恐怖
「せあっ!」
最初に動いたのはネアだった。元々一番マリモとの距離が離れていたというのに、一瞬の内に距離を詰めて切り掛かる。その動きは先ほどのマリモの動きを凌駕するほどに早いと感じた。
「“プロテクト“ふうん、結構やるね」
対するマリモもネアの一撃を、防御魔法を展開して受け止める。俺の目では捉えられない剣戟が幾度もネアから放たれるも、その全てにを無効化していく。その剣戟が止んだ刹那。
「邪魔です!」
側に居た俺はネアに蹴り飛ばされて、なすすべも無く砦の壁まで転がされた。
もう少し良い方法はなかったのだろうか、そう文句を言う気力も今の俺にはない。ただ、なされるがままに壁に背を預け、彼女らの方へと視線を送るほかない。見ればリリアとシキも戦いに加わり、戦いはその激しさを増していく。
リリアとネアの斬撃、シキの拳。三人から繰り出される攻撃は止まることを知らず、マリモへと襲いかかる。しかし。
「ふあーあ」
マリモはまったく意に介していない。退屈そうなあくびをしながら、的確に防御魔法を展開することで、その尽くを防ぎ切っていた。
「この! この! この!」
振るわれる剣劇と局所的に展開される防御魔法がぶつかる音が響く。一秒の内に十程鳴るその音は一片の揺らぎもなく、リリア達の攻撃が完璧に防がれていることを如実に表していた。
「ねえ君、本当に勇者? こんな剣技でよくもまあ生き残ってこれたもんだね。オーガすら倒せないんじゃないの」
「くっ!」
マリモに睨まれ、体が一瞬ビクつく。しかしすぐさま立て直して、リリアは再度切り切り掛かる。数十と聖剣を振ったその細腕はすでに限界を迎えているのか、小刻みに震えていた。
「でも、そっちの二人は良いね」
「それはどうも!」
シキはマリモの微笑みに乱雑に言葉を返し、目一杯力を込めて拳と脚を振るう。まるで喧嘩をしているかのような動きだがその練度は凄まじく、流れるように連撃を繰り出していく。
「うんうん。君は魔力の質を見るに、回復魔法の専門みたいだね。すごいすごい。ここまで近距離で上手く戦える神職なんて初めて見たよ!」
そう言葉では褒めているものの、やはりマリモの顔には余裕が浮かんでいる。シキの攻撃は完全に見切られ、その場から一歩も動くことはない。
「で、君だ」
「…………」
「君は……ネアちゃん、で良いのかな? さっきラビ君がそう呼んでたよね? ネアちゃんは凄いね。人間とはとても思えないよ」
「…………」
ネアは答えない。
「力、速さ、技術。どれをとっても一級品だ。この子達の攻撃は正直適当にやってても捌けるけど、君のだけは真剣にやらないと無理だ」
嘘をついているわけではないだろう。マリモにネアを煽てる理由がない。それに、マリモは戦闘中のほぼ全ての時間、ネアへと視線を注いでいる。リリアやシキを見る時だって、必ずネアを視界の端に捉えるように動いていることが見てとれた。
「ごく稀に魔族の身体能力を凌駕する人間が生まれるみたいだけど、まさに君がそれだね。ほんっとうに凄いよ」
マリモの言う通り、ネアの戦闘能力は他の二人よりも圧倒的に高い。剣技には然程明るくない俺にすら分かるほどに洗練された動きだ。手数もリリアとシキ、二人を合わせた数以上に多い。剣のみの戦いであれば、クロエとすら互角以上の戦いを繰り広げることができるだろう。
いっそコイツらがこのままマリモを倒してくれないだろうか。そんな浅はかな願望を抱いてみるも、おそらくそれは叶わない。
「うんうん、勇者ちゃん以外は合格かな? 特上、上、下の中! 以上! 僕の品評だよ!」
なおも魔族は笑顔でそう告げる。
何百と打ち込まれた斬撃、打撃は全てマリモの防御魔法に阻まれ、その身を傷つけることはない。それどころか、彼女はその場から一歩も動くこともなく、全てを無に帰していた。
「ぐぅ、うぐぅ!」
絶望的な戦力差とはまさに目の前の状況を言うのだろう。リリアの気合い混じりの声が次第と泣き声混じりのそれへと変貌していく。膠着している戦況がマリモの意図したものであることに気づき、目の前の魔族が圧倒的強者であることを認めざるを得ないようだ。
覆しようのない状況に、仲間達の振るう腕は徐々に重く、遅く、弱くなっていく。
「そ、れ、でー? 君は何をしているの?」
目を背けたくなる程の状況の中、明るい声が響く。
「こーんなにかわいい子達が戦ってるのに! 勇者ちゃんなんて、泣きながら剣を振ってるよ? さっき愛の告白までしてくれた子が必死に頑張ってるのに……」
「………………」
「君はなーんとも思わないんだ」
「…………」
「だんまりか……はあ、もう君はいいや。幸い新しい特上も見つけられたしね」
マリモの赤い瞳が怪しく光り、ネアを見る。その口元にはいやらしい笑みが浮かんでいた。
その魔族には悪習がある。
彼女は常にヒリつくような戦闘を求めて、彷徨っている。二年前街を滅ぼしたのだって、強者を求めてのことだ。しかし、魔族の中でも飛び抜けた戦力を持つマリモをまともに相手ができるものなど、世界広しと言えど数える程にしかいない。
だからこそマリモは強者になりうる者を見つけるとその場で狩らずに育てるのだ。それも最悪な方法で。彼女は人の心の機微に聡い。目を付けた者に絶望、悲しみ、怒りを植え付け、復讐鬼を生み出す。そうして彼女は自らの欲望のため、何百、何千と殺戮を繰り返してきた。
二年前、俺が、俺だけが生き残ったのだってそれが理由だ。俺はマリモの残虐さを身を持って知っている。だからこそ、俺は立ち上がらなければならないのだろう。
マリモに目を付けられるということがどういうことか知っているのだから。
これからネアの周りで何が起こるのか、容易に想像が出来るのだから。
ネアは俺のことが嫌いだろうが、俺は別にそうは思っていない。むしろ、低俗な行動で騒ぎを起こす彼女のことは嫌いではなかった。そんな彼女の周りでこれから、想像するだけでも鳥肌が立つほどに凄惨な出来事が起こる。
ああ、分かっているさ。
俺は立つべきだ。
立ち上がって、無駄だと分かっていてもリリア達と共に戦うべきなんだ。
だが──。
「………………」
──恐怖がまるで重しのように手足を拘束し、俺はただ見ていることしかできなかった。




