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仮面の情報屋と拒絶の仮面

 山間の集落。その外れ、風に揺れる薬草の匂いと、消毒薬の匂いが混ざる一軒の診療所があった。


 診療所の扉を押し開いたのは、仮面をつけた男。


 ――ゼノ。


 漆黒の外套、銀の仮面、静かな気配。それはこの辺りの人々にとって、「謎を持ち込む存在」であり、「真実を運ぶ者」でもあった。


「また来たの? 仮面の人」


 カウンター越しに、女性の声がする。


 白衣に身を包んだ、若い女医。


 栗色の髪を束ね、茶色の瞳が彼を真っ直ぐに見ていた。


「エレナ。今日は薬じゃなく、情報だ」


 ゼノは静かに一枚の紙を差し出した。


 そこには、封印の波動が再び活性化した地点と、それに伴って出現した古い王家の紋章の記録。


 エレナは眉をひそめてそれを読み取る。


「……この紋章、まさかリリスの……?」


「ああ。だが問題はそこじゃない。これは、現王家の系譜ではなく、失われた分家筋のものだ」


「つまり……リリスは本家の姫じゃない?」


「ある意味、もっと厄介な存在かもしれない。――王の代わりに、国を封じた『影の姫』」 


「でも、そんなことを追ってどうするの?」


 エレナは尋ねた。


「知ったところで、記憶が戻る保証なんてないし……彼女がそれを望んでるとも限らない」


「記憶を求めてるのは、彼女だけじゃない」


 ゼノはそう言って、仮面の奥で目を細めた。


「……過去を知ることで、今の自分が崩れる。それを恐れてるのは、あの姫だけじゃない」


 エレナは、カップに薬湯を注ぎながら口を開く。


「ねぇ、ゼノ。あなたは、仮面を外したこと……あるの?」


 ぴたりと彼の動きが止まった。


「私は医者よ。顔の火傷でも、皮膚病でも、何でも見てきた。でもあなたの仮面は、それとは違う。心の皮膚を隠してる」


 ゼノは小さく笑った。


「観察眼が鋭い。だが、これは呪いみたいなもんだ。素顔を見せる相手なんて、この世界にはもういない」


「それ、本気で言ってる?」


 エレナは彼の前に椅子を引いて座った。


「私、そういう言い訳を言う患者、何人も見てきたわ。でも結局、最後に顔を上げられるのは、自分を信じてくれた誰かがいた時だけよ」


「……お前も、そういう誰かになりたいと?」


「なりたいんじゃなくて、もうなってるかもしれないって言ってるの」 


 ふたりの間に、しばし沈黙が流れる。


 風が窓辺の薬草を揺らす。


「……面倒な女医だな」


「ええ、自覚ある」


 そう言って、エレナは微笑んだ。


 その笑みに、ゼノはかすかに目を伏せた。


「……少しだけなら、仮面を外してみてもいい」


「今?」


「今じゃない。だが、近いうちに」


 仮面の奥、彼の瞳は確かに揺れていた。


 


 その時、診療所の扉が急に開いた。


 息を切らした少年が飛び込んでくる。


「大変だ! 村の北の崖で、古い隠し道が開いたって!」


 ゼノとエレナが顔を見合わせる。


 ゼノが手にした地図に描かれていた、古の王家の脱出路――その座標とぴたり一致していた。


「どうやら、仮面の奥に踏み込むのは……もう少し早まりそうだ」


 

====

 


 風が強く吹きつける、村の北の崖。


 かつては誰にも知られていなかった岩壁の隙間に、崩れた瓦礫と共に口を開いた地下道があった。長い年月を経て封じられていたその隠し道は、古い王家の脱出路として設けられたものだった。


 ゼノとエレナは、松明を手にその中を進んでいく。


「ここ、本当に安全なの……?」


「安全だったら王族は使わない。だが重要な場所ほど、危険はつきものだ」


 ゼノの口調は軽いが、その手は常に剣にかかっている。


 エレナは背後を慎重に見つつ、それでも真っ直ぐ前を向いて歩く男の背中を見つめた。


「ゼノ。あなた、こんな場所ばかり歩いて、怖くないの?」


「怖くないわけがない。だが、恐れと進まない理由は別だ」


「……そういうところ、本当に強いわね。私なんて……いつも震えてるのに」


「震えながらでも進むのは、弱くない。むしろ、そっちのほうがずっと強い」


 やがてふたりは、地下通路の奥にたどり着く。


 そこには、王家の紋章が刻まれた石扉と、その中央に埋め込まれた魔力石があった。


 ゼノが手をかざすと、魔力石が淡く光を放ち、扉がゆっくりと開いていく。


 現れたのは――ひとつの書庫。


 古文書と、封印された記録の巻物。そして、一枚の古びた肖像画。


「……これは……リリス?」


 エレナが近づき、絵を指差す。


 だが、よく見ると違った。髪は同じ銀、瞳も似ているが、年齢は少し上に見える。そして、衣服の紋章も、現在の王家のものではない。


「リリスの……母か、それとも姉……?」


 ゼノが慎重に文書を開きながら言った。


「いや、これは……影の血統に連なる姫――リゼリア」


「リゼリア……」


「かつて、現王家の簒奪を防ぐため、王族の正統を二つに分けた時代があった。表の光の姫と、裏の影の姫――リリスはその末裔かもしれない」


 「ゼノ。あなた、どうしてそんなに血筋にこだわるの?」


 エレナの問いに、ゼノは手を止めた。


 沈黙ののち、低く呟く。


「俺は……王家の庶子だった。表に出ることも許されず、母は名も残さず死んだ」


 エレナの目が見開く。


「……仮面の理由、ようやくわかった気がする。あなた、自分を存在しない者として隠してるんだね」


「そのほうが、誰も傷つけない」


「でもそれって、自分自身も殺してるのよ。ずっと、ゼノという名前の中に、本当のあなたを閉じ込めたまま」


 ゼノはエレナに向き直った。


 仮面の奥の瞳が、わずかに揺れていた。


「……君は、どうしてそこまで俺を見ようとする」


「簡単よ。あなたが、誰よりも、誰かに見てほしがってるって、気づいたから」 


 静寂が満ちる。


 そして、ゼノは、ゆっくりと仮面に手をかけた。


 金属が軋む音。


 そして――仮面が外される。


 


 現れた素顔は、意外なほど優しく、まだ若さを残していた。


 頬にかすかな傷、だが瞳は真っ直ぐにエレナを見ていた。


「こんな顔でも……嫌じゃないか?」


 エレナはふっと笑う。


「思ったより普通。むしろ、仮面よりずっとあなたらしい」


 


 その言葉に、ゼノの表情がわずかに崩れる。


 それは、長い孤独と拒絶を抱えてきた者が、初めて誰かに見られた瞬間だった。


 


 そして、エレナがそっと手を伸ばし、彼の頬に触れた。


「ようやく会えたわね、本当のあなたに」 


 そのとき――


 巻物の一つが、光を放った。


「これは……リリスの……?」


 ゼノは巻物を広げる。


 そこには、かつて影の姫が発動した禁呪と、その代償として彼女が失った名前の記録が記されていた。


 つまり、それは――


 リリスが、何者だったのかを示す、核心の鍵。


 


 エレナが口を開く。


「これで、彼女も過去と向き合える。あなたのようにね」


 ゼノは巻物を握りしめると、再び仮面を手に取った。


 けれど、今度はもう、顔を隠すためではなかった。


 


 風が地下道を吹き抜ける。


 ふたりは、共に光の差す出口へ向かった。


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