38:商談という名の懐柔。
「本日お招きしたのは他でもない。この赤火から緑風に、断っての申し出があるためだ」
申し出、などと下手に出たような物言いながら、九十九から感じられる威圧感は命令のにおいを漂わせていた。これまで眺めていた土俵にようやく上がれたとはいえ、まだまだ八千草と井澄は彼と対等には扱われていない。身も心も引き締めて、相対した。
「申し出、とは」
「ここからは商談となる」
言って、九十九は葉巻を手に取ると刃渡り二寸ほどのナイフを取り出し、端を切り裂いた。長い燐寸を擦ると切り口に向かって時間をかけて火をともし、ぱっ、ぱっ、と緩く煙をあげた。
「緑風アンテイク。きみたちには新たな流通経路として、独逸や和蘭へ向けて近日開く航路にて仕事の一端を任せたい」
身をひるがえすような態度の入れ替わりに、まだ吐き気をこらえている井澄は驚いた。よもやどのような不平等条約を押しつけられるのか、と思っていたら、業務提携の打診とは。八千草も同じ感想を抱いたのか、井澄の前で肩を硬直させていた。
「……どのような航路、販路なのかをお聞きしないことにはなんともお返事のしようがございません」
「簡潔に言うのなら、赤火の持ち得ぬ緑風の工芸品、産業としての技術の結晶を販路の主軸に据えたいということだ。手始めに、仕立屋が黎明期にこしらえた労働者による寄り合い。こちらとの仲介を、アンテイクを挟まずして行えるようにしてもらえるだろうか。無論こちらも販路における流通の折衝に際し、仲立ちを要せず行えるようとりはかろう。なんなら値段交渉に要する相場取扱人も無料で使えるようにしてもよい」
鷹揚に両の腕を広げて発言する九十九に対し、ふむ、と井澄は考えた。彼が言うことは要するに、互いの仲介料の廃止だ。
これまで互いが互いに領域を侵されぬよう固持してきたこだわりを捨て、より自由な貿易や売買が可能となるようにはかろうということである。
それぞれが固持してきたこだわり――これは各葉が擁する人材に由来する。たとえば赤火なら貿易流通に詳しい者を多く囲うことで、この四つ葉を人にたとえるのなら血管の役目を果たしている。緑風は流れる物品や産業としての技術、すなわち血液そのものを。青水は銀を掘り出し賭場によって金銭を得て、血液を生みだす材料を。嘉田屋は娯楽を与え、人を効率的に動かすための情報により全身の癒しを。
九十九は葉巻の煙を大きく広げながら、白煙の向こうより言葉を継ぐ。
「十二年の歴史の中で、この島も変わった。具体的に言うのならば、業種は多様化したが多くは複合型の施設となった、ということだがね」
「複合型……職は増えたものの、ひとつで多くを兼ねようとすることになった事実を指しているのでしょうか」
「聡いな、八千草殿。その通りだ。情勢の安定により職は増えたが、人々は専門的な仕事を個人店で行うよりも、多くの仕事を共同の店で兼ねるようになった。今回式典を開くこととした蜜越百貨店も、その事実に則って作り上げた」
金はすでに集まっているところに集まる。選択肢の豊富さは人を呼ぶ、ということだ。二九九亭があのように経営に詰まり、赤火の流通経路でなく格安の別経路を選んでしまったのも似た要因があるだろう。
要するに――四層五区のあの付近には、他に食事処がなかった。
蕎麦を食べたい、と思う日があったとしよう。行き着けのうまい店があったとしよう。ただその店の周囲には他に店はなく、たしかに味は良いのだが不定期に休業日があるとする。反対に、三軒ほど蕎麦・うどん・南京蕎麦などと麺類の集う一画があったとする。……これならば三つ軒並みすべてが休みということはないだろう、などと打算的に考えて心揺らされることはあるはずだ。
極端な例ではあるが、これが選択肢の豊富さがもたらす力だ。多くの選択肢を用意し興味をもたせることは、自他ともに共栄してゆくにあたり有効な手なのだ。それはこれまで二層二区の明藤本通りや寿谷大通りで、他の葉閥と競合する形で作り上げていた〝商店街〟という形態があてはまる。
それを赤火の手の者を中心として作り上げたのが、今回の百貨店計画ということだろう。
「いずれこのように『多様な業種を一手に集めた店舗』という形態も猿真似が横行し、その際は他店との差別化をはかるべく強みや個性を出していかねばならんだろうが……それは今後百貨店においての客足、世相の欲するものなどを鑑みて変えていけばよい。そこでまずは元となる選択肢の豊富さを要するというわけだ」
「だから今回の業務提携をご提案なさったのですね」
「左様。我々が手を結ぶことで、より多くの選択肢が現れる」
いかがか、と葉巻の先を向け、微笑み絶やさぬ赤火の主は決断を迫る。話をここまで聞くぶんには、悪くない提案であると思われた。だが契約の場においてはさまざまな文言を織り込まれ、不平等な条約にさせられるかもわからない。
緑風の擁する、貿易流通の精鋭を揃えて後の回答が必要な案件だ。……とはいえ、決断迫る赤火から逃れて「いったん持ち帰らせていただきます」などと口にすることは許されるのか。井澄は悩み、八千草にどう進言するか迷った。
横顔をうかがうと彼女もどこか迷った様子で、もじもじと右手の指先を動かしながら眉の端を釣り上げていた。それから、ふっと口を開く。
「ときに九十九様、先ほどあなたは独逸や和蘭と航路を開く、とおっしゃっていましたが」
「それがどうかしたのかね」
八千草がなにを迷い悩んでいたのか皆目見当つかず、井澄は慌てた。だが彼女は彼女なりに、自分の中に生まれた疑問へ真摯に悩んだ末の問いであったらしく、一度口にすればためらうこともなく言葉を並べたてた。
「失礼ながら現在この島にいる、あるいはいた独逸の商人とは、関係を結んでいないのでしょうか」
「……いたとは?」
「しばらく前になりますが、私どもが受けた依頼の中で独逸の剣士と斬り合いになりまして。その際に剣士たちが守護しておりましたのが、ヨハン・リヒターという独逸の商人だったのです」
あ、と井澄は思い出した。嘉田屋の依頼で娼枝殺しの下手人を追ううち遭遇した男。独逸語でまくしたて、下劣な言葉を投げかけてきたあの男。ブンヤの踊場から聞いたところによると、井澄たちに捕えられたあとは嘉田屋地下牢で拷問に遭い、その後遺体が運び出されるのを見た者がいるとのことだったが。
「また先日、私どもは赤火所属であるライト商会から依頼を請け負いました。その任務の中で危うい目に遭ったのですが……依頼は、偽装されたものでした。下手人である男・式守一総はライト氏を脅迫することで偽の依頼を出し、我々を居留地まで呼び寄せたのです。そして彼は居留地でのブルーノ・バートリー、先ほどあげたヨハン・リヒター両名の殺害についても己の仕業とほのめかす発言がありました」
「ひどい話だ。我々の同胞がそのような輩に殺害されるとは」
「ええ、本当に。……ところで、嘉田屋はそのヨハン氏について、なにかおっしゃってはいませんでしたか」
八千草の意図するところまで追いつけないまま。井澄の前でなにか、水面下での探りあいが進んでいる。どうしたものかと様子をうかがっていると、唐突に九十九は笑みを強めた。まるで、なにか確信を得たような素振りだった。八千草も、彼となにがしかの意志疎通をなした印象を与える笑みを浮かべた。
「だから、きみたちと今後の仕事をしようと考えていたわけだがね」
「納得いたしました」
八千草は言って引きさがり、少々お時間いただけますかと問う。まさかこの場で猶予を得ようという豪胆さに感嘆して、九十九がこれを認めたために二度驚いた。井澄を向いた八千草は、こそりと耳打ちする姿勢をとったので、彼は膝を屈して横につく。
「……どういう状況なのですか、これは」
「いやね、気にかかったことがあったから鎌をかけてみたのだけれど……ぼくの推論が正しかったらしい。つまり簡潔に述べると、ブルーノ、ライトの死は撹乱の策だったということさ」
確信で以て彼女は語る。どういう次第か説明を求めると、彼女は眉をひそめて次のように述べた。
「居留地における二名の死には、さしたる意味がなかったということであるよ。彼らの死は、ぼくら、ひいては四つ葉の人々の目を『ヨハンの死』からそらすための撹乱であったという一言に尽きる」
「死んだことが、ただの撹乱?」
「赤火の主、九十九美加登氏の求めるものは、それだったのだろうと思う。彼が、冥探偵を雇ったんだ。ヨハンの死を、目立たせぬように」
視線を横へ流し、八千草は唇を震わせる。
「……! にわかには、信じがたい結論ですね。あの商人殺し三件は、すべて九十九氏の意図するところだったというのですか」
「そうさ。ヨハンも商人であった以上、赤火の所属にちがいない。その彼が黄土の領域で狼藉を働いたこと、これは赤火にとってひとつの弱みと成り得る。そこで冥探偵を雇い、殺させた。護衛の剣士も死んでいる以上、証拠となるのは彼自身の存在のみだが、死人にくちなし。彼が死ねば黄土からの追求をうやむやにできる。
しかし突然に彼だけが死ぬのでは、黄土からの疑いは晴れない。ゆえに、ライトとブルーノも冥探偵に裁かせた。たぶん、ライトとブルーノは本当に阿片を取り扱っていたのであろうよ。これなら殺しにも自浄作用のためという名目が、対外的に成り立つ。まあ結局月見里さんと会うことになっていたあたり、釘は刺されたのだろうがね」
「でもそう簡単に、身内を切るでしょうか?」
「簡単ではないだろうけれど。少なくともライトは、業績不振だったはずだよ。切るには易い、安い人材であったと言えるのではないのかな」
「業績不振……あー。あの倉庫ですね」
井澄たちが式守に襲われた赤煉瓦倉庫。あの内部の様子について思い返した井澄は、納得の声をあげた。しっ、と八千草にたしなめられ、慌てて口をつぐむ。
倉庫の内部。そこには、天井に届くほど高くまで、輸入した品物が並べられていた。
別段それは悪いことではない。元手あってこその商売だろう。しかし、時節が時節だ。年始の、まだ四つ葉の流通も活性化していない時期から、あれだけの品を溜めこんでいる状況。それは商売としての代謝が悪くなり、在庫整理が追い付いていないこと。売れ行きに難があることを示唆している。
「だからこそ、ライトも阿片密輸に手を染めたのやもしれないね。……ともかく、ここで終わっていれば、赤火は憂いをある程度消すことができた。黄土との間に漂う不穏な空気を消せた。ところが冥探偵は独自の論理で罪人を裁くことに固執しはじめ、ライトを脅しぼくらに偽装依頼を出すまでに至った。今度は緑風との間に禍根を残しそうになったというわけさ。……ぼくらが冥探偵に目をつけられたのは、山井さんも阿片の扱いに加担していると見たからだろう」
「となると、薬品の流通停止やそれによって楠師処をライト商会におびき寄せたこと、我々を襲ったことなどは……すべて赤火の目論見ではなく、冥探偵の個人的なものだということになります」
ライト商会での事件後、八千草が昏睡している間に靖周と語り合った話とは、まるでちがう。組織的な目論見、緑風の弱体化を狙ったのではなく、ただの個人の行いとは。
井澄の困惑に、小さなのどを鳴らして八千草はうなずく。
「靖周とお前で話した推論では、それらは緑風勢力を分散させて各個撃破を狙うための策だとのことだったけれど。こうしてここに招かれ、こちらに有利な条件を提示しているところを見るに、少なくともいま赤火に緑風を潰すつもりはないと見えるよ。つまりこの状況は、あの日の不手際を手打ちにするためのものじゃないかい」
「緑風との関係悪化を危惧した九十九氏が……、と考えているわけですね。そうなると、あのとき電信で冥探偵を止めたのも?」
「うん。九十九氏だろう。気づいたのは向こうの間諜のおかげかな。ぼくらもそうだけれど、各葉閥は互いに己を除いた四権候、四天神の周囲に間諜をつけている。互いに大きな動きができないよう牽制するためにね。その中で危神がライト商会へ向かい、ぼくらも向かった。なにかあると見た赤火が様子をうかがい、その中で冥探偵の暴走を悟ったから止めてくれたのであろうよ」
「では危神の殺害は? だれの、どういう目論見ですか」
「当然、残る青水か黄土ではないかな。ただ青水の〝怪神〟は働きづらいだろうし、黄土の〝盗神〟が一番暗殺に向いているかな……月見里さんが先のヨハンの件で赤火に不信感を抱いているとしたら、赤火のライト商会に関わろうとしていたぼくらを危険視して動いたとも考えられる。先も述べた、間諜によってぼくらの動きを察してね」
とはいえ、と区切って、長話になってしまったと思ったのか一度八千草は九十九の顔をうかがう。まだ笑みは崩れぬままだが、急かすような圧力が顔いっぱいに広がっていた。顔を下げて、八千草は口の端をひん曲げた。
「……とはいえ、これは推論に過ぎない。十中八九当たっているとは思うが、一分か二分は外れている。それでも……ついてきてくれるかい?」
「あなたが望むのならばいつ何時までも何処までも」
九十九は利益を与えるから黙れと、そう言っているに過ぎない。実際、ここで受けずに断ればどうなるのか。井澄は心配だったが、憂いを振りきる。
最後の判断を下すのは、代理とはいえアンテイク店主としてこの場に赴いている八千草だ。井澄は進言こそできてもそれ以上が許される立場ではない。硬直して、ただ状況によっては八千草を守るべく動く護衛。それだけだ。
口元を隠していた手を離して、八千草は耳打ちの姿勢をやめる。もうこれで、あとには退けなくなってしまった。井澄も膝を伸ばし、立ち上がって背筋を伸ばす。
九十九と、赤火の重圧と、対峙する。
――瞬間、
階下の大広間に通じる小窓から、悲鳴と怒号、破砕音が轟いた。とっさに八千草の身を庇いだてした井澄は、振り向いて窓を見る。途中視界に入った九十九は、身じろぎひとつせずただ眉を動かしていた。
「なにが起きた……?」
長樂は井澄と同じく主を守る体勢となっていたが、きな臭い空気を感じとったためか、すでに柄杓を取り出していた。疑問そうな彼の前を横切って、案内役の男がおそるおそる、小窓から顔をのぞかせる。
途端に岩盤を砕いたような重い音が鳴り響き、男は床に転がる。頭を押さえようとしたか、両腕が動く。けれど押さえるべき位置には、大穴が空いていた。頬が削げ落ち、頭部を弾丸が貫通した様をさらしている。
先の大音は、鉄砲による銃撃か。
「敵襲、かね」
冷徹につぶやいた九十九の声を掻き消すように、階下の怒号が渦を巻いた。
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銃声に身をすくめることもなく、レインと名執は大広間の状況を冷静に見据えていた。人々は狂乱に満ち満ちて、突然降ってわいた出来ごとに身を委ねてしまっている。
最初に、破砕音だった。次に窓を叩き割り、現れた連中の怒号。最後に悲鳴。
窓はいくつも割られ、人々がそこから退き。空いた隙間を埋めるように、なだれ込む人、人、人。この会場にはそぐわない、汚らしい着流しに身を包んだ男どもが、各々短刀や打刀などの得物を手に乗り込んできた。一目で、調査資料にあった〝青水〟の連中だとわかる人相であった。
皿に盛り付けたビフテキを頬張っていた名執はほとんど噛まずにこれを飲み下し、例の口を動かさない会話法でことの推移について問うてくる。
「こいつぁ……、どういうことでしょかね」
「わからん。ただ、面倒な状況に巻き込まれつつあるな」
暗器術により衣服の中へ隠し集めていた銀食器を思いながら、レインは懐よりフラスコを取り出す。これを見て、名執はうへえとうめいた。
「ヤりあうってんですか、この連中と」
「馬鹿を言うな。面倒事に巻き込まれぬうちに、騒ぎに乗じて本来の目的を達するぞ」
「あ、やっぱそうですか」
「当たり前だ。この状況の対処に、赤火の術師や戦闘者の大半が割かれるだろう。そうなれば我々が動くにあたり好都合だ。いまならばお前の言壊で撹乱しなくとも、逃げ惑う一般人を装うことで船内を怪しまれずに移動できる」
じゃらりと落とした銀のナイフ、フオク、匙に、レインはフラスコの液体をふりかける。ラヴェルには〝得利苦汁〟と書かれており、とろみのついた無色透明の液は、フラスコの見た目よりずっと多くの量を溢れさせていた。
液は、銀食器に触れると赤く変じる。全体を粘液のように覆い尽くし、銀を溶かし形を変える。レインは屈んでこれに触れると、まるで床から引き抜いたかのように一振りの短剣を手に入れる。刃渡り五寸もの、鋭い両刃の短剣だ。
冶金術・銀精錬成。錬金術師であるレインにとって、あらゆる金属は支配下にある。もっとも、下準備としてこの得利苦汁を精製するのが大変な手間なのだが。
床にはあと二つ、生えるように柄が突き出している。さらに二振り、同じ形状の短剣を手に入れると、レインは最初の一振りを袖に隠し残り二振りを名執に預けた。
「持ってゆけ。得物も無しでは心もとないだろう」
「へえ。ありがたくいただいていきますぜ」
名執は腰のベルトに挟みこむようにしまう。こんな二人の動きも気にされないほど、周囲は慌ただしく騒々しい。
「ではゆくぞ。お前はここと、上の階層を調べろ。わたしが下へ行く」
静かに素早く、けれど確実に。レインと名執は逃げ惑う人々の隙間を縫って、動きだす。ちらりとうかがえば、暴れ出した男たちはなにか主張をはじめている様子だった。
「……赤火、白商会の奴はどこだ? 他の連中に用はねェ、奴を、九十九美加登を出しやがれ!」
だがレインの任務――橘八千草の殺害には、なにも関係が無い。虐げられる客を尻目に、刃を隠し持つレインは駆ける。
広間を抜ける際、背後から二度目の銃声を聞いた。音からして、先込めの旧式短銃だろう。これもまた好都合、とレインはジャケツの前を開いた。広がった背広の内側には、連なった弾丸が縫いつけられている。
そしてズボンとシャツの間に納められた、無骨なるコルト・シングルアクシヨン・アルミイが輝いた。六連発のリヴォルヴァは音が気にかかってぎりぎりまで使うまいと判じていたが、これならば愛銃を用いても露見の心配はない――
広間から出てすぐ、曲がり角より、短銃を携えた男が来るのを見て。
レインは鋭く銃を抜き、撃鉄を起こし、引き金をしぼるように撃った。轟音と手首まで伝導する衝撃を感じたあとには、結果が残る。胸部の真ん中を撃ち抜かれた男は、ぐにゃりと足をもつれさせ、声もなく倒れる。
彼の短銃を奪い取り――やはり先込め式の旧い銃だ――腰に納めてから、レインは階段を降りる。ひとまずは船内をくまなく調べなくては。見取り図などがあれば、と思いながら下り、曲がって通路を行こうとしたところで、またも眼前に男が現れる。振り向こうとしている彼の背後に迫り、もはや三尺という間合いの中で、左の袖内から彼女は短剣を滑らせた。
逆手に構えた切っ先が男の左頸動脈を引き裂き、喉笛を押し潰して反対側から突き出す。前腕を起こして手首を内にひねり、肉を抉りとるように動かすともう男は息をしていない。藍色の着流しに鮮血を滲ませて倒れる。
倒れた男の向こうにもう一人。こちらを向いて、短刀を低く構えている。肩口から突進するように刺そうとしている手合いだ。
「お、おおおおおッ、」
彼我の距離二間を潰そうと、大股に踏みだし駆けてくる。レインは無表情に彼を見つめ、左手の短剣を無造作に投げた。走り出した男は止まれず、刃を右の大腿部へ受ける。さくりと刺さって、つんのめる。
彼が顔を下げたときには、レインが低く踏み込んでいた。制動をかけ、慣性にしたがって振り抜いた彼女の左腕が下から伸び――短剣を再び逆手に取ると左大腿部の付け根、左腋の下、喉仏、と流れるように切り裂かれる。主要な血管を断ち切られ、男は青ざめ即死した。
蹴り転がして、先へ進む。
右手に銃を。左手に刃を。
――ただこれらを効率的に振るうひとつの機構と化して、彼女は船内を蹂躙しはじめた。
その女、弾丸の如し。