シキの本性
「…………」
リリアの意識を刈り取った後、クロエは顎に手を当てて考え込んでいた。視線の先には、横たえられたリリア。俺からは見えないが、本気のクロエの拳を受けたその顔面は見るも無惨な様相を呈しているだろう。
「ラビ、お前一体こいつに何をした?」
しばらく考え込んだ後、クロエは面白そうにそう言うが、俺にはその意図が分からない。
何をした……か。おそらく彼女は先ほどのリリアらしからぬ行動を見て、そう問うてくるのだろう。しかし、俺だってリリアのあんなところを見るのは初めてだ。その質問には答えられそうにない。元より痛む体では、答えたくとも答えることはできないが。
だが、彼女は元より俺の答えになど対して期待もしていなかったようで、黙ったままの俺に対して鼻を鳴らした後、言葉を続ける。
「どうやら私が連れて行くべきはこいつのようだ」
そう言ってクロエはリリアへと手を伸ばし、華奢な体をその背に背負う。
え? 待って? 俺置いていかれるの?
一瞬、ラッキー! そう思ったがすぐさま現状を思い出す。いくら村が近いとはいえ、ここは森の中だ。それもゴブリンが大量発生をしている。そんなところに置いていかれてしまえば、万全の状態でも危ういというのに、指一本くらいを動かすことが関の山な今の状態では死刑と対して変わらない。
そんな非難がましい視線を送っていると、クロエも気づいたのか。
「そんな悲しそうな目で見てくるなラビ。別に連れて行っても良いんだが、昔からお前は余計なことを言うし、とんでもないことをしでかす。せっかく私がお前を助けるために動いているのに、当の本人から邪魔されてしまえばたまらんからな。とりあえずどこかに身を隠しておけ。本当は私だってお前と別れるのは寂しいんだぞ?」
照れたように言うクロエ。
違うそうじゃない! 俺はこのままだと死んじゃうぞ! そう言いたいの! 動かない口がもどかしい!
「ふふっ。そう心配するな。私はこう見えて強いんだ。絶対お前のことを助けてやるからな」
頭を撫でるな! このままだと俺はお前に殺されるんだよ! 気づけバカ!
だが、俺のそんな思いも虚しく、クロエに届くことはない。
「ではなラビ。また会おう。その時は昔みたいに笑顔で……な」
最後にふっと破顔して、彼女は言った。
だから会えないんだって! このままだと死んじゃうんだって! 一人だけ良い感じの空気出して去ろうとしてんじゃねえよ! おい誰か! 誰か助けて!
そんな俺の願いが天に通じたのかどうかは分からないが。
べちゃり。
「…………は?」
不快な音が鳴り響く。どこからともなく飛来したそれに、クロエの雪のように白く、綺麗な頬は茶色に染められる。遅れてくる異臭は、一体何を食べたらこんな酷いことになるのか、想像することすら憚られる程に、嫌悪感を掻き立てる。
それはうんこだった。
クロエの整った顔立ちは突如として飛んできたうんこによって汚されていた。拭い取ろうとして手についたそれを見て、流石の彼女も呆然とした表情をする。
「ハハハハハハハ! バーカバーカ! ざまあみろ!」
次いで聞こえてくるは犯人の下品な笑い声。とてもこんなことをしでかすとは思えないほどに可愛らしい声だ。俺は聞き覚えのある声に、一瞬耳を疑う。
いや、まさかな。ないない。……だがしかし、この声は。
「おいおいどうした騎士団長さんよー。そんな間抜け面晒して恥ずかしくねえのか? さっきはよくもあんなに思いっきりぶん殴ってくれたもんだな! ええ?」
コツコツと皮のブーツの音を鳴らしてそいつは近づいてくる。
「…………」
「何黙りこくってんだテメエ! それともあれか、歴代最強の騎士団長といえども、顔面にゴブリンのうんこを投げられちゃ、悲しくて泣いちゃうってか?」
視界の端で赤く、そして白いドレスが舞う。
「…………おい」
「あん? なんだって? うんこが臭くて聞こえねえな? 知ってっか? 鼻と耳は繋がってんだぜ? もっと大きな声で話してくれないと、テメエが臭すぎて聞こえねえよ」
金色の髪が、木々の間から僅かに差す陽の光を受けてより一層輝く。
「…………おい!」
「うっせえな! 聞こえてんだよ!」
細い体から多量の血を流して彼女は。
「ちったあ距離考えてから話せやこのうんこ女があ!」
信じられないほどの美貌を誇る顔面を怒りに染めて、シキはそう言った。
「死ね」
端的にそう告げた後、クロエはシキを殴り飛ばして去っていった。去り際、彼女の瞳に涙が浮かんでいたのは、クロエの名誉のためにも黙っておこう。あいつの涙なんて初めて見た。シキ、恐ろしい子。
そんな彼女は意識を失って地面に倒れ伏す。流石のシキもクロエの全力パンチを喰らってしまえば、意識を取り戻すのには時間がかかるだろう。
そうして待つこと一時間。ようやく彼女の意識が戻る。幸いにもその間魔物に襲われることもなく、二人とも無事、と言って良いのかは分からないが、とにかくなんとか危機を脱したといえよう。ちなみに俺は未だに体を動かすことができず、寝転んで空を仰ぎ見ていた。
「っつー! ……“ヒール“」
鈴のような声と共に魔力が動く。相当な魔力量だ。どうやら先のクロエとの戦いで、シキが負った損傷はかなりのものらしい。魔力が揺れ動き続けて数十秒。回復魔法には時間がかかる。ようやくシキは体を癒し終えたようで。
「ふう」
そう一息ついて立ち上がり、そのままこちらへと歩いてくる。纏う純白だったドレスが至る所に赤い化粧をしている。それが今となってはゴブリンの血だけではないことは、彼女の憔悴しきった顔を見れば容易に想像がつく。
「ラビさんラビさん。起きてますか?」
シキは俺の元へ辿り着くと、しゃがみ込みながらそう問うてくる。先ほどクロエと対峙した時のチンピラじみた言動はすっかり鳴りを顰め、柔らかな微笑みを浮かべていた。
「……ああ」
「良かった。起き上がれないんですか? 今直しますね! “ヒール“」
俺の生返事にシキはほっとした様子を見せた後、俺の体へと手を当て魔力を流し込む。彼女の魔力が俺の体の中を巡っているのを感じると共に、傷が癒えて痛みが引いていく。やはり相当な実力者だ。回復魔法は術者の技量によって、その速度が変わってくるが、ここまでの速さで治療を受けたことは今までにない。みるみるうちに体が癒されていく感覚はなかなかに快感であったが、今の俺にはそんなことを考えている余裕はない。
「大丈夫ですからね……ちゃんと私が治してあげますから。」
そう心配そうに呟く少女は、先ほどうんこと連呼していた者と同一人物には思えない。一体どちらが本当の彼女なのだろうか。……まあ、これまであのバカ共と仲良く行動を共に出来ていた時点で、まともな人間じゃない確率が極めて高いのだが。
「……あれ? いや、でもラビさんは魔法が……?」
何やら小さく呟いているが無事治療は終わったようで、ようやく動くようになった体を起こして立ち上がる。が──。
「「………………」」
気まずい時間が流れる。
チラチラと上目遣いでこちらを見てくるシキ。クロエとの一件を俺に見られていないか気になっているのだろう。モジモジと両手の指をくっつけたり離したりを数秒続けた後、彼女は意を決したように。
「……あ、あのラビさん。いつから起きて……?」
「今日の朝からだな」
「? ……! ずっと起きてたってことじゃないですか!?」
ちっ! 気付かれたか。適当なことを言ってはぐらかす作戦は失敗したようだ。素直に見たと言って、開き直られては困る。こんなに可愛らしい子にあんな態度を取られてしまえば泣く自信があるからな。かといって、嘘を吐くのも良い手ではない。どうせこの後、リリア奪還のためにクロエとはまた会うことになるんだ。その時に、本当は俺が起きていたことをバラされると却って面倒なことになる。
だからこそ、適当なことを言いつつも、ちゃんと本当のことを言っている作戦だったんだが……リリアにはちゃんと成功するのに。
「……見たんですね?」
びくり、と思わず体が動く。空気がヒリ付き、体感温度がガタッと下がる。シキの大きな瞳がスウっと細められ、子猫のような愛らしさのあった彼女が今は肉食獣のように睨みつけてくる。あまりの雰囲気の変化に俺が答えられないでいると、彼女はそれを肯定と捉えたらしい。
「……ちっ! あーもう!」
大きな舌打ちをして、頭を乱雑に掻くシキ。これまでの彼女のからは考えられない程に下品な行動だ。そして──。
「かはっ!」
何が起こったのか分からないままに、背中に強い衝撃が走り肺の空気が口から漏れる。シキによって地面へと転がされたのだと気付く頃には、すでに彼女は俺に馬乗りになり、身体を拘束していた。こいつといい、クロエといい俺の背中になんの恨みがあるのだろうか。
「おいラビ。このことは誰にも言うんじゃねえぞ?」
ドスを効かせたその声はなおも高く、アンバランスな印象を受ける。しかし、彼女は本気のようで、右手で俺の胸ぐらを掴んで、超至近距離で睨みつけてくる。一瞬キスでもしてやろうかと思ったが、そんなことをしてしまえば本気で殺されてしまいそうだ。それほどまでに彼女のチンピラ感は堂に入っていた。
「これがお前の素か?」
だとすれば相当な役者だと言える。俺やリリアはともかく、気に入った女であれば、名前や住所どころかスリーサイズまで把握しているネアですら、シキがこんな人間だとは気づいていないだろう。
「ああそうだよ」
ヘッとどこか自虐気味に笑うシキ。
「優しいシスターだと思ったか? 常に笑顔の女だと思ったか? みんなに愛されるような人間だと思ったか? でも残念。アタシは」
「いや、なんて性欲を刺激する女だろうと思った」
殴られた。痛い。
「でも残念。アタシはこんな女なんだよ」
何事もなかったように続けるシキ。少しだけ恥ずかしそうにしている姿はやはり可愛い。
「口が悪くて、ガサツで、性格が悪い」
「そしてうんこも投げる」
殴られた。痛い。
「だから、誰かに言ったら殺す」
本気だ。シキの据わった瞳を見てそう悟る。その迫力は先ほどのクロエにも迫るものがあった。こんなもの一朝一夕で出せるようなものではない。本当にこれが彼女の素なのだろう。おそらく大概の者には嫌われるであろう人間性だ。こんな奴、普通は目も合わせたくもない。しかし、甚だ不本意ながら俺の周りにはもっととんでもない奴らがいる。そのせいというべきか、おかげというべきかは悩むところだが、今までの彼女よりもむしろ妙な親近感を覚える。
「リリアにもネアにも、誰にも言うな。これからずっと、一生、アタシの本性のことはお前の中で留めておけ」
「ああ、病める時も健やかなる時もこのことは俺とお前の間だけのものだ。一生一緒だ」
「……言い方! さっきからなんなんだよ。なんで平然とした顔してんだ。言っとくけどアタシ、お前より絶対強いからな! 普通こんな状況だったらもう少しビビるもんじゃねえの?」
確かに彼女の言う通りだ。俺はシキよりも圧倒的に弱い。先ほどのゴブリンを狩る彼女の姿が思い起こされる。そんな彼女に馬乗りになられて脅されている。そんな状況で怯えないのは確かにおかしい。だが、そもそも。
「そもそも俺より弱い人間なんていねえよ。この前十歳くらいのクソガキにボコボコにされたしな。こちとら生まれた時から、猛獣に囲われて生きてきたようなもんなんだ。今更こんな脅しくらいでビビるわけないだろう。あまり舐めてもらっちゃ困るぜ?」
「偉そうに言うなバカ!」
叫ぶ彼女。癇癪を起こす一歩手前の子供のような表情をしている。少し茶化しすぎたか。いくら慣れているとはいえ、流石に俺も彼女にボコボコにされることは避けたい。元々誰かに言い触らすつもりもないからな。
「分かった分かった。誰にも言わないから離してくれ。そもそも俺が言ったって誰も信じないし、クロエだって見てんだからバレるのは時間の問題だろ」
俺なんかよりも、社会的地位も信用もあるクロエの方を口止めすべきだ。だが、彼女はそうは思わないらしく、何言ってんだこいつ、そう言いたげな顔をした後、言葉を続けた。
「はあ? あの白女の言葉をあいつらが信じるわけねえだろ。それにあの女に力技は通じねえ。まあ、いつか絶対やり返してやるけどな。それよりも今はお前だ。いいか? 絶対に言うんじゃねえぞ? 男に二言はねえからな。誰に何を言われようと、シキは可愛くてお淑やかないい子ですって答えるんだぞ! 分かったな?」
「シキは可愛くてお淑やかないい子です」
「…………い、今じゃねえよ」
照れてんじゃねえよ。お前が言えって言ったんだろ。一瞬あ、可愛い、って思っちゃったじゃねえか。
そんな俺の回答に毒気を抜かれたのか、シキは頬を朱に染めながら俺の上から立ち上がる。いくら彼女が小柄だからといって人一人の重さは相当なものだ。乗っかられて痛む腰をさすりながら俺も続けて体を起こす。服に付いた土を払いながら、俺は言う。
「さて、これからどうするか」
シキの豹変ぶりはさておき、リリアが攫われてしまった。心配だ。ああ心配だ。心配だ。リリアのことが心配すぎて一句読んでしまった。こんなことでは俺の身も危ない。ここは一旦拠点に戻って今日は休むべきではないだろうか。
「……リリアが連れていかれたってのにやけに呑気な声で言うよなお前。本当は仲悪いの?」
シキがジトっとした目で見ながらそう言ってくる。
「いや別に。ただ、あのバカはああ見えて貴族だからな。クロエは別にして、周りの騎士団の連中が蔑ろにはしないだろ。酷い目に遭うどころか今頃丁重に饗されて、私ずっとここにいる。魔王討伐なんて行かない! って考えてそうだ」
「……容易に想像つくな」
シキはため息をつく。
「じゃあとりあえずネアのとこに戻るか? ゴブリンはちゃんと倒したわけだし、あいつを解放してから今後について話をした方が二度手間にならずに済む」
そう提案する彼女に俺は首肯し、二人で村の方角へと歩を進める。
「しかし、分からんな」
先ほどシキが言ったあいつら、とはリリアとネアのことを指すのだろう。彼女の言葉を字面通りに捉えるのであれば、どうしてかシキはリリアとネアだけには本性がバレたくないらしい。
「どうしてリリアとネアにバレたくないのかって?」
察しの良い彼女はすぐに俺の抱いた疑問に辿り着く。
「んなもん決まってんだろ。アタシはこのまま勇者パーティとして旅を続けたいんだ。だからあいつらに嫌われてクビになるのは避けたいんだよ。言っとくけどさっき言ったことはマジだからな?」
別に素を出しても嫌われないと思うがな。むしろネアは虐められると喜ぶタイプだ。しかし、別に俺が口を出すことでもないだろう。俺は一時的にパーティに同行しているだけだ。そんな俺が彼女の無責任に彼女にアドバイスを行うわけにはいかない。
「さっき言ったこと? どれのことだ? 俺を殺すってやつか?」
「それもあるけど違えよ。あれだあれ、アタシが病気を治す回復魔法を探してるっつーやつ」
さらっと俺への殺害予告は撤回しないシキ。しかし、回復魔法のことか。
俺は隣を歩く少女へと視線を向ける。激しい戦闘の後で髪はやつれ、目は鋭く細められており、その言動のせいもあってか、先ほどそれを語った少女と同一人物には見えない。とてもそんなものを追い求める上等な人間ではないように思えるが。
「なんだその目は。あのな、アタシはこれでもシスターなんだよ。人を癒すのが仕事なの」
俺の視線に気づいたのか、不服そうに彼女は言う。
「だからアタシは絶対に魔族からその魔法を手に入れる」
決意に満ちた彼女の瞳。ふと俺は気になった。
先ほど彼女は言った。逃げないと、逃げられないと。
俺の問いかけにそう答えたのだ。だが、それも今の彼女を見てしまえば本心ではなかったのではないだろうか。だからこそ改めて聞きたいと思った。
「なあシキ、お前は逃げないのか?」
俺の希う答えを今の彼女ならば教えてくれるのではないか。一縷の望みを賭けて俺は再び問うた。それに対しシキは。
「あん? またそれかよ。まあいいけど……アタシは逃げねえよ。逃げられねえ」
先ほどと同じ答えだ。しかし。
「だってよ──」
彼女は言葉を続ける。
初めて問うた時とは打って変わって自信満々に。
まるで不可能などない、そう心から信じているように。
希望と勇気を持ち合わせる聖者は、天使のような顔に微笑みを浮かべながら、その答えを口にした。
「──絶対儲かるだろ!」
こうして、バカ貴族、チンピラメイド、守銭奴シスターからなる勇者パーティが誕生した。




