第49話 困った人
小明は昼といわず
夜といわず
事務所にやって来る。
そして
頻繁に
タクシーで市役所へ行く。
それも
メーターを切らせて。
小明はこれを
狙っていたのだろう。
金が無くても
タクシーに乗る方法だ。
だから
社長を挨拶に
来させて
繋がりを
作ろうとしていた
のかも知れない。
一度顔繋ぎしてしまえば、
あとは押しの一手で
無理を通せばいいと
考えているのだろう。
なかなかに
したたかな
強者だ。
そのうち
付けにしておけと
言ってくるのではないかと
心配だった。
しかし
何をしに市役所へ
行くのだろう。
用もないのに
行ったところで
意味がないだろうに
と思っていた。
ところが、
小明は
何かしら
市役所や行政の
問題点を探し出すと、
すっ飛んで行って
課長や職員を
大声で長時間
恫喝するらしいのだ。
市役所でも
仕事の邪魔をする
厄介者で
ほとほと
困りはてていた
ことだろう。
今から考えると、
これも小明の
布石だったのだと思う。
しかし
最近いつも
一緒にいたはずの
子分の姿が
見当たらないが
どうしたのだろう
と思った。
本人に聞いたりすれば
怒りだすだろうから
聞けなかったが、
たぶん年中馬鹿だ、
のろまだと
怒鳴り付けられて
嫌気がさしたに違いない。
子分に逃げられ、
怒鳴りちらす相手もなく
独りでポツンと
部屋にいるのは
堪らなく
淋しい孤独感に
さいなまれるのだろう。
それで毎日
事務所に
入り浸るように
なったのだ。
そこには
自分勝手に喋って、
恫喝して
優位を満たすことの出来る
相手がたくさんいる。
この人は
そういう付き合い方しか
出来なくなって
しまったのだろう。
だから周りを
全部子分にしないと
気がすまないのだ。
そんなことだから
幾日もしないうちに
「おい、
ちょっと酒かってきてくれ。」
運転手を
使用人がわりに使って
酒を買って来させ、
昼間から事務所で
酒を呑むようになった。
呑めばまた一段と
騒がしくなる。
運転手は
事務所から逃げ出せば
小明の相手を
しなくても済むが、
無線番はそうはいかない。
電話を取って
無線で配車する。
そして
配車記録簿に記入する。
その脇で小明は構わず
喋っている。
自分の言ってることは
絶対正しいのだ。
だから
他人が何を
言ったところで
会話のキャッチボールは
出来ない。
そういうのを
聞いているのは
つらいものがある。
つい上の空で
生返事も
したくなってしまう。
相手になめられたと
思うと
途端に怒鳴り出す。
「私には
恐い者はいないんだ。
私がその気になれば
あんたを
首にすることは
簡単なんだ。
政治家だろうが
警察だろうが
私の言うことを
聞かないところは
ないんだ。」
一応第一秘書だから
「俺」ではなく「私」
と言うのだが
ガラガラした声で
怒鳴る。
無線番は
イライラしながら
謝らなければ
ならなかった。
そこへ無線が鳴る。
「本社どうぞ。」
「はい、どうぞ。」
「スタンドの先を右折ですか。」
「そうです。
その先に道があるでしょう。
そこですよ。」
「道が狭いんだけど
だいじょうぶなんですか。
ギリギリですよ。」
「入れるはずだけど、
他の車は入ってるから
大丈夫だと思いますよ。」
「了解。」
場所が不案内の運転手に
説明する。
小明は大声で喋っている。
「私が市役所へ行くと
課長なんか
ビクビクしてるぞ。
私がひとこと言えば
飛び上がるんだ。」
相手に気を使うなんて
考えもしない。
また電話が鳴って受ける。
「はい、もしもし、
文化会館二台ですね。
お名前は。
かしこまりました。
五分くらいで伺えると
思いますが。
はい、
ありがとうございます。」
無線で二台配車する。
また小明の話しに
相づちを打つ。
イライラが増してくる。
「本社どうぞ。」
「はい、どうぞ。」
「お客さん
いないんですけど。」
「あれ、
女性のお客さんですけど、
いないですか。」
「いないです。
それに今日、
文化会館休みですけど。」
「おかしいな。
ぜんぜん姿見えないですか。」
「ぜんぜんですね。」
「またやられたかな。
何か聞き覚えのある
声だったんだけどね。
以前にやられたときの声に
似ていたことは
似ていたんだけど。
車出さない訳には
いかなかったんでね。
申し訳ありません。
戻って下さい。」
悪戯電話も多く、
配車した車から
客がいないと
無線が入って来る。
「真夜中に
JRが保線工事してて、
うるさくて
眠れないんだ。」
小明は喋っている。
あれ、小明の家は
線路に面していたかな
と無線番の大林は
思ったが仕方なく
聞いていた。
「頭に来たから
旅客鉄道支社に押しかけて、
ひとが寝てるのに
安眠妨害だって
ねじ込んでやった。
そしたら
これで何とか
お願いしますって
金を出したんだ。
そういうことなら
まあいいかって
いうことだ。」
「えっ、
そんな簡単に
金出すんですか。」
「話しの持って行きようだな。」
大林は半信半疑で聞いたが、
なんだ金目的の
たかりじゃないのかと
思った。
そこへ
クレームの電話が鳴る。
「お前んとこの
会社の社員教育は
どうなってるんだ。」
「はい、
どのような
ご用件でしょうか。」
「お前んとこの
運転手はなんで
あんな走りしか
出来ないんだ。
後ろからグイグイ
煽りやがって。
どういうつもりなんだ。」
「申し訳ありません。
車番かナンバーが
わかりますか。」
「そんなものわかるか。
何しろ社員教育が悪い。」
「はい、申し訳ありません。
気をつけるように
いたします。」
客は一方的に
まくし立てて
電話を切った。
それでも小明は
脇で喋っている。
「小明さん、
仕事出来ないから
外へ出てもらえますか。
電話の応対が
聞こえないんです。」
大林が堪りかねて言った。
わかったのかわからないのか、
言われたときは
多少静かになるが、
酔っ払っているから
また元に戻ってしまう。
そのうち
金もなくなったのか、
酒代を無線番から
借りるようになった。
いままでは
子分が金を
出してくれていたのだろう。
その子分がいなくなって、
金を出してくれる
あてがなくなったのだ。
「お前はバカだから
何やってもダメなんだ。」
とさんざん
怒鳴りつけておいて
金まで出させていたのだ。
バカでダメなのは
どっちなんだろう。
人間は自分自身のことを
知るのが一番難しいのだ。
酒が入るから
益々(ますます)テンションが上がって
騒がしくなる。
昼間は事務員もいるし
複数で対処出来るから
多少何とかなるが、
夜は無線番一人に
なってしまう。
一人で
このうるさい小明の
相手をするのは
大変なことだ。
我慢に我慢を重ねた
夜の無線番の
堪忍袋の緒が
とうとう切れてしまった。
「バカヤロー、
静かにしろって
言うのがわかんねえのか。
出て行け。
こっちはそっちみてえに
遊んでんじゃねえんだぞ。
ふざけんな。」
歳のわりには
血の気の多い
牛島が爆発した。
「なにーっ、
俺は客で
乗ってやってんだぞ。
客に対して言う言葉か。
接客態度が悪い。
お前を首にしてやるぞ。
俺が手を回せば
会社にいられなくなるんだ。
それでもいいのか。」
小明も怒鳴り返した。
「首にするだと。
出来るもんなら
やってみろ。
俺には失うものなんて
何もないんだ。
首にでも何でも
してみろ。
警察に電話して
来てもらうからな。
仕事の邪魔ばかり
しやがって。」
売り言葉に買い言葉だ。
「なにー、
警察なんか
俺の言うまま動くんだ。
警官だろうが
何だろうが
俺は首にすることが
出来るんだ。」
牛島が警察に電話して
パトカーがやって来た。
事務所に入って来た警官が
一目みるなり
「小明さん、
困りますね。
仕事の邪魔になって
いるんですから、
会社の中に
入らないように
して下さい。」
あちこちで
たびたび警察の
お世話になって
いるらしく
警官が小明を知っていた。
「なにーっ、
警官だろうが
なんだろうが
私が手を回せば
首に出来るんだぞ。
お前ら私を誰だと
思ってるんだ。
桜田門だって
動かせるんだぞ。」
小明は大声で
怒鳴ったが
警官になだめられて
落ち着いた。
しかし警察が来ても
罪に問える
ほどのものはない。
警察官立ち会いで
小明は今後
会社の敷地に
入らないことを
誓約させられる
ことになって、
この場は
一件落着したかに思えた。
これで静かになるだろう。
しかし油断は出来ない。
小明がやって来ても
入れないように
牛島は事務所の引き戸に
鍵をかけておいた。
やれやれと
ホッとしたのもつかの間、
夜になると
寂しくなるのか、
また小明が
性懲りもなく
やって来た。
敷地に入らないことを
誓約したために
門から中へは入らずに
道路から声をかけて来た。
牛島は聞こえてはいたが
相手にしないようにして
返事はしなかった。
それで
おとなしく帰るかと
思いきや。
「おーい、牛島さーん。
頼むから
中へ入らせてくれよー。」
閉め出されたとなると
今度は下手に出て来た。
「俺が悪かった。
許してくれ。
頼む。」
夜の夜中というのに、
近所迷惑など
考えもしない。
なりふりかまわず
自分の欲求を
満たそうとするところは
大したものだ。
開けてくれる気配がない
と知ると
事務所の横にある
窓ガラスのほうへ回って、
そこでまた
「牛島さーん、
俺が悪かった。
謝る。
頼むから許してくれよ。」
何がなんでも
諦めない。
事務所の中にいれば
寂しさは紛れるし、
酒代もタバコ代も
タクシー代も借りられる。
だから何とかして
入り込みたいのだろう。
しかし牛島は許さなかった。
こんなことを
繰り返していたら
仕事にならない。
そこで会社は
大工に頼んで
事務所を仕切りで
分けることにした。
引き戸の内側に
二畳ほどの空間を空けて
ドアと受付窓のついた
仕切りを作り、
中のドアに
鍵をかけられるようにした。
外から来た人には
その仕切りに
開けられた窓から
対応する。
部外者が事務所の中に
入ることが
出来ないようにしたのだ。
そして入り口には
「関係者以外
立ち入り禁止」
のステッカーを
貼り付けた。