はずだった
かつて存在した大魔法使いは、運命を観測することに成功しました。私も詳しくは理解できてはいないのですが、この世界は全て法則で動いているらしいのです。人間だって例外ではありません。その人の特性、周りの環境、心理状態等々でその時の行動は決まる。だから、現在の全てを把握さえできれば今後起こりうる全てを、人類が辿る道筋が分かる。そんな荒唐無稽にも程があるほどの偉業を自らの魔法で成し遂げたのです。
しかし、大魔法使いは死んだ。
いかに大魔法使いといえど、寿命は克服が出来なかった。そんな小難しい話ではありません。ただ単に魔族に殺された。それだけのことです。
なぜでしょうか。その大魔法使いは運命を見たんです。その時その場所で自らが命を落とすことなど知っていたはずです。ならばそんな攻撃避けてしまえば、いいえ、そもそもそんな場所になんて行かなければ良いのです。
ではどうして、大魔法使いは自らの死を受け入れたのでしょうか?
それは、その人が全てを知っていたからです。
自らのバッドエンドを。
人類のハッピーエンドを。
そして、犯した大罪を。
大魔法使いが何を思ってそんな恐ろしいほどの魔法を完成させたのかは分かりません。けれどその人は知ってしまった。彼が何もしなければ人類は魔族を打ち滅ぼすことを。悲願を果たすことを知ってしまったんです。
そもそも運命なんて変わるものではありません。だって、最初にこの世界が誕生した時の状態から法則通りに動いているんですから。通常であれば、そのまま何事もなくただ約束通りに事態は動いて、完結する。するはずだった。
人類は魔族を打ち滅ぼし、種として最高の栄華を築くことが出来ていたはずだった。
大魔法使いが運命を観測さえしなければ。
運命を変える方法なんてただ一つ。その運命を知ることです。運命を変えまいと、どれだけ自分の行うべき行動をなぞろうとも、完璧にこなせる生物はいないでしょう。どれだけ優れたものでも、些細な違いは必ず現れ、その違いは巡り巡って運命に大きな変化をもたらします。死ぬはずの人間が死ななければ、一体どれだけの変化が訪れるのか。
だからこそ大魔法使いは人類の繁栄と引き換えに、自らの死を受け入れたのです。
しかしそれだけでは、自らが死を受け入れるだけでは罪は雪げないと大魔法使いは考え、その子孫にまで罰を科します。
生まれた瞬間に、大魔法使いが観測した運命を知る。そして、わずかでも差異があれば、それを正すことを課せられ、人類が魔族を打ち滅ぼすまでの道筋を正確に辿る。それが大魔法使いの子孫である我々の使命です。その中でも私の使命は特に重要なものでした。
だって私が次の勇者で、最後の魔王を打ち滅ぼすのですから。
ここに至るまでに、一族は涙を呑んで耐え忍んできました。運命、つまりは未来を知っているのですから、これから起こる悪い出来事を避けることだって可能です。しかし、人類の悲願のため、それを甘んじて受け入れてきた。いえ、受け入れるだけではありません。
一族の努力によって概ねは運命の通りに進んできていますが、やはりそれでも違いは出てきます。人の選択が変わることもあれば、事件が起きないことも、死ぬはずだった人が生きていることもあります。だから私達は、人の選択を変え、事件を起こし、人を殺めてきた。そうやって世界を調整してここまでやってきたのです。
だから私はリリアが決めた進路を勝手に変えました。
だって、本来であればあの村に行くはずだったから。
だから私はヒーリアさんの容姿を知っていたのです。
だって、ヒーリアさんとは将来会うことになるから。
だから私は驚きました。
だって、今の時点でラビが私に話しかけて来るなんてありえないはずだったから。
だから私は──。
「……すみませんリリア」
──リリアを殺しました。
……だってリリアはこの魔族に敗れ、死ぬはずだったから。
リリアに突き立てた剣を引き抜くと、倒れる彼女の体。貫いた腹部からは大量の血液が流れ出る。痛みに小さな呻き声を挙げていますが、もはや長くは保たないでしょう。
「リリアさん!? ね、ネアさん一体何を!?」
リリアに駆け寄るシキの首元に手刀を入れて、意識を刈り取りました。
彼女は回復魔法のエキスパート。そんな人に治療させてしまっては、リリアが息を吹き返してしまうでしょうから。
「…………プフッ! あははははははは!!!! 何々? 何なの一体? 一瞬ヤバいと思ったけど、こんな余興が始まるなんてね!」
腹を抱えて笑う魔族。彼女の目をじっと見て私は言います。
「そこの魔族。あなたも知っての通り、この子は勇者です。そして今死にました。今日はここまでにして帰ったらどうですか? 勇者の死を仲間達に一刻も早く伝えたいでしょう?」
ジトリと嫌な汗が流れます。
事態は私が把握している本来の姿とはまるっきり様相が違っています。そもそも裏門にこの魔族は来ませんし、それどころか、リリアとシキも来ることはなかったんです。
本来であれば、リリアは今夜ラビに告白して振られます。そして、泣きながら逃げ出した先で運悪くこの魔族と出くわしてしまい……。
ですが、私と私の一族達の行動でやはり違いが出てきたようで、彼女は振られていなくて、あろうことかラビを連れて逃げ出した。
ラビとこの魔族が再会するのはずっとずっと先のことなのに……。
心がキュウっと痛むのを無視して、私は魔族に視線を送ります。
大丈夫です。大丈夫のはずです。後に判明することですが、元々この魔族は聖剣の気配を察してこの場を襲撃したのですから。勇者を倒した今、ここに残るはずが……。
「死にましたって……ネアちゃんが殺したんでしょ? 本当に君の意図が分からないよ。僕に勝てないと悟って、勇者ちゃんを犠牲にしたってこと? 仲間に生け贄として捧げられる勇者なんて前代未聞だよ?」
しかし、楽しんでいた戦いに水を差されたことに怒っているのか、目を細める魔族。
「ですが……ですがあなたの目的は」
「はあ? 僕の目的? さっき言ったけどラビ君だよ。彼の魔力を感じたからやって来たの。そろそろ良い感じに育ったかなーって……まあ、期待外れだったけど」
ここにも違いが……。心の中で舌打ちが響きます。
チラリと視線をラビへと移す魔族。つられて私も視線を向けますが、彼は両手で顔を覆っていて、その表情は伺えません。それも無理ないことでしょう。彼にとってリリアとはそれだけ大切な存在であることは分かっていました。……私もすっかり嫌われてしまったでしょう。
「……そんな顔をしているようじゃ、どうやら君にも期待は出来なさそうだ」
呆れた声で言う魔族。
そんな顔……?
「何を……!?」
言っているのですか。そう聞かずとも、答えはすぐに分かりました。
出した声が震えているのです。体に力が入らないのです。
次いでポタリと手を濡らす水滴に、私は私が泣き顔を晒しているのだと、気付きました。
どうして、一体どうして?
覚悟は出来ていたはずです。今日、リリアは死ぬなんて最初から、それこそ生まれた時から知っていたはずです。だから今日まで悔いのないように、彼女と過ごす一分一秒を無駄にしまいと必死に生きてきたはずです。
なのに、一体どうして。
「あーあ、つまんないの。もう君達はいいや。さっさと殺して、次の勇者に期待だね」
しかし、目の前の残虐な魔族は考える時間すらも与える気はないようで。
「バイバイ。“ブレス“」
「──!?」
突如として発生した衝撃になす術もなく吹き飛ばされ、魔族が魔法を使ったのだと理解しました。
「かはっ!」
背後の壁に叩きつけられ、骨が折れる嫌な音が響きました。全身を痛みが駆け巡り、口からは大量の血液が漏れ出ていきます。
「げぼっえごっおごっ!」
「あれ? 今ので死なないの? 流石ネアちゃんだね。普通の人間なら木っ端微塵になるくらいの魔力でやったんだけどなあ」
そう言う魔族の声には、先ほどまであった楽しげな感情は一切含まれてはおらず、ただただ退屈そうに呟いています。
「な……なんで?」
「なんでって何が? 僕からしたら君達は敵なんだから、殺すのは当然でしょ? それとも、本当に勇者ちゃんを殺したら、僕が見逃してくれると思ったの?」
「──っ!」
元々私とこの魔族の相性は絶望的に悪い。魔力を感知できない私には、魔法名が口にされるまでその攻撃に気付けません。でもこの魔族は魔法名を発してから発動までの時間が際立って短い。避けることはほぼ不可能です。
将来魔王を倒す私ですが、正直この魔族には一生を賭けても敵いっこない。だから本当は……。
「…………」
……そうですよね、助けてくれないですよね。
ボロボロになった体よりも心の方が痛いのはなぜでしょうか。
その痛みから逃げるように、私は立ち上がります。たったの一撃で破壊し尽くされた体に激痛が走りますが、まだ足りません。手に持つ剣を魔族に向けて構えます。最早私に逃げ道はありません。
「ねえ、諦めたら? 立つのもやっとでしょ?」
やはり退屈そうに、さっさと面倒事を終わらせたいのか魔族は言いますが、そうはいかないでしょう。私は勇者になるのですから。大魔法使いが狂わせた運命の履行者なのですから。
私はこんなところで、負ける訳にはいかないのです!
「はあああああああ!!!!」
全体重を懸けた渾身の刺突も先ほどと同じように、魔族の防御魔法によって防がれる。リリアに破壊されたそれは、すでに強度を取り戻したようで、何度斬りかかろうが、ビクともせず、私の腕へとその衝撃を返されてしまう。
ただ、先ほどと違うのは。
「“サンダー“」
「きゃあ!」
魔族によって放たれた雷が私の胸を貫き、たまらず声が出てしまいまう。
「あ、可愛い声だね」
遊んでいた先ほどとは違って、殺意を持ってこちらを攻撃してきている。繰り広げる数度の攻防で、私は傷まみれになり、魔族は無傷のまま。明確な実力差が浮き彫りになる。
「せあああああ!!!!」
それでも私は剣を振る。ただ、がむしゃらに。
痛む体が悲鳴を上げる。でもやめない。
だってそっちの方がマシだから。心が痛むよりもずっとずっと良い。
どうして大魔法使いは運命なんて知ってしまったんだろう。
恨む気持ちはずっとあった。その人がそんな恐ろしいことをしなければ、私はずっと気楽に生きていられたのに。
私はこれから起こることを全て知っている。
リリアが死んだ後、私は聖剣に勇者として選ばれる。その後、シキとキング、そしてラビと旅に出るのです。道中でまずキングが死んで、少ししてシキが死ぬ。
後に悲劇として語られる英雄譚の主人公。それが私。
どうして、どうして、どうして。
幼い頃から自らの運命を呪った。運命を知ってしまったことに憤慨した。なぜ私がそんな辛い思いをしなければならないのか、なぜ辛いことが起きると分かっているのに防いではいけないのか。けれどいつのまにかそんな気持ちを封じ込め、事務的に運命をなぞるだけの生物に成り果てることが出来た。そう思っていた。
リリアを貫いた時の感触が手から離れない。吹き出した血がまるで網膜にこびり付いたかのように残り続けている。
でも、やらなくてはいけない。
私は人類繁栄の礎であり、一族が飲んできた苦渋の集大成なのだから。
震える体に喝を入れ、一歩を踏み出す。
「はあああああああ!!!!」
「“ボルト““ファイア““コールド“」
右の太ももが貫かれ、左の脇腹は削り取られ、鼻を折られて血が吹き出す。痛みに涙が出てくるのを無理やり抑え込んで、私は戦う。
「もう辞めたら? そもそも、僕を倒したいんだったら、勇者ちゃんを殺さなければ良かったのに。君の行動は意味が分からなさすぎる」
うるさい。お前に私の苦しみが分かるはずがない。
私だってリリアを殺したくはなかった。でも、リリアが魔族を倒すわけにはいかないんです。リリアが明日も生きていてはいけないんです。私達がこの窮地を脱することと同じくらい、リリアが今日命を落とすことは世界にとって重要なことなんですよ。
生まれてから十八年、どれだけこの日が来ることが怖かったか。リリアを見るたびに助けてあげられない、いえ、助けてあげないのがどれだけ辛い選択か。
お前に分かるわけがない!
必死の思いで剣を振る。無駄ではない。それはさっきリリアが証明してくれた。後継者として選ばれる私なんかより、ずっとずっと勇者らしいあの子が教えてくれた。
でも──。
「君、なんでそんなに頑張ってるの?」
「……は?」
そんなの人類の平和に決まって──。
「あ、人類の平和ってのは無しね。大事な人を殺しちゃような子なんて、平和って言葉の意味を知らないか、履き違えてるよ」
この魔族は何を言っているのでしょうか。そのために、そのためだけに私はここまで頑張って来たのに。
「…………」
そう決心しているはずなのに、なぜだか言葉が出ない。それどころか、剣を振るう右手の力が抜ける。
「考えてみなよ。君は本当は人類の平和なんかどうでも良いんじゃないの? 多分そんな高尚な人間じゃないよ。さっき出会った僕でも分かる。一体何のために勇者ちゃんを殺して、僕と戦うの?」
チラリと頭に浮かぶのは、茶色い髪をした男。バカで意気地なしで、優しい人。
「うるさいです!」
頭を振って雑念を取り払う。けれども抜けた力は戻ってこない。深夜の冷気が私の体温を徐々に奪っていき、頭を冷やしていく。駄目だ、考えるな。そう自らに言い聞かせても、思考は止まない。
「うるさくないよ。その答えが見つかれば、もしかしたら僕は君に期待が出来るかもしれない。だから考えなよ。さっき君は勇者ちゃんを殺した。どうしてかは知らないけどね。じゃあ。あのシスターちゃんはどうなの? 目的のためなら殺せる?」
今日、私はリリアを殺した。それはそうなる運命だったから。シキは来年死ぬ。そうならなければ私が殺す。キングだって同じだ。
大丈夫。私の意思は揺るがない。
「あの子じゃないのか……じゃあ、ラビ君は?」
その名前を耳にした途端、ビクリと体が動く。
「へえ……反応したね」
魔族の冷たい声が響く。彼女の口元にはいやらしい笑みが浮かんでいた。
いや、これは違います。そうではありません。必死に自分に言い聞かせる。
そもそも前提が間違っているんです。
リリアは今日死に、シキとキングは今後の旅の道中で死ぬ。それが本来辿るべき道筋であり、決定事項、そして私が履行すべき過程になります。
でも、ラビは──。
考えるな!
すんでの所で思考を阻む。今、これだけは考えてはいけません。少し考えれば分かることを私は必死に頭の外に追いやる。けれど。
「そっか、君の目的はラビ君か」
魔族の言葉は止まらない。
「じゃあ、勇者ちゃんを刺したのは痴情の縺れってやつかな?」
そんなんじゃない!
そもそもリリアは未来にはいないんです。そして、ラビは流れるままに私に着いてきて、一緒に魔王を倒すんです。シキとキングは途中でいなくなってしまうけど、ラビは最後まで一緒にいてくれて、そして──。
押し留めていた思考が決壊する。考えないようにしていたことが、私が運命の通りに動く理由が洪水のように脳を駆け巡る。
──そして、私とラビは結ばれる。
愛して、愛されて。抱きしめられてキスをして。子供はできないけれど、ずっと二人で幸せに暮らしていく。
それが私が運命を受け入れた理由。辛く悲しい旅路の果てに、最愛の人との幸せな時間が待っている。悲劇の勇者に最後に訪れる幸福。それだけで、ここまで頑張ってこれた。
「良かったねネアちゃん。もうライバルはいないよ。ガンガンアタックして、ラビ君を落としちゃおう!」
でも──。
「まあ、もう無理だろうけど」
──ラビがもう私に振り向くことはないでしょう。
最後の幸せに自らの手で終止符を渡したことを、頭が理解してしまい、もはや私から戦う気力は完全に消え失せてしまった。




