第60話 ヤクザのお客さん
「それはないよ。」
山道はあっさり言った。
でもいい気はしない。
言葉を鵜呑みにすると
人間はどのようなことで豹変するか、わかったものではない。
うかつな言動は危険だ。
以前、駅先頭にいたとき、
突然、駅のタクシープールのわきで怒鳴る声がして振り返った。
「ばか野郎、そんなことで済ませる気か。
運転手に事務所へ来るように伝えろ。
なにー、社長を出せ。お前じゃ話しにならん。
それじゃ社長を事務所へ来させろ。絶対来いよ。」
仁王立ちして携帯電話を耳にあてて怒鳴っている
上下黒スーツの不審人物がいた。
事務所といっても組事務所だ。
近くにある交番の警官もただならぬ様子に怪訝な顔で出て来た。
この沿線に本部がある明沼駅から電車に乗って来る
中小会狭瀬組ナンバー2の山橋だった。
何で怒鳴っているのだろうと思った。
「ああいうのに乗って来られちゃ困るから、
客が来て早く先頭から出たいな。」
私は祈るような気持ちだったが、
見ると携帯かけながらどんどん私の車に近づいて来る。
客は来ない。
山橋は近づいて来る。
気をもんでいる。
とうとうドアの前に山橋が来てしまった。
仕方なくドアを開けた。
「狭瀬組の事務所へ行ってくれ。」山橋が言った。
どうして怒鳴っていたのか興味がわいて
「何かあったんですか。」
車を走らせながら聞いてみた。
「三角タクシーの野郎だ。
コンビニで買い物するから待ってるように言って店に入ったんだが、
買い物して出て来たらいないんだ。
ふざけやがって。
駅にいるかと思って一台一台のぞいて見たんだが、見つからない。
それで会社に電話したんだ。
あの野郎見つけたらただじゃおかねえ。」
山橋は怒りが収まらない様子で言った。
ヤクザが「ただじゃおかねえ。」って言うのだから、
どんな目にあわされるか、
捕まったらえらいことだ。
乗ったのは三角タクシーの金川の車だったのだが
ヤクザが恐くて逃げてしまったらしい。
電話を受けた三角タクシーのオペレーターは
「料金はサービスしますから、それで勘弁して下さい。」の一点張り。
会社は一切それに関わらないと無視を決め込んだ。
その対応に腹の虫がおさまらない山橋は
それから毎日のように狭瀬組の組員を駅に来させて
一台づつのぞかせて金川を探した。
金川は北口に着けられず逃げ回るしかなかった。
ヤクザを乗せるとそういうこともある。
もうあと少しで馬山駅の南口だ。
山道は話し好きで、ヤクザの話しを続けている。
「スナックで組長が狙われて、
客が撃たれちゃった事件があるだろう。」
山道が言った。
中小会と抗争事件を起こしている米麦会傘下の元組長の話しだ。
「堅気の客が撃たれちゃった事件ですね。」
私も話しを合わせた。
「そうだ。あれは堅気なんかじゃない。
組長の友達で半分ヤクザなんだよ。
組長は自分が助かりたくて
そいつらを楯にしたんだ。
そういうやつなんだ。」
敵対している相手はずる賢くて
卑劣極まりないやつになってしまうのだ。
ダッシュボードの時計が三時半近くになったころ
サウナ五朝の店の前に着いた。
「いくらだ。」
山道は料金を聞いて財布から金を出したが、
ふと、手を止めた。
「ここは墨入れてても大丈夫なはずなんだが、
聞いて来てくれないかな。」と言いかけて、
「いや、いいや、俺が聞いて来るからちょっと待っててくれるか。」
「いいですよ。」
私はここでオッケーが出ればいいのだがと思いながら言った。
「すぐ来るから待っててくれ。」
念を押して山道は店に入って行った。
ここで逃げちゃったらどうだ。
意識をウズウズさせて悪魔がささやく。
しかし逃げたら金川と同じだ。
駅で仕事が出来なくなってしまう。
それも面倒だ。
などと思いながら待っていた。