第8話 熟女
タクシーはどのような人が
乗って来るかわからない。
いつも乗ってくれるお客さんもいれば、
初めての人も乗って来る。
毎日がさまざまな人々との出会いなのだ。
駅に電車が着いたようで
ゾロゾロ
と階段から人が降りて来た。
タクシー乗り場を
素通りして行く。
客待ちで長いこと待っているのは
お尻が痛くなって、
つらいものだ。
それでも生活のためには
耐えなければならない。
おばあさんが歩いて来た。
年齢が六、七十代だろうか。
まっすぐ乗り場へ向かって来る。
これは乗るな。
私はドアを開けた。
少し小太りの
かわいいおばあさんだ。
「ありがとうございます。
どちらまででしょうか。」
「箱山団地まで。」
とおばあさんが言った。
「かしこまりました。」
私は走り出しながら
メーターを
賃走にした。
「今日は天気がいいね。」
おばあさんが話しかけて来た。
「馬山の羊川デパートで
買い物して来たんだよ。
いい物買おうと思ったら
羊川デパートまで行かないと
ないからね。」
よくしゃべるおばあさんだ。
「デパートには
いろいろ種類が揃っていますから
見て歩くだけでも楽しいですよね。」
私も相槌を打った。
しばらく沈黙が続いた。
不意に
「主人が亡くなっちゃったから
気楽だけど、
ひとりで家にいるのは寂しいよ。」
おばあさんがしみじみ言った。
「そうなんですか。」
私はどう返事をしていいかわからず、
ひとこと言って
黙っていた。
突然、
何を思ったか
「お金が足らなかったら
体で払うからね。」
おばあさんが言った。
「えっ。」
思わず私は聞き返した。
「タクシーのお金が足らなかったら、
体で払うよ。」
おばあさんは繰り返して言った。
私はどう返事をしていいのか、
黙っている訳にもいかず、
ましてや
「いいですよ。」
とも言えず、
「ああ、そうですか。」
と言うしかなかったが、
しかし、
ここで
「今日は、お金持ってないんですか。」
と訊ねたとして
「ないのよ。」
なんて言われでもしたら
どうすればいいのだろう。
「だから、体で払いたいの。」
なんて。
そうなっちゃうのかな。
うっかりしたことは
聞けないぞと
自分を戒めた。
そして、
あらぬ妄想が意識の中を
渦巻きながら、
誰がそのようなことを
このおばあさんに教えたのだろうと
思った。
過去にタクシー代を
体で払ったことがあったのだろうか。
私は釈然としない思いがした。
ある日の夕方、
仲間の乗務員の泥田が
馬山駅から若い女性を乗せた。
どこかのクラブのママなのか。
目も醒めるようないい女だ。
女に目がない泥田は
すっかり舞い上がってしまった。
気持ちはウキウキして
アドレナリン全開だ。
世間話しなどしながら大橋を渡った。
そこから道が広くなって
スピードが上がる。
すっかりドライブ気分だ。
しばらく走ったところで、
不意に
「運転手さん」
女が声をかけて来た。
泥田は話しの出鼻をくじかれて、
おやっと思いながら
「なんですか。」
と返事をした。
「あのー、
私、いまお金持ってないんです。
うっかりして、
お財布忘れて来ちゃって。
お金なくてタクシー乗っちゃ
いけないですよね。
運転手さんも困るでしょうし、
だったらこうしません。
あそこのホテルに入って
私の体で払うっていうのはどうかしら。」
女は言いにくそうに言った。