうに。というか自分で選んでひとに贈った品に、素敵などという形容がよくできるものであるね」


 茶化すように言われて、井澄は黙り込んだ。八千草はしてやったり、と言いたげな顔をしていたが、これへ言い返すこともせず井澄は手帖をめくってやり過ごした。


「ま、お前は和装をすることもないし、煙管よりもパイプのほうが似合うのではないかな。パイプはいいよ。煙管もそうだけれど、道具というのは遣いこむほどに味が出る。手入れは面倒極まりないがね」


「面倒なんじゃないですか」


「必要な面倒というものだよ。その手間が、道具と人の結びつきを強めてくれる。パイプは良いよ」


「いやに勧めますね」


「だってお互いにパイプなら、お前も直接に火をよこせなどと言えないだろう」


 まあたしかに。火を移すなどということはできそうにない。……これが八千ならば、焔操るあの力によって火種を浮かせることも可能なのだが。


「そんなにいやですか、じかに火を移すの」


「はずかしい」


 とっさに口をついて出た、という風に聞こえた。はっとした様子で八千草は煙管を口から落としそうになり、慌てた様子で気を落ち着けながらすぱすぱと煙をあげた。なんだかとっても妙な様子である。


「べつにいまはだれに見られているわけでもありませんが、はずかしいのですか?」


「だっ、だれも見ていなくとも、人様の目は気にするべきだろうっ」


「子供のしつけみたいなこと言いますね……というかなぜ焦っておいでなのですか」


「ぼくは焦ってなどいない。お前相手になんで焦らなくちゃならないんだい」


「はあ、わかりました」


「なんだその渋々な感じ。だからぼくはあへってないと」


「すごい噛みましたけど……」


「焦ってない!」


 そっぽ向きながらこちらに指を突きつけるものの、自分に言い聞かせるような物言いだった。こんな日もあるのだなぁとめずらしいものを見た心地になりながら、井澄は笑ってゆっくりと紙巻煙草をふかす。


 八千草とのこうした日常も、はや一年になろうとしている。日々はせわしなく慌ただしく通り過ぎていったが、その中で彼女との思い出ばかりが少しずつ少しずつ、初雪のように降り積もっている。


 この日々は、いつまで続くのだろうな。うろんな頭に考えた。


 だが『いつまで続くのだろう』という語に含まれた思いがどちらなのか――つまりは、うんざりするほど飽いてきたからなのか、いずれ失われることへの痛みを覚えたからなのか、それは判然としなかった。


 二つが入り混じっているのかもしれない、と結論付けておくが、どうもその二つは同居しないように思われた。


 空いた手で顔を掻いた井澄は、己の頬が緩んでいることを知って、ますます悩んだ。



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