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明治蒸気幻想パンク・ノスタルヂア  作者: 留龍隆
四幕 人殺嫌疑
32/97

32:仕立屋という名の後賢人。

 仕立屋・湊波戸浪という人物について井澄が知ることは、実はあまり多くない。だが四つ葉に長く住む者――たとえば他の四権候でさえ、彼については把握しきれていまい。


 仕事ぶりは一切不明。しかし彼の力は、権力は、確実に浸透している。それだけだ。


 いや……むしろ『それだけであるからこそ』彼の異様は語り継がれるに値する。


 彼が「奴に死んでもらおう」と言えばその人物は数日以内に確実に死亡する。彼に依頼を持ち込めば、数日以内に必ず相手を死留めてくる。だが彼の行動の痕跡は一切残らない。だから疑いがかかるのはいつも、『他のだれか』だ。


 ゆえに〝仕立屋〟。己の手を汚したようには見えないのに、殺しは必ず遂行される。他者を下手人へ仕立てあげ、被せるは濡れた衣。濡れ衣被せの仕立屋。


 そうなると気になるのが当人の実力というものだ。背も高くはなく、体型……は、頭からすっぽりと覆った布のためにわからないが、少なくとも大柄ではない。果たして本当に強いのか? 噂だけが独り歩きしているのではないか? 初期の四つ葉にて疑問に思った人間たちは、闇討ちの形をとり彼に襲いかかったという。


 そして彼の力量を知る。


 湊波は柳のような身のこなしを用いた体術により、十数人の攻撃をすべていなした。殺すことさえ、しなかった。「いつか依頼者になるかもしれないから殺さない」とぼやいて、ふらふらゆらゆらとした足取りでその場を去ったという。


 実際に戦った者たちも、「消えるような足運びだった」「対峙しててもそこに居る気がしない」「と思ったら背後に居る」「影の先しか捉えられなかった」と語り、実態はなにひとつつかめなかった。体術と、類まれな気配断絶だけが彼の持ち味なのか。はたまた奥の手の術などを隠し持っているのか。姿かたちだけでなく、能力もわからない。


 この四つ葉という島の十二年の歴史の中で、彼だけが未だに不明瞭なままだ。赤火、青水、黄土の主たる他の四権候についてはおおまかな能力、外見、年齢、性格なども出回っているというのに、湊波だけは霧に包まれたようにわけがわからない。


 ただひとつ言えることは、気まぐれで神出鬼没ということ。


 これだけは出逢った当時から変わらない、と山井は言う。


 自分たちを拾ったのも気まぐれだろう、と靖周も言う。


 気がついたら面倒を見られていた、と八千草は言う。


 井澄は――とにかく、油断ならない強者だと思う。


「にしても、あの場でなにか話し始めるかと思いきや、すぐに立ち去りましたね」


「あの人の考えてることァ俺にはわかんねーな。でもこうして集められたんだ、なんかかんか話すことはあるんだろうよ」


 靖周と酒を飲んだ翌日、アンテイクに集められた五人は、応接用の部屋にすし詰めになっていた。八千草を上座にして靖周、小雪路、井澄と並んで、山井は扉の横に背をもたせかけて立っていた。


 その山井が、懐中時計片手に時刻を確かめる。


「でもそろそろ約束の九時よ」


「遅れとるんかな?」


「あの人は気まぐれであるからね」


 と、話しているところに扉がとんとんと叩かれる。全員がそちらを見て、山井が扉を開けた。


 だがだれもいなかった。


「……?」


「――やあ諸君おはよう。心地よい朝だね」


「え」


 不思議に首をかしげていると、さらなる不思議に襲われた。


 つい先ほどまで空席だった奥のソファに、湊波が腰かけていたのだ。昨日と同じくぼろ布を重ねたような格好で、突き出した手足には黒革をまとう。表情も感情も読めない男――、まあそもそも男なのかも怪しいが、とにかく湊波戸浪という人物が、そこにいた。


「……いつ入ってきたんですか」


「いまさっきさ、沢渡井澄。それとも先ほどから私がここにいたように見えていたのか?」


「見えなかったから訊いたんです。昨日もそうですが、あなた気配がなさすぎますよ」


「なくて困るものでもないが?」


「私どもは戸惑い迷い困りますけどね」


「そうか。でも私が困るわけじゃないよ」


「……、」


「やめとけ井澄、そいつにまともに取り合うなよ」


 靖周に言われて、井澄は溜め息と共にいろいろと諦めた。湊波は首をかしげたように見えたが、布をかぶっているのでよくわからない。すると井澄の接ぎ穂を充てるように、八千草が深々と頭を下げた。


「お久しぶりです、湊波さん」


「ああ橘八千草、久方ぶりだ。店主代理はなんとか務めてくれていたようだね。とくに先ごろのライト商会での一件は大変だったな。その前の嘉田屋の騒動などもご苦労だった」


「え、ご存じなんですか」


「ああうん大半はね」


 井澄が目配せして「話したんですか」と無言で山井に問えば、彼女は首を横に振る。靖周も肩をすくめ、小雪路はぽけっとしていてとても話した素振りはない。どこから知ったのかとうすら寒くなるが、湊波はどこからでも情報を得ていそうな得体の知れなさがある。まともに考えるだけ無駄だと、井澄も思考を放棄する。


 白けた目で湊波を見る井澄、靖周、山井を意にしない様子で、彼は両手を合わせて軽く頭を下げた。


「とにもかくにも、みんな御苦労。私が不在の間も業務は滞りなく行えていたようで有難いよ……で、だ。今日集まってもらったのは、他でもない」


 なにか急を要する事態だろうか、と少し身構える。そういえば昨日靖周が言いかけた、黄土の月見里が一層に出向いていた件についてだろうか。そんなことを考えながら井澄が唇を横一文字に結んで見ていると、湊波はごそごそと自分のかぶる布の中から、なにかを取り出そうとしていた。


 じきに、酒瓶と、細長い箱が現れた。


「不在にしていた四カ月、実は私は本土に出向いていたんだよ」


「はあ、うかがっています」


 なにをしに行ったのかと推測したことを思い出す。たしか統合協会に呼ばれていったはずなので、なにか本土であったのだろうと井澄は耳をそばだてた。


 だが湊波は鷹揚に両腕を広げるだけで、とくになにも言わなかった。へんな沈黙が、しばし続いた。


「……どうした? 遠慮せずともいいぞ」


「え、ああ、質問する時間でしたか」


「質問? なにか問いかけがあるのか沢渡井澄。ああ、これの中身についてかな」


「え。まあ、気にはなりますけど」


「これはお土産で買ってきたものなんだが、早めに食べないと悪くなると思ってね……」


 つぶやいて、それっきりだった。また数秒、奇妙な沈黙が落ちる。


「え、それだけですか?」


「なにが?」


「いえ、もっとなにか大事な用事があるのかと」


「頑張って働いていた諸君をねぎらうという大事な用事だが」


「わーい戸浪ん、ありがとなのん」


「どういたしまして」


 なにやら小雪路と朗らかなやりとりをはじめたが、井澄はなんとも言えない気分である。


 とりあえず食べながら訊くなりすればよいか、と封を開け、箱の中身をあらためる。見えたのは、てかりのある焦げ茶色の生地。ふうわりと甘い香りが漂う。


「あら、カステイラね」


「ああ、カステイラみてぇだな」


 山井と靖周が代わりばんこに口にして、しげしげと眺める。二層で先日ミルフイユなどを食してきたばかりの井澄だが、やはり西洋菓子というのは見るだけで少し心浮き立つものがある。


 ふと横を見ると、うずっ、と八千草が身じろぎしていた。目つきが真剣なものとなっていた。井澄に気取られたと知ると、途端に元に戻ったが。


「では、こっちの酒瓶の中身はなんですか」


「ああそれは帰る途中で怪しげな異邦人に売りつけられてね、なんでもめずらしい品だそうだな。たしか水カステイラとか言っていたよ。水まんじゅうのようなものかな?」


「……万一の可能性がありますし、これは開けないでおきましょう」


「え? なんでなのん?」


 禁酒番屋という噺があってですね、と井澄が説明をはじめる横で八千草が咳払いをした。慌てて口をつぐんだ井澄は小雪路に肩をつかまれ、ねーねーなんなの、としばらく問われ続けた。山井がとりなすように手を振って、はいはいと言いながら箱よりカステイラを取り出した。


「とりあえず、いただきましょっか」


「ぼくが包丁をとってこよう」


「では私はお茶を淹れます」


「じゃあ妹よ、皿とってこい」


「やだ。兄ちゃん行ってきて」


 わいわいと騒がしくしながら、朝っぱらにもかかわらず井澄たちはカステイラを食した。


 平和なときのアンテイクは、わりといつもこんな様子である。




「で。赤火と黄土の件は、よいのですか」


「ん、なんのことだ」


「昨日の話ですよ、一層で密談というか、会合があったそうじゃないですか」


 ああそれか、と言いながら湊波は湯呑を持ち、布をめくって隙間から口元へ運んだ。テエブルの上には食べ終えたカステイラの箱が残り、八千草は満足そうな顔で目を閉じている。


「会合というほど大げさなものでもなかったが」


「そうは言いますが、ご存知でしょう。緑風は危神を失って戦力が落ちているとのこと。ここに追撃をされたらたまらないはず」


「失った、とは言ってもいまこの場に二代目がいるわけだから、私はさほど心配していないよ?」


 ついっと指先で小雪路を示し、カステイラの砂糖粒がついた指を舐める彼女はうん、と首をすくめた。


「ですが危険だからこそ、あなたも私たちに説明したのではないのですか」


「そんなことだれが言った? 今回の説明はただの説明だ。指示に繋がるものじゃない」


 そんなこと、で片づけられる話なのだろうか。四つ葉は、隣接した者同士が助け合いよりも食らいあいを考えて生活しているような魔窟だ。守りを考えるにしても、得た情報を最大限に活用し、相手を脅し返す気概がなければ成り立たない。常に守勢は攻勢の形をとらねばならない。示威行為を欠かしてはならない。


 だがそれこそ『そんなこと』か。そんなこと、緑風の主たる湊波は百も承知だろう。だから彼が問題ないと語るのならば、それでいい。しぶしぶながら、井澄は引きさがる。本音としては、得られる限りの情報を得て、立てられるだけの推測の下に動き、八千草を守りたいと考えてはいるけれど。


 するとこの心中を悟られたか、湊波は両手の間に隙間を置いて、井澄をなだめるように手を突きだした。


「もちろん用心するに越したことはないけどね、結果はもうすぐわかるだろう。さほど心配はいらない、ただそういうことがあったと知っておくだけでいい。だから私の中ではもう終わった話さ」


「詳細は知らずともよいと?」


「沢渡井澄、きみでは知ってどうこうできる問題でもないよ?」


 それはその通りなのだろうが、面と向かって言われると釈然としないものが残る。弱者の自覚はあれど、他人に指摘されるのはまた別の問題なのだ。


 口をとがらせて嘆息すると、ついでだと思い話題を変えた。


「本土では、なにをしていらっしゃったのですか。たしか統合協会に呼ばれていたとか」


「気になるのか?」


「まあ、人並みには」


「人並み。ほう、人並みに、ね」


 含みのある物言いをする湊波に、どこか見透かされたような心地がして井澄は唇の端がひくつくのを感じた。これを見てとってか、知らずしてか、湊波は湯呑を置くと膝の上で両手を組み井澄のほうへ身を乗り出した。こんなことをしても布の向こうの彼の顔は見えないため、一方的に観察されている感覚が嫌だった。


「依頼で話せないというのならもう、問いませんが」


「いや、別段大した用件でもなかったよ。矢田野山での〝陽炎事件〟について少し調べるべく、呼ばれていただけだ」


「……あの山火事ですか」


「なんなん、それ」


「妹、お前も少しは新聞読めよな。横浜日毎新聞」


 呆れた様子の靖周だが、彼が自分では新聞をとらず、八千草が読み終えたものをかっぱらっているのを知る井澄は彼に偉ぶる資格はないと思った。ぱちりと目をあけた八千草も同じ不満を抱いたらしく、じろりと靖周を見やってから、愛用のパイプを取り出して煙草葉を詰め始める。


「一年半ほど前、だったかな? 本土の山ひとつ焼き尽くす大火事であったそうだね」


 指折り数える八千草は、当時本土にいたはずだが実感の薄そうな顔をしていた。井澄はうなずき、手帖をめくって内容を確認した。


「統合協会と反目しあっている組織によるもの、と目されているそうです。そのあたりには地脈……つまり霊的な力、呪力などを集める土地が走っていたそうですから。統合協会の戦術的防衛線を砕いておこうという試みに捉えられたのだとか」


「物騒な話だよ」


 言いながら湊波は布の上から首筋を掻いた。


「実態は、どうだったのかわからないけど。最近その辺にきな臭い動きがあったそうでね。なんでも反対勢力の残党と思しき連中が現れたのだとか……私は統合協会の要請で、周辺の情報収集に呼ばれたんだ」


「統合協会に知り合いがいたんですね」


「この島には陰陽寮が統合協会へ再編成される際に不必要、ないし邪魔と見なされた術師が多く流れてきたからな。そのうちの一人が出戻りしていて、仕事をこっちに投げてきた次第さ」


 報酬が多いから受けたが、と締めくくり、また彼は茶をすする。島流しに遭ってなお戻れるとはなかなかの実力者だったのだろうと推測しながら、井澄は膝に頬杖ついた。


「統合協会が再編成されて、もう二十年近い。だがいまだに派閥抗争は続いていて、常に爆発の危険をはらんでいる。調べた限りだと、本土もこの島と同じくらいに危険な領域に達しそうな気配があったよ。……きみがここへ来たのは正解だったかもしれないな、沢渡井澄?」


「打算で動いたわけじゃありませんから、そのように言われるのは心外ですね」


 井澄は愛で動いている。偏愛などと言われることもままあるが。そっと八千草をうかがえば、なぜか彼女はぞっとした様子で周りを見回した。視線が合わないように井澄は目をそらした。


「この島もそうだが、本土にもなにか動きが起こりそうだ。少し、注意しておくほうがいいかもしれないね」


 湊波は言って、湯呑をためつすがめつしてから、テエブルへ戻した。


 井澄は統合協会の動向について、思いを巡らしていた。


 統合協会……三つの役職を要する、現代の異能者を囲う機関。ひとつは〝魔狩り〟の梟首きょうしゅ。ひとつは〝教論者〟の鶴唳かくれい。ひとつは〝対師館〟の鶯梭おうさ。それぞれで分業し、牽制し合う彼らは、この国の政治を裏から守護してきた、かつての陰陽寮のなれの果て。


 追い出される者あれば、拾われる者もある――己の舌を貫く刺飾金の感触を口蓋に感じさせながら、井澄は昔を思い出して、すぐにいまに意識を引き戻す。


 いまの彼にとって大事なものは、すぐそばにある。それだけで、よかった。



        #



 夜半過ぎ。


 波止場が静けさに包まれるころ。鴎の群れを薙ぐように、横浜沖の海上を行く船が一隻。


 船は商人の扱う帆船より少々大きく、大量の荷を運ぶべく漂っていた。目指す先は四つ葉。日本国の法が届かぬ島にして、商人たちの夢を抱いた商いの地。和蘭へ向かう中途でここへ寄港すべく、わざと夜の時間を狙い澄まして出航したのだった。


 海上航行之時間制限規則にのっとれば夜間の出航は違法の行いではあるが、ある程度の金子を袖の下として渡せばさほど問題はない。この船の長も、例に漏れず四つ葉での商いのために前準備として気前よく金を払ったのだろう。港を行く船を咎める者はだれもいなかった。


 その甲板に、隠れ潜むように乗る人物が二人。ように、というだけはあり、船長へ許可は得ている。つまり隠れ潜むのは単に彼らの趣味であり、それは彼らの職種を思わせるものである。


 一人は鬢切びんきりの髪を伽羅の油で撫でつけた青年。目と目の間隔が広く、魚を思わせる面立ちで、丸く削った黒曜石のような目をぎょろりとうごめかしている。鼻が高いのもまた横顔を魚へ近づけており、薄い唇は色もなく、彼を生者から遠い印象におとしめていた。


 五尺八寸はあろうかという大柄な身にまとう服は黒いダブルの三つ揃えで、はちきれそうな肩には星――否、晴明紋を用いた意匠の肩章をあしらっており、襟元には小さく、梟の首を模ったブロオチが付けられている。


「さぁて、ひさびさの仕事ですぜ」


 低い声に舌舐めずりするような愉悦を含ませると、男は横にいた相棒に問う。こちらも同じく黒の三つ揃えに身を包んでいるが、体躯は細くしなやかで、肩章とブロオチは外している。身の丈も五尺三寸に満たない程度、男よりはだいぶ低い。


 その人影が、男をたしなめた。


「……名執なとり。今はまだいいが、島に着くまでに身分と階級を判別させるものは外せ。我々の今回の任務は、出自が露見しては遂行するに難いものとなる」


 高く清涼な、湖畔に響くような女の声だった。名執と呼ばれた男はへえ、と肩をすくめると、女に言われるままに肩章とブロオチを外す。


 ちなみに名執の肩章の晴明紋は一つだ。女が自らの手の内におさめる肩章には、晴明紋が二つあった。


「しかしまあ、二人組でことに当たれとはね。わざわざ我々が出向くほどなんでしょか」


「閑職の連中がわたしたちに辛酸を舐めさせようというのだろう。本土に村上六位を孤立させる算段もうかがえるな」


「孤立……ねえ。あの人に限っちゃ、単独になるのはむしろ強みになるんじゃないすかね。俺たちじゃあの人の軍略についていけませんや」


「さりげなくわたしを含めるな。貴様とちがい、わたしは奴ともそれなりにやっている」


「そりゃ出自が近しいからでござんしょ? たしか村上六位と、同じところの出身でしたか」


「同郷の出というだけで引き立てるほど、村上六位は甘くはない」


「ほかにも引き立てる要素はありまさぁ」


「なんだ言ってみろ」


「体がそそる」


「次に似たような言葉を継げば両の頬へ口をこさえる」


 おっかねぇ、と肩をすくめて名執は一歩退いた。立ち尽くす女はしなやかな肢体を三つ揃えの下に隠していたが、それは決して脆く手折れそうなものではない。むしろ野生の獣のごとく必要な部分へ肉を蓄えており、胸部はほどほどに出て臀部も引き締まる、均整のとれた体つきだった。


 その身体の影の中で、違和感のある部位が二つ。


 両脚にホルスタアが提げられ、ベルトを太腿に縛ることで固定されている。中に納まるのは、リヴォルヴァだ。右太腿にはコルト・シングルアクシヨン・アルミイ。左脚には中折れ式のウエブリ・リヴォルヴァ。細くたおやかな彼女の手には似合わない、無骨な得物だった。


 しかし月夜の輝きを呑みこむ銃身は使いこまれた印象を与え、妙なまでに彼女と一体感を醸し出していた。


 彼女が片手をあげ、潮風になびく髪を押さえる。


 髪は肩までに揃えられており、なめらかな質感を思わせる軽い動きを見せていた。その色は――黄金。鼈甲を連想させる濃厚な色彩は、彼女がこの国の者ではないことを暗に示す。薄く開かれた瞳も玉翠エメラルドのごとく、刺し貫く威容をたたえる。臆すことなくこれに向きあい、船べりに立った名執はつぶやく。


「しかしレインさんよ、俺も村上六位とセイトの奴と同じ魔術舎にいたもんですが、あんたのように十位まで上り詰めちゃいませんぜ。二十一位止まりときたもんだ。一体どうやってそこまで上ったのか、以前から気になってましてね」


「挙句に出るのが体で取りいったという推論か」


「ひとつの可能性としてですよ、怒らんでください」


 名執は女をレインと呼び、危うげな空気を発しはじめた彼女からさらに一歩距離をとると、懐から紙巻煙草シガレツを取り出して燐寸マッチにて火を灯した。レインは煙が苦手なのかこちらも距離をとり、彼我の距離は二間ほどになった。


「煙草はやめろ……上官の強制ではないが、せめてわたしのいないところで喫め。鼻が利かなくなると、わたしの場合直接に術へ響くのだから」


「そう言われますとさすがに申し訳ない。すいませんね、俺の術は感覚をあまり必要としないものなんで、気がききませんで」


「術に関係なく、感覚を鈍らせるものをわたしは好かん。戦闘においてはわずかな感覚の差が命運を分かつことも往々にしてあるのだぞ」


「そういやあんた、半里ほど離れた場所の火薬の臭いすら嗅ぎつけたことがあったんでしたか」


「おかげで行軍が無事で済んだ。自慢ではないが、誉れ高きことと思っている」


「鼻にもかけず、凛としてますねえ。俺にゃ真似できませんや」


「煙草をやめて感覚を磨けばどうとでもなる」


「いや、普段から薬品に親しんでるあんただからこその技でしょうよ……〝錬金術師アルキエミステ〟のレイン」


 名執が彼女を異名で呼ぶと、レインは澄まし顔で船の舳先を見つめた。


 遠く彼方、霧にけぶる向こう側へ、思いを馳せているように。彼女は襟元へ手をやると、首筋にかかっていた細い鎖を指先にかけて引く。胸元から引き出されたのは小さな銀色のロケツトで、かちりと撥條を起こして開くと、中には写真が収まっている。


「……そういえばあの行軍のあと、三人で集まることは、なくなったな」


 ひとりごちて、目を落とす。写真の中央には、二十代前半と見える現在よりも、少し若いレイン。両側を、少年と青年が固めている。


 一人は黒髪を散切りにして、前髪を後ろへ流すように撫でつけている青年。細いが瞳孔までうかがえそうなほど澄んだ瞳をしていて、左目の端には泣きぼくろがある。面長な顔の中心で鼻筋は通っており口が小さく、皮肉めいた皺を唇の端に寄せている。


 もう一人は前髪を伸ばしており、目元は隠れている。全体として幼く、おとなしげな顔立ちで、けれど眉が細く妙に目つきは悪い。三つ揃えの服があまり似合っておらず、丈が合わないのかぶかぶかだ。安いからと適当なものを買うのではない、とこの時青年から怒られていた。


 青年の名は、村上英治むらかみひではる。現在はレインの上司であり、かつては同じ場所に住まい、同じ食事をとり、共に暮らしていた幼少からの付き合いだ。


 そして少年も同じように共に過ごしてきたうちの一人。二年半も前に行方がわからなくなっている。最後に彼と行動を共にしたのが、先ほど名執と話していたとある行軍であった。


 憂いを帯びた目で少年を見つめ、レインはロケットを閉じる。


 閉じ際にのぞいた少年の手の内には――銀色に光る、硬貨幣コインが数枚握られていた。



銃遣い登場。


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