仮面の裏の素顔
夜、焚き火の音だけが、静かな森に鳴り響いていた。
ユウたちは次の目的地『王都リゼンハルト』へ向かう中、道中の古びた礼拝堂跡で休息を取っていた。
フィアは焚き火に鍋をかけながら、つぶやいた。
「……ねえ、ゼノって、ずっと仮面つけたままだよね」
「そういや、顔どころか素性も知らねぇな」
カインが頷く。
ゼノは、少し離れた石段の上で月を見ていた。
「……仮面が好きなだけさ。素顔を晒すほど、この世界を信用してないってだけ」
軽口めいたその声に、しかしどこか影があった。
リリスが言う。
「それでも、あなたはずっと私たちを助けてくれてる……その仮面の裏も、本当はとても優しいんでしょう?」
ゼノは微笑みを返さず、ただ黙っていた。
深夜。
ユウが目を覚ますと、ゼノがいない。
気配を追って森の奥へ入ると、そこには仮面を外したゼノの背中があった。
「……こんな夜に、何してんだ?」
ゼノは振り向かずに言った。
「……今夜、王都から追っ手が来る」
「追っ手? まさか、またアーク・オーダーか?」
「違う。王族だよ。俺を始末するためのな」
ユウが言葉を失う中、ゼノはふっと笑った。
「俺の本名は――エルヴァン=リゼンハルト。今の王の庶子だ」
その名は、かつて滅びた旧王家と並び立つ名家のひとつだった。
「王族の血を引く情報屋ってわけか……!」
「いや、捨てられた血さ。母は身分の低い侍女で、俺が生まれてすぐ、処分された」
ユウは言葉が出なかった。ゼノは続ける。
「王家にとって、俺は都合の悪い真実なんだ。だから、俺はゼノを名乗り、影で生きるしかなかった」
月が雲に隠れ、闇が深まる。
ゼノの背に、確かな決意があった。
「……だから俺は、正面から向き合ってやる。今夜来る追っ手を、正面から迎え撃って、俺の存在をこの世界に記録してやる」
「……それで死んだら意味ないだろ」
「記憶に残れば、意味はある。お前もそうだろ? 記憶の力ってやつに目覚めたんだからよ」
ユウは黙って、ゼノの隣に並んだ。
「なら、俺も一緒に行く……お前の記憶が、消されないように」
仮面の男の過去が、今夜、剥がれる。
それは――一人の捨てられた王子が、自分自身を取り戻すための戦いだった。
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夜明け前。森に冷たい風が吹き抜ける。
礼拝堂跡の広場に、黒衣の兵士たちが現れた。王都リゼンハルト直属の暗部――「影の刃」
「ゼノ……いえ、エルヴァン=リゼンハルト殿下。あなたにお戻りいただきます」
先頭の騎士が言う。
「二度と血の証が暴かれぬよう、名を存在を、完全に抹消していただきます」
ゼノは仮面を外し、月明かりの下に素顔をさらす。
シャープな輪郭、怜悧な瞳、しかしどこか寂しげな微笑み。
「ずいぶんと物騒なお迎えだな」
「あなたの存在は、王都にとって不安定要素でしかありません」
兵士たちが剣を抜く。
それに応じて、ユウもリリスも立ち上がった。
「ゼノは仲間だ。消させはしない!」
「ええ、私たちは、誰かの都合で生き方を曲げたりしない」
戦いが始まった。
影の刃たちは闇に紛れた機動戦を得意とし、仲間たちは次々に傷を負っていく。
しかし、ゼノは剣を取らなかった。
仮面を外したまま、ただひとり前に出た。
「お前たちに、俺の生を決めさせてたまるか」
瞬間、彼の足元に魔法陣が浮かぶ。
それは――フィアが渡していた魔力拡張式の刻印。
「ゼノ! 今!」
フィアの声に応じて、ゼノの周囲が蒼い光に包まれる。
情報を知覚する力、それを魔力に転換し、戦闘に応用する記憶転写型魔法――
「《記録》――お前たちのすべてを、見切った!」
ゼノの戦いは、観察から始まり、模倣で終わる。
影の刃たちの動きが、次第に読まれ、封じられていく。
そして最後の瞬間――
一人の兵士が、剣を落とした。
「……なぜ、仮面を外した?」
その問いに、ゼノは答えた。
「……誰かに仮面越しじゃなく、正面から見てほしかったからだ」
静かに歩み寄る女性の声がした。
「……なら、もういいでしょう」
白衣をまとった女医・エレナが現れた。
「エルヴァン様……いえ、ゼノ。あなたが、どんな顔でも、私は変わらないわ」
ゼノの目がわずかに見開く。
「……見てしまったな」
「ええ。しっかりね……それで、仮面をまたつける?」
ゼノは、手にしていた仮面をそっと落とした。
それは、もう必要のない殻だった。
戦いの後、影の刃は撤退した。
王家として、仮面の男ゼノを処分できなかったことは、裏で揉み消されるだろう。
それでいい。それが、彼の戦いの意味だった。
リリスがつぶやく。
「ねえ、ゼノ。あなた、少しだけ顔が柔らかくなったわね」
「気のせいだ」
「ふふ、仮面を取っただけじゃない。心も少し、見せてくれた」
ゼノは黙って空を見上げた。
夜が明ける。ほんの少し、希望の色を帯びた空だった。