好き
「ら、ラビ、知り合い?」
リリアは聞いてくる。カタカタと歯を鳴らしているのはきっと寒さが理由ではないだろう。「違う」
「えーひっどーい!」
そいつは地に降り立った。自由落下に任せての着地にも関わらず、ストンと大した音もさせないほどの洗練された動きが、異質さをさらに強調する。騎士団の拠点を襲撃しているのにも関わらず、リラックスしたような表情でそいつは語り掛けてきた。
「ラビ君酷い酷い酷いー。二人であんなに情熱的な夜を過ごしたのに。それとも、もしかして僕のこと忘れちゃった? ねえねえ、覚えてる? 僕だよ僕! ほら、名前を言ってみて? 言ってくれないとー」
悪戯のような笑みがそいつの顔に浮かぶと同時に。
「あの時みたいにみんな殺しちゃうよ?」
一瞬の内に、十数メートルあった距離を詰められて、苦い経験を呼び起こされる。密着された体に魔族の豊かな胸部が押し付けられるが、ただただ不快感を催すだけだ。
「?! え!?」
あまりの速度に魔族を見失ったリリアが、俺のそばからそいつの声が聴こえて来たことに驚いて振り返る。シキも反応出来なかったようで、目を丸くしてこちらを見ていた。
「やめろマリモ。……頼むから」
「ちゃんと覚えてるね偉い偉い。ほら、しゃがんでしゃがんで。頭撫でたげるから。そんなに震えなくても良いよ? 名前を覚えてくれてたから、今は殺さないであげる」
俺はマリモの言う通り、背の低い彼女でも頭を撫でられるようしゃがみ込む。優しく触れられたその手は人間のものと全く同じ感触だったが、ゾッとするほどに冷たかった。
「ら、ラビ?」
リリアの声がする。恐怖と不安が入り混じった声だ。だが、マリモは俺以外の奴に全く興味がないのか、そんな声を無視して続けた。
「いやー、たまには魔王軍として仕事をするのも良いもんだね! この拠点は別に襲撃する予定じゃなかったんだけど、懐かしい魔力を感じて来てみればこうして君と出会えた!」
頭を撫でる手が離れる。深夜の風ですらじわりと温もりを感じられるほどに冷え切った頭を今度は俺の手でさすりながら立ち上がると、彼女は俺の瞳をジッと見つめてくる。
「二年間元気にしてた? 相変わらず細いけど、ちゃんと食べてる? 僕達魔族と同じで人間も食べないと死んじゃうんでしょ?」
「ラビさん逃げてください」
震える声でシキは言う。しかし、逃げることなど不可能だ。
なおもマリモは俺以外を無視して問う。
「そ、れ、とー、ちゃんと魔法の練習してた? どうしてあの時君を、君だけを生かしてあげたのか分かってるよね?」
ジトーっとした瞳が俺を捉え、反射的に体がビクッと震えた。背中には冷たい汗が流れ、手足は次第にカタカタと震え出す。
「あれ? どうしたの? 約束したよね。いつか僕のものにしてあげるから、ちゃんと魔法の練習しとくって」
約束じゃなくて命令だ。だが、そんな短い言葉すら発することが出来ない。
「……どうしてさっきから黙ってるの?」
魔法が使えなくなったことなど、どうして言えようか。言えばきっと──。
「ねえ、どうして?」
──きっと興味を失った彼女に殺されてしまうであろうことを、その冷え切った瞳が語っていた。
「ラビ! 何してるの! 早く離れて!」
一層大きくリリアの声が響き、ついにはマリモの耳に届く。届いてしまった。
「もう、さっきから何なの? 僕は今ラビ君と二人で話してるの。あんまりうるさいようだったら……ってあれ? 君は……」
マリモの視線はリリアに、いや、リリアの腰に刺す剣に注がれていた。ジッと数秒ほど見つめ、やがて心底楽しそうに笑い始めた。
「あはははは! そうかそうか、君が今回の勇者なんだね! 流石はラビ君だ。再会にこんなサプライズを用意してくれるなんて! ……いやあ、無視してごめんね。さっきの騎士達は全然歯応えがなかったけど、君達とは楽しめそうだ」
謝罪するその声音は軽い。だが、これまでとは違って、決して俺だけではなく、俺達全員を視界に捉えて彼女は言った。
「お、おい、やめろ。そんなつもりはこちらにはない」
やめてくれ。
「え? そんなつもりってどんなつもり? まさか、このままさよならって訳じゃないよね? 何のためにわざわざ君の目の前で街を一つ潰したのか……賢い君なら分かるでしょ?」
「さっきは殺さないって」
「今は殺さないって話しでしょ? その時は殺さなかったじゃない……ふふっ、どうしてそんな泣きそうな顔するのかな?」
やめてください。
「ほら、他の子達を見て。みんな戦う気だよ? ……良い仲間を持ったねラビ君。もしかしたら、今日は私を倒せるかもね」
見ると、リリア達は皆その手に武器を構えていた。恐怖、絶望、戸惑い。三者三様の表情を浮かべているものの、戦う意志を示してその場に立っている。
「お、おい、お前ら武器を下せ。クロエの時とは違うんだ。本気で殺しにくるし、俺達が敵うような奴じゃない」
それほどまでに二年前のコイツは凄まじい破壊行為を行った。もしかするとあのクロエですら相手にならないかもしれない。だが、そんな俺の願いが彼女達に届くことはない。
「そこの魔族が圧倒的に強いことなんてとうに承知です。ラビさん、この魔族と何があったのかは後で聞きます」
グッとメリケンサックを嵌めた両手に力を入れてシキは言う。
「ネア、お前も何してんだ。俺は置いて行っても良いから、早くこいつら連れて逃げろ。お前なら二人くらい抱えてても余裕だろ」
「…………」
彼女は答えなかった。迷っているのだろうか、普段は強い意志が浮かぶその黒い瞳が濁って見える。しかし、その手に持つ剣はマリモに真っ直ぐに向けられていた。
「ねえ、ラビ。さっき私のことをおかしいって言ってたけどそんなことはないよ」
リリアは震える聖剣を青眼に構えながら、ニコリと微笑んで告げた。
「やっぱり私はラビを守りたいもん。昔からずっと……ラビのことが好きだから」




