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明治蒸気幻想パンク・ノスタルヂア  作者: 留龍隆
四幕 人殺嫌疑
39/97

39:過去という名の対峙者。

戦闘に次ぐ戦闘。

「乗り込んできたのはおそらく青水の連中です。ひのふのみの……」


 柄杓に水を停滞させ、静止させた水面に映りこむ階下の様子を小窓の横でうかがう。そんな長樂は敵の数をかぞえながら上役へ報告し、これを受けた九十九は転がっている案内役の男にちらりと目をやると、さも面倒くさそうに大きな溜め息をついた。


「私の小間使いを殺してくれおって……高くつくぞ、青水め」


 席を立つと、大柄な体格がさらに目立った。葉巻の火を揉み消した九十九は、不敵な笑みこそ絶やさないものの機嫌を損ねている様子だった。じきに長樂は柄杓を小窓から遠ざけると、九十九の方へ向かって現状報告を行う。


「大広間だけでも、二十はおります。護衛に乗りこませている者どもを向かわせましょうか」


「おそらくは機関部へ伏兵もいるだろう。蒸気機関稼働時の震動が、先ほどから途絶えているからな……とはいえ客の安全が優先課題かね」


 状況判断の推測を述べながら部屋の隅にある、喇叭らっぱに似た形状の金管――船内の各所へ張り巡らされた伝令管へ近づくと、九十九はそのうち四つの蓋を開いた。


「各員に告ぐ。現在当船舶〝藤〟は青水の連中と思しき者どもに襲撃を受けている。速やかに事態を収束させるべく、諸君らの働きに期待する」


 伝令管の向こうで赤火の構成員が答えたか、四つの管から一斉に返答が飛び出す。どうやら全区画、兵力は減らされていないらしい。確認がとれたところで、九十九は指示を繰り出しはじめた。


「用兵としてはまず、現時刻の警護ロウテイションにおいて第三、第四区画を守る者は至急大広間へ。陣頭指揮は〝弌鬼疾閃いっきとうせん〟貴様が執れ。第二区画を守る者は甲板ならびに例の箇所へ向かえ。陣頭指揮は〝轢き役〟とする。最後に第一区画の者は機関部へ来い。こちらの陣頭指揮は、私自ら執る。以上だ!」


 またも返事が聞こえて、九十九は伝令管の蓋を閉じた。早速動きだすつもりなのか、ジャケツの襟を整えた九十九は大きく張った胸元に手を差し入れると、一枚の符札を取り出す。


「長樂。お前は私についてこい」


「はっ。しかし、青水がここへ乗り込んできますとはな」


「大方先日の精錬所での一件について、逆恨みといったところだろう。とはいえ、怖れ多くも〝人材覇権じんざいはけん〟たるこの私がいる場所へ兵を向けるとは。とうとう奴らも大規模な抗争を望んでいるのかもしれんな」


「人質をとる腹積もりでしょうか」


「私を呼ぶ声がしていたことから察するに、交渉に持ちこむ腹積もりだと思うがね。構造上、この部屋は急襲に際して発見しづらい位置にある故、私が自ら出向くことを望んでいるのだろう……だからあえてそちらには向かわん。この膠着状態を長引かせる間に機関部を奪還し、そののち出向く」


 要求にすぐ応じては、相手からは屈したと見なされる可能性が高い。それは士気にも影響し、また頭が危険域に踏み込んでいれば部下の動きも鈍くなる。こう判断してのことだろう。


「大体私の能力は、人質を巻き込まんように使うのが難しいからな――」


 符札を片手に、九十九は部屋の出入り口へ向かう。井澄たちに背を向けたままで、


 低く静かに、異能の名を喚んだ。


「――来い、〝勇叉魚神いさながみ〟」


 呼ばわりは遠雷のように響きわたり、室内に静寂をもたらした。くしゃりとひび割れ、符札は端から灰のごとく崩れ去った。すると、じとりと井澄の肌が湿気を感ずる。室内に霧が立ち込めたような、空気の重さがあった。


 同時に寒々しい気配が、九十九の方から放たれる。湿気た肌を引き締める、波のように緩やかに這いあがる冷気。ただの人間が有するようなものではない。怖れ、畏まることを余儀なくさせるこの気配は、明らかに人の力の慮外に位置する何かである。大きな力のうねりが、九十九を中心に無秩序に振りまかれている。


 傍目にはほとんど変化の見られなかった九十九だが、よく見ると彼の足下に、ほつほつと水滴の跳ね返りが見えた。


 雨でも、降っているのか。室内だというのに。こう思ううちに水滴は量を増して、いつしか一足一刀の間合いに水たまりを形成して九十九の足下を覆う。無言で歩む彼のかかとに付随して、水面はするすると床を這って行った。


 不気味な光景ではあるが、これこそが彼の力の発現であると井澄は聞き及んでいた。鏡面のごとく静かに湛えられた水面は、薄く天井の景色が映えて……一瞬奥底に、鋭角なひれ(、、)のようなものをのぞかせた。水深などまるでない水たまりなのに、底知れない、水量があると思われて――いままた、黒く滑らかで巨きな魚影(、、、、、)が、ぞぶんと水底にうごめいた。


「あれが……勇叉魚神」


 井澄はつぶやいた。


 四権候、四天神はその偉業、異業がために島の中では実力をよく知られている。例外となるのは一切の詳細が不明である湊波のみで、他はある程度能力の情報まで出揃っている。というより、能力を知られてなお倒せないような危険人物が、四権候四天神という存在なのだ。


 かつて九十九美加登はこの勇叉魚神という術式を用いて青水の四権候と相争い、海を引き裂き地を割り砕く戦を繰り広げたという。現在整備されているあの港は、その際に九十九によって吹き飛ばされた湾内に作ったとのことだ。……たしかに、地形を抉り削ぐような力を持っているのでは、おいそれと人質のいる場に出向くわけにもいかないのだろう。


「行くぞ。奴らを叩きのめす」


 歩みを進める九十九は、部屋を出て通路へ向かおうとしていた。彼の後ろを長樂がついていき、その途中で振り返ると井澄たちに告げる。


「きみらも早く来な」


「御守りいただけるので?」


「一応は賓客だからね。九十九さんの問いかけへの返答はあとでも構わないだろうが、返答をもらうにはまず死なせてはならん」


 井澄は長樂の言葉に少し考え込んで、八千草は足下を見つめていた。だがここで留まるよりは四権候の庇護下に入るほうがいいと判じたようで、素直に申し出を受けてうなずいた。


 帽子かけにひっかけていたアンブレイラを手に取り、素早く抜刀すると長樂の後ろへつく。この仕込みに目端をきかせながら、九十九はずかずかと通路に足音を響かせた。


 井澄も両手を体の前に交叉させ、袖を振るって硬貨幣を取り出す。左手は羅漢銭、右手は指弾の構えをとり、襲撃に備えながら薄暗い通路に足をつけた。九十九を先頭に、八千草、井澄、と並んでしんがりを長樂が務めた。


 行きに井澄たちが使った急な階段は使わないようで、通路の突きあたりまで慎重に歩いていく。角を曲がったところ、船の横腹に沿った通路となって、窓の景色が右手に開いた。九十九は先行しながら、八千草と井澄にかろうじて聞こえる程度の声でささやく。


「機関部を奪還したならば、きみたちはそこで待機してくれるかね」


「承知いたしました」


 無事にそこまでたどり着ければいいのだが、と案じながらも井澄は進み、窓の下をすいと見やる。船の脇腹には小型の船舶が並走しており、ここから青水の連中がのぼってきたのだろうと思われた。


 そこから視線をあげて、島の方角を見た。すると、夜闇にまぎれるかすかな色合いではあったが、暗い空にけぶる色彩が混じるのを見つける。天へのぼる直線のきざはし。靖周たちのあげる狼煙だと気づいて、さりげなく視線を送り続けた。


 ――敵、数は二名、得物あり。洋装。金髪の女、大柄な男。


 狼煙のあがる位置、断続させる機を見るに、伝えようとしている情報はおおまかにこんなところか。わざわざ伝達を要する事項と判断したことから察するに、それらは赤火所属の人間ではないと判じたのだろう。もしも赤火が井澄と八千草に手を下そうとしていたのなら、外部の人間を雇って行うほうが露見の可能性は低い。ゆえに靖周はその二名が暗殺目的で雇われた人間だと思ったにちがいない。


 けれど現状、赤火がこちらに手を下そうとしていない以上、その推測は誤りだと言わざるを得ない。となると、この二名とやらは青水が雇った手引きのための伏兵か。否、異邦人嫌いで有名な青水が、金髪の女など雇うとは思えない。


 考えを巡らしながら見るうち、狼煙の上げ方が変わる。ほかにも情報があるのだろうか。だがすべて見定める前に窓の横を離れてしまい、同時に身体が殺気に反応した。


「――エエぇあぁッ!」


 猿のような叫びと共に、青水の者と思しき男が突如斬りかかってきた。背後、長樂の向こうからあと二歩の間合いにまで剣気を伴って押し寄せる。とっさに井澄が右手の指弾を放つ、よりもわずかに早く、長樂の柄杓が彼をとらえた。


「出でよ〝死丹水しにみず〟」


 短い詠唱で柄杓の穴から汚泥がまき散らされ、男の突撃を押し戻す。まともにこれを受けた男はそれでも勢いを失わず、切っ先を振りおろそうとした。


 が、汚泥がやんだその場所にいたのは先ほどの猛々しい青年ではない。壮年を行きすぎ、中年を追い越し、老境に入ってしまっていた。


 死丹水の術式による、老化。井澄は左手をかすめるに留めたため無事に済んだが、全身に受ければこのようになるのか。観察しているうち、男はしゃがれた声をあげた。


「え、い、あが、」


「寝ていろ」


 振りかざした切っ先の重さに耐えかねたようにふらつき、おぼつかない足取りは剣を振れる状態ではない。この隙を見極め、長樂は柄杓を横薙ぎに老人となった男の小手を払う。剣を取り落とした男に接近すると、左の拳を喉に叩き込んで地面に引き倒した。最後は奪った剣で背中から心の臓を一突きに仕留める。流れるような早業であった。


「……井澄、お前二九九亭のときは彼とやりあったのではなかったかい」


 バアラウンジに幾度か押しかけるうちに、八千草には彼の正体について話していたのだった。


「そうですが」


「よく勝てたものだね」


「この通路のように、逃げ場のない道だとまずかったでしょうね。しかし路地への誘いにも乗らず、常に正面から向き合わないように追いましたから」


 状況と地形で相手の土俵にあがらないように注意したのだ。結果として彼の術の間合いに踏み込まず済み、打倒することができた。いままたここで同じように戦えと言われたなら、まず勝つことはできないだろう。


「……どうやらこちらにも敵はいるようだな」


 冷静に言いながら九十九が階段をくだり、動きに合わせて静かに水たまりも移動する。相変わらず水底には巨大な魚影がうごめいていて、近づく者を威圧していた。


「そして気づかれた、か」


 階段の中ほどで足を止め、九十九はぐにりと頬をたわませた。階下を見やれば、先ほどの男の叫びに引き寄せられたように、八人の男たちが揃っていた。狭い通路での取り回しを考えてだろう、ほとんどが匕首あいくちを手にしている。


「……九十九美加登殿とお見受けする」


 慎重な声音で進み出たのは、一人の男。痩身に着流し、袖を通さずに羽織を肩に載せていた。総髪の似合う面長な顔は、目の下が落ちくぼんで髑髏を思わせる不吉な人相である。骨と筋が張った手をその顔の前にかざし、男は袖内から一枚の符札を飛ばした。


「我々の要求は大広間にて貴方と交渉を行うことだ。至急参られたし」


「断る。雑兵風情がこの私に口を利くな」


 目を見開いた男の発言を斬って捨てると、九十九は歩みを再開した。階段からこぼれおちる水たまりは、滑らかに広がり段差を覆っていく。痩身の男はひるむ周囲を手で制して、符札を中空へ投げ上げた。


「……では腕ずくにて。御免!」


 はたはた、と音を立てるようにきびきびと、符札がひとりでに折り畳まれていく。目をむけず、無視して、九十九は進んだ。


 符札の形状は、簡易な人間の姿を模した。それがまるで紙切り芸を開いたように、同じ形状の紙片を増やしていく。これは式神を行使する、陰陽道の術式。見覚えがあるな、と思いながらも、どこで見たのか井澄は思い出せなかった。


 やがてなだれ落ちる紙の人形ひとがたは、百余りにはなっただろうか。数多に分かれて、円運動を開始する。それぞれが行動領域を庇いあう、陣形を組んだ動きであった。吹雪のごとく入り乱れるこれらに、右の人差し指と中指を立てた痩身の男は、手刀を切って合図を送る。


「やれ!」


 途端に、円の軌跡から解き放たれて、式神の群れは飛来する。たかが紙とあなどってはならない。呪力を込めて形成された式の人形は、時として岩にも刺さる鋭さを誇る。この群体が殺到し、九十九の身を刻もうとした。速度は矢のごとく、連ね束ねた威力は盾をも打ち抜く。


 だが九十九がなにをするまでもなく。


 式神は、呑みこまれる。威力を殺され、二つに裂ける。


 なににやられた? 井澄が、そしておそらくは痩身の男がそう考えたとき、水音がどぷんと鳴り落ちた。音の出所はもちろん、九十九の足下に広がる水たまりである。


 ――これより出でし太き水の尾が、素早く弧を描いて九十九の側面を防御したのだ。水に触れた瞬間、式神はどれも二つに裂けてしまっていた。九十九の歩みを止めることさえ、できていない。いや、彼になにかの術の動作をとらせることすら。それすらできていないのだ。


 式を操る男はこの実力差に怖れをなしたか、及び腰になりながら歯噛みした。けれど、左の手刀も掲げ、振り下ろす。動作は残る式神を使役していた。


 今度は前後左右、取り囲むように配しての同時攻撃だった。


「穿てッ!」


 飛び交う式神が空中に白く残像の線を残し、長く伸びる。九十九の足下では、水が渦巻いた。


 渦は音もなく彼の周囲を囲み、外界からの接触すべてを遮断する。巻き落とされた式神は千千ちぢに散らされ、清く透る流れに一筋の差し色を施した。ただそれだけの結果に終わる。


 渦が解けて現れた九十九は何も思わぬ顔で、歩みに力強さを増すと右腕を横に払った。


「我が歩みのさわりだ、ね」


 足下から、太さ一尺はあろう水の尾が振るわれる。階段の中ほどにいる彼を中心に半円を描いて、八人の男たちを薙ぎ払った。それは達人の操る鎖鎌のごとく、鋭く疾くはしる一撃。


 軌跡に沿って、触れた壁が抉れた。当然、男たちの体も抉りとられ……手足を失う者は、まだましと言えた。腹部をごそりと削り取られ、はらわたをこぼす者。胸部から肋骨をさらす者。顔面を失い倒れ伏す者。


「ちっ、やはり加減ができんな」


 壁に傷ができたことを嘆いて、彼らの阿鼻叫喚は意にせず、九十九はそのまま進んでいった。水の尾が彼の足下へ戻ると、投げだされた肉片が通路に散乱した。惨状に、八千草は口許を押さえる。井澄は、強力すぎる彼の術式に慄然とした。


「さあ、行くよお二人さん。九十九さんが待っている」


 長樂がうながして、井澄の横から階段へ進もうとした。かぶりを振って意識を取り戻し、慌て恐れている場合ではないと気を取り直す。井澄は長樂の指示にしたがい、八千草の肩を押そうとした。


 が、ここで――目につく。


「ぐ…………、ここ、まで……か」


 腹部を抉られながらも、痩身の男はまだ意識があった。到底、戦線へ復帰することはかなわない重傷ではあろうが、たしかに意識があった。もうなにをできるわけではないと思われたが――彼は羽織の背から、震える手で紙包みを取り出している。それから、まだ残っていた、最後の一体である式神に燐寸を擦らせた。


「これで……、最期……」


 井澄はすぐさま八千草の肩をつかみ、後ろへ引き寄せる。


 彼の式神が運んだ包みは、階段で爆発し暴風と轟音を辺りに四散させた。目に光が、耳に音が叩き込まれ、粟立つ肌に衝撃の震えが伝播する。踏ん張る足から力が抜け八千草と共に後ろへ倒れたあと、爆薬の放つ刺激臭が、残り香となって漂う。


 胸の上にいる八千草越しに見ると、長樂もすんでのところで回避していた。きいんと高くかすれた音しか認めない耳は役に立たないが、明滅する視界のなか長樂は「大丈夫か」という口の動きをしていた。うなずいて身を起こし、井澄は八千草の頬を撫でる。彼女は片手で目を押さえながら、大丈夫だよと口の動きで返してくれた。


 立ち上がって見れば、階段は瓦礫に包まれ覆い隠されてしまっている。もはや通ることはできず、九十九と分断されていた。どうにかして通れないかと近づいてはみたが、崩れた階段は完全にふさがってしまっている。


「どうすれば……」


 ひとりごちて考えをめぐらしていると、聞こえづらい耳の代わりに肌が音を感じとった。内臓深くまで届く大きな音、振り向けば、通路の向こうから短銃を手にした男たちが迫っている。この発破の音を聞きつけてきたのだろう。


「まずい、逃げなくては」


 八千草の肩を叩き、通路の先へ走る。長樂もとりあえず牽制のためか一発の死丹水を放っていたが、人数が多いため対処に窮している。まずは状況を整えなくてはならない。井澄も羅漢銭を牽制として放ち、足止めをしながら奥へ向かった。


 薄暗い区画の中、手近な部屋の扉を見つけ、転がりこむ。部屋はさほど広くはなく、雑然と荷と思しき木箱が置かれている中に布団がひとつ転がっているだけだった。


 少しずつ聴覚は回復していたが、まだ遠くぼんやりとしか聞こえない。相手との距離をはかりづらいことに辟易しながら、滑り込んだ室内で井澄は指弾を構える。長樂も柄杓で出入り口を示した。


 ややあって、飛び込んでくる敵。部屋のドアを介して一人ずつしか入ってこれないため、迎撃するにはうってつけであった。まず井澄が指弾と羅漢銭で牽制し、詠唱時間を稼いで長樂に死丹水を放ってもらう。即席の連携としてはまずまずで、相手を確実に減らせる方策に思われた。


「うぐっ」


 しかし向こうもいつまでも膠着状態にはいない。壁の薄いところを探り当て、狙いもつけずに弾丸をぶち込んでくる。どこかで跳ねかえった弾が当たったか、長樂がうめいて詠唱が止まった。


 好機逃さず、部屋に男たちが入りこもうとする。焦燥感に駆られながら、井澄はこうなれば、と糸を放つ構えをとろうとした。


「ぼくが行く」


 だが先んじて二歩で間合いを制した八千草が先に斬りかかり、男の出足をくじく。左小手への斬り下ろし、爪先への突き。二連撃で動きを止めて、肢上げ靴(ヒイル)のかかとで鳩尾を蹴り込む。たたらを踏んで後退したところで、ドアを閉めた。


「あとは頼むよ!」


 即座に飛びのいて、八千草は井澄と長樂に目配せする。もうここからは持久戦だと、二人うなずきあって得物を向けた。


 ……が、すぐには飛び込んでこない。反撃に遭うことを恐れて、機をはかっているのか。


 このように考えること三秒、井澄は相手の意図に勘付き、己の愚鈍さを呪った。


「伏せろっ!!」


 耳から頭を抱え込んで叫んだ直後、またも爆発が巻き起こる。ドアが吹き飛ばされ、正面にいた井澄へ飛んでくる。間一髪で屈んで回避した井澄、だが体勢は崩れ、次に煙の向こうから現れる男たちには対応しきれない。地面にうつぶせ寝そべったまま、振りかざされる切っ先の光が目を刺して――


「ああうるさいな」


 横合いから現れた青年が、肩に担ぐようにして刀を構えた。


 そこから真っすぐに振り下ろす、単純な一撃。先に構え、井澄に向けて振り下ろしていたはずの男は、これだけで梨割りに頭部を両断された。横合いからの男は……必然に守られたように無傷である。


「僕の眠りを妨げるとは神をも畏れぬ所業。この聖域から、速やかに退去願いましょう」


 高い、少年のような声で言うとまた肩に担ぐよう構え直して、男は垂れた前髪を左手で掻きあげた。長身の、柳を思わせるような体躯。ところどころ赤錆びめいた色合いに染められた長い頭髪をざんぎりに肩まで流しており、線の細い顔つきをしている。狐目で、どこか遠くを見ているようだった。


 胸元をはだけた赤いシャツに革のチョツキをまとい、一振りの打刀を担ぐ姿――話に聞いたことのある風貌。井澄が彼の正体に思い当たったところでいままた、他の男が襲いかかる。一足飛びに、体重を載せて斬撃を放った。


 彼は右半身となり、八相に近い構えをとる。室内に合わせたのか、他流派の八相と比ぶるにいくぶん切っ先が低く、後ろを指すようにしている。そしてこれが妙なのだが、両手の握る位置が近かった。鍔元をつかむ右手へ近づけるように、左手は柄の中ほどをつかんでいる。両手の間は指二本分も離れていない……これへ、突っ込んできた男の袈裟切りが飛ぶ。


 瞬時に、彼の剣が起こる。


 相手の太刀筋に、外側から擦り合わせる(、、、、、、)ような軌道。自分の左肩めがけて繰り出された一撃に、外側から刃を添わせるように振り下ろした。


 すると、外側から合流して相手の刀に当たったとき、彼の刀のしのぎ――刀の刃から峰にかけて膨らんだ部位――が、そのわずかな角度を利して相手の袈裟切りの軌道を逸らした。逸れた刃は彼の頭を飛び越えて、右肩を紙一重でかすめる。


 同時に、振り下ろしは止まっていない。相手の一撃を逸らしながら、刃の前進は止まらない。驚きに目を見開く相手の右肩に食らいつき、対角線上の脇腹まで切り落とした(、、、、、、)


 ――一刀流奥義、切落し。これは本来唐竹割りに対してのみ使用する、「相手の振り下ろしを鎬によって逸らし、自分の刀を当てる」技である。これを磨き上げ、左右の袈裟切り・横薙ぎ・切り上げ、そして真下からの斬撃まですべてに対して切り落とすことを可能とした絶技がある。


 それこそが――秘剣〝雷切落し(らいきりおとし)〟。その使い手こそが、


「〝詩神〟……黒衛クロエ


 井澄の呼びかけに、毛ほども興味を覚えない様子で黒衛はあくびをかました。


「……霊感インスヒレションを呼び起こすは眠りと、覚醒」


 ぼそりとつぶやいて、一歩進む。たじろぐ男たちをものともせず、彼は再び剣を振り下ろす。


 また一人、刀下の鬼となった。なんの感慨も無さそうに、黒衛は構え直す。


「夢と現の狭間を行き来する愉しみを邪魔されたこの僕の不快感、鎮める役割担うはどなたでしょうかね」


 どうやら発言から察するに、黒衛はここで眠っていたらしい。いや、九十九は全体に対して働くよう求めていたはずでは、と思いながら長樂を見ると、あまり親しげでない顔で黒衛を見ていた。どうやらそういう、言うことを聞かない人種らしい。四天神はこんなのばかりか。


 だがいまは敵意の矛先が爆薬を使用した彼らへ向いているらしく、構えを崩さぬままに詰め寄っていく。しびれを切らしたのか、男たちのうち三人が銃口を向けた。


 屈み、同時に黒衛は死体を蹴り上げる。弾丸は一発が頭上を抜け、二発は死体に当たった。黒衛は左手で死体の襟首をつかんで盾と成し、右手の刀を引く。そして盾越しに突きを放って貫き、銃を扱う男の一人を仕留めた。死体を押しつけて壁際に追い込み、胸部を一突きに刺し殺したのだった。


 こうしてあっという間に三人がやられると、あとは烏合の衆と化した。その背を追ってばさり、また追ってばさり。無言のうちに斬り倒していく黒衛のおかげで、井澄たちに離脱の機会が生まれた。駆けだして部屋を脱し、通路の向こうへ走り出す。八千草が己の前を行くのを見てから、井澄はしんがりに行き場を定めた。


「こっちだ!」


 長樂の指す方向へしばし駆けて、息を切らしながら階段をくだり降りる。いまのうちに九十九と合流し、機関部へ向かわねばならない。自然と足は力がこもり、前へ前へと体を運ぶ。


 じきに、開けた場所へ出た。通路の狭苦しさから解放され、右手にはさまざまな機械、計器の類がひしめきあう。目的地が近付いている、と思い井澄は長樂に問うた。


「機関部の奪還が済んでいなければ、どうするのですか」


「我々で奪還を遂行、というわけにはいかんしなぁ。近くにあるボイラァ室に隠れ潜んで、機をうかがうことになると思うね」


「まったく、まったくもって厄日であるよ」


 愚痴を言う八千草は歩幅を広げ、長樂に置いて行かれぬよう進む。左手で頭を押さえているので怪我をしたのかと心配したが、いつもの頭痛がきただけのようだった。


 幾度か曲がり、少しずつ船底深くへ降りて。構造を把握している長樂がいなければ、いまごろは迷ってどこともしれない場所にいると思われる。これだけ入り組んだ構造ならば、そうそう奪取などされそうもないが……やはり手引きした下手人がいるのだろうか? わずかに余裕のできてきた頭の片隅で、井澄は考えた。


 だいぶ走ったがようやくそれらしいところに出て、橋のような細い通路が架かる位置に出た。三間ほど下には四つ葉の蒸気機関部と似た、黒金の心臓部が見えている。歯車や管がいくつも繋げられたそれは、いまは沈黙して物音ひとつなく、ひっそりとしたものだった。


「ここを渡りきれば辿り着く」


 長樂は元気づけるように言って、最後の距離を詰めていこうとする。八千草と井澄も続いて、かんかんと軽い音を立てる鉄橋を渡り始めた。


 そのとき、向こう岸に近づいてくる者がいた。当然警戒し、長樂は少しずつ速度を緩めた。井澄と八千草も歩を止めて、薄い蒸気の名残にまかれた向こう岸を見やる。


 三分の一を残して橋の中途に足を置いた三人は、たった一人でこちらへ迫る人影を、とっくりと観察した。


 黒の三つ揃え。洋装という点を見るに、青水とは考えにくい。大柄な体はよく鍛えられた産物と見え、隆起した筋肉に押し上げられて両肩がいかっていた。袖から突き出す両手も巌のようにごつい質感を漂わせていて、いかにも危うい。靖周の狼煙が言っていた男と、とりあえず外見が一致している。


 鬢切の髪を伽羅の油で撫でつけており、てらてらと頭髪が光る。丸い瞳をしており、目と目の間隔が広い。それは鼻の高さ大きさに隔てられているように思われて、いっそ魚に似ており不気味である。


 色の薄い唇を震わせるように動かして、男はじいと井澄たちを見定めた。そしてなにかを認めると、ひどく安心したような面持ちでこちらに歩きだした。


「いやぁ……、よかった。安心しましたぜ。道をたがえてこんなところに来てしまったもんで、こりゃいかんと思ってたんですがね」


 大仰に両腕を広げてつぶやき、にこやかな顔を作った。警戒を解けない三人を見ているのに、どこか何にも目をくれていないようで、危機感をどの程度まで持てばいいかわからなくなる。


 狙ってのものだろうか、と考えながら井澄は指弾を構え、牽制として彼の足下へ一撃見舞った。予想もしていなかったような顔で、男は井澄にぎょろりと目を向けた。


「おんや」


「動かないでください。得体のしれない相手を近づけられるほど、余裕がないんです」


「得体のしれない……ははあ、そういうこと。まあ仕方ありませんやな、所詮相手は俺なんだ」


「だから、動かないでと言うんです」


「いやそうは言われましてもな……これも仕事、という奴、でして」


 腰に手をやって、男は逆手に短剣を抜く。やはりか、と警戒がまちがっていなかったことへ安堵し、井澄は再び指弾を構える。八千草も直刀を構えた。


 幸いにしてこの通路は細く、左右にかわす空間はない。ゆえに必要なのは、上にかわされた際の迎撃だ。井澄はすぐにここまで考慮をめぐらし、長樂の攻撃に任せる。残り四歩の距離、左手を前にして男が突っ込んでくる。長樂の柄杓が狙い澄まし、汚泥を放つ術式詠唱を開始する。


「出でよ、〝死丹――」


「残念」


「――voak. uh??」


 男が一言差し挟み、直後に長樂の詠唱が不可解な言語に成り変わる。なぜ、と思いながら井澄が見る間に、詠唱を破られた長樂は間合いに踏み込まれていた。


 とっさの反撃か、柄杓を真上から突き下ろすように打つ。左前腕で弾かれ、懐に入られた。逆手に構えた男の短剣が閃き、左肩に刺しこまれる。次いで男の左掌底が長樂の顔面をとらえ、真横に吹き飛ばす。結果、短剣の痛みから逃れようともがいていた長樂は、通路の柵を越え身を浮かせた。


「――――,」


 無言のまま井澄を見て、苦悶の表情で落ちていく。だが井澄はこれを、視界の隅にとらえただけだった。意識はしなかった。他人を気遣う余裕など、ない。


 返す刃で短剣を構えた男に対して、左右の指弾を連続で撃つ。途端に身をひるがえし、男は柵に左手をついた。片手で側転するようにして、二寸ほどの幅しかない柵の上を移動する。しまった、と思ったときには背後をとられ、つまりそこには、八千草が。


「あばよ」


 振りむけば、男の短剣が横薙ぎに振るわれ、八千草がこれに反応し切っ先をずらした。そこで男の左手が腰からもう一振りの短剣を抜く。誘いに応じて死に体となった八千草に、順手持ちで突き出した。


 体勢も整えず、井澄は男の左膝を蹴り抜く。後ろに置いていた膝の崩れで突きは逸れ、八千草の右肩をかする程度に終わった。けれど今日の八千草は、肩口も広く出たドレスを着ている。ぱっ、と、赤き血が虚空に舞った。


「あっ、」


 小さな叫びと、しかめた顔。


 井澄は、自分が逆上する瞬間を知覚した。


「――下に注意しろ――!」


 それでも頭は冷静に働き、男に向かって虚言を吐いた。即座にこれを〝殺言権〟で抹消する。


 すなわち明らかな陽動である虚言によって「これは騙しだ」と思考させ、かつその思考の原因である言葉を抹消することで、相手はなにについて「騙しだ」と思いを馳せていたかわからなくなるのだ。


 寸毫の差が決め手となるこの間合いで、刹那の間でも思考に混乱を生めれば勝機としては十二分足り得る。井澄は右腕を振り抜いて鋼糸を解き放ち、男の首を狙った。


「知ってるぜ」


 ところが寸前で、首をひっこめた。全身を沈ませて、鋼糸の斬撃から逃れる。


 今度は井澄が思考を乱される番となった。男は振り向きざまに左の短剣を二連続で突き込み、動揺する井澄の左腕に浅手を負わせる。後ずさって、井澄は三歩の間合いを置いた。八千草も同様で、通路に一直線に三人が並ぶ。


 にたりと笑う男は、困惑する井澄を楽しそうに眺めた。


「……なんで、お前、わかってッ、」


「わかってた、わけじゃあありませんぜ。知ってんだよ(、、、、、、)。だって俺は――」


 男は笑みのままに口を広げ、べろりと太い舌を出した。


 そこに刺さるものをみて、井澄は呼吸が止まった。


「それ、は――」


 銀の短剣を模した刺飾金ピアス。井澄の術式の媒介であり、つまりは殺言権のための代物。これとまったく同じものが、男の舌を貫いている。瞬時に、脳裏にはこの魔術の習得について思い出が駆け廻った。


 まだ本土にいたころ。かつて陰陽寮と呼ばれ、現在は統合協会と呼ばれる場で行われていた術式研究。


 鶴唳機関・教論者。言語魔術舎ラング・マジック・ドミトリ。ここに所属していた井澄は……井澄は。


「そういやあんた、こっちに戻ってくる気はないんでしょかね――脱走者の、セイト(、、、)


 井澄は……井澄セイトは、歯噛みして唾を呑んだ。



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