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明治蒸気幻想パンク・ノスタルヂア  作者: 留龍隆
四幕 人殺嫌疑
33/97

33:夜会という名の危険域。

パアティへの誘い。


「船上夜会?」


 聞き返した井澄の前で、八千草はぷかりと煙をあげた。帰還した湊波との雑談からはや三日、二人で遅い夕食をとったあとのことだった。


「そう。白商会の主催でね、港から沖へ出て島を周回するのだそうだよ」


 パイプ片手に煙を吹く彼女は空になった南京蕎麦の器を眺め、勘定を置くと立ちあがる。井澄も右にならって勘定を取り出し、懐中筆を取り出しながら彼女に続いた。


 夜泣き蕎麦の屋台はゆっくりと通りから離れていき、二人は帰路に着く。井澄は家計簿としている手帖に日付と食べたものの金額を記すと、懐にしまいこんで代わりに紙巻煙草を取り出す。


 だが燐寸を切らしていたようで、ポケットを叩いても埃しか出てこない。そういえば燐寸を購入しろと手帖に書いてあったような、とおぼろげな記憶を探り当てると、弱り顔で口から煙草を離した。すると、嫌そうな顔だが八千草がパイプを差し出してくれた。喜び勇んで火をもらい、井澄は常よりもうまい煙草を口にしている気分になった。


「して、そこへ呼ばれているのですか」


「ああ、四日後に。なんでもドレスコウドという規定があるそうでね、正装でなくてはならないそうだ」


「正装と言いますと」


「かちりとした決まりに沿う服装であろうよ」


 うなずく八千草は胸を張り、すたすたと歩いていく。井澄はあとに付き従いながら、寒風にさらされた手に手袋をはめた。手を繋ぐことができればもっと暖かいのだろうな、とは思うものの、八千草は左手でアンブレイラを、右手でパイプを支えているため隙が無い。じっと手を見て握ったり閉じたりしながら、井澄は彼女の脇を歩いた。


「仕事ということですか?」


「いや、赤火に招待されているだけであるよ。緑風の頭である人間と会合を行いたい、との旨だったかな。湊波さんが不在だったから、ぼくが代わりに行くことになったのだよ」


「……会合、ですか。怪しげですね。とくに緑風だけに呼びかけている辺りが」


「お前も話していた、黄土との密談についての牽制……はたまた危神を欠いた緑風の頭を続けざまに潰そうというのかな。いずれにせよ目的を見極める意味合いでも、逃げるわけにはいかないよ」


「しかし不在もなにも、いまは仕立屋も帰還しているではないですか。あの人に任せればよいのでは」


「おそらくは湊波さんの帰還を知ったからこそ、赤火の主も呼びかけてきたのだとぼくも思う。でもねぇ、あの人……また昨日からいなくなってしまったらしいよ」


 唖然とする井澄の横で、八千草は目を伏せた。湊波の、あの感情の読めない声がよみがえる。


「ばかな、ホントにお土産渡しにきただけだったんですかあの人」


「四つ葉のどこかにはいるのだろうけどね。山井さんに外出すると伝えてそれっきり、だよ」


 ふてぶてしい態度で出かける旨を伝えている様が目に浮かぶようだった。となると、この四カ月の間と同じく、緑風筆頭アンテイクの代理店主は八千草のままだ。呼ばれているのに逃げるわけにもいかない。


「舐められてはいけない、だろう?」


 しばらく前に仕事探しにさまよった際、靖周に言われたことを引きずっていたらしい。時と場合によるのでは、と井澄はとりなすように言ってみるが、八千草は首を縦には振らなかった。


「肩書きだけの店主であって、このような実務がくるとは思っていなかったけれど。きてしまった以上は仕方がない、しかと請け負ってこなしてくるよ」


「そうはいっても心配です」


「まあ、大仕事になりそうなものだからね」


 軽い語調で言うものの、八千草はどこか平坦な物言いになっていた。少しの緊張と焦りが生み出すその平坦さは、井澄にとってもめずらしいもので、心を揺らされる。


「これまでの仕事はどれも、べつに軽く見るわけじゃないけれど、失敗したからといって大事になるものではなかったからね。その点今回は赤火の主との会合、ぼくの一挙一動が今後の緑風との関係においてどう響いてくるかわからない」


「……しかし、他に代理店主を任せられる人は、いないのでしたか」


「うん。まず山井さんはいまの所属こそアンテイクに定めてはいるものの、仕事上客を選ばずどの葉閥にも公平に接している。だからこそ情報網や人脈が太く、仕事において必要不可欠な人材となっているね。でもそもそも、出身は黄土の嘉田屋だよ。補佐としてはこの上なく有用な人だけれど、緑風の代表となれば反感を買い敵対者が増えることを覚悟しなくちゃならない」


「私も似たようなもので、情報網確保のために山井と同じようなツテを得ています。経歴の不明瞭さも不信感を生む原因となっているでしょうね。そして靖周と小雪路は」


「元島民で、最下層出身であるからね。ところによっては、あいつらのほうが反発を招くことも多いのだろうよ。皮肉にも、人脈も力もないお飾り(、、、)だからこそ、ぼくは代理店主を務めることができているわけさ」


 唇にパイプをぶらさげて、頭を掻きながら八千草は言う。彼らの受ける処遇、置かれている境遇について物申したいところがあるのだろうと、井澄は思った。


 この島が四つ葉と呼ばれはじめ、政府が管理を投げだす以前の〝笹島〟と呼ばれていたころの住民……それが元島民と呼称される人々である。生まれも育ちもこの島である三船兄妹もこのくくりに当てはまる。


 十二年前からこの島は機能し始めたが、政府により手が入れられはじめたのは十六年前だったという。当時大半の島民は政府に従って土地を徴発され、交換条件として生活場所を四層以上の比較的恵まれた土地に移した。本土へと渡る者もいたという。


 だが土地を手放そうとしなかった者、政府に盾突いた者は〝特殊労役〟と呼ばれる制度で政府に無理やりに本土へ連れていかれた。その後の行方は知れず、帰ってきた者はいないという。


 この制度のために親を連れていかれ、三船兄妹は二人きりでこの島に暮らすことになったのだ。そして特殊労役に連れていかれた人間の身内は、当然のように周囲にいい顔をされない。結果的に二人は六層四区の貧民街での生活を余儀なくされ、紆余曲折あって仕立屋に拾われ、五層にのぼってきたのだ。


「そういう次第で、ぼくはあそこへ向かう。前も言ったけれど、靖周は居留地を通るのも嫌がるし」


「異国の人間が嫌いなんですかね」


「まあ、そんなところだよ。ひとまずこれで指針は定まった、四日後はいないからそのつもりでいておくれ」


「私も行きます」


 間を置かずに言えば、ぴたりと足を止めた八千草は振り返り、井澄の顔をじっと見ながら煙をあげた。


「なにを言っているんだい」


「代理とはいえ緑風の主として八千草は出向くのでしょう。であるならば、主ともあろうものが護衛の一人もつけないのはおかしいじゃありませんか。私を連れていってください」


「……あのだね、井澄」


「私だけでは心もとないというのなら、山井や小雪路も連れていきましょう」


「だからね、井澄」


「なんでしたら緑風の手練の者を従えてもいいですし。ですから、どうか」


「聞きなさいこの早とちり」


 アンブレイラで脇腹をつつかれて、ぐええとうめきながら井澄はうずくまる。嫌な感じに筋肉の隙間に突き刺さった気がして、出血してやしないかと思わず確かめた。だが自分の身かわいさに確かめたのではない。怪我によって八千草についていけなくなったら困る、と思っての行動だった。幸い傷にはなっていないようで、ほっとする。


「あのだね、建前とはいえ話し合いの場としてお呼ばれしているというのに、ことを構えそうな大所帯で出向いてどうするんだい。無用な圧力をかけて、それこそ葉閥同士の抗争の火種になりかねないよ」


「そ、それはたしかにそうですが」


「あともうひとつ。なんのためにぼくがドレスを買い、お前に公式的フオウマルな服を買ってやったと思っているのか。言ってみなさい」


「……舞踏会にでも呼ばれた際に、恥ずかしくないようにするためでは」


「だれがお前と踊るか」


 ずばっと切り捨てられて、うずくまっていた井澄の膝が地に落ちる。夜な夜な一人でこっそりダンスの稽古をしていたのは、どうやらすべて無為の無駄だったらしい。わずかばかり死にたくなってきた井澄は、おろおろと目に見えてうろたえた。八千草はさも情けなさそうに、そんな彼を見やって頭を抱える。


「――こういうときのため、だよ」


「え」


「エスコウト。しっかり頼むよ、井澄」


「は」


「は、じゃないよ。付き添いが一人もいないというのも、それはそれで問題であるからね。お前がぼくの護衛なのだよ」


 一秒か二秒ほど呑みこめず、井澄は頭の中で八千草の言葉を分解整理した。文脈の読み違えはないか、思いあがって変な聞き違えをしてはいないか、と考え続ける。だが結論が出る前に、頭を抱えたままの姿勢で八千草は視線をちらと下げ、井澄に向かって言う。


「お前以外を連れていくつもりなど、ぼくは毛頭ないよ」


「や、八千草」


「ぼくが知る限り、アンテイクで一番弱いと思われているのはお前であるからね」


 続く言葉に叩きのめされた。もはや膝も屈してしまったので、かくなる上は突っ伏す他ない。けれどさすがに四肢を地に這わせるのは人間存在としてどうかと思えたので、必死にこらえた。耳と意識が遠くなりはじめたが、まだ八千草は言葉を継いでいた。


「だから連れていくに当たり、不必要に向こうへ警戒させない。これが小雪路であれば、次代の危神を連れてきたと騒動になってしまうからね。お前くらいがちょうどいい」


「ちょうどいいって……最弱って」


「? なにしょげているんだい。お前でなくてはだめなのだよ?」


 別に他意はないのだろうその言葉にも反応してしまう自分が恨めしい。だが最も弱いとの格付けをなされてでも、井澄は八千草の傍にいられることを優先する。せっかくのご指名なのだ。ほかのなにを差し置いても八千草の命は絶対である。ただ、わずかばかり男として、また戦場に身を置く者としての矜持に傷がついた気はした。


「……わかりました。わかっておりますとも。私はあなたについていきます、八千草」


「ん、うん。そうしてくれるとありがたいよ」


 若干涙を呑んだような気がしたが、煙草の煙が目にしみただけだと己に言い訳する。立ち上がる井澄は歩き出そうとしていた八千草に並び、毅然とした態度で先を行く。


 その背に向けてか、なにごとか八千草がささやいた。


「……糸と、殺言権。二つを秘匿することで周りに弱いと思わせてる(、、、、、)ぶん、お前が一番意表を突ける。それに……信頼のおける奴、だものね」


「なにかおっしゃいましたか」


「いいや、なにも」


 たまには八千草も一人ごちることがあるのだな。そんなことを思いながら、鼻をすすって井澄は先を歩いた。



        #



 当日になり、結局湊波は帰ってくることがなかった。店内の掃除をして、はたはたと埃をはたき落としながら井澄は時計に目をやる。出航は日没の頃とのことだったので、そろそろ準備をはじめねばならない。はたきを持った手を止めて、井澄は応接室にいる八千草をのぞいた。常のように小説を読んでいたが、どこか頁をめくる手はぎこちない。


 壁面にかかる品々へ目を戻せば、埃はあまり減っていなかった。こちらも手先にあまり力が乗っていないな、と思いながら指先で品をなぞっていき、埃の載っていない蹄鉄までくると、扉の開く音に気づいて手を引っ込めた。


「いらっしゃいませ」


「客じゃないわよ」


 踏み込んできたのは山井で、白衣をひるがえしながら店内へ入る。連れてきた寒風から逃れる動きで、入口のすぐ脇に置いてあるストオブへ手をかざした。


「今日が赤火との会合だったわね」


「ええ。そろそろ刻限ですし、出向こうかと。仕立屋は帰ってきましたか?」


「ぜんぜん。行方知れずもいいとこよ。あいつが本気で姿くらますと、この島の情報通全員集めたって見つけらんない気がするわ」


「ではやはり、我々で向かう他ないのですね」


「悪いけど、そうなる」


 七星の紙巻煙草を取り出し、しゃがみこんでストオブから火を点ける。井澄も敷嶋の紙巻煙草を取り出しストオブに近づいた。山井が気を利かせたつもりか、自分の煙草の火を差し出してくれたが、丁重に断って手ずから自ら火を灯す。


 甘みと苦みの混ざり合う煙を嚥下し、黙り込む。互いに煙草に向き合う時間が過ぎ、やがて口を離した山井は扉に背をもたせかけると井澄に隻眼の視線を向ける。


「正直、二十歳にも満たないあんたらに、こんな役回り押しつけるのも難だけどね」


「仕方のないことですよ。それに、いきなりとって食われるようなことはないでしょう」


「そりゃ赤火の主は青水の瀬川よりかはマシ、昔の湊波よりかはマシ……って言っても、四権候は全員どっかたがの外れた危険人物よ。お世話になった人のことこういうのもアレだけど、月見里さんだって温情あふれた人でもないしね」


「上に立つというのは、下にひしめく者どもを踏みつけることと同義、なのでしょうか」


「足を置く場所を考えることはできるでしょうけどね。同じように、その場で踊り狂うことだってできるわけよ。とはいえ、どれがいいとは一概には言えないか。瀬川は常に踊り狂う。湊波は定期的に足場を変える。月見里さんは自分の陣地には足を置かない。そして赤火の九十九つくもは、人を選んで踏む」


 敵味方問わず、とつぶやいて、山井は煙を吐いた。七星の、あまり慣れない香りがあたりの空気を撹拌した。


「警戒しろと」


「警戒くらい当然してるでしょ。加えて用心しなさいっつってんの。生きてさえいりゃあ、アタシが治したげるからさ」


「心強いことで。まあなにはなくとも、八千草だけは生かして帰しますとも」


「八千草だけは、か」


 隻眼の目つきが鋭くなる。と、そこで閉じた左目までもを開き、山井は詰め寄った。空虚な眼窩を見せつけながら距離を潰されると少しひるむが、そのまま立ち尽くす井澄の前で、山井はさらに身を寄せる。彼女の肌着に焚きこめてある白檀の香が匂った。


「あんた、なんでそんなに気負うの」


「八千草が私にとってなにより、誰より大事であるからです」


「薄いね。本心ではあるんだろうけど、薄っぺらいわ。奥にまだあるでしょ、本音が」


 どうしてこうも食い下がるのだろうと訝しみながらも、退くのは負けたような気がしてしまう。言い返そうと言葉を口中に溜め、低く静かに語ろうとする。だがそこで、山井が二の句を継いだ。


「あの子の頭を、こないだのライト商会の一件のとき、見たわ」


「……頭、」


「腑に落ちなかったことが、これまでの一年ちょっとでいくつかあった。でもそれが全部氷解したわ。あの子――あの子は、」


「それ以上は」


 山井の肩を押し、扉の際まで戻してから井澄は山井の眼前に掌をかざした。言葉も視線も、すべての言及は不要であると示すために。指の隙間からのぞいた彼女の眉根は疑問そうにしなったが、それでも。語るわけには、いかなかった。すぐそばの応接室に、八千草はいるのだ。


「やめてください。あなたもわかっているはずだ。軽々に扱っていい問題ではないんです」


「……そうは言うけど、いつかは知らせなければいけないでしょ」


「機会は、私が見定めます」


 掌を離して、口元の煙草にやる。ずいぶんと燃えて、灰がこぼれ落ちそうになっていた。


「いつかは、いつかきます。理解はちゃんとしていますよ。私はその日まで、八千草を守りますから」


「本当に、守るの?」


「ええ」


「なにより、その子が大事だから?」


「はい」


 答えれば、山井はまだ疑っている顔つき、というより他に隠していることがないかと探る目つきだった。本音のことを考えるのなら、たしかに大事という一言で片付けようとする井澄は、薄っぺらいと言われても仕方がないだろう。だが下手に話すわけにもいかない。


 なによりも八千草が大事であるとの思いは――そのまま、八千草を除いたすべてがわりとどうでもいいということなのだ。さらに突き詰めて言うのなら……むしろ井澄は、この世のすべてを――、


 などと考えても詮無いこと、どうせ語るつもりもない。井澄は取り繕った顔で山井の前を離れて、奥に居る八千草へ出立の準備をはじめようと声かけにいった。


 背後から注ぐ視線はまだ熱を帯びていたが、それもやがて消えた。


「八千草、そろそろ」


「ん……頃合いかな」


 腰を浮かせかけていた八千草は大きくのびをして、机の上に置いた小説に目を落としてから井澄のほうへ寄った。


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