第33話 限界
振り向いた下次の目に
雰囲気のよくない
バンチパーマの若い男が
凄みをきかせて
こちらに向かって来るのが見えた。
下次は
蛇に睨まれたネズミのように
固まった。
気付くと
ほかにも
丸刈りの不気味な若い二人の男が
近づいて来る。
「見ろ。
ここにぶつかってるじゃねえか。
どうしてくれるんだ。」
パンチパーマが
微かな傷かどうかもわからないところを
指さしながら凄みをきかせて言った。
ほかの二人も口々に
「こんなに傷つけて逃げる気か。」
「会社に連絡して、すぐ社長を呼べ。」
「早くしろ。」
いつのまにか
ラーメン屋の篠川も見に来ていた。
その若い連中は
組長代行の篠川がいるせいか、
ここぞとばかり、
かさにかかって騒ぎ立てた。
普段は
目立たないように
篠川をガードしている組員なのだろうが、
ここは金に出来るチャンスが
転がり込んで来たのだ。
組員と篠川は以心伝心、
タクシー会社から金を取れるように
もって行こうと考えていた。
下次の便意は絶頂に達していたが、
恐ろしくて
言いなりになるしかなかった。
しかたなく
無線で本社に車をぶつけてしまったことを告げた。
「怪我人はいますか。」
オペレーター(無線番)がたずねた。
下次は脱糞直前の
身震いとめまいで
返事も上の空になっていた。
「怪我人はいません。」
「そうですか。
警察はまだですね。
こちらから警察に連絡します。
北口のロータリーですね。」
こういうときにオペレーターは頼りになる。
無線で報告したあと、
意を決して、
トイレへ行かせてもらおうと
車の外へ出たが、
すでに
歩けば噴出してしまうようになっていて、
トイレまで行くことが出来ないほどだ。
「あのー。」
と言いかけた途端
「あーっ」
急激な圧力が
肛門に加わったかと思うと
「にゅるっ」
とはみ出てしまった。
慌ててつま先立つように
股間をすぼめ、
海老反ったが、
張りつめていたものが
いっぺんに切れてしまった。
「びちびちびちー」
止めるまもなく
一気に噴き出して来るものを
どうすることも出来ず、
体の力も抜けて、
その場に立ちすくんでしまった。
「あっちちちち」
熱湯のように
熱くて緩いものが
ズボンの中を雪崩をうって流れ落ちる。
そして
それがアスファルトの上に
ボタボタ落ちた。
「ん、
何だ。」
組員が下次を見た。
「あーっ、
こいつウンコ出てますよ。」
目敏く見つけた一人が指さした。
「おいおいおい、
テメー何やってんだ。
店の前だぞ。」
「こりゃあ営業妨害だ。」
他の二人も口々に下次を責め立てた。
下次は恥ずかしさと惨めさで、
いても立ってもいられなかった。
連絡を受けて
駅前交番から警官が数名かけつけて来た。
二人の丸刈りの組員が
トイレに走って行くと
バケツに水を入れ、
柄付きタワシを持って来て、
道路の上に落ちているウンコを洗い流し始めた。
ヤクザ見習いのとき
便所掃除は
嫌になるほどさせられたのが
身についているのだろう。
ウンコを見ると
無意識に体が動いてしまうのかも知れない。
「十六号車どうぞ。
十六号車どうぞ。
十六号車の下次さん感度ないですか。」
タクシー無線が下次を呼んだ。
箱山駅に列んでいる乗務員には
馬山駅で何が起こっているのかわからない。
事故ったらしい無線がさっき入って来たが、
異常事態でも発生したのか。
何で返事しないんだ。
いったい何してるんだ。
事情を知らない乗務員達は
いつまでたっても無線に応答しない下次に
いらだっていた。
まだ無線は下次を呼び出している。
オペレーターの声も
応答がないことにイライラして、
呼び出しの声が大きくなっていく。
みんなのイライラがピークになったころ、
やっと応答があった。
「下次さん、今どこにいるんですか。
お巡りさんが事情聴取しようとしたら
いなくなっちゃったって
言ってるんですけど、
どこにいるんですか。」
「えっ、
何ですか。」
「何、
仕事してるー?」
「そんなことしてる場合じゃないでしょ。」
「だめですよ。
すぐ戻って、
ちゃんと事情聴取受けて下さい。」
タクシー全車には
オペレーターの声は聞こえるが
下次の無線は本社にしか聞こえない。
そのため
乗務員達はオペレーターの声だけで
状況を想像するしかないのだが、
何かただならぬ事が
起こっているらしい様子は感じられた。