何かおかしい
その後、他愛のない話を少しだけした後、キングは明日は早いからと自室に戻って行った。
明日、対峙する魔族がどんな奴なのかは分からないが、クロエがいる時点でおそらくなんの問題もないだろう。しかし、キングは尚も不安なようで、終始思考が鈍っているような印象を受けた。今更ながらもう少し実践的なアドバイスをしてやった方が良かったのかもしれないと後悔する。もし、俺があいつの不安を取り除けていれば、こうはならなかったはずだ。
そう──。
「すーすー……むにゃむにゃ、ラビぃ、いつまで寝てるのぉ?」
こっちのセリフだこのバカ。
──眠りこけている好きな女をそのままにして帰ったりはしなかっただろうに。
「マジでなんなんだコイツ」
俺は頭を抱える。
先ほどのキングとの会話中に一度起きたような気もするが、今は完全に寝ている。でないと、いくらコイツがバカだからとて、こんな涎を垂らしてだらけ切った顔を晒すわけもない。
コイツだってもう大人なんだ。男の部屋で無防備に寝入ることの危険さだって理解しているはずだが……少し脅して、男の怖さというものを教えてやるか。
俺は彼女の肩を揺すりながら。
「おい、起きろ。起きないと──」
「ん? ラビ? あれ? キングはもう……」
「──キスするぞ?」
「むにゃむにゃぐーぐーってたい痛い痛い痛い!」
「今起きてただろうが!」
アイアンクローをかましながら、俺はリリアに怒鳴る。顔の小さいコイツにはアイアンクローをかけやすい。リリアの数少ない長所の一つだ。
「ちょっとラビ! 一体どういう神経してるの? こんなに可愛い女の子と部屋に二人きりなんだよ? 普通はもっとこう、ドキドキしながら髪に触っちゃうかどうか悩むものでしょ!」
俺の手を跳ね除けながらリリアは言った。
「今触ってただろうが」
「違うの! 確かに触ってたけどそうじゃないの! もっとこう……優しく、愛おしそうに、そっと触ってほしいの! なんでちょっと面倒臭そうな顔してるの!?」
だって面倒臭いんだもの。
しかし、叫び倒すリリアがベッドから降りる気配は一向にない。このままでは俺がいつまでも寝られないではないか。一瞬リリアの代わりに女子部屋に行ってやろうかとも思ったが、そんなことをすればネアとシキにボコボコにされてしまうだろう。仕方なしに、俺はリリアの説得を試みる。
「はいはい。今度からはそうやってやるよ。とりあえず今日はもう遅いから部屋に戻ってくれよ。こんなところ誰かに見つかったらお前もヤバいだろ?」
深夜。部屋で二人きり。ベッドに寝ているリリア。俺は言わずもがな、リリアだってこんな状態を見られるのは相当にマズい。なにせ彼女は貴族だ。庶民と夜中にゴソゴソとやっていたなどと言われてしまえば、その立場は相当に危ういものになる。
「嫌」
プイッとそっぽを向くリリア。嫌ってお前……。
「さっきまではキングとおしゃべりしてたんだから、私の相手だってしてくれても良いでしょ? 最近みんなといたからこうして二人で話すのだって久々なんだし……」
拗ねたように言うリリア。こうなってしまえば、彼女は中々に頑固だ。俺やネアは何度も困らされて来た。リリアの数多い短所の一つだ。ここは彼女の希望通り会話に興じ、隙を見て部屋に戻した方が、結果的には早く寝付くことが出来るだろう。
「分かったよ。相手してやるから何か面白い話をしろ」
少しどころかとんでもなく雑な振りだったが、リリアにはそれで十分だったようで、先ほどまでとは一転して、キラキラと瞳を輝かせながら語り出す。
ネアがシキの風呂を覗いて土下座したこと、ネアが風呂に突撃してきたこと、ネアがクロエの風呂に突撃したこと。……あいつは一体何をしてるんだ。
「でねでね、ネアったらいつも決まってこれは人類の平和のためなんですって言うんだよ」
「……あいつは魔王かなんかか?」
リリアから出てくる話はほとんどがネアのことだ。勇者になってからというものの、厳しく鍛えられているから、もしかすると嫌いになったのではないかと思案していたが、どうやら杞憂だったようだ。まるで、大好きな姉のことを語る妹のように、親愛の情が彼女からは伝わってくる。心底楽しそうに語る彼女を見ていると、こちらも楽しくなってくるから不思議だ。
「そういえばあいつ、さっき珍しく神妙な顔してたぞ」
俺は空気に当てられ、ついつい話を振ってしまう。
「さっき?」
「ああ、お前素振りしてただろ? それをネアと見ててな」
「み、見てたの!? 覗き!?」
見られていたことがよほど恥ずかしいのか、早口でそう言うリリア。
「別に恥ずかしがることないだろ。むしろ勇者なのに毎日寝てばかりの生活を恥じるべきだ」
「うぅ……。べ、別に私のことは今は良いの! それよりネアだよ。神妙な顔? ネアが? そんなこと出来るの?」
誤魔化すように言うリリア。中々にネアをバカにした発言だ。だが、コイツでも見たことがないのか。
俺とリリアの付き合いもそこそこに長くなったが、ネアとリリアはさらに長い。ネアがいつからメイドとして働き始めたのかは知らないが、リリアには見せない表情を俺に見せるなど珍しいこともあったもんだ。全く嬉しくないが。
「一体どんな話をしてたの?」
「どんな話? あー、えーと、なんかお前が死ぬとかなんとか」
「ちょっと待って。二人で一体何の話をしてるの」
「別に普通の話だよ。あとはネアの葬式の話だとか、シキの風呂の話だとか」
「……もう二人で話すの禁止ね。ろくな会話しないから」
じとっとした目で見てくるリリア。
「安心しろ、今日は特別だ。もう話すことなんてないだろう」
「確かに、考えて見れば二人で会話してるとこなんて見たことないや。でも、そっか、ネアがそんな顔を……、ねえラビ? 最近のネアってちょっとおかしくない?」
ネアが最近おかしい? そうか? 俺はそうは思わないが……、というよりそもそも、
「あいつは昔からおかしいだろ」
「そう言われると何も反論できないや」
頬を掻きながら言うリリア。屋敷にいた時から色々とネアには困らされていた彼女は、どうやら俺以上に覚えがあるらしい。
「……でも、やっぱり何かおかしいと思うな」
だが、リリアからすればやはりおかしいらしい。まあ、俺はあいつとはあまり話さないから気づいていないのかもしれない。
「さっきもね、私がお風呂に入ってたら、いきなりお風呂場に入ってきて、色々撫で回した挙句に、今日この後はラビと過ごすと良いでしょう。二人の仲が進展する予感。ラッキーアイテムは聖剣! だなんて怪しい占い師の人みたいなこと言ってたよ」
「確かに……いつもとベクトルが違うな」
普段は変態方向にぶっちぎっているのに、今日は危ない人路線も加わっているらしい。
「だよね。うーん、どうしたんだろう? 何か悩みとかあるのかな?」
顎に手を当てて、真剣に悩むリリア。だが、そんなに真剣に考えたところで無駄だろう。あいつの悩みなんて絶対に碌なもんじゃない。
しかし、おかしいといえば。
「お前も大分おかしいんじゃないのか?」
「いきなりの悪口!?」
驚くリリア。勘違いさせてしまったらしい。別に悪い意味で言っているわけでは無いのだ。
旅、いや逃亡生活か、に出てからというものコイツも少しおかしい。先ほどの自主練習も一つの例だし、極め付けはクロエに立ち向かったことだ。どう考えてもコイツの、楽して生きていきたいといった行動理念からはかけ離れた行動だ。これまでの彼女ならばクロエと対峙した時点で土下座の一つや二つ軽くこなすだろう。
「ああ、そういうこと!」
バカなリリアにも分かるように懇切丁寧に説明してやった。たっぷりと十分ほどかけて理解したリリアはそう呟いた後、困ったように微笑むとポツポツと語り出す。
「え、えっと、それはね……流石の私にも譲れないものがあるというか……働きたくないといってもやらなきゃいけないことはあるというか……」
煮え切らない態度を取るリリア。その両手はもじもじと指を絡ませては離しを繰り返していた。よほど話し辛いことなのだろうか。だが、あのクロエに立ち向かったコイツの心境は是非とも聞いておきたいところだ。
それさえ分かれば、もしかすると俺も……。
「その、ラビを護りたいというか……」
上目遣いでこちらを見ながら言葉を紡ぐリリア。
「は? 護る?」
「うん」
一体どうしたことだろうか。俺の知っているリリアからは出てくるはずもないセリフだ。ぐうたらで泣き虫なリリアが護って、ではなく護るだと? 彼女の心境がどうなっているのかは全く想像が出来ないが、本気でそう言っていることは分かる。
真っ直ぐな薄桃色の瞳が、弾き結ばれた唇が、フルフルと震える彼女の体が、硬い決意の元に発せられたものであることを示していた。
「まじでどうしたお前。勇者になったからってその性根が変わるわけでもないだろうに」
「その通りだね」
「その通りって」
「だから、性根は変わってないよ」
俺の言葉を遮ってリリアが言う。
すでに体の震えは止まっている。もはや彼女に迷いなどないのだろう。
にっと明るい笑顔を浮かべて彼女は口にした。
「だって、私は昔からラビのことが──」ドーン!!!!「──だからって何!?!?!? 何なの!?」
突如と鳴り響いた爆音にリリアの声はかき消され、肝心なところが聞き取れなかった。だが、残念だなどと考える暇や聞き直す時間は今はない。轟音と共に砦全体が揺れ、すぐにその音が砦に何かがぶつかったものだと気づく。音がする直前に大きな魔力の反応があったことから、魔法だろう。明らかに敵襲だ。
揺れに伴って燭台が倒れて火が消える。辺りが闇に包まれながらも、俺はいたって冷静に火を付け直す。すると、ひどく焦ってベッドの下に潜り込もうとするリリアの姿を見てついつい鼻で笑ってしまう。
「ラビさん! 大丈夫ですか!? 私は大丈夫です!」
シキもかなり焦っているようだ。ノックもせずにバン、と大きな音を立てて開かれたドアの先にはボサボサの髪をした彼女が立っていた。寝起きだろうか。やはり見た目だけは良い。
「って、なんでそんなに余裕そうに……あれ? リリアさん? 起きたら部屋にいなかったから、先に逃げたのかと思ってたんですが、ここにいたんですね……え? もしかしてお二人って……いえ、今はそんなことよりも、無事で良かった! これからどうしましょう!?」
焦り、不思議がり、喜び、再び焦る。実に感情豊かだ。
「ちょっと落ち着けシキ」
「落ち着けって……さっきの音が聞こえなかったんですか? 敵襲ですよ敵襲!」
「そうだよラビ! 早く逃げないと!」
ベッドの下から顔だけを出してリリアも言う。そこにいても意味ないだろ。
「あのなあ、ここは騎士がたくさんいる砦だぞ? おまけにクロエもいる。一体何が攻め込んできているのかは知らんが、あいつがいるから問題はない」
「……確かにそうかも」
「確かにその通りですね」
クロエの強さを身をもって知っている彼女たちはやっとのこと冷静さを取り戻す。リリアもベッドの下から這い出てきた。
「だろ? だから俺達はここでゆっくりしていれば良いんだよ」
と、そんな俺の言葉に背後から待ったをかける声。
「いや、そういうわけにもいかないよ」
キングだ。彼はドアの縦枠に身を預けながらそう呟いた。
「クロエは今、動けない」
「は?」
「彼女は今、高熱でまともに戦える状況じゃない。僕も真っ先に彼女の元へ行ったが、そこにいた回復魔術師にそう言われたよ。魔法は効果がないらしく、病に侵されているらしい」
「あいつはいつも病気みたいなもんだろ」
「君はこんな時にまでふざけたことを言って……僕も信じたくはないさ。何せクロエが病床に伏すところなんて見たことがないからね。それも、こんな時にだなんてタイミングが悪すぎる。だが、事実だよ」
マジかよ。俺は、一縷の希望に欠けてシキへと視線を移すが、彼女は諦めたような表情で首を横に振りながら言った。
「おそらく私でも治せないと思います。仮にその回復魔術師の方の技量が低くとも、効果の有無くらいは分かるでしょうから」
「彼女の言う通りだ。自然由来の菌に侵されているようだね。ゴブリンの糞が傷口に付着した者に現れる症状に似ているらしいが、クロエがそんな物を触るとはとても思えないし……」
マジかよ。俺は非難の意を込めてシキを見るが、バツの悪そうな表情を浮かべながら、視線を逸らされた。
「ふざけんな。無理矢理戦わせろ。あいつならきっと出来る。俺達が信じてやらないでどうするんだ」
「そうしたいのは山々なんだけどね、流石に今回は相手が悪い。相手は──」
山々なのか。俺は冗談だったんだが……。
病人を本気で戦場に連れて行こうとするキングを若干引き気味で見ながら、俺は考える。
ゴブリンか? オーガか? グリフォンか? そんくらいだったら、クロエがいなくても何とか……。
「──魔族だ。それも、二年前のね」
ほんの一瞬、白い悪魔が脳裏をよぎり、背中に冷たい汗が流れる。
……流石にそれは無理だ。
「そして……ここからが本題だ」
ジッとキングは俺を見る。
「ラビ、僕がここに来たのはね、君に助けを求めに来たんだ」
は? 一体こいつは何を言っている?
自分でいうのも何だが、俺に何かをさせるよりも、文字通り猫の手を借りた方がマシだろう。だが、キングはそうは思っていないようで、真剣な眼差しでこちらを見ていた。
「何を言ってるんですか。ラビさんが一体何の助けになるというんですか? シスターとして、無様に犬死にする人を黙って見過ごすことはできません」
「シキさん、君は知らないかもしれないが、彼は騎士団にいた男だよ」
「え?」
驚くシキ。
「その頭脳、魔力、魔法技術。並ぶものはいないとされた天才だ。なあ、ラビ。確かに君は魔法使えなくなったかもしれない。だが、君にはその頭脳があるじゃないか。かつて数多くの人を救った経験があるじゃないか」
………………。
「実を言うと僕は、君に憧れていたんだよ。どんな強敵にも恐れず、誰かを守りたいと、そう願い、戦う姿に強い憧憬を抱いていたんだ」
…………。
「だから、頼む。僕を……いや、僕達を救ってくれないか?」
……ちっ!
「そんな目で見られたら断りにくいだろうが。おい、お前は先に正門に向かってろ! 俺は準備を整えてからそっちに向かう!」
「ああ! 分かったよ!」




