すみません
その夜、俺は一人、砦の中を歩いていた。
キング達が会議に出ると言ってその場を去った後、彼の言葉通り俺達は充てがわれた部屋へと案内された。俺は唯一の男であったため個室を、彼女ら三人はリリアが昨日泊まった部屋を使うことになったようだ。貴族である彼女に与えられた部屋は相当に広かったらしく、三人でも十二分に余裕があるようだ。
重要参考人といっても、キング達は俺達を罰するつもりはあまりないのか、特に不自由もなく過ごすことが出来た。暇つぶしにそこら辺にいる兵士から本を借りて読書に興じ、リリアと遊び、夕飯を食べ、風呂に入る。そんなことをしている間にすでにどっぷりと夜は更けていた。兵士達によると明日もクロエ達には終日予定があるとの話であるため、リリアへの聴取は明後日以降になるだろう。どうせ俺はやることもないだろうから、こうして読み終えた本を持って明日の暇つぶしのため新しいものを探しているというわけだ。
「ああ、最高だな」
王都を出てからというもの連日歩き通しで、村に着いたかと思えばゴブリン退治。一週間にも満たない間ではあるものの、色々と忙しい期間だった。おかげでリリアの屋敷でぐうたら過ごしていた時間がどれほど俺の性に合っていたか、嫌というほど分かった。
採光、通気のために砦の石壁に開けられた穴からは満月がよく見える。一片の欠けもない月に、穏やかな日常への帰還を感じてついつい頬が緩んでくる。ああ、こんな時間が一生続けばいいのに。
柄にもなくそんな感傷的になっていたからだろうか。
「ん? あいつ何してんだ?」
外気に晒された砦の連絡橋の上で佇むネアを見つけ、
「おい、どうした? 覗きか?」
あまつさえ話しかけてしまったのは。
「……?! それはもうしましたよ」
俺とネアの付き合いはかれこれ二年ほどになるが、二人きりで会話をしたことなど今ままでほとんどない。彼女は俺を心底嫌っているし、俺もそれを察して必要がない時は話しかけないようにしていたからだ。俺だって無闇に傷つきたいわけじゃないしな。
彼女も俺から話しかけられたことに気づいて、驚いたような表情をして返す。風呂から上がったばかりなのか、長い黒髪はしっとりとしていて、普段は雪のように白い頬には朱が差す。開かれた大きな黒い瞳に月の光が反射して、少しだけ綺麗だと思ってしまったことは内緒だ。
「普通はまだしてない、そう言って笑いをとるところだと思うんだが」
「やってしまったものはしょうがないでしょう」
真顔で言うネア。やはりこいつはどこかおかしい。
「……あなたが話しかけてくるのは珍しいですね。どういう風の吹き回しですか? 私は普通の男には興味がな……男には興味がないんです」
まるで俺が普通じゃないみたいな訂正の仕方だ。
「別に、ただお前が一人でいると碌なことしないからな。さっきも聞いた通り、また覗きで捕まったらたまったもんじゃない」
「……私じゃないって信じてくれてたんじゃないんですか?」
ボソリと何かを言うネア。少しだけ強い風が俺の鼓膜を揺らして聞き取れはしなかったが、その表情から、どうやら少し怒っているようだ。
「すまん、聞こえなかったからもう一回言ってくれ」
怒ってるんだったら謝らないとな。特にこういう危ない奴には。
「もういいです。大したことではありませんので。それよりも部屋に戻ったらどうですか? 大事な話もないでしょう。私も今、あなたと話したいとは思いませんので」
だが、俺の誠意はネアには伝わらなかったようで、ここから去れ、そう言われてしまう。今、という部分に不自然に力が入っていると感じたのは気のせいだろうか。
すでにネアはそっぽを向いており、俺のことは視界の端にすら入れていないようだ。普段ならばここで言われた通りに部屋に戻るし、そもそも話しかけたりしない。しかし、どうやらここ数日ハードなことをしていたせいで俺はやはりどこかおかしくなっているらしい。彼女の視線を追い、その先に薄桃色の髪をした少女を見つける。ネアは彼女を愛おしそうに、そしてどこか悲しそうに見つめている。
「あいつ何してんだ?」
俺達が立つ連絡橋から見下ろした先でリリアは息を切らしながら一人で素振りをしていた。月光に照らされた彼女は汗に塗れていて、長いことああして聖剣を振るっていたようだ。
「………………」
「リリアが自主的に訓練するなんて珍しいこともあったもんだ。それともお前がさせてんのか?」
「………………」
「クロエにコテンパンにされたことが余程効いてるみたいだな……あ、コケた。大丈夫か?」
「………………」
「お、立ち上がった。もう辞めるのか、辞めちゃうのか? おっと! また剣を降り出した!」
「うざいです! 言われなくても見てれば分かります!」
リリアに聞こえないように、小さく怒鳴るネア。
「なんなんですか、あなたも、そしてリリアも。どうしておかしなことばかり……本当のあなた達はそんなんじゃないでしょう」
「そうだな。俺はうざくない」
「そういうことじゃないです」
そう言った後、ネアは本格的に黙り込むことを決めたのか、欄干に両腕を置いて、そこへ顔の下半分を隠すように推し付けながら体をもたれかける。
しかし、彼女の言っていることはあながち間違いではない。先ほどから気づいていたが今の俺はらしくないし、リリアも自主的に訓練をするような奴じゃない。だが、間違いどころか正しいとすら言っていい彼女の言葉の意味を、俺は頭では理解しているものの、どこか引っ掛かりを覚え、すんなりと受け入れることが出来なかった。
「なあ、今の」
「そういえば先ほどシキのお風呂を覗いた時の話なんですが──」
「詳しく聞かせろ」
違和感を吹き飛ばす話題に俺はすかさず食い付く。よくよく考えてみれば、どうして当初向かう予定であった街ではなく寂れた村に着いたのか、それについてもネアからは聞くべきだったのだろうが、シキのお風呂事情の前ではそんな些細なことを気にする余裕はない。ネアは何かを誤魔化すように話し始めたが、そんなことはどうでもいい。
その後、俺はネアに色々と聞きまくった。シキはどこから体を洗うのかだとか、どのくらい長風呂なのかだとか、あいつに胸は本当にあるのかだとか、それはもうたくさん。これまでネアと交わした言葉の総数を、今回だけで優に越すほどに。
「──と、いうわけです」
興味津々に聞く俺と、ところどころ微笑みながら話すネア。俺達の間にはかつてなかったほんわかとした時間が流れる。流石はシキのお風呂事情。みんなを笑顔にする力がある。もしくは、俺とネアは意外と気が合うのかもしれない。
「ふむふむなるほど」
一通り話を聞き終える頃には、リリアもすでに素振りを終えて部屋に戻ったのか、本当の意味で月夜の元、二人きりになっていた。
「……終わったようですね」
ネアもそのことに気づいたようだが、この場を去ろうとはしない。ただただその場に立ち尽くすばかりでお互いに無言の時間が過ぎる。その間、彼女はこちらをずっと見つめていて、少しだけ居心地が悪い。
「……ラビ」
そんな静寂をネアがためらいがちに破る。少しだけ目を泳がせた後、意を決した様に。
「あなたは運命というものを信じますか?」
今日はネアも何やらおかしいようだ。まるで宗教の勧誘のようなことを言い出した。
は? 運命?
彼女の意図が掴めない。話の流れが分からない。先ほどまではシキの入浴について話していたはずだが、どうしていきなりそんな大それた話になるのだろうか。
だが、問いかけてくるネアの瞳は真剣そのもので、とても茶化すようなことはできず、俺は閉口することしかできなかった。
「運命の人、運命の出会い、運命の悪戯。色々な言葉がありますね」
あるな。
「生まれた時点ですでに決まっている結末、結ばれる人、辿る人生。そういったものを、そういったものがあるとあなたは信じますか?」
どうだろうな。今まで考えたこともない。
「素敵な言葉のように感じる人もいるようですが……死ぬ時も場所も決まっているんです」
それはそれは大層悲しいことだ。
「そんな運命に従って人は生きて、人を愛して、死んでいくんです」
そうかそうかお前は素敵な運命に恵まれているといいな。
「では、もしも……もしもあなたがあなたの運命を知っていて、大切な人が死ぬと分かっている時、あなたはどうしますか?」
「…………」
「想像がつきませんか? ……例えば私が死ぬとすれば──」
「葬式は盛大にやってやるよ」
「即答ですか……はあ、まあ良いです」
ため息を吐くネア。
「……では、リリアの場合は?」
「………………」
「リリアが死ぬ時を、死ぬ理由をあなたが知っていたとしたら?」
「………………」
「リリアの死が、その後のあなたの人生に幸福をもたらすことを知っていたら──」
彼女の瞳が不安げに、そして助けを求めるように揺れ動く。その両手は握り締められ、黒い髪は震えていた。
「──あなたはどうしますか?」
彼女がそう口にして、たっぷりと数十秒。
「……あなたでも答えは出せないですか」
俺は終ぞ答えることは出来なかった。
「そもそも、雑談で考えることじゃないだろう。いきなり何の話を始めてるんだお前は」
そう問いかけると、ふっと破顔して、これまでの神妙な雰囲気をぶち壊すようにネアは言う。冗談にしても度がすぎるぞ。
「いえ、シキの態度が冷たいので、こういった話をして上手く取り入ろうかと。ほら、ああいう宗教の人って運命とかって好きそうじゃないですか」
そんなことをすればシキの態度はさらに冷たいものになるであろう。
「……少し話をしすぎましたね。では、私はこれで。あなたも風邪を引く前に戻った方がいいですよ? あれ? 風邪を引かない才能があるんでしたっけ?」
嬉しそうに話していた先ほどとは打って変わっていつもの調子に戻る。その言葉に俺が突っかかるよりも早く、ネアは身を翻してスタスタと早足でこの場を後にしようとする。
最後は一方的に言われて終わりかよ。そう思ったが、元々俺とネアとの関係なんてそんなものだ。俺はネアに話しかけないし、ネアは俺のことが嫌い。ここまで会話が成立したこと自体が奇跡みたいなものだ。もう彼女とこんな風に話すことは一生ないのかもしれない。
そう思うと少しだけ寂しいような気持ちもあるが、しょうがないさ。俺は遠ざかっていくネアの背中を見つめながら、そろそろ寝るか、そんなことを考えていると。
「先に言っておきます」
そのまま去っていくかと思われたネアが、こちらを振り返る。
「すみません」
そして、はっきりと苦悶の表情を浮かべて、そう告げた。




