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明治蒸気幻想パンク・ノスタルヂア  作者: 留龍隆
三幕 探偵対峙
21/97

21:小人という名の面倒。


『お、お待たせを。すみません、子供が泣いてまして』


 言われて井澄が耳を澄ますと、どこかから泣き声が聞こえた。


『いえ、お構いなく』


 英吉利語で話しかけられたわけだが、八千草は臆面もなくさらりと返す。独逸語はだめだったが、英吉利ならいけるというのは本当だったらしい。ちょっと井澄は感心した。


 部屋へ戻ってきた異邦人・ライトは恰幅のいい壮年の男で、商いへの気概に満ちた力強さが伝わってくる人物だった。しかし桧原に締めあげられたことでいささか気力がなえているのか、おどおどと室内をうかがうようにしてソファへ腰を下ろす。


 部屋の隅に目を走らせて、桧原がうつむき加減でぶつぶつ言っているのを見つけると、たらーりと冷や汗を流して八千草に向き直った。後ろに控える井澄、山井、そして楠木に気づくと、またなんとも困った顔をした。


『彼らは気にせずともいいですよ。もう依頼は半ば始まっているようなものです、依頼人であるあなたへ手出しはさせません』


『はあ……それはありがたい、ですが。あのような荒くれ者を鎮めるとは、あなたがたは一体』


 居留地では四つ葉の慣習、禁忌などに知識の乏しいものも少なくない。どうやらライトも四天神やそれにまつわるアンテイクのことを知る由もないようで、不思議そうな顔でちらちらと桧原を見ていた。八千草は曖昧な商いの笑みでこの問いを流し、早速本題へ入る。


『して、今回の依頼についてですが。内容は御守り、護衛ということでよろしいですか』


『え、ああ、はい。ぜひ御守りをお願いいたします』


 急に落ち着かない様子になったライトは、しどろもどろになりながら何度もうなずいた。時折目が泳いでいるのは、やはりまだ桧原が気になっているのだろうか。


『一週間、赤煉瓦倉庫街を護衛していただくということで、はい。不用意に倉庫へ立ち入ろうとした者、商人へ危害を加えようとした者を排除してください』


『承知いたしました』


「ん、話まとまった? じゃあ八千草、いっこ訊いてほしいことあるんだけどいいかしら」


「ご随意に。薬品のことだろう?」


 外国語を一切操れない山井は、それでも会話の切れめと表情の緩みなどから、商談の成立を悟ったらしい。自分のほうの要件を尋ねるべく、八千草に伝える。


「この楠木のところが薬を止められたのは、先月の廿日あたり。アタシんとことほぼ同じころね。他に被害にあったやつはあるのかしら」


『ライト氏、薬品の他に被害にあったものはありますか』


『薬品の他、ですか? いえ、荒らされた形跡もありませんで、他にはなにも聞いておりません。倉庫に入れて帳簿をつけたところから、取り出されるときまでは盗難に気づかなかったほどでして』


『列車に載せるところまでもいかなかったわけですね』


『恥ずかしながら、おっしゃる通りです』


「ふむ……ああ山井さん、ライト氏いわく、なにも盗られてはいないそうだよ。倉庫に荒らされた形跡はなく、列車に載せた形跡もなく、帳簿にだけ残って忽然と姿を消したそうだ」


 問いの答えに山井は井澄の横で眉をひそめると、もういいわと八千草の肩を叩いた。楠木も心配そうにことの成り行きを見守っていたが、やがて八千草がありがとうございましたと口にしたことで、動きを止める。井澄は手帖にライトの言葉を書き取り、短く一礼した。


『よろしい。では――これより御守りの業務を開始致します』


『お願いします』


 ライトはうやうやしく頭を下げた。商談を相手取った八千草につられたように楠木も頭を下げ、桧原はまだ震えていた。


 部屋を辞して、まっぷたつになったドアを乗り越えながら廊下を歩いていくと、後ろから楠木が追い付いてくる。しかしなにやら足取りが遅いので井澄たちが振り返ると、彼女の腰にすがりつくようにして桧原が歩いているのが見えた。


「いやはやかつての危神が、いまや見る影もないね……」


「でも、一時は全身の五割まで皮膚を削ぎ取られたほどの怪我でしょう? ああなってもおかしくはないですよ、発狂していないだけ大したものです」


「それ言ったら、戦闘後は小雪路も全身ずたずたに刻まれてたわよ。でも心的外傷もなく、ほーらいまでもあんなに元気」


「だからあいつは怖がられるんですって」


 ちなみにひとつ付け足すと、そのときの小雪路は左のすねも砕けていた。なのに手当てを受けるため山井のところへ向かう際、平然と己の足で歩いた。返り血で真っ赤な彼女がえへらえへらしながら、変な方向に曲がった足で歩く様は見物客数名を失神させたものである。


「それにしても、意外なところで繋がってきたものね」


 なんとか追いついてきた楠木に向かって肩をすくめてみせる。煮え切らない様子で山井にはあ、と返した彼女は、困り顔で腰にしがみつく桧原を引き剥がした。


「今回の斬殺事件で殺されたのは商人。取り扱っていたのは薬品と植物。そしてアタシたち医者や薬師の元に、薬品が渡っていない事態」


「みたいだわね」


 楠木がうなずき、井澄も先ほどの会話を反芻する。


 七の倍数にあたる日付が、四つ葉の運搬活性期である。その前々日までに港の赤煉瓦倉庫街へと、荷が運び込まれる。この際に薬品を納めたと、たしかに帳簿にはつけてあり。そこから運び出され、汽車へと荷を移動する途中から、行方がつかめないということ。


 しかし先ほども考えたが、居留地は六層といっても番外地だ。盗みに走るほど困っている人間はいないだろうし、仮にいたとしてもどうせ盗むのなら薬品などより高価な品を選ぶはず。


「下手人と目される人物は、なにか薬品に関わりがあるということかい」


「……そう考えるのが順当よね。ことはそう単純ではないでしょうけど」


 地面へついた杖を肩に担ぐようにして、山井は左のまぶたを押さえる。縦に左顔面を切る傷跡に封じられた目が、痛んでいるらしい。


「やあね。雨だと古傷が痛むわ」




 薬の流通停滞の理由がわかった楠木と桧原は道中で別れ、井澄たちは三人で港への坂を下る。生まれたての馬のようにへっぴり腰で歩く桧原は、居留地の人々に変な目で見られながら駅への道をのぼっていった。


 港へ続く道に風はないが、雨で濡れる肌には冷えを感じる。ライトから譲り受けた洋傘を差しながら井澄は歩き、八千草と山井についていった。


 波止場には大型の帆船が数隻止まっていた。潮騒に降り注ぐ雨の音混じる道を歩いて、井澄たちは倉庫街へ近づいていく。


 船着き場の横へ長く伸びる倉庫街は、赤煉瓦を積み上げた簡素ながら剛健なつくりをしていた。今日はまだ年明けで、あまり荷もあがっていないのか人が少なく、倉庫街の前には広場が空いていた。流通の活発な時期は、ここにも露店が開かれているらしい。八千草への贈り物を探すために、一度ぶらついたことがあった。


「雨の海はなんだかさびしいね」


 ちらりと海に目をやって、アンブレイラを傾けながら八千草は言った。一枚の絵画のようにしっくりくる構図で、見とれながらも井澄は返す。緋色の髪留めが、きらりと深海の貝殻のように光る。


「今日は海のほう、霧も出ているようですね」


「白く景色が濁って、空と海の分け目もわからない」


 遠く、水平線はかき消されていた。どこまでも不透明な景色。


「……感傷的になってんじゃないわよ」


「言いながら煙草に火を点けるあたり、あなたも浸ってませんか」


「うるさいわねえ、じゃあとっとと行くわよ。倉庫の護衛は交代制でいい?」


「いいと思うよ。長丁場になるかもしれないし」


「じゃあアタシ最初に休憩ちょうだい。お代滞納してる連中をしばきに行くから」


「ほどほどにしてくださいよ」


「ボコって治してまた金をせびるとするわ」


 燐寸マッチポンプ、と八千草がつぶやいて、先を行く山井を指さした。


 両開きの鉄扉をあけると、ほこりっぽい倉庫の中はしんとして静まりかえっている。木箱や樽、港に届いた荷が高く積み上げられた倉庫は、天井まで四間はあろうか。畳んだ傘から落ちる水滴の音すら、響いて聞こえるのではないかと思われた。


「まずはいまの倉庫番の人に、ぼくらが護衛につくことを知らせないと」


「部外者とまちがえられ、殴られたら嫌ですしね」


「前の依頼でそんなこともあったっけね。こぶは治ったかい?」


「山井が治療してくれなかったせいか、残ってますよ。独身なのにこぶつきとはこれいかに」


「結婚したら? あんた元服は済んでるでしょ」


「できるならしたいですよ」


 力強く八千草のほうを見たが、すでに前方へ動いていた。


 かつかつ、八千草の長靴の足音が響く。物陰に人がいないだろうかと首をめぐらし、呼びかけている。入口近くで煙草を喫んでいる山井は我関せずといった体で、挨拶さえ済めばすぐにでもお代の回収に行こうとしているのがうかがえる。


「おーい、だれかいませんかー……返事が無いね」


「休憩中ですかね」


「それにしたってだれも残さないってのはおかしいわよ」


「だれも……ねえ」


 奥まで歩いていって、八千草は木箱の陰へ曲がる。


「っ!」


 すると、飛びのくように戻ってきて、アンブレイラに手をかけた。井澄はすぐに察して、声を潜める。いやな予感に背筋が粟立ち、雨音の中に間を置いて、気を鎮めた。両手の内に硬貨幣を落とし、周囲に気を配りながら後ずさる。


「八千草」


「寄るな。まだその辺に、いるかもしれない」


 言いながら抜き放ち、壁際に寄って背を守ると、直刀片手に木箱の上など死角を探している。先ほど八千草が曲がっていった先を見ると、木箱の陰から血が流れてくるのが見えた。


「死んでいるの?」


 山井が問うと、うなずきが返ってきた。


「まだそれほど時間は経っていまいよ。おそらくはここの倉庫番だ……ああくそ、来るのが少し遅かった!」


「生きてたとしても、致命傷だったらアタシも用無しだけどね。傷は? また例のごとく?」


「例の如く、だ。真正面から一突きであるよ。傷口からして、平突きか」


「ふうん……?」


 なにか考え込みながら、山井は杖に手をかける。煙草を口にくわえたまま、巻きつけられた布をほどいていく。


「とりあえず井澄、あんた電信使えたわね?」


「早打ちの腕とまではいきませんが、一通りは」


「いいわ。アタシと八千草で周囲は警戒しとくから、そこの電信室より商会所に一報いれときなさい。しばらくはだれもここへ近づけないようにと。安全が確認でき次第、こっちから連絡すると」


「わかりました」


 言われてすぐに電信室へ向かい、ひさびさの感覚に手を馴染ませながらたたん、と打ち始める。窓越しに見ると、山井は警戒を強めながら嘆息し、布をほどいた杖を露わにした。


「面倒だからちゃちゃっと調べるわよ。――起きろ、〝人頭杖にんとうじょう〟」


 三尺ほどの黒い杖は、山井に蹴飛ばされると異変が生じる。


 ぼこぼこと上のほうの表面がうごめき泡立って、形状が変わる。ただの杖から、禍々しい気があたりに流れる。


 表面に出たのは、高い鷲鼻。そこから少しずれて、縦に二つの耳が並ぶ。耳の上には口が浮かび、最後に口の両脇に、二つの目が開く。人の顔を構成する部品が、細い杖の上にひしめきあっていた。まるで奇怪な福笑いだ。


「いつみても不気味であるね」


「ほっとけ」


 投げやりに言い返し、振りかざす。


「――悪厄・集えば災を成す。禍福・あざなえる縄の如し。裏面りめん済世さいせい――〝厄廻払い(やっかいばらい)〟!!」


 ずるりと粘液の這う、音がした。杖の口から黒い液が垂れ、地面に落ちる前に煙状に変じていく。ぎょろぎょろと杖の目玉がうごめき、耳と鼻もひくついている。


 煙は量を増やし、山井の周囲を覆う。やがて黒煙に覆われた山井は、口から紫煙を吐きだして杖を横に薙いだ。


「探れ罪の、辿れ罰の禍」


 そして探索が始まる。杖の鼻が蠕動ぜんどうし、脈打って端から端へ動いた。びりびりとあたりの空気が震え、その震えを鼻は感じとっているとも見えた。


 やがて鼻は白い息を吐く。近くに敵意を持った人間はいない、ということである。御苦労とつぶやいて、山井は残っていた煙草を杖にくわえさせた。にやりと口の端をつり上げた杖は、うまそうに煙草を喫んだ。


「この倉庫内には敵もいないみたいね。少なくともいまは、だけど」


「いつみても便利であるね」


「でも不気味なんでしょ。おまけにこいつ食費もかかるしね……」


 などと山井がぶつくさ言っている間に、井澄は電信を打ち終えた。


「ひとまずここへ誰も近づけないようにはしましたが」


「倉庫内に下手人がいるわけでもないようね。となるともう逃げたんでしょうけど、雨でにおいが消えるから人頭杖でも追えないわ」


「護衛の体制をどうするか、いちから考え直すべきやもしれないね」


 面倒くさそうに、八千草は頭を掻いた。


次回、戦闘開始。

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