超強い
「リリア……」
ドクン、と心臓が脈を打つ。熱い血流が腕に、足に、瞳に、五臓六腑に巡っていく。ここ二年間感じていなかった思いが、俺を掻き立てる。
ドクン、と心臓がさらに脈を打つ。早鐘のように鳴るそれは、もはや俺にも制御不能で、思考を加速させていく。なぜリリアがこんな目に遭わなければならないのか。なぜネアはリリアを殺したのか。なぜ俺はまた大事なものを失うのか。なぜなぜなぜなぜなぜ──。
思考が巡る。一度答えを出せば、再び問われ。三度答えを出せば四度問う。だが、終わりのない問答をしている時間など今はない。
リリアと約束したのだ。ネアを守ると。死の淵でなおもそんなお願いをしてくるわがままな少女と約束したのだ。彼女は俺に一体何を期待したのだろうか。ブサイクで性格も頭も悪くて、向上心のないゴミクズみたいな人間に何が出来ると言うのだ。
だが、彼女は俺に願った。他の誰でもないこの俺を信じて、想いを託してくれたのだ。俺に何が出来るのか。そんなことは関係ない。関係あるはずがない。
ずっと答えを探してきた。二年前のあの日、全てを失った時からずっと、過去から逃げない方法を、恐怖に打ち勝つ方法を探してきた。そして今日、やっとそれを見つけた。
守りたいものがある。
簡単なことだった。思えばすでにそんなことは頭では理解していが、心で理解したくはなかった。また失うのが嫌だった。俺のせいで誰かが死ぬのが堪らなく怖かった。だから心に蓋をして、大事なものを作らないようにしてきた。そうすればもう失うことはないから。もう怖くはないから。そうやって生きてきたはずだった。
だが、リリアの死が強制的に心の蓋を開け、止めどない思いが溢れ出してくる。守りたかった。そんな思いが体を支配し、どうしようもないほどの後悔が押し寄せる。
だから、今度こそは守らなければならない。
彼女自身は守れなかった俺だが、彼女との約束だけは守らなければならない。想いを力に変えて、なんてそんな薄寒いことを言うつもりも、するつもりもない。ただ思いのままに動くだけだ。俺にはそれで十分だった。
手にとる彼女の右手をそっと離す。これ以上彼女が傷つくことがないように。これ以上彼女が不幸な目に遭わないように。小さな彼女の手をその胸元に置いて、俺は立ち上がる。
「懐かしいな」
身を包む魔力の感覚に、言葉を漏らす。あまりにも遅すぎるその感覚に、苦笑いをする。だが、少しだけ気分が晴れる。果てのない迷宮に迷い込んでいたが、やっと抜け出せた気分だ。
「お前の言う通りだ。逃げることの方が辛えや」
傍に倒れるシキへと目をやる。どうやら気絶しているだけのようだ。良かった。彼女にはまだやってもらうことがある。
そっと、俺は彼女の耳元へと口を近づけて小さく囁いた。
「────」
そして、ネアの方へと目を向けると、彼女はマリモの前で膝を付いていて、今にもその命を刈り取られそうな状況だ。色々と言いたいこと、聞きたいことはあるが、まずはマリモの対応からだろう。
俺は一歩を踏み出す。もう恐怖はない。踏み出すその足に迷いはない。どうやらマリモも俺の変化に気づいたようで、振り返ってこちらを嬉しそうな表情で見ていた。
「よう、さっきは悪かったな」
「本当だよもう。暗すぎて一瞬人違いかと思っちゃったよ?」
「俺を明るい奴だと思ってるのは世界でお前だけだよ。……なあ、今日はこのまま帰る気はないのか?」
「あるわけないでしょ。せっかく面白くなってきたところなのに。それとも君はこんなに可愛い女性に何もせずに帰す気?」
想像通りの答えだ。マリモは言葉通り心底楽しそうに微笑んでいる。
カツカツと足音を鳴らしてマリモの元へと近づいていく。その距離が一歩、また一歩と近づくに連れ、互いの魔力が高まっていくのを感じる。俺もこいつも、最早引くことはない。
「おい、ネア。色々言いたいことはあるが、後にしよう。戦えるか?」
彼女は答えない。虚ろな目をして、全てを諦めたかのように中空をぼんやりと見ていた。こいつは何がしたかったのか、確信はないが、今は協力して貰わなければ困る。
マリモの横を通り抜けようとする。大丈夫だ。無防備な状態の俺に攻撃するような奴じゃないことは分かってる。事実その通りになり、俺は壁にもたれ掛かるネアの前に辿り着く。
「ネア!」
「……なんですか?」
「なんですかってお前なあ……今どういう状況か分かってんのか? 頭のおかしい魔族が襲撃してきてんだぞ。なのにお前ときたらリリアを殺すし、かと思ったらぼうっと呆けてるし。後で話は聞いてやるから、さっさと立て。この魔族追っ払うぞ」
俺は自信が整理をつけるためにも、言葉にしてネアに言う。はっきり言ってネアのやったことは到底許せるものではないが、リリアとの約束だ。話す機会はくれてやる。だが、ネアはそんな俺の意図を理解しているのか、それとも理解していないのか相変わらず呆けたままだ。
「そうですよ……わ、私はリリアを、リリアを殺したんです。あなたには護るような義理もないでしょう。私を置いて逃げた方が良いんじゃないですか? ……いえ、逃げてください」
その言葉に俺は心底驚いた。俺のことが嫌いなネアが私を置いて逃げて、だと? これまでの彼女からは考えられない言葉だ。どうやら本気でこいつは何かを隠しているらしい。思えばこれまでの旅の中でも色々と引っ掛かることがあったことに気づく。
「私の顔なんて金輪際見たくないでしょう? だったら見捨てて逃げてくださいよ。私は失敗したんです。最早修正が効くようなレベルではありません。運命は崩壊しました。もう私は魔王を倒せない。もう人類は魔族に打ち勝てない。……もうあなたは私を愛してはくれない」
彼女の大きな黒い瞳から涙が落ち、月明かりが彼女のメイド服に出来たシミを照らし出す。よくもまあこれだけ引っ掛かるような発言が出来るものだ。いや、もしかするともう隠す気もないのかもしれない。俺はマリモ襲撃の前にしたネアとの会話を思い出して、一つの仮説を打ち立てた。
「お前もしかしてこれから起こること全部知ってて、その通りにしようとしてたのか?」
だとすればこれまでのネアの言動に合点は行く。納得は出来ないが。
「!? どうしてそれを!?」
本気で驚くネア。どうやら隠し通すつもりだったようだ。やっぱバカだこいつ。
「それがリリアを殺した理由なのか?」
「………………」
再度沈黙が訪れる。しかし、先ほどと違いネアは俺を無視した訳ではなく、苦しそうな顔をして、こくりと頷いた。
「……なあ、お前の予定ではどうなってるはずだったんだ?」
「……今日リリアが死にます。あなたの部屋に押しかけて、フラれたショックで飛び出すんです。そしてそこの魔族に出会ってしまい……。そこの魔族は勇者を殺したことで、あなたに会う前に帰るんですよ」
「だから俺がリリアとお前の元に現れた時、驚いていたのか。はあ……」
つい漏れたため息にびくり、とネアの肩が動く。
「それで?」
「……それでって?」
「この後のことだよ。俺達はどうなるんだ?」
「す、数週間後、私が聖剣を抜いて勇者に選ばれます。そしてシキとキング、あなたと旅立ち、二年後、魔王を討ち滅ぼすことになります」
あぁ……苛立ちが隠せない。ネアの話を聞きながら俺はトントンと右足先で地を鳴らす。彼女はそんな俺の態度を気にしながら珍しくオロオロとしながら言葉を続ける。
「旅の途中でシキとキングは殺されて、あなたは私と結婚して死にます」
「自殺か?」
「違います」
「そうか……まあ、俺の死因はどうでも良い。で? お前は旅の途中でシキとキングが殺されるって言ってるが、もしその時あいつらが死ななかったらどうするつもりだったんだ?」
「……私が殺したでしょうね」
ネアはついに耐えきれなくなったのか、話すことが出来ないほどに嗚咽を漏らす。
……本っ当に。
正直俺が今、ネアに対して抱いている感情がなんなのか整理がつかない。もちろんリリアを殺した怒りもある。しかし、同時にどこか憐憫の情もある。今の彼女はそれほどまでに追い詰められていて、ここに来るまでにどれだけ辛い思いをしてきたのか想像に難くない。どうして彼女が運命などを知っているのか、どうしてその通りに動こうとしているのか、そんな詳しい事情は知らないが少しだけ彼女が哀れに思えた。
「お前は本っ当に馬鹿だな」
ネアに対する色んな感情が心の中で暴れ回る。だが、俺は俺が何をすれば良いのか、何をしなければいけないのかは知っている。リリアと約束したからだ。
優しい少女は自らを殺した奴でさえ助けろと言った。なら俺がやることなんて決まってる。
俺は魔族へと向き直る。ネアは戦える状態にない。一人で立ち向かう決意をした。どれだけ相手が強かろうが、どれだけ俺が弱かろうが関係ない。全てを与えてくれた少女がそうしたように。何も返せなかった俺だったが、せめて最後の約束だけは守りたい。
瞳に力を入れて、魔力を練り上げる。かつてと同じように澱み無く循環する魔力に安堵する。ああ、まだ俺は戦える。大丈夫だ。問題ない。
「お! もういいのかな? 結局戦うのはラビ君だけかあ。二人でかかって来てたら面白そうだったのになあ」
「はっ! お前なんて俺一人で十分なんだよ。調子乗んな」
「ひっどーい。……まあ、それがラビ君だよね。でも大丈夫? 君、二年前から全く成長してないんじゃない? 魔力の量、変わってないよ?」
マリモの言葉に一瞬どきり、としてしまう。しかし、すぐに持ち直し、俺は出来る限り不敵に笑って告げる。
「おいおい、困るぜ。マリモさんともあろうものが魔力の大小で技量を測るなんてな。魔力はただの燃料だ。それを使う技量がなけりゃあただの宝の持ち腐れ、だろ?」
「確かに、君の言う通りだ。でも、前戦った時は君の魔力切れが敗因だったから、てっきりそこを鍛えてくるもんだとばかり」
苦い記憶が蘇る。あの後、俺は戦いから逃げて、魔法も使えなかったからもちろん技量をあげる練習などしていないし、出来なかった。ただ、魔法が使えていたとしても彼女の言うように魔力の量を上げようとは思わないだろう。だって、魔力って体の成長と共に量は増えていくし。まあ、マリモは大分長く生きているようなので、成長期のことなど忘れているのだろう。
「これだから老婆は嫌なんだ」
「あ?」
ピキリ、とマリモのこめかみに走る青筋。よしよしいいぞ、作戦通りだ。だから決してビビってなんていない。少し漏らしてなんていない。
彼女の雰囲気の豹変にいよいよ戦闘開始の機運が高まる。もう後戻りはできない。逃げることはできない。覚悟を決めろ。
俺は両足を踏み締め、丹田に力を込める。敵は魔族。白い髪と赤い瞳の少女。キッと視線は彼女を捉え──。
「“ミズテッポウ“」
──戦いは始まった。ちなみに今のは水を操る最上位魔法だ。超強い。




