回復魔法で治せないもの
翌日の道中は地獄の一言に尽きる。
俺は元々活発に動き回る方ではないため、一日歩き通しというのはなかなかにキツい。だというのにネアはガンガン突き進むわ、シキは可愛いわ、リリアは泣きながらおんぶをせがんでくるわで、ただ歩くというだけで死にかけという勇者一行にあるまじき体たらくだった。
そんな旅程をこなし、すでに日も暮れて、さあ晩御飯だという時にバカが声を上げた。
「もう無理! 私もう歩きたくない! 死んじゃう!」
勇者の称号を冠するバカ、リリアである。
「なんですか、まだ一日しか歩いていませんよ。足が痛いんですか? 私が舌でマッサージをしてあげるのでほら、そこに寝転んでください」
「わーい、ありが……舌で? って違うの! 私はもう歩きたくないの! 一体いつまで歩けばいいの!? 二、三日って話だったよね? 全然街なんか見えないし、近づいてる気配もしないんだけど!」
変態じみたことを言うネアに一瞬騙されかけながらも、リリアは叫ぶ。
確かにコイツの言う通りだ。当初の話の通りであれば、到着とまではいかなくとも、ある程度人の手の入った道等に入りそうなものだが、今俺達は変わらず、森の中だ。
「それはリリアの速度に合わせているからですよ。昔私が寝ずに歩いた時は二日目と三日目の境くらいで到着しましたので。それよりも早く寝転びなさい」
そういえばコイツ発信の情報だったな。
二、三日じゃ着かないな、目の前の体力お化けを見ながら悟る。リリアを見ると、真顔になっているから、彼女も同じように悟ったのだろう。
「まあまあ、そんなことより夕食の準備を先にしませんか?」
と、そこで第三者の声が割り込む。
声のした方へと目を向けると、そこにいるのは金髪の少女。シキである。
彼女は衣服が汚れることなど意に介していないのか、直接地べたに尻を付けて座っていた。可憐で上品な見た目とのミスマッチも相まって一瞬目を疑ってしまうが、旅の道中なのにも関わらず、ハンカチなどを引いている奴よりもマシか。むしろ、下着が見えないように気を付けて座っているところは、かなりの好印象だ。うん、百点。
「さあ、ラビさん申し訳ないんですけど、料理をお願いできますか? 私、野外での調理には不慣れで……あ! でも、手伝えることがあればなんでも言ってくださいね?」
人見知りで当初は全く口を聞いてくれなかったシキだが、一日で慣れたのか、ニコニコと笑顔を振り撒きながら、そう言った。
俺も彼女の可憐さにはだいぶ慣れた。もはや、このくらいではドキドキと心臓が高鳴ることもない。
「どうしたんですかシキ。最初はラビに少しだけビクついてたくせに、もう慣れてしまったんですか? 私としてはもう少しだけ見ていたかったんですが。男がいない環境で育ったせいで、耐性が無く怯える少女。ええ、私の大好物ですとも」
こいつの気持ち悪さには慣れないな。
「あ! ラビ、私今日はお寿司が食べたいな!」
どこのバカが旅に生物持ってくるんだよ。
背後で美少女と変態とバカの喧騒を聞きながら、俺は着々と夕食の準備を進めていく。昔、野営の技術が必須の環境にいたため、こういったことには慣れている。無理矢理ここまで連れてこられたとはいえ、道中何もしないのは流石に申し訳ない。だからこうして、道中における食事係として名乗りを上げたのだ。それに、シキに関しては不明だが、リリアとネアに作らせると何をするかわかったもんじゃない。特にネアはメイド長のくせに厨房への立ち入りを禁じられていたからな。
「…………あ」
と、そこで一つ想定外であったことに思い当たる。
「な、なあシキ。早速で悪いんだが、火を付けてくれないか?」
昼食時には火を使っていないため気付かなかったが、そういえば俺は火を起こすことができない。
「? 火ですか? 着火魔法を使えばいいんじゃないですか?」
大真面目な顔をして、問い返してくるシキ。
この世界は魔法が前提の世界だ。魔物を殲滅出来る程の超高火力を行使できるものは数少ないが、日常生活で必要なレベルのものであれば、ほぼ全ての人間が使用することが出来るのだ。何の器具も使わず火を起こし、水を出し、風を吹かせる。それらは生活魔法と呼ばれ、子供ですら使えるものなのだが。
「その男、魔法が使えないんですよ」
「え?」
横から掛けられる声に反応して、シキは目を丸くする。その声を発したのはネアで、彼女は意地の悪い笑みを浮かべてこちらを見つめていた。
「魔法が使えないんです。この世界のほとんど全ての人間が使える生活魔法すら。そして、気も使うことができませんし、頭を使うことも出来ません。人間が生まれながらにして持つ能力がない、モンスターみたいなものですよ」
「魔法が使えない? 本当なんですかラビさん」
俺が魔法を使えないと知れば、大抵の人間は可哀想なものを見る目で見てくるのだが、問いかけてくるシキの顔には、そういった侮蔑の感情は浮かんでいない。やはり天使か。
「ああ、その通りだ。だが、気を使うことも頭を使うことも出来るから安心してくれ」
「ええ、それはもちろん……そうですかそうですか」
もそもそと小声で呟きながら、両手をいじいじとさせるシキ。
「ですから、シキ、あまりこの男と関わらない方が良いですよ? モンスターが感染ってしまいます。シキは教会という良いところで育ったもで知らないかもしれませんが、世の中には関わってはいけない人間がいるんです。こんな魔法も使えない役立たずなんて──」
モンスターが感染るってなんだ。ネアの長話に痺れを切らして、頭の中で突っ込む。ちらりと隣を見ると、どうやらシキも同じだったようで。
「ラビさん、実はですね、えっと、その、わ、私も……同じなんです」
「──ですから、生活魔法すら使えないこの男はただのカス……え?」
……え?
「実は私も回復魔法しか使えないんです。回復魔法って他の魔法と違ってちょっと特殊な魔力回路を使うらしくてですね、他の人はそうでもないんですが、なぜか私はその回路が異常に発達していて、他の魔法の発動を阻害しているようで……」
彼女はそこで言葉を区切ると。
「私達似たもの同士ですね」
ニコリと微笑んでそう言った。可愛い。
「では、二人で頑張って火を起こしましょう! 生活魔法が使えなくとも私たちには先人達が残した火起こし術があります。さあ、ネアさんなんて放っておいて、一緒に頑張りましょう」
「うぇ!? ちょ、あ、あのーシキ? じ、実は私も魔法が使えなくて、それどころか魔力の感知すらできません。わ、私も似たもの同士だったり?」
「私達は人の苦手なことをバカにしたりなんてしません」
俺はするぞ。
「この男はしますよ! ちょっとラビ! 何ニヤついてるんですか! そもそも魔法が使えない煽りはあなたから始めたことじゃないですか!? あなたが昔、私が魔力の感知すらできないことをバカにしたことが原因じゃないですか!」
確かに始まりはそうかもしれないが、シキがいる場でその話題を持ち出したのはネアだ。どんな人間かもわからない状態で、そんな話をすること自体が悪手だったな。
プンプンと可愛らしくそっぽを向くシキの腰に腕を回して弁明するネアの声が、段々と泣き声混じりになっていくのを聞きながら、俺は珍しく大人しい少女へと目を向ける。
「どうした? 今日は静かじゃないか」
リリアは二人をぼうっと見ていた。
「え? 私? ……確かに。もしかしたら、今までネアの欲望の対象って私だけだったから嫉妬してるのかも? 私とシキってキャラが被ってるし。可愛いくて、性格いいところとか」
「調子に乗るな。ぶち殺すぞ」
「ええ!?」
方や見目麗しく性格も良い完璧少女。方や見た目だけで性格も頭も悪い欠陥少女。同じところは種族と性別くらいだ。
「というか、そもそもお前何してんだ? 式典から逃げ出して王国軍から追われるなんて」
初っ端から逃亡する勇者なんて前代未聞もいいところだ。
「え? だってあのまま流れに任せてたら三十人着いてくるんだよ? そもそも私魔王討伐なんてする気ないし。そのまま旅に出ちゃったらもう見張りがたくさんいて、逃げるどころじゃないよ。だったら少人数で逃げ出して、説得した方がいいでしょ?」
どうやらこの後に及んでまだ魔王討伐をする気がないようだ。
「だからって式典の最中に逃げだすか普通?」
「誰もが予想していないからこそだよ。これでも逃げだすことには一家言あるんだから。仕事や社会から逃げ出した安心と信頼の実績もあるよ」
ニートで引きこもりのどこに安心と信頼があるのか教えて欲しいもんだ。
「……ねえ、ラビ。やっぱり着いてきてくれない? 私、ラビと離れ離れになるのは嫌だなあ……」
「そんなことより早く火を起こしてくれ。お前しか着火魔法使えないんだから」
その話はすでに終わったはずだ。そう告げるように、俺は彼女を急かす。
「……全くもう。そんなんじゃ女の子にモテないんだからね? えっと、着火魔法の魔法名は、えーっと、うーん? あ、そだそだ」
魔法名。それは魔法の名前のことだ。何を当たり前のことを、そう言われるかもしれないし、俺もかつてはそう思ったが、この世界では重要な要素だ。魔法を使うには魔法名を口に出さなければならない。詠唱などは技量によって省略できるが、魔法名の省略はできない。それは絶対不変のルールである。そして、どんな原理だかは全く分からないが、魔法名は最初にその魔法を見つけたものが名前をつけることが出来る。
当然、考案者によってはヘンテコな名前が付けられるわけで。
「“ヘルファイア“」
ただの火種の作るだけの魔法がこんな名前だ。他にも、水を生み出す魔法は“エンジェルドロップ“微風を生む魔法は“シルフストーム“だ。ふざけんな。
リリアが焚火を起こした後、湯を沸かし簡易的なスープを作る。スープが十分に煮立つのを見計らって、干し肉、パンを人数分用意して、完成だ。途中、バッグの底にどこかのバカが入れたのか、腐った魚肉を見つけたため、リリアの口にねじ込もうとしたら本気で泣かれた。そんな一連の作業が終わる頃には、シキもネアを許したようで、全員で焚き火を囲む。
「「「「いただきます」」」」
すでに辺りは完全に暗くなっており、四人で囲む焚き火の光だけが煌々と俺達を照らしていた。
「それでね? さっきの話なんだけど、やっぱり私としてはもう歩きたくないというか、そもそも魔王を倒しにいきたくないというか、働きたくないというか」
「はいはい」
「ちょっとネア、真面目に聞いてよ」
焚き火の反対側でリリアとネアが何やら話しているようだが、臨時メンバーの俺にとっては関係ない話だ。適当に聞き流しながら、あまり美味しくはない夕食をもそもそと食べる。貴族なんだからもうちょっとマシなもん用意しとけや。そう心の中で文句を言っていると、耳元で鈴の音のような声が囁かれる。
「みなさんすごく仲がよろしいんですね」
シキが自分の分の食料を持ち、いつの間にか俺の隣に腰を下ろしていた。焚き火の光を受けてキラキラと輝く金髪からは、同じ生物とは思えないほどに良い香りがし、一瞬ドキリとしてしまう。
「仲が良い? 俺達がか?」
「ええそうです。みなさん全く気を使っていなくて、言いたいことを何でも言い合えて。すっごく羨ましいです。ほら、今だって」
「ヤダヤダヤダ! 私働きたくない! ニートが良いの! 毎日陽が沈んでから起きて! 毎日陽が登ってから寝たいの! あ! ご飯はちゃんと三食食べるから安心してね!」
「何を言ってるんですか! あなたは勇者です! 人類を救う義務があるんですよ! どこぞのクソ人間のラビとは違うんですよ!」
「……お前こんなのが羨ましいの?」
「ふふっ、ええ、そうですよ……本当に羨ましい」
変わった奴だ。だが、そう呟く彼女の声には、どこか哀しげな響きがあって、もしかするとあまり突っ込まない方が良い過去があるのかもしれない。そう判断した俺は、話題を変えるべく、今まで気になっていたことを聞いてみることにした。
「そういえばシキはなんであいつらに着いて行くことにしたんだ?」
今日一日行動を共にして、だいぶシキの性格は把握した。だが、どうしてもそれだけが分からない。至って真面目。それでいて回復魔法に秀で、見目麗しく、性格も良い。道中では傷ついた動物を癒し、旅の支障にならない程度に魔力を練る練習もしていた。どう考えてもあのバカ貴族やチンピラメイドと行動を共にするような人種ではない。
そんな俺の至極真っ当な問いかけに、どこか困ったような表情を浮かべながらも、シキは言う。
「えっと、それはその……ネアさんの勧誘が凄まじくてですね。最初は断ったんですが、号泣しながら引っ付いてきたり、靴を舐めてきたり、どさくさに紛れて体を弄ってきたりで……」
あいつは一遍捕まるべきだと思う。
「そうか……なんかすまんな」
「い、いえ! ラビさんは何も悪くないですから! それに、私は別に後悔してないんですよ? ネアさんは少しだけ、いえ、かなり危ない人だと思いますけど、信じられないくらい強いですし。リリアさんもおそらく……いえ、これは言わないでおきます。彼女に恨まれたくはないので。まあ、そんな感じで魔王を倒せる可能性はあると思っているんです」
それは本心からの言葉らしい。そう思わせるほどに、リリア達を見つめる彼女の横顔には、和やかな笑みが浮かんでいる。
「人間の回復魔法では治せないものって何かわかりますか?」
「リリアの頭の悪さとネアの変態性」
「……確かにそれは無理ですけど、無理なんですけど違います。ラビさん、本当は知ってますよね? リリアさんとネアさんは頭が悪いなどとバカにしてますけど、私にはとてもそうは思えませんし……ラビさんって昔は何をして──」
「病気だろ? 回復魔法で治せないもの」
シキの言葉に被せて俺は言った。それ以上問うてはいけない、そう暗に告げたのだ。だってそうだろう? 一体どこの誰が純真無垢な美少女に、私は仕事が長続きしたことがないダメ人間です、などと言えようか。
そんな俺の心情を察したのか、少しだけ訝しげな視線を送りながらもシキはそれ以上触れてこなかった。良かった。これがリリアであればズケズケと「え? 昔のこと言いたくないの? もしかしてえっちな仕事してた?」などと聞いてきただろう。
「ええ、そうです病気です。術者の技量さえあれば、怪我はなんでも治せます。擦り傷であろうと、腕がちぎれようと、体に穴が空こうと。そして、原因が外傷であれば死者ですら蘇生が可能です。もちろんタイムリミットはありますし、死者の蘇生に成功した者など歴史上でも数えるほどしかいませんけれど」
命を落とした勇者が生き返り魔族を討った逸話は有名だ。かつての英雄が瀕死の重傷を負ったものの、華麗な復活を遂げた話は枚挙にいとまがない。転んだ子供が教会に連れていかれる光景は日常の風景だ。
「しかし、病の治癒だけは人類史の中でただの一つも成功例はない」
だが、風邪で人々は教会には行かない。
彼女の表情が曇る。
「私は普通の魔法は使えませんが、回復魔法だけには自信があるんです。これまで何度も戦闘で傷ついた人を癒やしてきました。でも……」
彼女はそこで言葉を区切る。大きな瞳が震え、薄い唇は硬く引き結ばれている。聞こえてくるのはリリア達のやかましい言い争いと、火にくべられた木々が奏でるパチパチと小気味良い音のみ。
数秒程が経ち、シキはさらに言葉を紡ぐ。
「でも、それだけなんです。私に出来ることは。戦闘で傷つく人よりも病で苦しむ人の方が多いのに……」
全人類が対象である病と一部の人間しか参加しない戦闘であれば、確かに前者の方が苦しむ者は多いだろう。
「私が救ってきた人よりも救えなかった人の方が多いんです。目の前で笑顔になってくれる人よりも、目の前で苦しむ人の方が多いんです。だから、だから私は……」
そこで彼女は視線を上げる。その瞳にあるのは、ただの悲壮感だけではない。熱く燃える信念が、沸る決意の光が、迸る慈愛の心が、その金色の瞳には浮かんでいた。
『人間の回復魔法では治せないものって何かわかりますか?』
彼女との会話を思い出し、俺は彼女の言いたいことに行き当たる。そうか、つまりシキは──。
俺のはっとした表情に気づいたのだろう、シキは少しだけ驚きを示しながら問うてくる。
「……私の考えに気づいたんですか?」
「ああ、俺も同じ気持ちだからな。つまり、あれだろ? お前の言いたいことは──」
言葉を進めるにつれ、シキの表情は驚きから、微かな喜びへと徐々に変貌していく。それもそのはずだ。彼女の考えは大衆には理解されようがない。絶対にだ。そんなものを口にすれば、馬鹿にされ、心ない言葉をかけられるだろう。
だが、俺なら理解してやれる。
世界の誰が否定しようが、馬鹿にしようが、俺だけはお前の味方でいてやれる。だから、安心してくれ。
「──リリアとネアは頭の病気だ、そう言いたいんだろう?」
「違いますけど?!」
え? 違うの? 勇者とその仲間が頭の病気などと言えば、大概の人間には冷ややかな視線を送られると思うんだが。
「……はあ、あの二人のラビさんに対するひどい扱いの理由がよくわかりました。私、少しだけ嬉しかったんですよ? ラビさんから同じ気持ちだって言われて」
プンプンと頬を膨らませながらシキは言った。どうやら彼女はすごく賢いらしい。ぜひその理由とやらを教えてほしい。俺には全く分からない。
「それで? 違うなら何なんだ? それとももう教えてくれないのか?」
思えばこの会話は、シキがどうしてこの旅に着いてきたのか、そんな俺の問いかけから始まったものだ。当然、彼女が話そうとしていたことはそれに関わるもののわけで。あと数日でお別れだとしても、せっかく知り合ったのだからそのくらいは聞いておきたい。
「別に隠すつもりもないので良いですけど、良いんですけど……その前にラビさんはしなければならないことがあります」
「え?」
ポンと肩に優しく置かれる誰かの手。振り返るとそこには……。
「私達が頭の病気だ。その件について詳しく聞きましょうか?」
ネアとリリアが鬼のような形相をして立っていた。