それぞれの未来へ
春風が吹き抜ける丘を、カインとフィアは並んで歩いていた。
向かう先は、かつてカインが、剣を捨てた村――ロイセル。
そして、フィアが禁呪を封じた古代遺跡がある地。
かつての傷跡に、二人は自ら足を運ぼうとしていた。
「……こんなに緊張するの、久しぶりだ」
カインがぽつりとつぶやく。
「何年も避けてきた場所だからね。でも、もう背を向けるのはやめるんでしょう?」
フィアの声は柔らかく、けれど芯があった。
カインは頷いた。
「……あのとき、俺は正しさにすがっていた。作戦通りに動けば、みんなを守れると信じてた。でも、それは……ただの、都合のいい正義だった」
村に近づくにつれ、風景に廃墟が増えた。
火災の跡、崩れた石垣。あの夜の爪痕は、今もなお残っていた。
だが――
「……誰か、いる?」
フィアが耳を澄ませる。
廃屋の影から、ひょっこりと小さな男の子が顔をのぞかせた。
「お、おじちゃん……剣の人?」
「……ああ。昔、この村にいたカインって男だ」
少年の瞳が揺れる。
「うちのお父さんが……カインが村を見捨てたって言ってた」
その言葉に、カインは深く頷いた。
「そうだな。俺は、あの夜、誰も守れなかった……だから今度は、せめて、この村に残る何かを守りに来た」
男の子が、カインの背の剣に目を留める。
「……でも、おじちゃん、剣……持ってるんだ」
フィアがそっと笑う。
「ええ、彼はもう、逃げていないの。誰かの命令じゃなく、自分の意志で剣を取ってるのよ」
少年はしばらく考え込むと、恥ずかしそうに笑った。
「じゃあ……また来ても、いい?」
「もちろんさ。次は剣の稽古でもするか?」
小さな希望の芽が、そこに確かに宿った。
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その夜、二人は古代遺跡の前に立った。
禁呪を封じた、魔法陣の残滓が淡く光っていた。
フィアが指をかざすと、微細な震えと共に魔力が波打つ。
「……まだ、ここに残ってる。あの呪文の痕が」
「呪文を使ったのは、お前のせいじゃない。俺が止められなかったからだ」
「違うわ。あのとき、私が選んだの。命より研究を」
フィアの手が震えていた。
その手を、カインがそっと握る。
「……選び直そう。俺たちの未来は、まだこれからだ」
フィアの目に、涙がにじむ。
「……ほんとに、不器用だね、カイン」
「そうだな。でも、不器用なりに、お前を守りたいって思ってる」
二人の指が、魔法陣に触れる。
その瞬間、残っていた魔力が穏やかに光を放ち、風に溶けていった。
まるで――過去の傷が、許されたかのように。
夜の静寂を破ることなく、遺跡の光は静かに消えていった。
カインとフィアはその場に佇み、しばらく何も言葉を交わさなかった。
やがて、フィアが静かに口を開いた。
「……禁呪は、ただの力じゃない。願いを形にする、代償と引き換えの魔法。だから私は間違えたの」
彼女の声には、悔いと決意がないまぜになっていた。
カインが問いかける。
「……それでも、お前はまだ研究を続けるのか?」
フィアは首を横に振った。
「禁呪の研究は、今日で終わり。過去を取り戻すためじゃなくて、これから、誰かを守るための魔法を学びたい」
彼女の瞳はまっすぐだった。
「……私は、もう二度と大切な人を見失いたくない」
カインはその言葉を、ゆっくりと受け止める。
「だったら――」
彼はフィアの手を取り、ぎこちなく口を開いた。
「……俺も、昔の剣じゃなくて、お前と向き合うための剣を、振るいたい」
フィアが小さく笑った。
「ずいぶんと、回りくどい告白ね」
顔を赤くしたカインは、俯きながらぼそっと言う。
「……その、なんだ。フィア、俺は……お前が好きだ」
フィアはゆっくりと、カインの胸に額を預けた。
「私も。ずっとずっと……あの頃から」
彼女の指先が、カインの服の裾をぎゅっと握る。
「……怖かった。きっと、また失うんじゃないかって。でも、カインがそばにいてくれたから……ここまで来られた」
風が、草木を優しく揺らす。
過去の傷跡が、静かに溶けていくようだった。
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翌朝。
二人はロイセルの村を後にする。
子供たちが手を振り、カインが剣を振って応えた。
旅の再開を前に、フィアがふと立ち止まる。
「ねえ、次に研究所を建てるなら、どこがいいと思う?」
「それはもちろん、俺の村の近くだろ……お前がそばにいてくれた方が、安心する」
フィアが驚いたように笑う。
「ふふ、随分と素直になったじゃない」
「今さらだが……もう、後悔はしたくないんだ。お前との時間を」
二人は、肩を並べて歩き出す。
それぞれの過去を抱え、それでも未来へ進むために。
その歩みは、確かに――再生の始まりだった。