第32話 待った無し
それからの下次は
リストラで傷ついた
心の痛みを抱えながら、
未経験のタクシー乗務を
しなければならなくなった。
神経は使う。
道がわからない。
客に怒鳴られる。
家のローンは支払わなければならない。
子供達の教育費はかかる。
うんこは待った無しで
襲って来る。
トイレを探してさ迷う。
惨憺たる状況の中で
仕事をしなければならなくなった。
特に
昼間の馬山駅は
タクシーの台数が多いために
客待ちの時間が長すぎて
なかなか順番が回って来ない。
一時間半や二時間待ちは
当たり前のようになっている。
その日、
下次は腹の具合を危ぶみながらも、
とりあえず
便意はなかったので
馬山駅のタクシープールへ入った。
三十分近くかかって
プールの中程あたりまで移動した頃、
急に腹が痛くなった。
「うっ、
来たー。
まいったな。
どうしよう。」
下次は不安にかられて
体からスーッと
血の気が引いて
脂汗が噴きだすのを感じた。
トイレはロータリーの一番はずれにある。
タクシープールから見ると
うしろのほうになる。
しかし
行こうと思っても、
そういうときに限って
意地悪く客が来て
タクシープールの中が動いて
前に詰めなければならなくなる。
動くときに乗っていなければ
その列だけ
後の車が前に移動出来ず
全体に迷惑がかかってしまう。
ましてや
新人が勝手なことをしていれば
古株から怒鳴られるのは明らかだ。
いつ動いてもいいように
車を離れるわけにはいかない。
「よわったな。
よわったな。
間に合わないよ。
どうしよう。」
タクシープールの真ん中では
前後の車の台数が多過ぎるため
移動してもらって
外へ出させてもらうわけにはいかなかった。
「前が空いたら
乗り場に着けないで
そのままトイレに行こう。」
下次はめまいを感じながら
必死で堪えた。
もう生きた心地がしない。
神様ー。
仏様ー。
助けてくださーい。
思わず心の中で叫んでいた。
祈りが通じたのか、
前の車が移動して、
すぐさま
下次はプールを抜け出した。
そのまま
一方通行のロータリーを右方向へ走って
トイレの所まで行った。
しかし
迎えの車が列んでいて
車を止める場所がない。
我慢出来ない。
ふと
見ると
ラーメン屋台の前あたりに
ギリギリ何とか止められそうなスペースが
空いているのを見つけて
バックでその隙間に車を入れた。
気がせいて上ずっている。
「ゴツ」
軽く何かに当たったような
鈍い音がした。
ハッ
として少し前に出し、
慌てて車を降りると
トイレに向かって走り出した。
「待てゴラー。
他人の車にぶつけておいて
どこ行くんだ。
てめー。」
下次はビクッと振り返った。