酒豪令嬢と辺境伯の騎士
「この女を愛妾にしたい」
美しい銀髪に水色の瞳の美しい隣国王子は、私の手首を掴んで、そう言い放った。
隣国王子を歓迎する為の舞踏会が城の大広間で開かれ、未婚の令嬢が次々に隣国王子と踊る中での出来事だった。周囲で控えめに踊っていた我が国の王子や貴族たちも動きを止め、楽隊が演奏する音楽も止まって静まり返った。
天井から吊るされた豪華な魔法灯のシャンデリアの煌めく光の中、紺色に銀糸の刺しゅうや金具で飾られた豪華な衣装が隣国王子の美貌を際立たせている。一方の私は、急遽仕立てた簡素な意匠の水色のドレス。子爵家に伝わる宝石は使わせてもらえず、一粒の真珠の耳飾りと、胸と髪に白い薔薇を飾っているだけ。
「ブレフト殿、此度の訪問は、未来の妃を求める為と聞いておるが」
大広間から数段上に設置された玉座に座っていた王が、困惑の声を隣国王子に掛けた。隣国王子は二十二歳。先日、婚約者を流行り病で亡くし、隣国内では適格者がいない為に結婚相手を探していると聞いていた。
「妃は別に選びます。この女の顔は冷淡すぎて、国民の支持は望めないでしょう」
失礼な物言いだと思っても、白金の髪に青い瞳、父母の良い部分だけを集めたと言われる私の容姿は整いすぎていて、冷たい印象を周囲に与えていることは十分に理解している。
隣国の第二王子ブレフトは、その美貌と優しい性格で国民人気が高い。ただ、それは作られた物であって、実際は傲慢で思慮が足りないと貴族階級には知られていた。
「シャルリーヌ嬢、君の希望を聞こう」
王が私に向かって問いかけた。命令するのではなく希望を聞くのは、どちらでも良いということだろう。 我が国と隣国との国力に差はほとんどない。ただ、隣国は不思議な力を持つ巨鳥が守護していて、戦争になった場合は不利になる可能性が高い。
この面倒をどう納めるか。私は一つの賭けに出た。
「ブレフト様、私は、私よりもお酒が飲める方でなければ殿方と認めないと精霊に誓いを立てております。我が王の前で、飲酒量で勝負致しましょう。私が負けた場合は承諾致します」
私の言葉を聞いて、王は静かに笑い、我が国の王子たちが顔を見合わせ、周囲の貴族たちが静かにざわめく。引くに引けなくなった隣国王子は、私の賭けに乗った。
王の指示で、酒樽が大広間に運び込まれ、同じ大きさのグラスに赤ワインが注がれた。
「女ごときに酒の味がわかる訳がない」
最初のグラスを空にして、隣国王子は私を嗤う。すぐさま私もグラスを空にして、微笑み返した。
夕刻に始まった勝負は、数回の休息を挟み、深夜にもつれ込んだ。隣国王子の足元が覚束なくなり、豪奢な椅子が持ち込まれ、勝負は続いていく。
固唾をのんで見守っていた貴族たちも徐々に緊張感が薄れ、徐々に酒宴の様相を呈してきた。私と私に寄り添う王妃以外の女性たちは大広間から去り、男性たちの好奇の視線を受けながら、赤ワインを飲み干す。
「四十二杯目です」
差し出されたグラスに手を伸ばそうとして、隣国王子が椅子から崩れ落ち、床へと前のめりに倒れ込んだ。
「おい、ブレフト、大丈夫か?」
隣にいた我が国の第二王子と、側近が駆け寄って介抱するも、隣国王子は完全に気を失っている。
「シャルリーヌ嬢、貴女の勝利だ。ありがとう」
同じく見守っていた金髪碧眼の第一王子が微笑む。これで隣国王子の横暴は笑い話となり、我が国は貴族令嬢を妾として差し出したという汚名を被らなくてすむ。
「どういたしまして。ところで、最後にもう一杯頂けますか?」
この赤ワインは、恐らく王家の秘蔵の品。もう二度と飲めないかもしれないと、私は最後の一杯を求めた。
◆
隣国王子との勝負から、二十日があっという間に過ぎ去った。
王都に無数にある料理店の中で、最上級の酒を提供すると評判の店には昼間から若い貴族男性たちが入り浸っている。優雅な装飾が施された丸いテーブルと椅子が並べられ、それぞれの席に着く者たちの視線は、巨大な酒樽が置かれた店の中央に集まっていた。
「乾杯!」
挨拶を交わし、二十五杯目のグラスを空にした途端、目の前に立っていた金髪碧眼の公爵が崩れ落ちて床に膝をついた。その顔色は青く、口を手で押さえている。
「シャルリーヌ嬢がまた勝った!」
「十勝目だ!」
床に転がるグラスから残っていた赤ワインが零れて赤い絨毯に染みを作り、周囲のテーブル席についた貴族たちから静かな歓声が上がる。とはいえ、敗北した公爵に対して身分が低い者ばかりで、公爵の一睨みで鎮まった。
「二十の小娘に敗北したお気持ちはいかが?」
あまりにも気持ちが苛立っていたので容赦のない言葉が口からこぼれた。
今年四十になる公爵には妻もいれば私と同年代の娘もいるというのに、私を妾にしたいというのだから呆れてしまう。
先日、隣国王子と勝負した件がどう間違って伝わったのか、飲酒量で勝てば私の身を自由にできると噂になっている。独身で結婚を申し込んでくる貴族や貴族子息もいれば、こうして妾にしようとする老獪な貴族もいる。
未婚の私は家族以外の異性と個室を使用することができないので、衆人環視の中で男性と飲酒量を競うという、令嬢としてはあるまじき状況を受け入れるしかなかった。
「このっ……小娘がっ!」
激高した公爵が立ち上がり、殴りかかってきた。未来の子爵家当主として習い覚えた護身術を披露する前に、大きな男の手が割り込んだ。
「失礼。シャルリーヌ嬢への挑戦は一度きり。負ければ二人分の酒の代金を払って潔く引き下がるというのが決まりと聞いております。……公爵夫人は今回の勝負をご存じですか? 騒ぎになれば公爵夫人のお耳にも届くでしょうね」
公爵の渾身の拳を片手で軽く止め、囁く男は辺境伯の騎士。金褐色の短髪に緑色の瞳、端正な顔と騎士らしい立派な体格が、黒地に銀の装飾が施された騎士服で強調されている。私がこうして勝負を受けると何故か必ずこの男がそばにいて護ってくれていた。
「ありがとうございます、ロドリグ様。辺境にお帰りにならなくてよろしいの?」
「長期休暇を取っています。ご心配なく」
明るい笑顔の男は、辺境伯の騎士ロドリグ。辺境を護る為に王家と同等の軍事力を持つ辺境伯が誇る騎士団の一員。剣技はまだ見たことはないものの、その身のこなしから相当強いと見て取れる。
一目で敵わないと察したのか、公爵は何事もなかったかのように早足で去っていった。
「飲みなおしませんか? おごりますよ」
「ありがとうございます。いただきます」
夕食まではまだ間がある。あと少しくらい飲んでも良いだろう。
「これで十人……いや、あの王子も入れると十一人ですか。大人気ですね」
軽い口調で笑うロドリグに悪意は感じられない。それでも私自身の心の闇がちりりと疼く。
「……乙女だというだけで、私自身には何の魅力もありませんし……何も持っておりません」
この国の貴族は性別関係なく第一子が家を継ぐのが慣習となっている。子爵家には娘の私しかいなかったのに、一年前に年の離れた弟が生まれて両親の態度が一変した。次代の当主として扱われていた私は放置されるようになり、私が子爵家を継ぐ可能性が無くなったと察した婚約者は婚約を解消して逃げた。
同世代の友人たちは次々と結婚して距離を取られている。両親は王都から離れた領地で弟の世話に掛かりきりで、誰にも相談できずにいた。
そもそも両親は私の愚行を知っているだろう。それでいて何も注意してこないのは、傷物にでもなって消えてしまえばいいとでも思っているのかもしれない。
「そうかな? 俺には魅力的だな」
私のグラスと自分のグラスに新しい酒を注ぎ、ロドリグは朗らかに笑う。魅力的だというのは、私の外見のことだろうか。それはこれまで数えきれないくらいに賞賛を受けてきた。両親から受けた贈り物である外見を維持するための自己研鑽を行っていてもその努力への言及はなく、むなしいだけ。
「酒を飲み干した後の表情がいい。酒が本当に美味そうな感じが伝わってくる」
「……そういうことですのね」
想定外の言葉を受けて肩に入った力が抜けていく。どんな顔をしているのかと考えても、お酒を飲んでいる最中に鏡を見たことがないからわからない。
「だからこうして一緒に飲みたくなるのですよ。……この酒、美味いですね」
「このワインは辺境伯の領地にあるレーミ村の品ではないかしら」
独特の香りと、舌に乗せた時のまろやかさ。光にかざすと青みがかった濃い赤が煌めく。
「凄いな。飲んだだけで酒の種類もわかるのですね」
「とても美味しいと感じた銘柄しか覚えていません」
「不味い物も覚えておかないと、また飲んだりしませんか?」
「これまで不味いと思ったお酒はありませんもの。どんなお酒にも良い点はあります」
飲酒が許される二十歳になってから十か月。様々な銘柄を飲んできた。
「そうか。それはおもしろいですね」
素直に感嘆するロドリグと一緒に飲むことは心地良くて、私は心から楽しんでいた。
◆
様々な貴族の子息からの挑戦を受け続け、二ヶ月が過ぎ去った。面白がった王子や王弟が主催した酒宴でも一人朝まで飲み続け、朝の光を受けながらグラスを掲げる姿が有名画家によって描かれ、『暁光に降り立つ酒の女神』として王城に飾られている。
隣国の第二王子は、女に酒で負けたことが衝撃的だったのか、倒れて目覚めた後、別人と疑われるくらいに謙虚になったらしい。あれから酒が一滴も飲めなくなったというのは、気の毒だと思う。
花が溢れる王城庭園を散歩していると、ロドリグが現れた。いつもの簡素な服ではなく、第三礼装と呼ばれる公式行事にも参加できる華美な装飾が施されている黒の騎士服姿。日の光を浴びて銀の金具が煌めき、凛々しさを増している。
「お久しぶりです。最近、勝負はないようですね」
「もう酒好きな女を妻として迎えようという物好きは残っていないということでしょう」
婚約者のいない貴族の子息のほとんどと勝負をして勝っている。以前、私を妾にしようとした公爵は夫人を激怒させて大問題になり、妾にしたいという貴族はいなくなった。
勝負に勝ち続けても心は疲弊していて、今すぐにでも逃げ出したいという気持ちを鎮める為に花を見ていた。
突然ロドリグが片膝をついて跪き、その右手を私へと差し出した。
「シャルリーヌ嬢……貴女の好きなだけ酒を飲んでいいと言ったら、俺の求婚を受けてくれますか?」
「求婚? 冗談でしょう?」
「本気です。辺境でも暮らしに不自由はさせません。俺は、貴女と一緒に歩きたい場所があります。辺境には美しい湖と森、何よりも上質なワインを作る村がある」
騎士の妻になると考えて、何故か心が躍る。美しい湖と森、いまだ訪れたことのない辺境は、一体どんな場所なのかと一瞬で想像が膨らんでいく。
「……逃亡先としては良いかもしれないわね」
内心の嬉しさに反して、皮肉交じりの言葉が口からこぼれた。王城でも王都でも、私の顔と奇行は知られてしまっている。辺境ならきっと私のことを知る者はいないだろう。
「逃げるのなら、俺が貴女を護ります」
私の酷い言葉に対しても、ロドリグの笑顔は明るい。その爽やかさがうらやましくて、輝いて見える。
「……私が死ぬまで護ってくださる?」
「俺は女神の世界まで追いかけますよ」
それは死後まで一緒ということ。本当に追いかけてくる気がして、頬が緩む。
「……その言葉、必ず護って下さいね。ロドリグ、貴方の求婚を承諾します」
差し出された右手に、右手を乗せて微笑む。大きな手が私の手を包み込むと、何故かほっと安心できた。今までもロドリグは私を護ってくれていた。この人ならきっと最期まで護ってくれる。
ロドリグが立ち上がり、向かい合う。
「あ、そうそう。俺の名はロドリグ・モンドンヴィルです」
「……モンドンヴィル?」
それは辺境伯の家名だと、一瞬で血の気が引いていく。我が国の辺境伯の息子と子爵家の娘では身分が釣り合わない。
「承諾を撤回します」
「無理ですね。証人がいますので」
ロドリグの笑顔の背後、庭園の緑の茂みから、がさがさと音を立てながら三人の王子たちが姿を見せた。
「いやー、良かった、良かった。おめでとう、ロドリグ!」
「シャルリーヌ嬢に断られたら慰める予定だったのだが。非常に残念だ」
「僕の方が緊張して心臓が壊れるかと思ったよ」
王家特有の美しい金髪に緑の葉っぱを乗せた王子たちの姿に驚いて言葉も出ない。
「王都一の仕立て屋に婚礼衣装の予約を入れています! 今すぐ向かいましょう!」
ふわりと体が浮いて、笑顔で手を振る王子たちから離れていく。
「えっ?」
走るロドリグに抱きかかえられていると理解するまで、少しの時間が必要だった。王城庭園を散歩している貴族たちが驚いているのが流れる視界に見える。
「もう俺は一生貴女を離しませんよ」
その言葉が何故か嬉しくて、抵抗する気持ちが消えていく。
「仕方ありません。お酒の約束は必ず守って下さいね」
わざとらしい溜息を吐くと、ロドリグが笑う。頬が熱くなっていくことを感じながら、私はロドリグの腕に体を預けた。
これは「それは呪いの指輪です。~年下王子はお断り!~」の辺境伯と夫人の馴れ初めのお話。




