書くという恐ろしい魔法
書くということは実に恐ろしい行為だと思う。書き手の人間性が作中に表れるからだ。
そして表面化するのは、良いものばかりとは限らない。
ある作品がある。個人的には楽しませてもらったが、ラストの部分でかなり落胆した。書き手が『偏見』の持ち主と思える記述があったからだ。
ご本人に指摘はしていない。自ら気付くことが本質的な解決と私は考えるからだ。それに、登場人物と作者の志向がどこまで一致しているのかは分からない。作品に不可欠な要素として、あえての表現かもしれない。
もしもだ。
知らずに過ちを書いているとしたら?
そう思った時、私は恐怖した。
そして未だに怖い。
怖いけれど、それでもまた何かを書くのだろうと思う。
書いて伝える行為を魔法に例えた米国人作家がいる。ならば自分は、人としてまともな魔法使いになりたい。余談だが「人としてまともかどうか」という問いは、ある歴史小説家の言葉と記憶している。
皆さんは皆さんの願う姿の魔法使いを目指し、またはお望みの魔法使いとめぐり会えるように。幸運を祈る。
(了)