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明治蒸気幻想パンク・ノスタルヂア  作者: 留龍隆
三幕 探偵対峙
24/97

24:連携という名の奮戰。

 迫る斬撃を前に、井澄は右腕の鋼糸を引いた。絡まった軍刀が弾かれたように反転し、柄を逆手の内に握り込む。


 これを頭上に掲げることで右からきた刃をすんでのところで受け止め、寝転がったまま井澄は警官を蹴った。容易くかわされるが距離はとれたため、この隙に立ち上がろうとする。しかし両腕が使えない状態では一苦労で、尻を擦るように後退しながらゆっくり腰をあげた。


「ぜ、はぁっ……」


 荒く息をついて、前かがみの姿勢で立ち尽くす。右手にとったままの刀は、床について杖の代わりとした。背は壁につけて、なるだけ体力を使わぬように。


 警官二人は背中合わせに互い、井澄たちに対峙する。刀を投げて徒手となったほうが井澄に向きあい、もう一人は大上段に構えながら、八千草へ向いた。四人が一直線上に並んだ形になる。


「警官の証である誉れ高き一刀を、よくも賊風情が手にできたものですな」


 冷やかに、徒手の警官は言う。


 返せと言わんばかりに掌を差し出しており、その様に幼稚さを覚えた井澄は挑発してみせた。


「じゃあ手放したりしないよう大事におうちに飾っておくんですね」


「……言わせておけばッ」


 左半身から鞘を逆手に抜き、振りかぶって突進してくる。その向こうでも、八千草と警官の激突がはじまろうとしていた。


 警官二人の背が離れる、と同時に再度、不可思議な加速で以て井澄の眼前に迫りくる。目測で間合いをあらためた井澄は、やはり五尺かそこらか、とつぶやいた。相手の術理を、暴きだそうと試みる。


 右手の軍刀を石の床へ突き立てる。すぐさま手放し、指弾の要領で柄頭を打ちこむ。ずきりと二の腕に痛みが走るが、意にせずに左足を振り上げた。


 床に打ちこまれ、しかと固定された柄頭を踏み台に、中空へ跳んだ。


「ぬぅっ」


 空ぶった警官の鞘を見ながら、前方宙返り。膝を屈し警官の背後へ着地した井澄は、己の右肩越しに鋼糸を強く引いた。


 地面に突き立つ軍刀に絡まり伸びる鋼糸は、緩んだまま警官の左肩に落ちていたが、そこで引かれたためぴんと張られた。ざしゅりと皮を引き裂く音がして、被外套が血に染まる。機を逃さずさらに首を引き斬ろうとするが、寸前で警官はしゃがみこんだ。血をなびかせて、鋼糸がゆるむ。


「小癪、な!」


 振り向きざま地を這う軌道で逆手の鞘が放たれ、井澄の首筋をかすめた。即座に向き直り左腕も振るって鋼糸を放つが、警官の男は鞘を持ち変え、左手を下に振り下ろす例の動作でこれを弾く。糸は届く前に、風にあおられたように井澄の元へ戻る。


 右手に鞘をつかみ直した警官が踏み込む。井澄が後ろに退くように重心を傾けると、警官はさらに左手を振り下ろす。途端に向かい風のように、井澄の全身に負荷がかかった。


 だが体勢を崩すことはない。右手からの鋼糸が張って、彼の体勢を支えていた。


「やはり」


 術理の推測に半ば確信を得て、鞘のこじりでの突きを横へかわす。かわしざまに右腕を小さく回し、鞘に鋼糸を絡める。苦々しい顔をした警官の眼前に、硬貨幣を載せた指弾の右手を差し出した。


 警官は空いた左手で指弾の手を逸らすが、肩の傷が響いたか一瞬遅れる。ばち、と音がして警官の右耳が削げた。なおも構わず手を伸ばし、彼の左手は井澄の喉に食い込んだ。


「がっ、っはぁっ」


「殺人者風情が警官に刃向かおうとは……!」


 鞘からも手を離し、警官の右掌底が井澄の左耳を襲う。――刀を失えば鞘で。鞘が使えなければ徒手で。自在に得物を変えひとつの手に囚われない柔軟な攻撃は、先日の西班牙剣士など比べ物にならないほど強い。


 真横で鉄砲でも撃ったのかという衝撃に、鼓膜を破られたのだと理解したときには膝が崩れている。次いで、鳩尾にも重たい一撃。蹴りか、拳か、視界が揺れて判断がつかない。


 またどこかに打撃を食らう。頭がふらついて、血が脳髄から下っていくのを感じた。


「死ね、殺人者」


 締めあげられる首、眼前で閃光が舞う一発一発、殴られたのだと理解が追いつくまでが、妙に長い。


「井澄ぃぃっ!」


 高い声で叫ぶのが聞こえた。……こんな混濁した意識の底でさえ、八千草の声は届くのだ。自分という人間のありようはすべて彼女ありきで成り立っている。


 これを誇りに思いながら、井澄は浮上した意識に痛みの感覚を追いつかせた。冴えた頭は、乏しい血の量で思考を巡らす。


 ――警官の術、〝ケンキョウフカイ〟とやらはある種の結界を張るものだと井澄は理解していた。験力なのか法力なのかは知ったことではないが、彼の間合いは彼に支配されている。近づこうにも近づけない。あの、左手の手刀を振り下ろす動作の一瞬、彼の間合いおおよそ五尺に存在する障害物を間合いの外まで遠ざける圧力を放つのだ。


 ゆえに八千草の刀や山井の黒煙、井澄の鋼糸が位置を戻されたように感じたのだ。同時にいくつもの方向から攻撃されてなお返せるところを見るに、おそらく間合いは円のように彼を囲んでいる。


 これを利用して二人の警官が互いを互いの間合いから弾きあった結果が、先ほど見た空中移動、不可思議な高速移動の正体だろう。


 であるならば。


 得物を奪い、徒手で殴りつけるしか方法がなくなった現状、両手を駆使して井澄を攻めざるを得ない現状。


 彼に左手を振るっての術の発動は、不可能である!


「ぐ、が、か」


「なにを握っているつもりなのですかね、空の手で。硬貨幣も出尽くしましたか」


 殴りつける警官は井澄の右手が指弾の構えをとるのを見たが、手の内になにもないことを知ると安心した様子であった。


 ……その安心が慢心であると気づくまで一秒。


 べきりと音がした井澄の右手に再び視線を戻したとき、彼の左目は潰れた。


「っぐぅぅおあぁっ?!」


 自らの指の力で、親指の爪を割り砕いて指弾の弾と成したのだ。しかし指先、とくに爪と肉の狭間とは拷問にさえ用いる部位である。凄まじい激痛に身悶えし、井澄は手首より先が沸騰した湯の中にあるかのように感じた。


 だが痛みに思考が麻痺しても、身体は勝手に動いた。反復練習の賜物は、反射の領域に至っている。拷問のような痛みならば――


「慣れるまで師にやり尽くされた」


 もはや動かぬ左腕を、腰をきる動きで振りまわす。投じられた鋼糸が、目を押さえようと掲げられた警官の右腋に食らいつく。背からうなじを迂回して左腕まで巻きとった。


「きさ、」


「良き黄泉路を」


 腕を引くこともかなわないので、地面を蹴って後ろへ身を投げだした。動作に引っ張られた鋼糸が、鋭く空を切り警官の両腕と右腋、首筋を斬り抜いた。


 潰れた左目から涙を、口と腋から血を流し、警官はうつぶせに倒れる。追いつくように井澄も膝を屈し、脱力してしまいそうになる。だがまだだ、と己を叱咤し、八千草のほうを見る。


 斬り結んでいた彼女は警官の術によって得意な間合いからはじき出され、その都度危うげに切っ先をくぐりぬけている。


 卓越した剣術の腕の他、じつは八千草はアンテイクで唯一特殊な能力を持たない。隠している奥の手も一度きりしか使えず、使おうにも警官の動きは俊敏に過ぎた。むしろ、捉えきれず間合いすら相手に掌握されているこの状況で、斬られることなく済んでいる八千草の力量に感心すべきと言えた。


 踏み込めば相手が遠のき、退けば隙なく押し寄せてくる。怒涛の連撃にさすがの八千草も疲れ、焦りが見え始めていた。だがもはや井澄の両腕は上がらず、指弾ひとつ打てはしない。


 だからこそ、大きく息を吸う。立ち上がる。


 もはや届けられるのは、用いることかなうのは、この声のみであると。よろめく足で歩み、少しずつ、加速して。


 八千草に目で合図を送り、肺腑に溜めた息を、喉を震わせて吐きだす。走り出し、駆け寄る井澄の特攻は絶叫を運ぶ。


「――ッあああああぁぁっ!!」


 倉庫中に響き渡るよう、枯れるまで振り絞る。だが警官は身じろぎひとつしない。認識していても、対処するに値しないと判じたのだろう。叫びながらも疾走する井澄に背を向けたままで八千草に猛攻を仕掛ける、そのかたわら、左手が上がる。近づく足音が危険域に踏み込めば、術により弾き飛ばすつもりなのだ。


 理解して足を止めると、八千草が一太刀をかわしざまつぶやく。


「井澄、〝壁〟だ!」


 聞いてすぐ、袖を振って硬貨幣をばらまく。もはや握ることもかなわぬそれが床に落ち、高く清涼な音を響かせる。その音が、警官の耳に入ったと認めた瞬間、


 井澄は舌を出し、刺飾金ピアスに魔力を送り込んだ。


 言葉を、殺す。


 胸の中に術の成立を知らせる、鈍い心臓の拍動を思わせる音が生まれた。


「――――――――、!」


 それはわずかな忘我。有り得ざる隙。


 意識が立ち戻った(、、、、、、、、)警官は左の手刀、術を放つ要たる部位が硬直していた。これを見逃さず警官の袈裟切りを掻い潜った八千草は、切っ先を彼の右肩へ向ける。


 とはいえ回避に専念した彼女の運足は突きを放つに十分な踏み込みを得ていない。構え、突き刺すまでの時間は警官に後退のいとまを与え、手傷を負わせることはできても次の横薙ぎで八千草の首は刎ねられるだろう。


 ……だがそれは、八千草の次の攻撃が〝真っ当な突き〟である場合だ。


「――飛べ、〝朱鳥あすか〟!!」


 手首を捻るように、直刀のはばきの根元にある突起を押し込む。彼女の右手が後方へぶれて、刀身が消えたと思ったときにはギヤマンを引っ掻くような音が鳴り響き、ぎゃりんと刃が吼えた。


 警官は動かない。かざした刀も止まる。


 八千草の直刀が肩を貫いて、切っ先が僧帽筋より突き出していた。左手を伸ばした八千草は――柄もなく(、、、、)剥き出しになった刀身(、、、、、、、、、、)を握り、抉るようにして引き抜いた。即座に屈みこみ、警官の両膝裏を撫で斬る。倒れた彼の背を足蹴にし、まだ軍刀を握っていた左手を、直刀の突きで床に縫いつけた。


 血まみれで伏す警官は歯を食いしばり、横目で八千草を見上げると、己の肩を見やった。


「なんっ……なんなのですかっ、それは……!」


「この島は、外であまり出回らないような妙な得物も、くすぶっていることが多くてね」


 つの字に曲がった柄だけを手元に残した八千草は、汗をぬぐって息を整え、警官の軍刀を蹴り転がした。もう片方の足は、背に載せたまま。……少しうらやましいような気がした井澄だが、そんな場面ではないとかぶりを振った。


 太く強靭な撥條ばね仕掛けを柄の中に仕込み、手元の突起を押し込むことで刀身を射出するという奇襲戦用刀箭器〝朱鳥あすか〟。一度きりしか使えない上に、威力が有効な射程も一間に満たないこの得物こそが、八千草の奥の手だったのだ。悔しそうに顔を歪める警官は、両腕を震わせて戦慄わなないた。


「く、そ……ほんのわずか、気を取られることさえなければ……」


「言い訳は見苦しいですよ」


 冷徹に言い放ち、井澄はやっと腰を下ろす。そもそもその『気をとられる』一瞬を生みだしたのが井澄である以上、警官に勝ちの目は一切ないのだ。


 最後の、八千草が朱鳥の飛刀を前にした一言。「壁だ」との声のあとに井澄が硬貨幣の音を立てたことで、警官は井澄の初撃が壁に跳弾させた指弾であったことを思い出しただろう。つまり足音の接近ではなく、壁に跳ね返る指弾の音に応じて術を発動させなくてはならないと思考したはずだ。


 しかしそこで井澄は殺言権により、警官の中に届いた八千草の言葉、その言霊を殺した。すると、どうなるか――警官の思考の始まりは、八千草の「壁だ」との一言にある。


 思考のきっかけが、消失するのだ。すると彼の心中には『なぜ至ったかわからない思考』のみが残留する。刹那を読み合う戦闘中においては、致命的な思考の無駄が生まれるのだ。結果、彼は本来ありえざる隙を八千草に晒すこととなった。


 井澄の意図を汲んでくれた、八千草との連携による勝利だった。


「自分は……自分たちは、警官は、罪人などに、罪人などに負けるわけには、……正義、正義の行いは、」


「うるさいよ」


 長靴のかかとで後頭部を蹴り、八千草は警官を黙らせた。


「なにを以てして罪としてるか知らないけれど、いきなり殺しにかかってくるのは、罪ではないのかな」


「さあ。ただ、一人でも手にかけたら、もうそういうことについて考えてはいけないと思います」


 己へ向けた言葉として、井澄はささやいた。八千草は目を逸らしたが、なにも言わないことにした。


 ひとまず落ち着いたので、井澄は自分の状態を確かめた。左腕の止血帯ネクタイが外れかかっており、右腕の傷も浅くない。腹部数か所に打撲、肋骨は折れていない……と思いたい、希望的観測の下に。まあ、まだなんとかなる怪我だ。


 だらりと腕を下げてへたりこんでいると、身体が後ろに崩れる。背中から床について両腕の傷が痛み、低くうめきを噛み殺すと八千草が駆けよってきてくれた。あ、と力なく返事をすると、余計に心配させてしまったのか顔をくしゃっと歪めた。めずらしい顔を見たなぁ、と思いながら、井澄は彼女に抱え起こされる。


「おい、しっかり。血を流しすぎたのかい」


「ま、まあ、多少……ええ」


 頑張った分の役得だと思い、彼女の腕に抱かれる状況を存分に味わう。細い腕が井澄の首に回され、感触なめらかな手套越しに、彼女の温もりを感じられた。


 心臓が高鳴り、頸動脈から緊張が伝わっていないか心配になる。自分の顔をのぞきこむ彼女と、目を合わせられない。まなじりや汗伝う頬、唇などに目がいき、一年前と変わらぬ面差しを見ていると、胸がいっぱいになる。


「大丈夫?」


「ええ……ええ……えへへ」


「なに笑ってるんだお前、やっぱり大丈夫じゃないんじゃ」


「いえ、気は確かです」


「そうか……まあそうか、お前は普段からそんな感じであったね」


 普段から大丈夫じゃないと認識されているんだろうか。


 こんなことを思いながら二人きりの時間を愉しんでいると、出入り口から山井が駆けこんでくる。もう少しあとでよかったのに、などと考えもしたが、山井は井澄の怪我が増えているのを見ると目を剥いて食ってかかった。


「怪我増やしてんじゃないわよ馬鹿」


「そういうあなたも撃たれてるじゃないですか、自分の治療を優先なさっては」


 もう治療に移るのか、いやだな、という気持ちを前面に押し出した顔で言ってみると、火に油。山井は烈火のごとく怒り、杖先で井澄の傷をつついた。悲鳴をこらえて山井をにらむと、黒煙の向こうで山井が気炎を吐いた。


「患者の分際で医者に指図すんな。とっとと治してやるからそれから殴られなさい」


「あ、さっきの言葉本気だったんですね……」


「治療費は五円ね」


「勘弁してくださいよ、今回ただでさえ無収入なんですし」


 言ってるうちに引き剥がされ、彼女の体温の名残がある首根っこをつかまれた。山井のまとう黒煙の内側に引きずり込まれて、どっと身体が重くなる。彼女の〝厄〟の黒煙は、ただ触れている者にも倦怠感を与え動きを鈍らせる力があるのだ。


「治療費払いたくなきゃ怪我しないことね」


「こんな職についてる人間に無茶を言いますね」


「職替えしたら?」


 言いながら、容赦なく山井は人頭杖を構える。ああ、と覚悟した井澄は、目を閉じて次の瞬間に備える。直前に、八千草が顔を背けるのが見えた。


 山井の治療は荒っぽい。井澄が初めて治療で世話になったのは、彼女と組んで二度目の仕事を終えたあとだったのだが。まずその仕事で彼女の戦闘手段――すなわち自らの傷を抉り〝厄〟を取り出すことで攻撃に変える手法を知って、いささかならず引いた。


 そして次に気になったのが、彼女の周囲に配する黒煙の〝厄〟これをどこから捻出しているかということだった。攻撃のたびに自らの内より厄を取り出しているあたり、ちがうところから取り出しているのだろうという予想があったのだが。


 答えは、治療に移った途端にわかった。


 ……患者の傷から、厄を取り出しているのだった。取り出す方法は、攻撃のときと同じく――


 ずぶりと杖が肉に差し込まれ、倉庫内に声にならない声があがった。



『もしもスペツナズナイフを刀で作ったら』という変態兵器。


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