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明治蒸気幻想パンク・ノスタルヂア  作者: 留龍隆
四幕 人殺嫌疑
31/97

31:同僚という名の悪友。


下らない話。下な話。野郎同士の酒の席。



「こんにちは」

「おう。こっちだぜ」


 あくる日に五層の奥地へ井澄が訪ねていくと、長屋の一室がからりと空いた。こっちだったか、と思いながら、ひとつ隣を訪問しようとしていたことに気づいて舌を出す。


「場所、変わりましたよね」


「あん? だって隣の野郎が大喧嘩やらかしたせいで壁なくなっちまったもんよ。修繕するまでは隣に住むことになったんだよ」


「それですぐに引っ越せるというのもどうかと思いますが」


「箪笥ひとつに納まるくらいしか物がねぇからな。とはいえ最低限もてなす程度の備えはちゃんとあるぜ、まああがれよ」


「お邪魔します」


 いつものような継ぎ接ぎの羽織を着た靖周に迎えられ、井澄は引き戸の奥へと入っていった。


 土間には窯と水桶とがあり、だいたい二人分だとわかる程度の食器類なども揃っていた。天井の低い六畳一間で、洗濯ものなのか仕切りなのかはわからないが、中央を分断するように衣紋掛けに赤い着物と西洋のシャツがぶら下がっていた。目を落とせば、ちゃぶ台の周囲に脱ぎ散らかしたように着物が落ちている。


「客を出迎える用意ができていないように見えますが」


「おっとそうだった。お茶淹れなきゃな」


「いえもっと根本的な。座る場所の用意などは」


「あ、それとまだ妹寝てるからよ。あんま大きな声は勘弁な」


「なんで私をここ呼んだんですか……どっかの茶屋でよかったでしょう」


 しぶしぶ靴を脱いであがりこみ、ちゃぶ台の下に潜り込んでいた座布団を引っ張りだし、勝手に座る。横では囲炉裏に火がたかれており、鍋で湯が煮えていた。


 靖周はその間もせわしなく台所を見ていたが、うん、とつぶやいて手を打ち、井澄を見た。


「わりぃ、お茶切らしてたわ。酒で構わねぇか」


「真っ昼間からいい御身分ですね」


「お互いにな」


 ひひひ、と笑いながら、手際良く靖周は徳利とお猪口を用意した。明らかに最初から飲むつもりだったとわかる動きであった。


「しかし小雪路が昼に眠っているのは珍しいですね」


 ひらりと、つり下がっている着物をめくって、分断された向こうをのぞく。長い髪をほどいて振り乱し、横を向いて眠る小雪路が布団にくるまっていた。


 どうやら床に脱ぎ散らかしてあった衣服は小雪路のものであったらしく、布団から出た上半身は、ネグリジエしかまとっていない。両胸が、彼女の腕に押し潰されて形を変えている。むにゃ、と寝返りをうとうとしたので、その前に井澄は布団をかけ直してやった。座った靖周は二人分のお猪口に酒を注いでおり、早くも頭上に掲げて飲みほしていた。


「おう、悪いな」


「いえいえ、こちらこそ注がせてしまって申し訳ない」


「……いや、ていうかつまんねーぞお前。少しは動揺するかと思って妹あの状態にしておいたってのに」


 渋い顔の靖周に、はっ、と鼻で笑い、井澄はお猪口をあおった。


「八千草があの格好あの姿勢をしていたのならいまごろ動揺大爆走でしたけどね」


「ええー? だって八千草乳ねぇじゃん、貧乳じゃん。尻もないしちんちくりんだし」


「ぶち殺しますよ女たらし」


「悪かったよ初動無しで糸飛ばすのやめろよ! たしかに顔は整ってるよな! うん!」


「いえ顔ももはや問題ではありません。それが八千草のものであるのなら、私はたとえ髪の毛一本にでも欲情します」


「……昼間からなに言ってんだお前。もう酔ってんのか」


「どうせあなたしかいませんし。小雪路はそもそも聞いてもわからないでしょう」


 くいっと飲みほし、今度は井澄が注ぐ。ちらと見やった着物の向こうで眠る小雪路は十六歳のはずだが、彼女はそうした知識にあまりにも乏しいようだった。


 ある日アンテイクで仕事のとき、小雪路だけが妙に遅れたことがあった。どうしたのかと心配していると、やってきた彼女は「ごめん血が」とあっけらかんと言ったものである。


 戦闘の伴う仕事だったため、事前に体調に難ありと申告してくれたことはよかったのだが。急に言いだすので少々井澄も驚いた。そのときは靖周がめずらしく、いたたまれない顔をしていた。……いまも同じような顔をしている。


「あーうん……なあ、いつそういうのって教えりゃいいんだろ?」


「兄的に教えづらいというのなら山井に頼んではいかがですか。八千草もたしか、そういう面は山井に教わったとかそうでないとか」


「うーん。一理あるがよ。へんに興味もったりしねぇかな」


「興味本位でしていいことと悪いことくらいわかりますよ、子供じゃないんですから。だいたいあいつが、戦い以外に興味を持つとは思えません」


「それもまあ……、正しいかもしれねぇな。あんま、良くないことだが」


 はあー、と言いながら徳利を持ちあげ、思いついたように鍋に入れる。燗をするつもりのようで、そのまま机に頬杖ついた。囲炉裏でぱちりと爆ぜる音がした。


「そういやあなた、ここに住んで長いんでしたよね」


「長いもなにも、生まれたときからだよ。多少島の外に出た時期もあったが、基本的にゃここを離れられねぇタチらしいな。なんだ急に、それがどうかしたか?」


「ちょっとね。私の経歴ってどこまでご存知でしたっけ」


「お前の経歴? ここ来る前とか含めてか? あんま自分で語らねぇくせに言うなよ。せいぜい、本土でなんか師匠とやらにその糸の技を教わって、ここに来たってくらいだぜ」


「ほかには?」


「何も知らん」


 頬杖の上で首をかしげ、きょとんとした様子の靖周を見るに彼はなにも知らないらしい。隠してなにか良いことがあるでなし、まず間違いないだろう。ではこの島に二度来ている事実を知っているのはいまのところ、大路と湊波だけということだ。少し、井澄は安心した。


「なんだ、伝えたのに、忘れたことでもあるのか?」


「伝えてなくて、忘れたいことならたくさんありますけどね……そうですか。知らないなら、いいです」


「やめろよお前気色悪い。話聞いてほしいのに気のない素振りする女みてぇだぞ」


「いえ、念いりに確認したかっただけなので、もう結構」


「あ。このやろ、こっちにだけ消化不良残しやがって……そうだ。なんならお前が俺の昔話でも聞くか?」


「結構です。あ、でも八千草に関わることがあるのならそこだけ部分的に抜粋お願いします」


「ぶれなさすぎだろ。お前の世界ってあいつと自分だけで構成されてるのかよ」


「いえ本当に。八千草と私だけしか世界にいなければいいのに」


「……お前が言うとなんか洒落にならなぇな」


 いぶかしげにこちらを睨み、酒をあおる。徳利を鍋の中から引きずり出し、温度を確かめてからゆっくりとお猪口に注ぐ。


「私にそんな力ありませんよ」


「やっぱり洒落じゃねぇんじゃねーか」


「できもしない夢想を語るのは洒落の一種でしょう」


「それでも、口に出すことは少なからぬ実行の意思があるって証明だろが。俺はよ、お前のそういうとこが怖ぇんだよ」


 いかにも震えた、というような動作を見せながら、お猪口についだ酒を舐める。井澄はあまり高温だと舌の刺飾金ピアスで火傷をしてしまうため、少し冷めるまで待った。すわった目をした靖周が、自分などを恐れる理由がわからなかった。


「靖周のほうが私より数段上の使い手でしょう。なにを怖がる必要があるんです」


「俺もたぶん、お前みたいな目ぇしてた時期があったんだろうけどよ」


 じっとこちらを見据える。靖周の目の中に映る井澄の目は、べつだんいつもと変わらぬ黒い暗い瞳だ。なにも変わりない。


「けどお前ほど行き着いたところには辿り着かなかった。俺にはそこまで行けなかった」


「褒めてるんですかそれ」


「だから怖れてるっつってんだろ。お前、人殺すときも目が変わらねぇんだよ」


「目の色変えて人殺ししてたらそれこそ怖いでしょう」


「茶化すな。だからよ、人殺すときでも目が変わらねぇってのは…………、ああくそ、なんかどうでもいい嫌なこと思い出した。酒がまずくなりそうだからやめていいか?」


「なんですかちょっと。もやもやしたのが残りますね」


「お前だって俺にもやもや残してんだからおあいこだばーか」


 急に子供のような語調になって、靖周はどこからともなく日干しのゲソを取り出した。井澄は時折、彼のこの落差についていけない。もちゃもちゃとゲソを齧りながら酒を食らい、人心地ついたのか頭を掻く。


「軽い話しようぜ。重い話は、もっと酒飲んで明日になりゃ忘れちまいそうな頃合いにしよう」


「まあいいですけど……別段愉快な話の持ちあわせはありませんよ。あとゲソください」


「あいよ。んー……じゃあまあ下な話しかねぇか……ゲソ食いながらするもんでもねぇか?」


「知的な話題はないんですか」


「だぁからいまから痴的な話しようって言ってんだろ」


「どう考えてもちがうでしょう、だからもっと知的な」


「え……? もっとってお前、いくら俺でも引き出しに限りはあるぜ? あんま人知を越えた体位の話とかはねぇぞ」


「なんであんたのほうが引き始めてるんですか。話にならない」


「うまく落としたつもりかよ」


「そんなうまくないですって」


 互い、酒を飲む。仕切り直した。


「話は変わるけどよ、この前嘉田屋に行ってな」


「話変わってないじゃないですか」


「娼枝との交合あれこれじゃねぇよ。お前もなんだかんだで好きじゃねぇかこの話題。この前仕入れたうちの春画本借りてくか?」


「要りませんよ、使えた試しがないんで」


「さらっとすげぇ曝露したぞ、お前さては酔ってるな? まあでも聞けって、これが若干八千草を想起させる感じの奴でなってなんでまた糸飛ばしてんだよ!」


「その本であなたが欲情した可能性を考えると、なんだか八千草が穢された感じがしました。よって斬り捨てておくべきかと思いまして」


「してない! さっきも言ったろ、俺は乳尻ない体型には興味ないんだってなんで二本目が飛んできてんだよ!」


「欲情しないとか失礼すぎる」


「お前性格ちがってんぞ!」


「……兄ちゃんうるさいのん」


 げしっと布団から伸びる足に蹴られ、靖周は机に突っ伏した。井澄はさっと糸を戻して、伏せった靖周を見ていた。ややあって顔を起こした彼は赤い鼻をおさえながら、「……で、なんの話だったっけ」とつぶやいた。また仕切り直した。


「ああそうだ。嘉田屋のあれこれだ」


「……真面目な話ですか?」


「大真面目よ。つーかこれが本題、今日呼んだ理由でな。あんま外で話せない根多なわけよ」


「喧嘩で壁が抜けるような長屋で秘密の話ですか」


「逆に言えば向こうの気配も筒抜けの長屋だ。まずもって、敵意がなくても隠れてても、ここへ意識を向けてる奴がいりゃ、小雪路が反応する」


「なるほど」


 気配察知に長けた小雪路がいるからこそ、あえてこの長屋で過ごしているわけか。感心に酔いをほどかれながら、井澄は小さくうなずいた。いちおう己でも周囲の気配を探り、いまのところはだれも聞き耳立てていないようだと判断する。靖周も、そう判じた様子だ。


「……ひとつめは、月見里が一層に姿を現したって話だ」


 またもそもそとゲソを齧りながら、靖周は言う。月見里、と苦手にしている人物の名にひるみそうになる井澄だが、めずらしい話題だと心ひかれる部分もあった。


「一層、ということは目的は白商会ですか」


「らしいな。なにをしにいったのかはわからねぇが、四権候の二人が揃うって時点で大問題だ。弱体化した緑風を潰しにくる算段か、はたまたそれ以外か」


「そういえば昨日も、一層での仕事でしたか」


「ああ。青水の連中が一層六区のねぐらで赤火から出すはずの銀を横流ししてたとかでな……逃げる奴隠れる奴、追いたてんのに朝までかかっちまった。おかげで妹はこうだ」


 眠り伏せる妹を指差しながら、靖周は蹴られた腰をとんとん叩く。


「この前の三層四区といい、なんか嫌な動きがありやがるな。だれかが、意図して作ってる流れがあるみてぇだ」


「冥探偵、式守一総を動かしていた奴、ですか」


「どこのだれがやってるにせよ、またこの島も動乱のころに逆戻りかもな。仕事は増えるし、現場は激化すると思うぜ」


「でも、やることは変わらないでしょう」


 口をついて出た言葉に任せて言ってみれば、靖周は目と眉の間を広げた。それからふっと鼻先で笑って、そうだなぁと賛同の意を示す。


「お前は、なんだかんだで単純に生きてるよな」


「なんですか失礼ですね。――それにしても、そのような情報をどこから仕入れたんです? 私もいくつか情報元を囲っていますが、そのような重大な情報は聞いていません。そもそも、月見里さんや赤火の人間だって、秘匿し隠蔽するでしょうし」


「ああ、それが秘密の話・二つ目だ」


 ぱちんと指を打ち鳴らし、靖周は合図をしたらしい。すると入口に、人の気配を感じる。つい先ほどまでは、だれもいなかったのだが。


 立っているのは、中背の影だ。頭からすっぽりとぼろ布をかぶっており、これが二枚三枚と重なっているためか、体型はよくわからない。見るからに怪しい材質不明の布の裾から突きだした手足には、黒い革手套と長靴。包帯を巻かれた腕と脚がのぞいている。


「あ」


「……やあ。情報元だよ」


 怪しげな影は、高くも低くもなく、抑揚もないこもった声で喋る。


「久方ぶりだね、沢渡井澄。三船靖周」


 まったく親しげでない様子で片手をあげながら、湊波戸浪――緑風の主、仕立屋がそこに立っていた。



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