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明治蒸気幻想パンク・ノスタルヂア  作者: 留龍隆
四幕 人殺嫌疑

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45/97

45:日輪という名の異形。

回想、四幕、共に終了。

 ひとまず井澄は金を稼いだ。賭場はほとんどが賭博犯処分規則により消滅していたが、路上でわずかな金を賭ける者どもはまだ多数いた。彼らと競り合い、殺言権によりハッタリを消すなどすることでうまく周囲の心理を誘導、勝利を収め続けた。


 勝ち過ぎないように気をつける余裕がなかったためひどい目にあったり、必要に応じて阿片窟で働かされていたりしたが、ふた月ほどでなんとか目標としていた金額を集める。


 あとはそうした社会の闇に潜ることで得たツテを用い、情報屋にネタを乞うた。二度ほど騙されて金を巻きあげられたりしたが、三度目はきちんとした情報を手に入れた。そしてこの情報屋との付き合いが、後々まで四つ葉での情報源となるブンヤ・踊場との繋がりをもたらしたのだが……、それはまた別の話だ。


 さて情報屋いわく、八千――もとい、八千草が運ばれた先は本土から七里は離れた孤島、四つ葉であるとのことだった。


 どういう経緯かは不明であったが、ようは流刑ということだった。山一つ焼き尽くす放火の罰としては、比較的緩いものだとも思われる。しかし行き先があの悪名高き四つ葉となれば、遠まわしな極刑の宣告とも言えた。


 急ぎ、残った金をかき集めて井澄は島へ渡った。島は全土が危険域、となれば彼女が危うい目に遭うときに八千が目覚めているかもしれなかったが、目覚める間もなく死んでいる可能性もある。総毛立って、居ても立ってもいられなかった。


 居留地の港に降り立ち、人に八千を尋ねて歩き、騙され、すかされ、暴行を受け。上陸から四日目に這這ほうほうの体で辿り着いたのが、五層三区のアンテイクだった。


 ところが彼女はなぜか緑風四権候・湊波戸浪によって保護されており、いまはこの島で暮らす術を身につけている最中だと湊波より教えられた。安心したようで釈然としない井澄は当然、彼に食ってかかり「なぜあなたがそのような真似をしているのか」と問うた。湊波は布の奥で声をひそめ、「無垢な手足が必要だからさ」と平坦な声で言った。


 ならば自分もここで雇えと井澄は怒鳴ったが、湊波の態度は素っ気なかった。いまなら間に合うから島を出ろとそればかりで、気が短くなっていた井澄は知らず知らずに手の内に硬貨幣と短剣を握る。たしかに体術は不得手であったが、それでも相手は自分より背も低く小柄な男、と高をくくっていたのだ。実力を認めさせるつもりで、襲いかかる。


 結果は、惨敗である。のらりくらりとかわされ、打たれ、気がつけば仰向けに五層の天蓋を眺めていた。


「――きみじゃここではすぐに死ぬさ」門前払いの言葉のあとに気絶させられ、心身ともにぼろぼろにされて本土への船に載せられてしまった。荷と共に横浜の港へ下ろされた井澄は二日ほど、秋の夜風に吹かれながら港に留まらざるを得ない傷を抱えた。


 動けるようになってすぐ、井澄は情報屋を訪ねた。


 強く、強かにならねばならない。そのためには、独力では効率が悪い。統合協会という場で人と学ぶこと、人から学ぶことの大切さ、即効性を知っていた井澄は、素直にこの思考に至った。


 だれかに、師持しなくてはなるまい……基本的にはこの一念だったが、合縁奇縁とはまさにこのことだろうか。ちょうど井澄が情報屋を訪ねたそのとき、店にやってきていたのは一人の細身な人影。


 後の師となる呉郡黒羽くれごおりくれは


黒糸矛爪ジグソウ〟を名乗る、獰猛なる暗殺者アサシネとの、邂逅だった。



        #



 必死に頼みこみ金を積み。呉郡のもとで半年の修行を重ね、死にかけながらも井澄は力を手にした。単なる戦闘能力だけでなく、人を見る洞察力、物事を瞬時に取捨選択する判断力、さまざまな技術を叩き込まれた。


 そして修行の仕上げとなる洛鳴館での暗殺業務に随伴し、結果から言えば師を失い――三度目となる別離に暗い思いを抱きながら、慣れてきた自分に気づく。その後島に再び赴き、湊波の試験に合格し。靖周、小雪路、山井と出会い、舞い込む事件を解決して、井澄は島の暮らしにも慣れていった。


 だが片時も、八千を取り戻すという目的を忘れたことはなかった。


 日々出会う彼女が己の知るころとちがうことに絶望を抱き、それすら日常に埋没するうち慣れていっても……慣れた日常が心を満たすことはなく、常に井澄は八千を求めていた。


 八千。


 ただ心の内に、彼女を呼び続けた。


 八千、八千、と。


 少ない思い出を手繰ることをやめ、眼鏡を外して枕元に置いた井澄は、八千に向き直って呼びかけた。ベッドに座る井澄の膝に頭を載せ、八千は静かに眠っている。


 彼女は撃たれてからこれまでの経緯をなにも知らなかった。


 たしかにあのとき病室で八千は目覚め、また、ライト商会でも井澄を爆発から守ってくれた。そのはずなのだが、いまのようなきちんとした覚醒ではなかったということだろう。寝起きで頭が働いていない状態だったのかもしれない。


 よって過去を想起しながら、井澄はこれまでの生活についてかいつまんで説明した。彼女は興味しんしんで話に聞き入っていた。井澄は多少の脚色を加え、なるべく面白おかしい話と聞こえるよう、彼女に説明をなした。あどけない表情で笑う彼女は、愉しんでくれていたように思う。


 殺しをも仕事のひとつとしていることについては、言いづらかったのでほのめかす程度にしておいた。しかし顔色の微妙な変化からして、おそらく八千は気づいたのだろう。だがあえて触れずにおいてくれた。井澄は彼女が問わないのなら、とそのままに話を続ける。


 長いようで短い話だった。八千と離れて一年半、いろいろなことがあったが、語るべきことはさほど多くない。彼女を取り戻すために――そのためだけに生きた時間など、いまこうして再会できているわずかな時間に比べ、なんと密度の薄いことか。


 話は今に近づき、佳境に入る。


 次第に疲労に押し負けたのか、八千は井澄の膝もとでまぶたを下ろしていった。


 眠ってしまったら、またライト商会のときのように八千草に戻ってしまうのではないか。そう危惧するところあり、井澄は彼女を揺り起そうとした。だがまどろみは深く、彼女を闇の淵に引きずり込んでいた。半分だけ開いた目で井澄を見つめた八千は、眠りに落ちる瞬間、うっすらと笑んで目を閉じた。


 ごめん、そろそろ、お休みなさい。


 言って、八千が遠ざかる気がした。井澄が顔を歪めると、すでに目を閉じているはずの彼女は、くすりと笑って付け足した。


 そんな顔、しないで。


 たぶん……、すぐまた……会えるから。


 これきり、彼女は口を閉ざし、静かに眠りについた。動きを止めた横顔を見下ろす。喋らなければ、どちらなのかわからない。八千であってくれ、と強く願うが、願ったところでどうなるものでもない。井澄は溜め息をついて手帖を開け、頁をめくりながら過ごして、目覚めを待った。


 しばらくして、井澄の膝の上で身じろぎした。目を覚ましたのは――不機嫌そうな顔で左右を見回して、自分が寝ていた場所に気づくと、ぱっと跳びのいて離れる少女。


 ああ、八千草だ。小さく絶望し、けれどそれをおくびにも出さず、井澄は真顔のまま問う。


「……御目覚めで」


「え、あ、なんっ、どういう」


「落ちついてください。船舶〝藤〟を脱して、ここは居留地です。八千は爆発に巻き込まれたせいか、しばらく記憶が混乱していたんですよ」


 嘘とも本当ともつかないことを話して、八千草をなだめる。きょろきょろとしばらくは不審そうにあたりをうかがっていたが、やっと敵の気配などがないことに気づいたか、そうかとつぶやいて椅子に腰かける。


 自分の服装が変わっていることや、自分の姿勢がなんであのように無防備なものだったかなど。いろいろ問いたいことはある様子だったが、その前に井澄に頭を下げた。


「すまない。迷惑をかけたね」


「なんのことです」


「記憶が混乱しているようなぼくを連れて逃げるのは、大層苦労しただろう」


「多少の苦労はありましたが、それが私の役目ですから」


 そして目的でもある。彼は、八千と再会するという己の欲望のためにこそ、動き続ける。


 八千草はそんなことには当然気づいていない。そう、とぎこちなく笑って、ありがとうと付け足した。八千の顔で感謝の言葉を述べられると、悪い気はしない。井澄も軽く笑んで、どういたしましてとひょうきんに言ってのけた。


「それにしても、大変であったね。今回の一件で、赤火と青水の関係もどうなるか」


「間に挟まれる緑風われわれも、立場がどう転ぶかわかりませんね」


「まったくだね。ああ……頭が痛い話だ」


 比喩的な意味だったのだろうが、井澄はびくりとした。八千草はどうかしたのかい、と尋ねてきたが、表情に痛みのようなものはない。やはりたとえに過ぎないか、と平静を取り戻し、いえ別にと井澄は返した。


「ふむ……ところで、一服落ち着けたいのだけれど。ぼくのパイプはどこかな」


「パイプはシガアケイスに入っていたので無事ですが、煙草葉は逃げる際に海水に浸ったのでだめになっていましたよ。申し訳ありませんが、いましばらくは紙巻煙草シガレツでご容赦ください」


「ああそうか、逃げるときは海に行くと……ぼくもそれで着替えていたのだね、そうか」


 得心いった様子でうなずく彼女に、井澄は先ほど手帖と共に購入した紙巻煙草を手渡す。反響という銘柄の、安煙草だ。自分のぶんも唇に載せてから、井澄は八千草に向かって燐寸を擦る。


 と――、


 瞬時に燐寸が燃え上がり、芯まで焼けおちる。ほとんど切れ味といってよいほど鋭い燃焼を見せて、燐寸の火は床に落ちた。慌てて井澄は棒を手放し、足下の火を踏み消した。八千草はぽかんとして、呆気に取られていた。自覚は、ないらしい。


「うわぁ……いやはや、このような粗悪品も、あるものなのだね」


「……まったくです」


 すぐまた、会えるから。


 頭の中に、八千が残した言葉が響く。確実に、彼女の目覚めの片鱗は残っているのだ。


 確信を得た井澄はもう一度燐寸を擦り、今度は正常な火種を保って、八千草の煙草に火をともした。ゆるゆるとのぼる煙が、部屋の空気を乱した。



        #



 薄暗い、部屋の中。長く長く伸びる洋机が、等間隔に人員を両側へ配しながら置かれている。


 椅子の背もたれもまた長く、人々は深々とそこに腰かけている。集まる人数は十五人。それぞれが黒の三つ揃えを身につけており、肩章には晴明紋が五つ並ぶ。襟元には梟、鶴、鶯のどれでもなく、三つ足の烏を模したブロオチが輝く。


 机の最奥に位置する男が、重々しく口を開いた。


「列席会議はこれにて終える。後日追って沙汰は伝える故、それぞれ持ち場へ戻れ」


 声のあとに、ふつりと気配が途絶える。顔もうかがえない闇に覆われた最奥の席から、人がいなくなる。相変わらず陰気な男だ、と思いながら席を立ち――村上は、皮肉った笑みのまま部屋をあとにする。まだ席に座る幾人かが、そんな彼の不遜な態度を見て、顔をしかめる。だが彼らは己でなにもせず、代替わりして継承しただけの席を守るに執心する者どもだ。気にすることもない。


 老害どもめ。


 腹の内に唱えるのみで声には出さず、村上は風防室のような場へ出る。この会議室への扉は二重になっており、出る先は統合協会内部のどこにでも繋げることができるのだ。己の執務室に戻る扉としようと、静かに移動用暗号の詠唱をしようとした。


「やあ村上君! どうだ調子のほどは」


 が、背後に人が立ったことで、言葉が止まる。基本的に退室は一人ずつ行い、末席から順に出ていくはずなのだが……。


「あの、次席であるあなたが私と共に出ないでください」


「どうせこのあとは執務室に戻るだけなんだろ? 硬いことを言うなよ、少しばかり俺と茶を飲む暇くらい作れ」


 このようにやたらと親しげに話しかけてくるのは、統合協会ではめずらしく和装の人物だ。薄墨色の着物に兵児帯を締めて、肩に漆黒のインバネスを羽織った痩身の男。手も指先も枯れ枝のごとく細く、首は鶴のごとく長い。各所で垂れ落ちた皮膚が、年齢を感じさせる。


 長めの頭髪は白く、伸び落ちるままにしており、入り乱れ絡まる様はほこりの張った蜘蛛の巣のようだった。顔も細面で、しゃれこうべに皮膚を張りつけただけ、というほどに脂っけがない。目の下は濃い隈と皺に常に縁取られ、深く二重に刻まれたまぶたの中に爛々と輝く瞳が不気味だ。


 男は玉木往涯たまきおうがいという。この統合協会――梟首、鶴唳、鶯梭の三機関を束ねる列席会議の重鎮。主席たる男の脇に控え、明治政府とも交渉の場を設ける、この国でも十指に入る権力者である。


 まだ列席会議に参じることを許されただけの、末席たる村上からすれば雲の上の存在だ。


「大したものは出せませんよ」


「構わんよ、貴君が英国より取り寄せたという紅茶でも振る舞ってくれれば」


 どこから聞きつけてきたのか、とわりに値の張った茶葉のことを思いながら心中に嘆息し、ではと前置きして扉のノブに手をかけ詠唱した。「我が前に開け時代」一言で、がちゃんと錠が外れるような音がした。次に扉を開けると、村上の執務室に出る。


 洋燈のやわらかな明かりに包まれる部屋は、さほど広くは無い。間取りにして八畳ほど、大きめのデスクに革張りの椅子、来客用の机とソファ。そして大量の書簡、書物が納められるギヤマン張りの観音開きを備えた本棚で、もういっぱいだった。


 石造りの床から底冷えする寒さが這い上ってくるため、村上は暖炉に火を入れた。往涯はインバネスを脱いで外套掛けにひっかけると、左右の裾の垂れ具合が同じ長さになるようにしばらく調節していた。


 村上は机の抽斗から、簡素な人形の紙片を取り出す。筆立てにささる懐中筆をとってこれへ「茶の用意を」と記して、三つ折りにたたんで空中へ放り投げる。途端に紙片は自らの意志をもって動きだし、泳ぐように空中を滑りだした。扉の隙間から外へ出ると、そのまま茶の用意を告げに飛んでいく。


「支給される連絡用式神はよく使っているのか?」


「正直に言うと、あまり。私が思いつく程度の用件は、大抵己で動いたほうが早く、正確に終わらせられますので」


「そうか。じゃあ」


 言葉を区切って、往涯は両手を差し出した。次いでぱん、と柏手ひとつ、あとは足を踏み出す。


 ぢりっと音がしたのでなにかと思い見やれば、引き出しの中にあった式神が片っぱしから燃え尽きるところだった。また、音は他のところからも聞こえる。本棚の隙間、ソファの下でも、同様に式神が焼き尽くされていた。


「使わないのなら、無くなっても構わんのだろ?」


 片目を閉じて、愉快な表情をしていた。


 たしかに実際、迷惑していた。無理やりに使用を義務付けられ押し付けられる、あるいは不在の折に仕掛けられるこれらの式神は、列席会議末席に参じた村上へのいわば見張りの耳目である。


 この事実に気づいてはいたが、村上には術師としての腕が無いため突破は難しく、かといって捨てるのも反感を買うだろうと処分に困っていたのだ。


「無くなってもいいといえばそうですが、しかしやり方が……」


 いまごろ術者は焼かれた分身の痛みを追体験しているだろう。そのことを示唆して言ったのだが、往涯は一向に意にせず笑うだけだ。


「こんなもん、こそこそと人の話を盗み聞く輩が悪い。だいたいあいつらは二十年前から術式も変えずに同じことばかりやっている、実につまらんくだらん連中さ。早く死ねばいい!」


 愉快そうに笑いながら、往涯は席に着いた。彼の言うあいつら、とは先ほどの列席会議に参じていた他の人員を指している。だいたいが四十がらみから還暦までで構成されているので、一見して還暦過ぎとわかる往涯からすれば年下ばかりなのだろうが。ちなみに村上は先日やっと三十路になったばかりだ。


「しかしあの会議の参加者は、私をのぞいて皆様が歳経た、名のある術師の方ばかりですよ。こうも簡単に術式を突破できるとは」


「いつからか陰陽師も質が落ちたということだろ。陰陽寮として与えられる役割に甘んじて、築いた地位に執着する輩の術など面白くもなんともない。俺ごときでもどうとでもできる」


「ご謙遜を。でもこれ、たぶんあとから嫌みを言われるの私ですよね」


「それは知らん」


「そもそも、末席の私に次席のあなたが関わりすぎじゃありませんか」


「目をかけていると言えよ。貴君ならばこの苦境も力にできると信じているぞ」


 爛々と輝く瞳は、しかしどこを見ているのかわからない。列席会議に属して以降、毎度関わり過ぎないようにと頼んでいるのだが、やたらと往涯は村上に近づいてくるのだった。


 おそらくは、自身の行動によって「次席に可愛がられている」と余計に村上が反感を買うのを楽しんでいるのだ。いまさっきの式神の件といい、往涯は村上が困り果てながら事態に対処するのを見るのが目的らしい。信じている、との言葉はあながち嘘とは言えないのだろうが、中にはらんでいる感情は複雑だ。


 それでも関係の存在は負の方向に寄るものばかりではない。村上は烏のブロオチを外し、梟のブロオチ――梟首機関の証に付け替えながら、往涯の前に腰かけた。すると往涯も、ブロオチを鶴の紋章、鶴唳機関の証に付け直す。会議中以外は、それぞれが属する機関の紋章を付けるのが習わしなのだ。その紋章を見て、ふと村上は尋ねる。


「ひょっとしてあなた、私が鶴唳を抜けたのをまだ怒っているんですか」


「はっ、一年半も前のことを引きずっていられるほど、老い先長くないさ。貴君が抜けたのは考えと能力あってのことだろ、しかもいまや梟首機関序列第六位じゃないか。今後も研究分野での経験を生かしていい狩り手になってくれればそれでよろしい」


「本音は」


「せっかく異支路ことしろと呼ばれる域にまで育ててやったのに、出ていくとはなにごとだ! ……というのは冗談だ」


 懐から銀延べの煙管を出した往涯は作ったようににやりと笑ってみせて、刻み煙草を丸めて詰めると村上に燐寸を求めた。暖炉に火を入れる際に用いたそれを渡すと、器用に片手で擦って火をともす。たなびく煙が頭上のシャンデリアへ伸びた。


「実のところ、こうやって俺が貴君にちょっかいかけることで、あいつらの監視の目は働かせにくくなるだろう。もちろん風当たりは強くなるわけだが、あいつら馬鹿だから表層的な権力争いの面にしか目がいかん。その間に、貴君が望む動きを実現しろ」


「……本音は」


「これくらい斬りぬけて、もっと使える駒に成長してくれんとな」


 ひらひらと手を振って、畳に似た香りの煙を吐き出す。食えない爺、と心中で罵っておく。


「して、今日はなんですか。まさか茶のみ話のために式神を焼いたわけでもないでしょう」


「……え?」


「いい加減そのノリ疲れるんですが」


「おいおい余裕を持てよ村上君。あそこの老害どものように緩みきってしまうのも問題だが、あまり堅苦しく四角四面に捉えすぎるなよ。とりあえず茶がきてから、人払いをして話そうじゃないか」


 煙管の火皿を灰皿の上で反転させ、とんと手の甲に打ち付けることで火種を落とす。黙ってそれを眺めていた村上は、レインは嫌煙だったなと取り留めもないことを思い出していた。


「そういえば表では船舶を増やすなど、軍拡が進んでいるそうですね」


 世間話として、村上は話題を振っておく。表とは、異能が周知されていない場のことだ。


「ああ、主席の勘解由小路かでのこうじからの御達しだ。横浜日毎新聞でもそちらを大きく取り上げるように言い含めてある。こうして船を買うと主張しておけば、実際に船数が増えたときの反応がある程度抑制できるわけだ」


「つまり実際に船数は増えても、買ったわけではない(、、、、、、、、、)のですか……というかそもそも、その御達しは勘解由小路主席の御言葉なのですか」


「最終的に発言するのはいつでもやっこさんだよ。そそのかしたのが俺でも別に変わりはないさ」


「と仰るのなら、小麦などの値上がりも、単なる貿易上の都合ではないのですね」


「ははっ、貴君はそういう表の事物をきちんとこっちに結び付けてくれるなぁ。だから目をかけてやりたくなるんだ」


「にしては可愛がってもらえてる気がしませんね」


「目をかけるのと甘やかすのはちがう」


 しれっと耳に快い言い方に変えて、彼は静かに煙管を懐へしまう。ちょうどそこで、お茶が運ばれてきた。扉をノックする音のあとに、賀茂が虚ろな目をして室内に入ってくる。


「失礼します」


「ああ、そこに置いておけ。あと、しばらくここに人を近づけんようにな」


「は、かしこまりました」


 まるで部屋の主のように往涯は命じ、賀茂もそれに従っていた。なんともはや、と思いながら村上は彼の背を見送り、膝の高さのロウテエブルへ置かれたテイカップに、ポットから紅茶を注いだ。ふわりとたちのぼる芳香が、鼻腔をくすぐって抜けていく。


 ソーサを持ちあげ、取っ手をつまんで一口流し込む。あたたかな紅茶の風味に、自然と気持ちがやわらぐ。


「あれは、たしか表の官憲じゃなかったか?」


 香りを楽しむためかカップを眼前でゆらゆらさせながら、往涯は言う。ええ、と答えて、村上は彼の出自を簡潔に説明した。


「陽炎事件で多くを知りすぎていましたので、こちらに来てもらいました」


「なるほど。だが異能に関わる事柄はなにもできんから、ひたすらにお茶くみや雑用ばかり任されるわけだ」


「職があるだけよいでしょう。にしても、陽炎事件、ですか。山ひとつ焼き尽くしたというのに、あれの下手人が島流し程度とは刑が軽いにもほどがある」


「江戸のころなら放火は死罪だからな。だがいまは当人の精神面などを鑑みて裁きを出す。それになんと言ってもあれには記憶がないんだぞ。一概に島流しが軽いとも言えんだろ……それにしても、だれがあれを銃殺しようとしたのだろうな?」


「さあ、案外乱暴しようとしただけの下衆な人物だったかもしれませんよ」


「だが襲撃は二度遭った。その次は病室で……まあ、身元のわからん男だったが」


 紅茶をすする往涯は、ぎょろりと目玉だけ動かして村上を見る。口元はカップに隠れて見えないが、どんな表情を浮かべているのか。


「陽炎事件、と言って思い出しましたが……あの火事で焼けた矢田野山ふもとの村が、近頃疫病の流行で壊滅的な状態となったそうですね」


「残念なことだったな。だが、地脈は枯れていない。あそこもまた戦術的防衛線に組み込むべきかもしれんな」


 まるで興味なさげに、往涯は口先だけと思われる言葉を並べた。


 だが村上は知っている。あの近くで、不審な人物の目撃が相次いでいた事実。その人物の来訪のあと、村は壊滅したのだ。


「それに疫病というのが、これまで見られたことのない症状の奇怪なものだったとか」


「ほお」


「よって、詳細な確認がとれるまでは無闇に兵を割くのも危険かと」


「わかった、勘解由小路に進言しておこう」


 本気かどうか判別のつかない神妙な顔で、往涯はこくりとひとつうなずく。そんな彼をじいと見やってから、村上はさらに言葉を継ごうとする。


 ところがそこで、扉をノックする音がした。人払いをしていたはず、と嫌な気持ちになりながら、往涯へ視線を戻す。彼は右側だけ口の端を釣り上げて、扉の方を掌で示した。うながされては仕方がないので、村上は部屋を出る。


 開けると、申し訳なさそうな顔で賀茂が両手を差し出した。手の中にあったのは、電報と思しき書簡である。急ぎの用件ということだ、これでは怒るわけにもいかない。


 背後の往涯が気になったので、扉を閉めてから賀茂を追い払い、静かに開封する。丸まっていた書面には、「対象ノ殺害ニ失敗 同行者ハ死亡 日輪ノ力彼ノ者ニ戻レリ 一時帰環ス」と記してあった。


〝日輪〟が、目覚めてしまった。歯噛みして書面を握りつぶし、村上は懐から敷嶋の紙巻煙草を取り出す。次いで燐寸を手に、書面を燃やしてから煙草の先を炙った。


 深く一服して、扉に背をもたせかける。仕損じたレインに対して思うところはもちろんあったが、そんなことは後回しだ。日輪が目覚めた以上、もう一刻の猶予もない。件の計画に変更はなくなるだろう。止めるには、迅速な行動が必要だ。


「どうした村上君? 急ぎの用事でもあったか」


 観音開きの扉を挟んで、向こう側から往涯が言う。まともな顔で向きあえる気がしなかったので、村上はそのまましばし無言でいた。足下で丸く灰になった書面を、靴底で押し潰して広げる。


「……いえ、問題はありません。梟首機関の方で多少揉めただけです」


「ほう。きちんと円満にやれているのか? たしかに貴君の短剣格闘における戦闘技術は素晴らしいものがあるが、それでも俺はやはり貴君は研究職に向いていたといまでも思っているぞ。術が使えなくとも造詣の深さと発想力があれば、実務など他に任せればいいんだからな」


 術が使えなくとも、か――村上はあの、同室の者たちから散々指摘されてきた、皮肉った笑みを浮かべた。


 口の端から出る舌先には穴が開いており、短剣型の刺飾金がささっている。


 己のために無理をして手に入れた、異能の証がそこにある。


「……ご心配なく。いまでは立場もありますし、前線には至らずここから指示を出すばかりです。どこにいても、上に立てばやることは同じでしょう」


 あんたと同じだ。指示を出すだけで、実務は他の人間がやっているんだろう。


 たとえば腹心の部下に指示を出して、村を疫病で滅ぼす(、、、、、、、、)……とか。主席の御守おもりで動きづらい次席にとっては、日常茶飯事だろう。


「ならば、いいが。気をつけろよ、貴君は若くしてそこまで上り詰めた。周囲との軋轢も大きいだろ」


「お気遣い痛みいります。ですが、梟首機関では古くからの部下も多くついていますので」


「そうか」


 そこで一度、往涯は言葉を区切った。


 次に口を開いたときには、村上の煙草がほとんど燃え尽きていた。


「貴君は、世界を救う意志はあるか」


「ええ」


「世界とは、なんだ」


「私の目と気持ちが届く範囲、届けたいと願う距離にいる人々です」


「ほう、出発点としては悪くない」


 にやにやとした、あの笑みを浮かべたのだろう。語調が上がって、往涯の声が上ずった。


「その気持ち、志を捨てんことだな。あとは、為すべきを成し行動で意思を紡げ。――件の計画におけるかなめ、日輪の力も、じきに手に入るかもしれん」


 村上は目を見開き、振り返る。だが扉は扉、沈黙したまま開くことはない。


 ノブに手を伸ばしかけたとき、往涯の声が響く。


「俺にとって世界とは、国と時代だ」


 世界を、救うぞ。


 言い残して、往涯は姿を消していた。室内には刻み煙草の燃え尽きた匂いが漂っているのみで、彼の気配はどこにもない。おそらくは扉を用いて、協会内部のどこかへ移動したのだろう。


 時間は、残り少ない。村上は灰皿に吸殻を投げ入れると、自分の外套を羽織って執務室を出る。長く続く廊下の向こう、統合協会の外を目指した。まずはレインと合流しなくてはならない。


 世界は――村上にとっての世界も、往涯の言う世界も、大きな変革のときを迎えようとしている。中心に居るのは、日輪の守人。術式もなく(、、、、、)発動媒介もなく(、、、、、、、)、視界の中に爆焔を操る脅威の異能の保有者……橘八千草。嵐の目となるのは、彼女の周囲だ。


 己と同じ刺飾金を持つ、言語魔術の使い手たる少年もそこにいる。


 なんの運否うんぷによるものか、彼はそこに位置してしまっている。


「くそっ」


 あの日、変えてみせると誓約したのだ。世界と運命を、変えてみせると。


 村上の世界には、レインがいる。井澄(、、)がいる。ただ二人だけの家族として、彼の世界には二人がいる。


 だから、奴が邪魔なのだ。


「消えろ、日輪……!」


 彼は怨嗟の声を白い息と共に吐き、長い廊下を渡りきって、統合協会の外へ出た。


 しんしんと降り積もる静寂の雪の中に、彼の叫びは吸いこまれていった。



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