お前のことが
一体何が起こったのか分からなかった。恐怖で震える俺の瞳に映ったのは、貫かれたリリアの体が倒れ伏す様と、無表情のネア。なんだ、こいつらは一体何をしている?
そして、訳が分からないままにネアとマリモの戦闘が始まった。本気の戦闘だ。マリモも魔法で攻撃を始め、両者共に激しく動きながら戦っている。その間に、俺は立ち上がり、リリアの元へと歩みを進めた。
すでに恐怖はない。ネアへの怒りか、はたまたリリアを失った悲しみか。言葉では言い表せないほどに心の中では激しい感情がせめぎ合い、恐れが外へと追い出される。
「お、おい、リリア」
リリアの元へと辿り着き、声をかける。石畳に横たわる彼女の体からは、止めどなく血が溢れて、ただでさえ浅い呼吸が徐々に弱く、小さくなっていく。真っ白になった頬へと触れると、ゾッとするほどに冷たい。
「……ぁ…………ら……び…………?」
「リリア! そうだ俺だ! 大丈夫か!?」
帰ってきたか細い声に俺は必死に呼びかける。
「……ラビ、私は……死んじゃう…………のかな?」
絶え絶えの呼吸の中リリアは問いかけてくる。
死なない。そう言ってあげたい。だが……だが…………。
チラリと視線をやると腹部に空いた大きな穴。出血量からみて、決して長くは保たないだろう。
「そっか……」
答えない俺を見てリリアは察したようだった。だが、自らが死の淵にいると理解した上で、彼女は問うた。
「ネアは……? ネアはどうしてるの?」
「あいつは今、マリモと戦ってる」
「……そっか。ラビ……最後のお願い…………ネアを……守って。きっと……何か理由が…………あるはずだから」
ネアのせいで命を落とすこととなったというのに、そう言うリリア。すでに見えていないのか、焦点の合ってない瞳。しかし、それでもその奥底には強い光が宿っていて、それが彼女の本意であることを悟る。死の間際で、なおも彼女は人の心配をしていた。
最後の最後になって、彼女がどうして勇者に選ばれたのか、その理由が分かった気がする。
桃色の髪をした、可愛い女の子。バカで弱くて泣き虫。それでも、大事な人を信じて、守るために戦うことができる素敵な女の子。屋敷ではぐうたらで、昼前に起きてきて俺と遊んで、昼寝して、夜になるとネアも入れて三人で遊んだ。旅に出てからもことあるごとに騒いで、泣いて、笑った。思えば彼女といた時、俺はいつも楽しかった。幸せだった。
かつて全てを失った俺に、全てを与えてくれた女の子のことを、俺は……。
だが、それに気づくのはあまりにも遅すぎた。
「ああ、分かった」
すでに俺にはそう返すことしか出来ない。
ポタリと彼女の額に落ちた雫が、俺の涙だと気づくのに然程時間は掛からなかった。
「ぁりがと。…………約束だよ? 一生の……おねがぃ…………だからね?」
「………………ああ」
漏れる嗚咽の中、必死に彼女に伝える。
たまらず抱き寄せるが、彼女の体にすでに力はない。細い彼女の体は恐ろしいほどに軽く、冷たかった。
決して幸せな人生ではなかっただろう。早くに両親を亡くし、公爵、そして勇者としての重責がその小さな体にのしかかってきたはずだ。夜、一人で彼女が泣いていたことを知っている。それを悟られないように、気丈に振る舞っていたことを知っている。
俺は目の前の不幸な少女のために何も出来なかった。いつも彼女の優しさに甘えて、怠惰な毎日を過ごしてきただけだ。貰ってばかりで何一つ返せていない。魔族に怯えて、戦いから逃げて、彼女を守れなかった。
本当は分かっている。俺の体にはなんの異常もない。ただ、怖かっただけ。もう戦いたくない。もうあんな思いはしたくない。そんな無様な考えで、魔法を自ら使えなくしている。魔族が蔓延る世界に逃げ場などないというのに、しょうもない言い訳をして逃げた結果がこれだ。
「……ラビ…………?」
リリアは少しだけ不思議そうな顔をして、俺の名を呼んでくる。頬に彼女の右手が添えられた。最後の力を振り絞ったのか、掲げられたその手は今にも崩れ落ちてしまいそうなほどに弱々しく震えていた。
「……すまん…………」
鼻を啜りながら俺は告げる。
すまない。俺が不甲斐ないせいで、弱かったせいでお前を守れなかった。
「何を謝ってるの? …………私は幸せだっ……たよ?」
幸せ……だと?
「何を言って」
「だってラビが……いたもん。……ううん……ネアも、シキも……いたもん」
俺の言葉を遮ってリリアは言葉を紡ぐ。
俺には到底彼女が幸せだったとは思えない。
リリアは普通の女の子だ。よく泣いて、よく怯えて、よく笑う女の子だ。そんな子が大役を任されて、人類の希望を託されて。一体どれほど辛かっただろうか。
だが、リリアは微笑んで言う。
「だから……謝らなくていいよ」
「でも……お前…………」
「ほんと……だってば。こんな時に……嘘なんて…………言わないよ……。ねえ、ラビ……」
リリアはそこで区切る。
近くでネアとマリモの戦う音がする。剣が弾かれ、魔法が爆ぜる。轟音の中、俺は残り僅かな時間の中で、最後の言の葉を紡ぐリリアのか細い声に耳を澄ます。一言たりとも聞き逃すものか。震える両手でリリアを抱き寄せて、彼女の薄い唇に耳を近づけた。
「…………ずっと……ずっと好きだったよ」
「……ああ」
「初めて会った時……ラビは今にも……死んでしまいそうな表情を……してたね」
二年前、俺はマリモと遭遇し、全てを奪われ、逃げた先でリリアと出会った。
「最初の頃は……どうしてこんな人を連れて来ちゃったんだろう……って思ったよ」
全く仕事をしなかったもんな。
「でも、いつの間にか……すっごく仲良くなって、気づけば……四六時中一緒にいたね」
本当だ。風呂とトイレと寝る時以外はほとんど一緒にいた。
「バカみたいに笑って……ネアに叱られて……罰として二人で掃除をさせられて……覚えてる? ラビと私で……ネアの部屋に侵入して弱みを……探した時のこと」
覚えてるさ。リリアの下着やら使用済みの箸やらが出てきて本気で引いたし、笑った。彼女もその時のことを思い出したのか、クスリと笑みが漏れる声が聞こえる。
「……そして、いつの間にか大好きになった。……ごめんね、無理やり連れてきて。また…………ラビに同じ苦しみを背負わせて」
彼女は謝罪する。
「本当は………ずっと一緒にいたかった。魔王を倒して………ラビと結婚して子供が出来て。その子が結婚して……また二人になって……お爺ちゃんとお婆ちゃんになるまで、ずっと…………ずっと一緒に………………いたかった」
次第に嗚咽が入ってくる彼女の声。震える彼女の体を一層強く抱きしめる。
俺だって、俺だって一緒にいたかったさ。遅すぎる自覚が心を締め付ける。
「ねえラビ……さっきの返事、聞かせて?」
返事? 一瞬逡巡し、すぐに辿り着く。
「……本当のこと……言っていいからね? どんな事実でも……受け止めるし……恨んだりしない。だから………………あなたの本心を聞かせて……? 一生……の…………お願……い」
──!
彼女は二度目のお願いを口にした。だが、そこに突っ込んでいる時間はもうない。絶え絶えの彼女の呼吸が、冷たくなっていく彼女の体が、お別れはもうすぐだと教えてくれる。
俺は彼女に伝えなければならない。今更になって自覚した身を焦がすほどの想いを。全てを与えてくれた彼女に、伝えられるのは今しかない。
「……お、俺は…………お前のことが──」
だが、漏れる嗚咽がすんなりと彼女へと告げる言葉の邪魔をする。それでもなんとか、口にしようとするが。
「………………」
すでに彼女の瞳から光は消えていた。




