一
月毎に顔が変わるのもままある場所に根を下ろして半年、この一画では古株の私はようやく同類を迎えた。草木の芽吹く春、初めて自分に似た顔の仲間を得たのだ。
似ているといっても姿かたちだけで、色は全く違った。新しく隣に来たのは、冬に降る結晶のような雪色の子と、星を散りばめた夜を思わせる、濃い空色の子だった。私はその新入り達に、勝手に名前をつけた。雪色はビオラ、空色はトリコールと。けれど面と向かって呼ぶことはせず、心の中で呼ぶにとどめた。
新緑の匂いが風に乗って届く頃には、私たちはよく話をする仲になっていた。すると、互いに違った特性の持ち主であることも分かった。ビオラは臆病なのに好奇心旺盛で、トリコールは物怖じせず聡明であった。
ビオラは優しい口調に乗せて、その場で思ったことを何でも素直に伝えてくれ、聞いていると穏やかな気持ちになれる。一方トリコールは話を聞いて賛同するだけでなく、別の見方を与えてくれたりした。特に、トリコールの知識には驚かされるものがあった。惜しげもなく知見を披露する姿は、ビオラと私を夢中にさせた。
この日もトリコールは興味深い話をしてくれた。「名前」についてだ。ヒトの世界では、モノを区別するために種類としての名が冠されており、そこから更に詳しく固有の名がある、という話だった。
「僕らがヒトに何て呼ばれているのか知っている?」
知らない、と言ったビオラと私にトリコールは教えてくれた。
「パンジー、サンシキスミレって言うんだよ」
トリコールが言うには、私たちは「ハナ」という種類で「パンジー」あるいは「サンシキスミレ」という固有の名があるらしかった。
パンジー、パンジーと何度も呟いているビオラの横で、私はトリコールに先を促した。トリコールは言う。
「情が移れば、ヒトは更に個人的に名前をつける」
「どういう意味?」
興味津々の私にトリコールは説明してくれた。
「ヒトにもそれぞれ名前があるだろう? 昨日水をやった子は『ミカ』、一昨日やった子は『リカ』っていう名があった」
「そう言えばそうね、同じヒトでも違う名があるわね」
私は、「ミカ」と「リカ」が互いに呼び合っているのを何度か目撃していたことを思い出した。
「ひとくくりにすると呼ぶ時に呼べないから。だからヒトの間では『ミカ』と『リカ』は違うヒトとして区別している」
そこでやっとパンジーの連呼を止めたビオラが言った。
「名がいっぱいでヒトは困らないのかしら。だってそんなにあると覚えきれないわ、きっと」
ポツリとそんな感想を漏らしたビオラに、トリコールは屈託ない笑い声を上げた。
「そうだね、でも考えてごらんよ。よく、毛むくじゃらの奴が来るだろう」
「ああ、あの子ね?」
「あいつはイヌって種類で、その中のチワワってやつだ。おまけにヒトから特別な、そいつだけの名を貰っているよ」
うん? と問いかけ気味の口調のビオラに、トリコールはこたえた。
「ココって名だ」
「それがあの子だけの名なの?」
「そう、あいつを呼ぶための名だよ。そうじゃないと、逆に困るんだ。他のイヌと区別できない」
「イヌってそんなにいっぱいいるの? それにどうして区別しなくちゃいけないの?」
最初の質問はともかくとして、二つ目に言ったビオラの疑問はもっともだと同感した。
「いっぱいの中からココは取り出されたんだ、ココと名づけたヒトに。そのヒトが他のイヌと区別したかったから、ココはココなんだよ」
「……よく、分からないわ」
納得いかない様子でゆっくりと紡ぐビオラにトリコールは、僕も、と笑っていた。
「でもね。ひとつ言えるならココは特別なんだよ、ココと名づけた人にとっては」
「特別……」
ビオラはその言葉を、幾度となく呟き始めた。
思い当たる節のある私は、内心考えていた。ビオラという名前と、トリコールという名前を目の前の子たちに付けていた。よくよく考えればなるほど、トリコールの言った通り、私はこの子たちを他のモノと区別したかったのかもしれない。どうしてその名にしたのかは分からないけれど、ふと浮かんだのだ。
私はどうやらヒトと同じ真似事をしていたらしい。なのに、驚くことなくすんなりと腑に落ちていた。それどころか不思議な感慨を抱いていた。