第56話 緋牡丹お竜
しばらく待っていると
ママが出て来て車に乗り込んだ。
「エル美容室」
いつものように
緋牡丹お竜を気取ったママがボソッと言った。
店を開ける前に髪をセットしてもらうために、
必ずその美容室へ行くのだが、
そこでも
「そこを切るんだよ。もたもたするな。バカヤロウ。」
なんて怒鳴りつけて
美容師を震え上がらせるのだろう。
だから卑屈に頭を下げるようになってしまうのだなと
美容室を気の毒に思った。
私は素早く実車報告を済ますと、
「今日はいい天気で良かったですね。」
間髪を入れず話しかけた。
「そうだよ。雨が降っちゃうと出かけるのが億劫だからね。」
気難しいのではないかと思っていたが、
ママはことのほかすんなり話を返して来た。
イケるじゃん。
「ママはいい女だからもてて大変でしょう。」
ママがもてるかどうかわからないし、
何が大変なのか訳もわからないが、
調子こき過ぎかなと思える言葉が出てしまった。
「お前ふざけてるのか。」
なんてドスを効かせて言われるのではないかと
内心ビクビクしていた。
なにしろ相手は緋牡丹お竜だから、
いつ牙を剥くかわからないのだ。
気が気ではない。
ところが
「そんなことないよ。そっちこそもてるだろう。」
意外にも穏やかな言葉が返って来て
ホッと胸を撫で下ろした。
ほめられて悪い気のする人はいないのだろう。
ママは上機嫌で会話に乗ってきた。
話してみると何だかかわいいところがある。
話しているうちに生来の女好きの血が騒いで、
だんだんママが自分の女のような気がするようになってしまった。
惚れたのだ。
そして今まで感じていた恐れがすっかり消えていた。
こちらが好意を持つと相手の反応も柔らかくなってくる。
人の意識は相互に連動しているのだ。
しかし、考えてみると、
どういうわけか
私が好意を寄せる女性はたいがい恐ろしい。
こういうのを女運がないと言うのだろうか。
いつもひどい目に遭わされる。
この日以来
私はホザミのママの無線を
逆に心待ちするようになっていた。
無線が当たると心踊らせて迎えに行く。
こちらが好意をもっているのを感じるためか
ママの物言いも柔らかくなって
怒鳴ることはなくなった。
たまに
「ここで曲がるんだよ。モタモタするんじゃないよ。」
と言われたりするときもあったが、
嫌な気はしなかった。
「はいー、すんませーん。ちょっとモタつきましたー。」
などと軽くいなせるようになっていた。