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明治蒸気幻想パンク・ノスタルヂア  作者: 留龍隆
三幕 探偵対峙
18/97

18:病み医者という名の業突張り。

今回は短め。導入部。


 風呂場から出た井澄たちは、廊下と地続きで存在していた店に乗り込むと、はしご酒としゃれこむ。衝立ついたてによって四つに区切られた座敷の片隅に陣取り、狭いちゃぶ台を三人で囲んだ。八千草は頭を押さえる。


「あたた……殴りかかろうとして転ぶとは、不覚」


「ごめんなさいね、驚かしちゃって」


 座布団に座りこむよりも早く「塩辛と熱燗二合」などと店の者へ言いつけた山井は、自室のようにくつろぎながら井澄たちと対面する。あぐらをかいた山井の目線はじろじろと八千草、井澄の間を行ったり来たりして、いかにも一言もの申しそうな顔つきであった。


「……逢引きの邪魔しちゃったかしら?」


「断じてちがう」


 山井の前で転んだ八千草は、少しの間意識を失っていたらしく井澄の登場には気づいていなかったらしい。ありがたいことだとほっとする反面、余計に罪悪感を掻きたてられるような心持ちがしたのも事実だったが、このあたりを含めて山井はからかうつもりのようだ。


 年甲斐もなくへらへら笑い――というのはいつも通りなのだが、からかうおもちゃを見つけたときの彼女は、医者にあるまじき嗜虐心に鬱陶しいまでの執着心を付随させる。井澄とは干支一回りも歳の離れた、靖周よりも大人と呼ぶに相応しい齢のはずだが、山井は子供っぽさが彼よりなお強いとみえる。


「そ。ならいまからアタシと逢引きはどう」


 しなをつくって流し目などしてみせた。だが言葉の矛先は井澄には向いておらず、八千草がわずらわしそうに頬杖ついて山井との間に壁をつくるのを感じた。


「お断りするよ。ぼくはあなたのように女人に興味はないのでね」


「あら、そう。ひょっとしたら考えが変わってるかもと思って聞いたんだけど、いやなら無理強いしないわ。また気が変わったら声かけてね」


「もう一年以上も同じ言葉を返しているのにまだ訊くつもりなのかい」


「当然。いもの愛でるは人のさがだもの」


 うふふと笑い、運ばれてきた徳利を掌で指し示し、井澄に注ぐよううながす。断れるはずもなく表面上はこれへ従う井澄だが、腹の中では溜め息と舌打ちが溜まりたまっていまにも弾けそうであった。


 仕立屋の下につき、それこそいまの井澄と同じ歳のころから四つ葉の闇を生き抜いてきた先人・山井翔やまいかける。医者としての腕も確かであり、緑風の中では名の知れた人間の一人であるが、人格と性質はどうにも好ましくない奴だった。


「さて、ではひさびさの再会に一献いっこん


「はいはい」


「どうも」


 仕方なしにお猪口をかかげて、三人は一口に飲み干した。ふくよかな甘みが広がるが、香りがべたついていて、後に雑味の残る風合いであった。


 いかにも味わっている様子で飲んでいた山井は率直に「微妙ねえ」と口にして、着ていた留袖の懐から徳利を取り出す。


「こっちはあげるわ」


 すげなく熱燗のほうの徳利を井澄のほうへ押し出して、山井は自分が持参したほうの徳利を八千草のお猪口に傾けた。まずいほうは押し付けてきた形である。八千草はちらりと井澄をうかがってきたが、彼はかぶりをふって気にするなと身ぶりで示した。山井はさもおかしそうに、鼻で笑ってお猪口をあおった。


「で、井澄。部屋はとってあるの?」


「そりゃ、泊まる予定なんですからちゃんととりますよ」


「一部屋?」


「ぼくが嫌なので二部屋とったさ」


「あーらそう。残念ね」


 なんとなく、という体をとって山井は言う。実際のところは完全に井澄あての言葉だったわけだが、八千草は気づくこともなく静かに酒に口をつけていた。


「こんな人気もないところへわざわざ出向いてきてるんだから、てっきりそういうことなのかと思ってたのに」


「そういうことってどういうことだい」


「あんまり井澄に恥をかかせないことよ。こんなんでも一応は男のコなんだから」


「帰りの列車で乗り過ごして六層まで来てしまうような男、恥さらし以外の何者でもないよ」


「そこまで言わなくともいいじゃないですか……」


「なに、乗り過ごしてきたの」


「三層のバアラウンジで少々ひっかけてきたところだったのだけれどね。ぼくがちょっと居眠りしている間、こいつはなにをしていたのやら」


「ほうほう二人で。酒を飲んだあと。ははーんん、ナニをしてたのかしらねーえ」


 わざとらしく語尾を伸ばして、酒を注ぐ徳利越しに井澄を見る。酔わせ弱らせてことに及ぼうとしていたのだろう、などと邪推する視線が降り注いでいる。今日は面倒な年上にばかり遭遇するものだ。お猪口をあおって間をとりつつ、井澄はさめざめと泣きたい心持ちだった。いかの塩辛を粗雑な箸運びで口に入れつつ、山井は八千草と井澄をかわるがわる見やった。


「でも酒のためだけに三層に行ってたの?」


「いや、嘉田屋に先日の給金を受け取りにいっていた。その節はあなたにも世話になったね」


「……ああ、あの一件」


 だが話題が先日の通り魔事件に移ると、さすがに山井も笑んだ気色を引っ込めた。かつて、彼女は嘉田屋に身受けされて、娼枝として働いていた経歴がある。その過程で仲良くしていた後輩の娼枝の一人を、あの奈津美と四之助に殺されていたのだから、当然の反応ではある。


「あのコもまさか、子宮とられて殺されるだなんて思ってもみなかったでしょうね」


「そういえば、あなたが遺体の身元引受をしたのでしたっけ」


 月見里に聞いたことを問うと、酒を飲もうとした手を止めて、すいとお猪口を空に留めた。


「まあ、ね。葬儀もなにも、御経あげてもらって無縁仏の墓へ入れただけだけど……あ、物好きだなと思ってる目を隠そうともしないわね」


「半年であなたのお人よしにも慣れてきましたから」


「義理と人情欠いたら人間らしく生きるなんて無理よ。だいたい、この島に身売りされてる時点で娼枝の大半には引きとる家族もいないし。月見里さんは生きてるコのための報復はするけど、死んだコのことはそこまで面倒みないから」


「身売り、ですか」


「四民平等なんて口ばかり達者に言い繕っても、現実まだまだ身分に縛られてる部分もあるしね。口減らしに売られるコは少なくないわ」


「……しかしその物言いだと、最初からどういう思惑で嘉田屋がぼくらへ依頼してきたのかも、ご存知だったようであるね」


 八千草が問えば片眉の端を上げて、左の顔面を縦断する傷を引きつらせると、山井は軽く首肯した。


「細かいところはわかっちゃいなかったけどね。あの人なら絶対に、報復すると思ってたわ」


「絶対とは言い切ったものですね」


「集団を律するために必要なのは、利益と恐怖を与えること。己に向けられる畏怖の念を薄めるような輩をのさばらせておくほど、黄土の主は甘くない」


「緑風が主、仕立屋と比べて、ですか」


 訊けば、山井は七星という銘柄の紙巻煙草シガレツをくわえて、先端を上下させながら答える。視線は斜め右上を向いて、どこか上の空とも見えた。


「戸浪はまた別の力で集団を集団たらしめてるから、なんとも言えないわね。絶対的な厳罰を恐れる人々の密告社会と、不可視の監視を恐れる人々の沈黙社会。どちらがましとは一概には言えないでしょ?」


「あんまり大差ない気がします」


「大差あるわよ」


「いやに即答するものだね」


「四つ葉も最初のころはいまよりもっと顕著に、暴力支配が台頭してたんだからね。そこから在り様を少しずつ変えていった緑風の、戸浪のやり方は、以前よりずっと住みよい場所を提供してくれたもの。月見里さんも最近は丸くなったけど、それでも緑風ほどいい加減な統治はされてないでしょ?」


「丸くなった、ですか」


「あれで丸いというのならぼくの刀も何にも刺さりはしないだろうね」


 二人して言えば、面白そうに山井は笑う。なになに、やっぱり嘉田屋でなにかあったの、といろいろ勘繰ってくれた。わざわざ自分の失態を語るのもいやで、井澄はのらりくらりと言葉をかわしざま、彼女に問う。


「で、風呂場での問いをもう一度投げかけますが。あなたはどうして六層にいるんですか」


「ん、アタシ? アタシはそりゃあれよ、女娼とヤりに……ってのはまあ半分冗談で」


「半分本気ですか」


「半分本気っていうか、買ったはいいんだけど相性合わなくてね。ことには及ばなかったのよ。だから、半分。それで一人さみしく湯あみとしようかな、なんて思ってたら、八千草が入ってくのが見えてね。流しっこでもしようかな、なんて思ってたら、井澄が突っ込んできてね」


「あっけらかんと言われるとこちらも対処に困るのだけれども……って井澄が突っ込んできてって、ちょっと待て」


「あなたそれだけのために六層まで降りてきたんですか」


「井澄、流そうとするな。ぼくは流されはしないよ。突っ込んできてってどういうことだい」


「……あの、襲われたような悲鳴が聞こえたので、これはまずい、と思っての行動でした……申し訳ありません」


 正直に言って頭を下げる寸前、八千草はなんとも形容しがたい顔をしていた。羞恥に頬染めるとも、顔から力を抜いているともつかない、珍妙な表情であった。こんな顔でさえそれはそれで画になるというのもすごいなあなどと感心しつつ、井澄は彼女の許しを待った。


 ややあって、八千草は正座した膝の上に置いていた拳をほどいた。


「まあいい……事情あってのことでは、仕方がないね」


「すみません、ありがとうございます」


「感謝される覚えはないよ」


「裸を見たんだから男なら感謝のひとつもするわよ、ねえ?」


「山井、黙っててください」


「ああー、そう考えると、一人一部屋ずつにしたのも正解だったかもしれない、か。よかったわね井澄、だれにも邪魔されず一人遊びにふけることができるわよ」


「ホント黙ってください」


「ところで八千草のアンブレイラ、井澄の部屋に置いてるの?」


 ぎくりとして、井澄は自然と背筋が伸びた。横で八千草が目を細める。


「え、なんだいそれ」


「山井お願いお黙りください」


「だって扉が開け放たれてた部屋の中に、あれが転がってたから……そこから井澄は飛び出してきたってことよね?」


「おい、なんだいそれ」


「八千草お願いお許しください」


 彼女の目にすうっと失望の色が宿った。




 衝立を挟んだ隣の席に移動させられた井澄は、押し寄せる後悔の念に流された精神のありかを探しつつ、ぼんやりと背後の二人の会話を聞いていた。


「一応目的はもうひとつあったのよ、でもどうもそっちはハッキリしなくて。きな臭いにおいだけはしてるんだけど」


 言いつつ煙を吐いて、山井は灰を落とす。茫然自失の体で、仕方なく井澄も敷嶋の紙巻煙草をくわえた。手が震えてうまく燐寸が擦れず、火をつけるのに苦労した。一服して気を落ちつけると、せめて話に参加したいと思い、後ろをうかがう。


「なにがあったのさ」


診療所うちに回されてくるはずの荷がいくつか届いてなくってね。モルヒネとか、手術に要する薬品数種詰め合わせた奴なんだけど」


「モルヒネ」


 言われて、八千草は思い出したのか、少し考え込む間があった。山井はすぐに彼女の推測に感づいたのか、当たり、と口にした。


「あの通り魔二人組も関わってるかもね。あの二人、密航者だったみたいだし。船の荷の中から盗んだ可能性はなくはないわ」


「島に潜り込もうとしていたのかい?」


「どうやらね。本土でも開業医のフリして……っていっても、そこらの医者より腕はあったんでしょうけど。とにかく医者のフリをして患者を呼び込み、殺そうとしたかどで追われてたそうよ。この島は入ることにはさほど厳しくないからね」


「入り鉄砲に出女」


「んん、まあそこはここでも気にされてるでしょうけどね」


 火を消した山井は机に頬杖ついて、ぐるりと店内を見回した。薄暗い店内は行燈から漏れる薄い橙色に染め上げられるばかりで、隅に溜まる綿ぼこりであるとか、汚い部分が隠されている。


 どこかに人がいないかを確認すると、わずかに身を乗り出して、続きを語る。


「正直に言えば、六層で荷が盗まれてないか確認しにきたのよ」


 ぼそぼそと、店の人間にも聞かれないような声音で言う。納得のうなずきを見せた八千草は、今日が師走も廿日はつかと一日過ぎたところだと覚えていたらしい。七の倍数の日付は、四つ葉で運搬物が多くなるのである。


「でもそんな話聞かなかったし、六層は六層なりに平穏無事な印象を受けたわ」


「よくわかるものであるね」


「伊達に長くここで生きてないっての。なにかあれば、人波の中にも揺らぎが生まれるのよ。それで、今日はそういう雰囲気はなかった。ただ、落ち着かない感じはあったわ」


「その辺りの感覚もぼくらにはわからないけれど。なにか、大事でもあったということかな」


「斬殺体が見つかってるらしいのよ」


 徳利から最後の一杯を注ぎ、八千草のほうへ差し出しながら山井は言う。斬殺体。先ほど、三層で長樂にも忠告された事柄だ。


「太刀筋は明らかに刀傷。大振りな……長脇差か、それ以上の刃によるものね。一太刀でばっさり」


「何件目だい」


「まだ二件目。それでその、殺された奴っていうのがね。六層一区、番外地から先の人間」


 番外地。そこは四つ葉の中で、一層と共にただ二つだけの、天蓋なき場所。海に面しており、港と隣接した立地は行商人や航海を生業とするものが多く住まう。


 そして、もうひとつ。ある人々が多く住まう。


「な、つまりそれって」


「そう。殺されたのは、居留地に出入りしていた奴よ」



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