第27話 虐待
タクシーでの営業には
着地発地主義というものがあって、
営業所が属している区域内から区域外へ
客を乗せて行くのは
当然いいのだが。
区域外で
客を乗せることが出来るのは
その場所から自分の区域内まで
帰って来るお客以外
乗せることは出来ない。
例えば
地方都市から東京都内まで行ったときに
都内で乗せられるのは
自分の区域内に帰って来るお客のみ
乗せることが出来るのだ。
しかし
都内では
銀座周辺や赤坂のように
時間によって
タクシー乗り場以外のところで
お客を乗せてはいけないところがあるので、
手を挙げたからといって
やたら乗せることは出来ないのだ。
仲間の佐原は
都内まで客を乗せて行った帰りに、
銀座で手を挙げた客を拾った。
乗せた途端に
鬼より恐い
財団法人東京タクシー近代化センターの
監視員が走って来て
取り囲まれて捕まった。
乗せてはいけない時間帯だったことと
区域外のタクシーが
違法に営業をしたことによってだ。
捕まった場合、
あとから所長とか責任者とかと一緒に
東京の近代化センターまで
出頭することになる。
そこで警察から天下った
元警察官の係官から
タクシー業務適正化特別措置法に基づいて
厳しく調書を取られたあと
ブラックリストに載せられる。
そうなると
会社を辞めさせられて
他のタクシー会社に就職しようとしても
近代化センターの記録が
東京のすべての会社にわかってしまうので、
東京のタクシー会社には
使ってもらえなくなってしまう
ということになる。
タクシードライバーにとっては致命的だ。
しかし、
これを知っている悪質な愉快犯が
乗って来る時がある。
私の車に駅から亀島町の
ウザイル紙工までのお客が
乗って来た。
「どの道でもいいから行って下さい。
前回は線路際の道で
行きました。」
始めのうちは低姿勢だった。
線路際の道は家が密集していて
スピードを出せない。
車がすれ違うのに
片方が待たなければならないほど細い。
自転車で
駅まで急いでいる人が走っている。
なにしろ
危ない道だ。
私は慎重に運転していた。
「俺は急いでいるんだよな。
急いで行ってくれるかな。」
突然客が言い出した。
「はい、
なるべく急ぎます。」
私は言ったが、
何しろ
スピードを出せる道ではない。
急ごうとしても限界がある。
対向車が来て
止まらなければならない。
「何やってんだよ。
俺は早くしろって言ってんだよ。
わかってんのか、お前。
なめんなよ。
早く行け早く。
わざと遅く走ってんじゃねえよ。
お前をクビにするのは簡単なんだぞ。
センターに電話するからな。
電話するぞ。」
立て続けにまくしたてる。
一時停止があって
止まった。
左から
四トントラックがノロノロ走って来た。
見ると携帯電話に夢中になっている。
何やっているんだと思いながら
出ることも出来ず
仕方なく止まっていた。
「何やってんだよ。
早く行けよ。
いま目で行けって言ったぞ。
何で行かねんだよ。
ばかやろう。
絶対クビにしてやるからな。
覚悟しとけよ、お前。」
トラックの運転手はこちらには気が付かないほど
携帯に気を取られていて、
行けなどと
目で合図した様子もないのだ。
まったく箸にも棒にもかからない奴だ。
目的地に着くまで
切れ目なく怒鳴り散らしていた。
仲間の村木も
この客に同じように脅された。
こういった輩は
近代化センターを印籠がわりに使って
タクシードライバーを虐待する
暗い喜びにうち震えているのだろう。
クレームを付ける客が
本人の名前と住所を名乗れば、
センターはドライバーを取り調べることになる。
反論するための証拠がなければ
クビになることもありうる。
こういう客の通報で
クビになったドライバーは多いことだろう。
財団法人東京タクシー近代化センターは
平成十四年四月一日に名称が
財団法人東京タクシーセンターに変更された。
地方都市の駅のタクシー乗り場には
構内権というものがあって、
その駅の構内権のないタクシー会社のタクシーは
そこの乗り場にはつけることは出来ない。
構内権というのは
会社が駅につけるタクシーの台数に
応じた使用料を駅に支払って
駅構内を使わせてもらっているものだ。
うちの会社は
箱山駅と馬山駅に
構内権を持っている。
そのため
私は箱山駅の終電車が行ってしまっても、
馬山方面に行っているときは
歓楽街を控えている馬山駅で
客待ちをする。
飲み屋街から出て来る客がいるからだ。