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第46話 まさか

それからしばらく経った夏の日の夜、



すでに九時をだいぶ回って



十時に近かった。



県団(県営団地)方面の無線が鳴った。



続いて、



駅先頭が呼び出された。



私が先頭だった。



まさか、



一瞬



嫌な予感がよぎった



その矢先、



無線の指示が来た。



「県団そばの小明様。」



「あー。」



思わず落胆の声が漏れた。



「なんだよ。なんで俺なんだ。嫌だな。」



重い気分を引きずりながら



迎車ボタンを押して駅から出た。



駅前通りを右折して



国道へ出れば



時間はいくらもかからない。



私は元ラーメン屋の玄関先に車を止めて、



外へ出た。



またメーター止めろって言われるんじゃないか。



やってられないよ。



断ってもらいたいな。



沈んだ気分のまま戸口の前に立った。



引き戸の硝子がらすから



灯りがれている。



玄関の戸を開けようと



手をかけたとき



「そうだ。その通り。



やっと俺の言ってることがわかって来たようだな。」



中から自己中心の



ガラガラした大声が響いて来た。



誰かと話しているのか。



何がその通りなんだ。



私は一瞬ためらったが、



そのまま腕に力を入れて



引き戸を開けながら



「毎度ありがとうございます。



箱山タクシーです。」



思い切り明るく



元気に声をかけて、



中をのぞいた。



ちょうど二人の客人が



カウンターに座ってビールを飲みながら



小明と話し合っていたところだった。



二人とも



公共事業を請け負っている



土木業か建設業の責任者のような



作業着を着ている。



たぶん上司と部下なのだろう。



まさか



小明に何らかの便宜べんぎ



はかってもらったのだろうかと一瞬思った。



「おう、ちょっと中へ入って待っててくれ。



まだ夕飯食ってないんだろう。



いま食い物作ってやるからよ。」



私の姿を見るなり小明が言った。



えっ、



ギクッとした。



不意打ちを食らわされたような



小明の言葉が返って来たからだ。



まさか、



小明が作ったものを



私が食うのか。



そんなことになるとは



微塵みじんも思っていなかった。



冗談だろ。



でかい声でがなりたてているから



つばがすごいんだ。



そんなのを食わされたら



どうなるんだ。



考えただけで具合が悪くなりそうだった。



嫌だよ。



私はあわてた。



「いや、今、食事したばかりなんで、



腹一杯で食えません。



ダメです。」



私はなにがなんでも



断固だんことした態度で固辞こじして、



そのまま車に戻って待っていた。



すると引き戸が開いて



小明の子分が出て来た。



「あのー、



小明さんが中で待ってるように



言ってるんですけど、



中へ入って待ってて下さい。



さあ、どうぞ。」



また気が利かないと



子分が小明に怒られて



言いに来たのだろうか。



ここで意地を張っても



仕方がないと思ったので、



車にカギを掛け、



覚悟を決めて家の中へ入って行った。



私がどうしようかと



迷っているのを見た小明は



「いいからこっちへ来て、



そこに座って待ってろ。」



命令口調で言いながら指で指した。



そこはラーメン屋の店が



そのままになっていて



カウンターがある。



そこの椅子に座れと



うながしたのだ。



仕方なく



それに向かって歩きながら



周りを見回わした。



その奥に灯りが消えている



六畳の部屋がある。



見るとそこに白っぽい毛並みの



小さい犬が



紙くずなどが散乱して



砂埃すなぼこり



ジャリジャリしていそうな畳の上に



静かに座っていた。



犬もおとなしくしていなければ



ひどく怒鳴られるのだろう。



カウンターの中には



下着姿の小明が入っていて、



半袖の痩せて筋ばった二の腕に



スジ彫りの刺青いれずみがはみ出ている。



私がカウンターの端の椅子に腰掛けると



「いまこの二人に持たせてやろうと思って



唐揚げを作ってるところだから、



ちょっと待っててくれ。



いいだろう。



これが終わったら



食う物作ってやるからな。



寿司飯があるから、



ちらし寿司でいいか。」



やっぱりでかい声だから



つば飛沫しぶきになって飛んでいる。



うわー、勘弁かんべんしてよ。



私は全身から血の気が引く想いだった。



「いや、本当に今食べて来たところなんで、



ダメです。



食えません。



結構です。ダメです。」



私は必死に抵抗した。



「じゃあ、寿司飯だけど



握りめし作ってやる。



一個ぐらいは食えるはずだ。



待ってろ。」



いらないよー。



私は心の中で叫んだ。



この場から逃げたい気分だった。



しかし許してはもらえない。



私は観念するしかなかった。



そして窮屈きゅうくつな気分で



居心地の悪さをかかえながら、



料理をしそうもない小明が料理している姿を



手持ちぶさたで見ていたが、



不意に可笑おかしくなってきて



「料理するんですね。」



軽い気持ちで口を突いて出てしまった。



その途端、



小明の顔色が変わった。



「なに、料理するんですねだと。



まいったな。



おい、俺に料理するんですねだとよ。



俺をナメテんのか、お前。



誰に物言ってんだ。」



小明は上目うわめづかいのすごんだ目で



長い間目をそらさず



私をジッとにらみつけた。



「あっ、しまった。」



私は迂闊うかつなことを



言ってしまったようだ。



まいったな。



何も言えないなこの人には。



話しをしてもダメだ。



私はとぼけて黙っているしかなかった。



「そこをよく見てみろ。」



小明が壁を指で指して怒鳴った。



「俺はな。調理師の免許持っているんだ。



ちゃんと壁に掛けてあるだろ。



正真正銘の調理師免状だぞ。



俺のことを素人だと思ってんだろう。



俺は調理師の免許を持っているプロなんだぞ。



わかったか。」



小明はこれ見よがしに怒鳴った。



素人料理を私にバカにされたと



思ったのだろうか。



異常だ。



「今度うちで弁当屋を始めるからな。



会社にも言っといてくれ。



それから



社長に挨拶に来るように言っておけ。



まだ挨拶がないぞ。



わかったか。」



私はどのように返事をしていいのかわからず



「はあ」



曖昧あいまいに言葉を濁した。



小明は一方的に言ったあと



唐揚げの中華鍋ちゅうかなべに顔を向けた。



唐揚げが出来上がったらしく、



網で鍋から取り出して



ガスコンロの火を止めた。



そして



「じゃあ、握り飯でいいな。」



小明は炊飯釜のふたを開けると



泥団子を作るような手つきでご飯をすくった。



「いや、結構です。



お腹いっぱいですから。」



私はまだ抵抗していた。



「だいじょうぶだ。



握り飯一個くらいは食える。」



小明は何が何でも食わすつもりだった。



仕方がない



私は覚悟を決めるしかなかった。



小明は手のひらに山盛りのご飯を乗せると



不器用な手つきで握り始めた。



小さいのを望んでいたのだが、



やたらご飯が多くてでかい。



手は洗ったのか洗わないのか。



まるでおかまい無しだ。



ここで



あまりしゃべってもらわないほうが



いいんだけどなと願っていた。



ところが



「山下さんの言ってることも私にはわかるんですがね。



一概いちがいに否定は出来ないと思いますけど。」



上司らしい業者が話し出してしまった。



「いや、



あんなやつの言ってることは



に受けちゃダメだ。



俺に言わせればあいつに能力はない。



あんたにはまだそれが見抜けないか。」



小明はご飯を握る手を止めて



優越感むき出しで業者の言葉を否定した。



私はその大声で



どれだけ飛沫が飛び散ったかと



ハラハラしていた。



不意に



「握り飯の中に入れるものがないな。



このままじゃなんだしな。



そうだ塩辛しおからがあるか。



塩辛でいいだろう。」



そう言うと



小明はソフトボールの玉のように



丸く握ったご飯の真ん中に



親指をブスッと突っ込んだ。



そしてその穴へ



無造作につかんだ塩辛をねじ込んだ。



う-わ。まっずっそー。



私は目眩めまいを感じた。



小明は構わず



「これを海苔のりで巻けば出来上がりだ。」



と言いうと



戸棚から海苔を一枚取り出して、



そのまま大雑把おおざっぱ



ガサガサッと巻き付けたかと思うと



「ん。」



と握り飯をつかんでいる腕を



私に突き出した。



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