やっちまった
そして、事件は起こった。全員で夕食を取った後、シキは風呂に、ネアは素振りのため外に行き、部屋には俺とリリアが残っていた時の出来事だ。
突如、外から聞こえた女性の悲鳴。甲高い叫びは、空気を裂き、家の外壁すら通り抜けて、俺達の耳へと届く。
それは人の尊厳を踏み躙る行い。
それは欲望のままに人を傷つける卑劣な行為。
もはや人を人とすら思わぬ悪魔の所業。
我ら勇者パーティが出向くに相応しい事件。そう、それは。
「きゃあああああああ! 覗きよ!!!!!」
覗きである。
「ラビ、覗きだって」
「そうだな。でも俺達には関係ねえや」
「そだね」
そうして、俺達は辿り着いた村での初日を何事もなく過ごすことが出来たのであった。めでたしめでたし……と、なるはずもなく。
「それで? 皆さんは一体何をしていたんですかな?」
事件発生から小一時間ほど経った今、俺達四人は尋ねてきた村人にそんな質問を投げかけられていた。招き入れられた村人男女合わせて四人。口火を切ったのは髭を蓄えた細身の老人で、比較的身なりが良いことから村の長であると予想される。彼らの目つきは鋭く、口には出していないが、どうやら俺達が覗きの犯人だと思っているらしい。そんな態度をリリアも察したのか、少しだけ動揺しながらも問い返す。
「ちょ、ちょっとお爺さん! どうして私達が疑われているの? 普通にこの家で過ごしてただけだよ! シキはお風呂に入っていて、ネアは外で素振りしてて、私とラビはこの部屋でダラダラしてただけなの」
「嘘ついてんじゃねえ! この村は全員昔からここに住んでる、いわば家族みてえなもんだ! もちろん今まで覗きをやった奴なんていねえ! 唯一の余所者であるてめえらが犯人に決まってんだろうが!」
村人の内、体格の良い若い男がリリアに反論する。残る女性達もそうだそうだと口を揃えて騒いでおり、もはやこちらの話に耳を傾けるような雰囲気ではない。
ここでリリアが勇者であることを明かせば、ある程度の信憑性を担保できるのだろうが、生憎と逃亡中の身だ。今はこの村にその知らせが届いていないにせよ、いずれは届く。そうなれば、勇者だとバレた暁にはこの村人達から騎士団なりに報告が行き、足がついてしまう可能性が高い。そうならないように、村では身分を隠すようにと事前に馬鹿なリリアにも固く言い聞かせてある。
「で、でも……」
「それに、リッツのやつが言ってたが、てめえらこの村に来るなり、おっぱいモンスターだのなんだのと騒いでたらしいじゃねえか。一体何したらそんなひでえ渾名がつくんだよ! とんでもねえ変態に違えねえだろうが!」
ぐうの音も出ないほどに正論である。リッツ、というのはおそらくシキが宿の場所を尋ねた村人のことだろう。どうやら彼らは事前に俺達について最低限の調査を行ってきたようだ。さしものリリアと言えど、これには反論のしようもないらしく、うぐ、と痛いところを突かれたとばかりに整った顔を歪ませる。
「ま、待ってください。べ、別にそれは性的な意味ではなく、ネアさんの胸部をいじっただけのただの冗談で……」
「どうせそソイツが胸が大好きで老若男女お構いなしのバケモンみてえな性欲してっからだろうが! なあどうなんだよ! てめえに言ってんだてめえによ!」
怒り心頭といった表情で男は指を差しながら怒鳴り散らす。その差した指の先には……。
「おいちょっと待て、俺はおっぱいモンスターじゃ……」
「そうなんです! このラビという男は四六時中、老若男女どころか種族も問わず胸を見つめ、隙あらば揉むような変態なんですよ! かつて王都では姫の胸を揉み、王妃の胸を揉み、それだけでは飽き足らず、自分は王子だと言い張って乳母の胸に吸いつこうとした大罪人なんですよ!」
「「ひぃっ!」」
「お、お前マジかよ……」
「……世も末じゃのう」
「おいどうすんだネア。お前が適当なこと言ったせいで、村人の皆さんの視線がキツいんだが」
「知りませんよそんなの。別に慣れっこでしょう?」
流石おっぱいモンスター。無責任である。
「……私が普段している妄想なんですが、そんなに変ですかね?」
もそもそと小声で何か言っているが、無視しよう。踏み込んではいけない気がする。
「と、まあ、今のはこの女が適当なことを言っただけなんだ。別に俺はおっぱいモンスターじゃないから安心してくれ。それよりも、覗きの話だろう? あんたらの言う通り、見知らぬ俺達が怪しいってのは分かるが、確たる証拠もないんだろ? だったらこっちの話を全く無視して、犯人扱いってのもおかしいんじゃないのか?」
バカの気持ちの悪い妄想おかげで一気に空気が冷め込み、村人達も冷静になったようだ。未だ俺を見る目にかなりの不信感が現れてはいるものの、口を挟まずに聞いてくれた。
「ふむ、確かにその通りじゃ。そこについては謝罪しよう」
流石長老。年を重ねているだけあって思慮深いのか、己の非を認めて深々と頭を下げる。そんな姿に面食らったのか、他の村人三人も複雑そうな表情をしながらも、黙ってその姿を見つめていた。
「じゃが、そうなると一体誰が犯人なのか。なにぶん小さな村で、こういったことを野放しにしている訳にもいかんでな。すまんが旅の者よ、何か気づいたことはござらんか? 物音でも、怪しい人影でも良い。手がかりになりそうなものでもあれば教えて欲しいのじゃが」
村人達の勢いが落ち着いたからか、ビビり散らしていたリリアがその問いに答える。
「うーん、何もなかったと思うよ? と言っても、この家に着いてからはほとんど外に出てないんだけどね」
その言葉に同意するように、俺達も首を縦に振る。
「それに、手がかりって言われても、私達はそもそも一体どこで誰が被害を受けたのかすら知らないし……あ、そうだ、犯人探し手伝おっか? 私達も犯人だと疑われながらこの村を後にするのも気分が悪いし、村の人も人手が増えて嬉しいんじゃない?」
その言葉に同意するようにシキは首を縦に振り、却下と言わんばかりに俺とネアは首を横に振る。どうしてそんな面倒臭いことをしなければいけないんだ。一体どうしたリリア。お前そんな善良な人間じゃないだろ。
「それはありがたい申し出じゃが、良いのか? そっちの二人は勢いよく首を振っとるぞ?」
「大丈夫大丈夫。この二人は忘れてると思うけど、一応私はご主人様だから。いざとなれば強制的に言うことを聞かせるよ。それよりほら、事件について教えて? 私にもやるべきことはあるけど、困っている人を放って置けないもんね! うん! しょうがない! 解決するまで、何日でも何週間でも、何年でも付き合うよ!」
どうやら魔王討伐と覗き犯確保を天秤にかけて、後者の方が楽だと踏んだらしい。流石クズだ。
「い、いや、そこまでお願いするつもりはないんじゃが……」
リリアの熱気に流石の爺さんも顔を引き攣らせながら、概要を話し始める。うんうんと頷きながら聞き入るリリアの顔は真面目そのもので、人々を助けるべく動くその姿はまるで本当の勇者のように見える。もちろん、彼女の本心を知らなければの話だが。
「ふむふむ、なるほどねえ」
長老が話し終えるとリリアは顎に手を当てながらそう言った。概要としてはこうだ。被害者はヒーリアという村で一番美人だと噂される二十一歳の女性。彼女が自宅にある風呂に入っていると、通気口から覗く二つの瞳を発見。悲鳴をあげたところ、その人物は逃げ去ったらしい。目撃情報等手がかりはなし。
うん、犯人を見つけるなんて不可能だ。
「現状全くの手詰まりでなあ。この村には生活魔法以外を使える者などおらんし、明日からは見回りを置くくらいしか打つ手が思いつかんのじゃ。そういえば、お主達の中で何か捜査に役立つ魔法を使える者がおったりはせんのか?」
いない、とすかさず返すリリアに長老は少しだけ落胆の表情を見せる。
確かに、魔法の中には見えない足跡を追ったり、真実しか話せなくなるものもあるが、当然そんな上等なものを下等なリリアが使えるわけがないし、その他に至っては生活魔法すら使えない。そもそもそういった魔法が使えるのは、人類の中でも極一部のわけで、たまたま訪れた旅人にそんなことを期待するのは酷というものだ。
だが、人とは常にそんなに理性的にでいられる生き物ではないわけで。
「おい爺さん、やっぱりやめようぜ、こんな奴らに手伝って貰うのは」
長老の表情を見た村の若者は怒りが再燃焼したのか、口を挟む。
「やめんか。先ほど旅の方がおっしゃったように、たまたま彼らがこの場に居合わせたというだけで犯人とみなすのは失礼であろうが」
「でもおかしいだろうが! 村のやつに覗きなんてするやつはいねえ! こいつらが来た日に事件が起きた! どう考えてもこいつらに決まってる!」
相変わらず状況証拠だけで人を犯人だと決めつける若者。あまりの思考能力の低さに流石の俺も少しだけイライラとしてきた。
「なあ、あんたらなんだろ……いや、あんたらって話でもねえな。確かにあんたら全員じゃねえかも知れねえ」
そこで若者は言葉を区切る。どうやら攻め方を変えてきたようだ。俺達の中の一人の単独の犯行だ。彼はそう言っている。まあ、被害者の性別を考えればそう考えるのが普通なんだが。
「ちょ、ちょっと待ってよ! 私達の中にはそんなことする人はいな……、い、いやさっき言ったように私達にはみんなアリバイが……?」
そこで、リリアが初めて言葉を詰まらせる。それはそうだ。だっているもん。俺達の中に、こういうことやらかしそうで、アリバイのないやついるもん。
そんな隙を若者が見逃すはずもなく、ここぞとばかりに詰めてくる。
「いんだろ? あんたらの中に女が大好きで、変態で、欲望に忠実な奴がよ……おい、なんでお前ら全員黒髪の姉ちゃん見てんだ? 普通そっちの茶髪の兄ちゃんじゃねえの?!」
「どうしてみんな私を見るんですか!? 流石に今回は私じゃないですよ!」
「だって、お前だけだろ? アリバイがないの。シキはこの家の風呂に入ってたし、俺とリリアはこの部屋に二人でいた。お前だけ外で素振り」
「……私、屋敷で暮らしてた時、何回かネアに入浴中に突撃されたことある」
「……私も、お風呂にいつの間にか入り込まれていたことが」
「ちょ、ちょっと二人共! そ、それは友人同士のスキンシップというもので、決して邪な気持ちがあったわけでは……そ、それにラビだってあやしいですよ! ほら、リリアは少し頭が残念ですし、ラビはゴキブリと区別がつかないので見間違えたのかも!」
すごい。こんな暴論をこんな必死な顔で言う奴初めて見た。
「ふざけんな。もし俺だったらそんなヒーリアなんて知らん女じゃなくて、シキを覗くわ!」
「ふぇ!?」
「私だってあんな黒髪で貧相な体した女を覗くよりは、同じ貧相でもシキを覗きますよ!」
「ほえ!?」
「ちょっと二人とも! シキが顔赤くしてプルプル震えてるからそのくらいにしてあげて!」
と、騒ぐ俺達を尻目に長老は。
「あの、すみませんが、ヒーリアが黒髪でひんそ、慎ましい体などとはワシは一度も言っておりませんが」
………………。
「……あ」
一同からの冷ややかな視線を浴びるネアは、やっちまった、そんな表情を浮かべながら一言そう口にした。